第2話 銃弾

「ああ、大事な用事を忘れるところだった」


 アダマスの見慣れた保安ゲートの内側に私を置き去りにして、ロビンは10分ほど姿を消した。彼がいない間はとにかく無意味な時間だった。部外者が1人で保安ゲートを潜ることを許されるわけもなく、中を彷徨こうにも、僅かな勤務期間で顔を出すべき関係が育まれるわけもない。昼間だというのに、嫌味を投げかけてくる監査部門の白シャツ組が面白い顔をぶら下げてカフェテリアから出てくることもない。


 疲れ切った頭をぼんやりとさせながら、同じく暇を持て余していそうな警備員の控えめなダンスステップを眺めていてやっと気づく。青ネクタイを付けた行動員の姿が1人も見当たらない。


「待たせたな」


「ロビン、随分と人が少ないようだけれど」


「ここの連中が再び帰ってくるのは、テロ事件に関わった警備隊の人間を1人残らず排除してからだろう。それに特命調査のために司法総局に派遣された職員も多い」


「実行犯は保安局の人間なのに」


「どうしてそんな事を存じ上げているんです、一般人さん」


「保安局と諜報部に監視された一般人なんて、なんだか政治犯になったみたい。いいのかしらそんな肯定的な返事をしても。それともやっぱり私のこと信用してくれる?」


「そうだな、いくつかの点で俺は明らかに間違っていた。事件はケベデの死で終わりじゃなかった。ヒルベルトの件で痕跡を残さない犯人の確かな足取りを掴んだが、いまだに正体には至っていない。それに博士を囮にしたまま組織から放り出して、大切な人物を失うところだった。事態を悪くしたのは、博士が他人のFWを装着した事ではなく、すべてにおいて俺の判断だった」


 俯いたロビンは絶妙に聞き取れない謝罪の言葉を述べて、ジュラ・ホーンの執着がどうのこうの、囮作戦を信用するのが筋だのと独り言を呟く。そして私の方を向き直すと、眉を顰め大きなため息をついた。


「謝罪はいいわ。するならピカに。それよりも人を見てため息つかないで」


「仕方ないだろう。襲撃した奴が煽動犯本人だったかもしれないとなれば、なんだ。何が起こっているか分からん。せめて博士には、俺たちの方の記憶解剖はきっちり受けてもらうからな」


「ああ......それは、とっても不味いわね」


 どうすべきだろう。


 ガスマスク野郎は、あそこでの会話を誰にも話すなと言った。誰にも、とはどういう意味だろうか。ロビンに知られて不味い事があるのか。殺人鬼の言う事を鵜呑みにする必要があるのか。あらゆる物事が喉奥の小骨のように引っかかって腑に落ちない。奴の犯した罪の告白と、不気味なほどに冷静に並べ立てられたカルト話との間で、とうとう頭がおかしくなりそうだ。私も、あの場で一体何が起こったのか一度落ち着いて整理しなければ。


 ゾフィー、私はあなたを受け入れた。私はどう振る舞えばいい?


 私に何か助言はないの?


 ああ、馬鹿らしい。


「......もう少し待ってくれない?」


「......ペグ、今の発言をそのまま諜報部の資料局に転送しておけ」




 保安ゲートの警備員は1人だけだった。ロビンは彼が着ていたコートを脱ぐと、私の肩にかけてくれた。どこか肌寒いと思っていたら、上着は実験庭園の池の中に沈めてきたのだった。しかし袖を通そうにも左手首がないせいで不恰好に羽織るだけになってしまう。


「ありがとう」


「警察病院まで送り届けてやる。表は歩かないから我慢しろ」


 ロビンはそれだけ言うと、私が防弾加工の施された重たい布と格闘しているのに気づく素振りも見せずゲートを潜った。しかし同時に籠に並べられた手荷物の何かがスキャナーに検知され、慌てて鞄の中から透明な密封袋を取り出した。警備員はそれを取り上げると、資料局のロゴの上から雑に書かれた番号を指差して、そのまま引き出しの中に仕舞おうとする。


「持出禁止品ですね。局長の許可証を」


「おかしいな。これは情報総局の管轄物だ」


「局長の許可証を」


「面倒だな。ワタナベに繋げろ」


「それでは局長室に案内しますので......」


「分かった。俺が繋ごう」


 ロビンが偽装ホログラムの下に隠された識別子を見せると、警備員は一瞬たじろぎ、ロビンの瞳を見て3度瞬きした。それからは一瞬だった。ロビンが丁寧な表現で2、3言悪態をついたかと思えば、保安ゲートの二重透明扉は開放され、なぜか私までもスキャンを受けることなく通過することを許された。


「どうも嫌がらせというわけではなかったらしい。こんなことで連絡をよこすなだと。結局のところ、煽動犯についての確たる証拠をどちらかが入手し、奴が見つけたFWシステムの欠陥を吐かせるまでは、ワタナベは俺たちとの協力を断れないってわけだ。それなのに本音はダダ漏れ、極めてダサいな」




 ロビンは環状トラベレーターの乗り場ではなく、官庁街の空中連絡路を目指して速足で進んだ。私もそれについていく。ときどき違法ホロ広告がガラスを突き抜けるせいで怪しげな色を纏った橋を通り抜けて、首都警察本部が入ったビルの外部エレベーターホールに出た。ロビンが触るまでもなく、到着音が鳴り響き無人の籠が現れる。


「で、ロビン、それは何?」


 閉まり切った扉に「輸送路整備フロア行き」の文字が浮かんだのを見て、私は疑問を口に出す。


「これか。情報総局の監視ドローンを破壊した弾丸だ。俺たちが他の事で忙しい間に、ウバラのやつが証拠品全部さらっていきやがったから取り返しに来たんだが」


?」


「監視がピカだけだと思ったか。諜報部の目を舐めるなよ」


「所持者を調べるの?」


「そうだ。だが変だな、市場に出回っているブツじゃない」


 ビニール越しに潰れた弾頭を弄っていたロビンが、その型番を見るまでもなく唸った。


「登録はされてないでしょうけど、経路を辿ることくらい容易いでしょ」


「ああ、これを手にした人間は限られてくるだろう。だからこそ何か裏があるような気がしてな」


「ケベデの事件で集まった煽動犯の物理的痕跡は、実際何かの役に立ったの?」


 ロビンの目が細くなる。


「捜査の手を躱すのが上手いだけならいいんだが」


 銃弾の所持者は、ケベデ殺害という隠し用のない結果が生じるまでは、徹底して回りくどい犯行計画に基づいた行動をしてきた。いまだに詳細な手段は不明だが、奴はどうしてか共犯者の主観以外に事件に関わる自身の痕跡を一切残さず、その作戦によって、警察はおろか内務総局と情報総局が設立した特権部隊の目からも逃れることに成功していた。


 それがなぜか今は、実体として残る痕跡が生じていることに対して無頓着になっている。この銃弾然り、FW非装着者であるストレンジに物理的接触を行ったこと然り。私の元に現れたこと然り。


 無頓着になっている?


 私はロビンの懸念に追いついた。


 FWチップ装着者は現実の認識に錯誤がない限りにおいて合理的行為者であるという原則に立ち返る。敵が自ら両の手首を差し出すような判断をしているように私たちには見えている。しかし実際はそう思わされているだけか、あるいは何かそうせざるを得ない理由があるか、何にせよ幾つかの点で奴に有利な結果が生じている筈なのだ。


「私にも見せて」


「いやだね」


「記憶解剖......」


 舌打ちが聞こえて、指先で摘まれた袋が目の前を揺れ動く。


 花弁のように開き切った弾頭。破砕したかけらは回収されなかったらしい。対義体弾の識別チップが埋め込まれた展開弾頭を思い起こさせるが、それよりももっと柔らかな素材だ。わずかでも装甲を有するドローンに対して、狙いなく撃ったところで損害を与えられるかどうか。


「はあ、どうだ。対義体弾ですらない。明らかに殺傷目的で作られた兵器だ」


「使っているとすれば、対テロ課あたりかしら」


「使う訳ないだろ、こんなもの。何のためのFWシステムだ」


「バスキュラー製ね。廃番の自衛モジュールを改造した?」


「実銃は認可が降りない」


「私の左腕、殺傷能力のある16発の電磁滑走弾が仕込まれてるわ。人格試験やFW介入係数など、抜け道のための基準はある」


「なら、バスキュラー社を問い詰める必要があるな」


--輸送レーンが封鎖されました--


 突然、エレベーターが停止して会話が打ち切られた。ペグシリーズの単調な声が響き、商業フロアのトラベレーター乗り口で扉が開こうとする。ロビンは弾丸をポケットにしまい、私の腕をコートの袖に通す。


「警戒して」


 扉が開いた先には、群衆がホログラムを掲げながらゆっくりと行進している。扉は閉まらない。何人かがこちらを振り向いた。


「仕方ない、突っ切るぞ」

 

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