箱詰めの悪意

島本 葉

箱詰めの悪意(完結)

 桜が咲くと浮かれた気分になる輩もいる様だが、私は生憎このなんとなく暖かい春の気候というのをどうしても好きになれなかった。別段理由があるわけではない。夏や冬が好きといった風でもないのであるが、とにかく春は好きではなかった。

 そんな気だるい春の日の午後のことである。私は自室の勉強机に着いて小さな包みを眺めていた。眺める、というのは表現として適当でないかもしれない。強いて言うなら、睨む様な心持ちであった。駅前の東部デパートの包装紙できっちりとラッピングされたその箱は、更にワインの様に真っ赤な色のリボンで飾られているのである。この様子はどう考えてもプレゼントの品であろう。私はゆっくりと手を伸ばして包みに触れてみた。すると思っていたよりもしっかりした手応えと、ひんやりと冷たい感覚が指先から伝わった。

「どうしてこんなものを拾ってしまったのだろうか?」

 私は今日何度目かになる言葉を、誰かに答えを求めるかの様につぶやいた。しかし、そこに誰かがいるわけではなく、むなしい静寂が私を包んだ。それは大学の帰り道のことであった。いつもの様に本屋に立ち寄って雑誌をパラパラとめくっていると、本棚の片隅に、ひっそりとたたずむ様に置かれた小さな包みが目についたのである。最初に思ったのは、誰かの忘れ物だろうか、ということであった。薄い青の包装紙で綺麗に包まれていて赤色のリボンまで結ばれていたために「誰かに買ったプレゼントをここに置きっぱなしにしてしまったのだろう」と考えたのである。周りを見ると、店の主人の他には、私しかいなかった。口の中に溜まった唾液を、音を立てて飲み込んだ。私はこの箱の中身が無性に知りたくなった。急激に高まる鼓動を押さえて、私はその包みに手を伸ばした。まるで泥棒にでもなったかの様に慎重な、しかし素早い手つきで私は箱を手に入れた。もう一度きょろきょろとあたりを見回し、背徳感に苛まれながらも私は軽い足取りで本屋を後にしたのである。

 家に持ち帰ると、都合のいいことに母親はパートに出たままで帰ってきていなかった。私は自室に閉じこもり、カーテンまで締め切って、それから大事に抱えていた包みを勉強机の上に置いた。汗ばんだ掌をズボンで拭く。包みと向き合い、呼吸を整えた。部屋を締め切ったのはなんとなく人の物を無断で拝借した後ろ暗さを感じたためである。が、いざ箱を開けようとした時には、何のためらいも感じてはいなかった。存外私の好奇心は強かったのである。しかし、何気なく箱に耳をあててみて、私は全身の毛が逆立つ様な気色がした。私は寒気を押さえるかの様に自分の両肩を抱えた。箱の中から聞こえてきたのはただの時計の音なのであるが、その時不意に、私の頭の片隅にある奇妙な考えが掠めたのである。私はそのどうしようもない考えをどこか遠くに押し遣ってしまおうと試みてみたが、その考えは一向に離れてはくれなかった。すなわち私は、この包みの中身はではないかと考えたのである。

 私は神経を高ぶらせたまま、これがバクダンなら誰がどの様な目的で仕掛けたものなのかを考えて見ることにした。本屋の主人を狙って仕掛けられたものなのだろうか。しかし本屋の主人にどの様な恨みがあるというのだろう。例えば万引きを見つかって、こっぴどく叱られた中学生が仕掛けたのだろうか。それとも立ち読みをする近所の子供達を懲らしめるために誰かが仕掛けたのだろうか。私なら、見たくもない本があったなら、バクダンで吹き飛ばしてしまいたいと考えるかもしれない。

 開けてしまえば、その場で爆発してしまうかもしれない。開けなくても時間が来たら……。

 私はそっと、まるで小鳥かなにかを触る様な気持ちで包みを持ち上げた。耳をあてると、規則正しい鼓動が刻まれている。指先に感じられる包みは、さっきよりも暖かく感じられた。


 言葉には言い尽くせない程の高揚感を感じながら、私は春の日の午後を満喫していた。相変わらず風は生暖かくて気持ち悪かったが、セーター姿で通り過ぎる女子学生も半ズボンで走りまわっている小学生も、みんな幸せそうにみえた。私も、バクダンの包みを抱えながら、羽の様な足取りであった。今私がバクダンを持っているということを知っている者は一人もいない。誰もが私のことなど気にも留めずにすれ違ってゆく。何も知らない、純真な市民達は、自分の運命がこの私の気分一つだということを知らないのだ。どこで爆発させようか。先程からそればかりを考えて、私は町を散策した。

 私が吹き飛ばしたいものは何だろうか。日々の暮らしに退屈を覚えている以外は、これといって何の特色もない青年である。もっとも、大学に行って、何気なく授業に出て帰ってくるだけでは退屈になるのも当然かと思える。仲のいい友達とビリヤードに繰り出すのが我々学生の間で流行っていたが、あいにく私の趣味ではなかった。趣味ではない、と言うよりなんとなくおっくうなのである。学校にバクダンを仕掛けようか。そんな考えが浮かんだが、おおげさに首を振って、私はその考えをどこかに押し遣ってしまった。バクダンは一つしかないのだ。慎重に、標的を選ばなければ。学校など吹き飛ばす価値も見出せないではないか。私はポケットからよろよろになったマルボロを取り出すと、ガスの少なくなった使い捨てライターでカシュ、カシュ、と火をつけた。吐き出す煙さえも、ゆらゆらと嬉しそうに見える。携帯灰皿に丁寧に丁寧に捻りつけて火を消すと、また両手で包みを抱えこんだ。そうして、また散策を続けたのである。

 一時間ほど歩いただろうか。私はいつの間にか東部デパートの前に立っていた。重たそうに荷物を抱えてデパートから帰っていく人々。無邪気におもちゃを抱えて走り出てくる子供達を見ているうちに、私は無性にこの中に入ってみたくなった。同じ包みだから怪しまれることもない。そう思って、私は堂々と入り口の自動ドアをくぐった。中に入るとディスプレイの加減か、店内は薄暗かった。「いらっしゃいませ」と綺麗なピンクの制服を身につけたお嬢さんが笑顔を向ける。黒く長い髪にちょこんとのっけられた帽子が、花の様に見えた。暖かく声をかけてくるあの店員も、しかし、知らないのだ。私がバクダンをもって歩いていることを。優越感に満たされた私は、この包みをあのお嬢さんに渡してみたくなった。あの花の様なお嬢さんが吹き飛ばされてしまうのはさぞかし勿体なく、さぞかし快感だろう。この快感は、私にしか体験できないのだ。あのお嬢さんには「落とし物です」とでも言えばいい。私は包みをやさしく撫でながら、お嬢さんに近づいていった。お嬢さんに包みを渡す。そうして私は離れた所から爆発するのを待って。そこまで考えてから、私は計画を断念した。この包みから私が離れてしまえばお嬢さんがめちゃめちゃになる所が見られないではないか。それはいかにもまずい。顔をあげると、お嬢さんがすぐ目の前にいて、不思議そうな、井戸の底を除きこむ様な瞳とぶつかった。気付くと大量の汗が全身から吹き出していた。私はその場に居られなくなって、デパートから駆ける様にして飛び出した。

 それからどれだけ歩いたのだろうか。私はバクダンを仕掛ける所を見つけられないまま、自分の部屋に戻って来てしまっていた。このバクダンで好きなものを吹き飛ばせるのだが、これというものが見つからないのだ。カーテンを開けると西日がまぶしく差し込んで来た。私は目を細めた。誰かが悪意を込めて仕掛けたバクダン。どうしてこんなものを拾ってしまったのか、という考えはまだ頭の片隅にあったが、ずっと腕の中に抱えていた包みは、とても暖かかった。私は少し薄寒くなった春の夕暮れを感じながらベッドに身を横たえた。

 小さな包みは暖かかった。私は箱をやさしくやさしく撫でながら眠った。


 了

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箱詰めの悪意 島本 葉 @shimapon

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