死せる孔明、生ける仲達を走らす

「や? 丞相。どうなさいましたか。――急にご血色が」

「いや、さしたることはない」

「でも、お唇の色までが」

 費※「ころもへん+韋」(ひい)は驚いて、侍臣を呼びたてた。

 人々が駈け寄ってきてみたときは、孔明は袂を以て自ら面をおおい、榻の上にうっ伏していた。

「丞相、丞相」

「いかがなさいましたか」

「お心をたしかにして下さい」

 諸将も来て、共に掻い抱き、静室に移して、典医に諮り、あらゆる手当を尽した。半刻ほどすると、孔明の面上に、ぽっと血色が甦ってきた。――人々はほっと眉をひらき、

「お心がつきましたか」と、枕頭をのぞき合った。

 孔明は大きく胸を波動させていた。そして、ひとつひとつの顔にひとみを注ぎ、

「……思わず病に負けて、日頃のたしなみも昏乱したとみえる。これは旧病の興ってきた兆といえよう。わが今生の寿命も、これでは久しいことはない」

 語尾は独りごとのようにしか聞えなかった。

 しかし夕方になると、

「心地は爽やかだ。予を扶けて露台に伴え」

 というので、侍者典医などが、そっと抱えて、外へ出ると、孔明はふかく夜の大気を吸い、

「ああ、美しい」

 と、秋夜の天を仰ぎ見ていたが、突然、何事かに驚き打たれたように、悪寒が催してきたといって内にかくれた。

 そして侍者をして、急に姜維を迎えにやり、姜維が倉皇としてそこに見えると、

「こよい、何気なく、天文を仰いで、すでに我が命が旦夕にあるを知った。……死は本然の相に帰するだけのことで、べつに何の奇異でもないが、そちには伝えおきたいこともあるので早々招いた。かならず悲しみに取り乱されるな」

 いつもに似ず、弱々しい語韻であったが、そのうちにも、秋霜のようなきびしさがあった。

「……ご無理です。丞相にはどうしてそのようなお覚悟をなさいますか。悲しむなとおっしゃっても、そんなことを仰せられると、姜維は哭かないではいられません」

 病窓の風は冷やかに、彼の声涙もあわせて、燭は折々消えなんとした。


「何を泣く。定まれることを」

 孔明は叱った。子を叱るように叱った。馬謖の亡い後、彼の愛は、姜維に傾けられていた。

 日常、姜維の才を磨いてやることは、珠を愛でる者が珠の光を慈むようであった。

「はい。……おゆるし下さい。もう哭きませぬ」

「姜維よ。わしの病は天文にあらわれている。こよい天を仰ぐに、三台の星、みな秋気燦たるべきに、客星は明らかに、主星は鈍く、しかも凶色を呈し、異変歴々である。故に、自分の命の終りを知ったわけだ。いたずらに病に負けていうのではない」

「丞相、それならば何故、禳をなさらないのですか。古くからそういう時には、星を祭り天を祷る禳の法があるではございませんか」

「おお、よく気がついた。その術はわれも習うていたが、わが命のためになすことを忘れていた」

「おいいつけ下さい。わたしが奉行して、諸事調えまする」

「うむ。まず鎧うたる武者、七々四十九人を選び、みな※「白/十」(くろ)き旗を持ち、みな※「白/十」き衣を着て、祷りの帳外を守護せしめい」

「はい」

「帳中の清浄、壇の供えは、人手をかりることはできない。予自ら勤めるであろう。そして、秋天の北斗を祭るが、もし七日のあいだ、主燈が消えなかったら、わが寿命は今からまた十二年を加えるであろう。しかしもし祷りの途中において、主燈の消えるときは、今生ただ今、わが命は終ろう。――それゆえの帳外の守護である。ゆめ、余人に帳中をうかがわすな」

 姜維は、謹んで命をうけ、童子二名に、万の供え物や祭具を運ばせ、孔明は沐浴して後、内に入って、清掃を取り、壇をしつらえた。一切の事、祭司を用いず、やがて北斗を祭る秘室のうちに、帳を垂れて閉じ籠った。


(中略)


 折ふし司馬懿の手もとには、天文方から今夕観測された奇象を次のように記録して報じて来たところだった。

 ――長星アリ、赤クシテ茫。東西ヨリ飛ンデ、孔明ノ軍営ニ投ジ、三タビ投ジテ二タビ還ル。ソノ流レ来ルトキハ光芒大ニシテ、還ルトキハ小サク、其ウチ一星ハ終ニ隕チテ還ラズ。――占ニ曰ク、両軍相当ルトキ、大流星アリテ軍上ヲ走リ、軍中ニ隕ツルニ及ベバ、其軍、破敗ノ徴ナリ。

 兵が目撃したという所と、この報告書とは、符節を合したように一致していた。

「夏侯覇にすぐ参れといえ」

 司馬懿の眼こそ、俄然、あやしきばかりな光芒をおびていた。

 夏侯覇は、何事かと、すぐ走ってきた。司馬懿は、陣外に出て、空を仰いでいたが、彼を見るや、早口に急命を下した。

「おそらく孔明は危篤に陥ちておるものと思われる。或いは、その死は今夜中かも知れぬ。天文を観るに、将星もすでに位を失っている。――汝、すぐ千余騎をひっさげて五丈原をうかがいみよ。もし蜀勢が奮然と討って出たら、孔明の病はまだ軽いと見なければならぬ。怪我なきうちに引っ返せ」

 はっと答えると、夏侯覇はすぐ手勢を糾合し、星降る野をまっしぐらに進軍して行った。

 この夜は、孔明が祷りに籠ってから六日目であった。あと一夜である。しかも本命の主燈は燈りつづいているので、孔明は、

(わが念願が天に通じたか)

 と、いよいよ精神をこらして、祷りの行に伏していた。

 帳外を守護している姜維もまた同様な気持であった。ただ惧れられるのは孔明が祷りのまま息絶えてしまうのではないかという心配だけである。――で折々彼は帳内の秘壇をそっと覗いていた。

 孔明は、髪をさばき、剣を取り、いわゆる※「罘」の「不」に代えて「正」(こう)を踏み斗を布くという祷りの座に坐ったままうしろ向きになっていた。

「……ああかくまでに」

 と、彼はうかがうたび熱涙を抑えた。孔明の姿は忠義の権化そのものに見えた。

 ――すると、何事ぞ、夜も更けているのに突然陣外におびただしい鬨の声がする。姜維は、ぎょっとして、

「見て来いっ」

 と、すぐ守護の武者を外へ走らせた。ところへ入れ違いに、どやどやと駈け入ってきた者がある。魏延だった。慌てふためいた魏延は、そこにいる姜維も突きのけて、帳中へ駈け込み、

「丞相ッ。丞相ッ。魏軍が襲せてきました。遂に、こっちの望みどおり、しびれをきらして、司馬懿のほうから戦端を開いて来ましたぞ」

 喚きながら、孔明の前へまわって、ひざまずこうとした弾みに、何かにつまずいたとみえ、ぐわらぐわらと壇の上の祭具やら供物やらが崩れ落ちた。

「やや。これはしくじった」

 狼狽した魏延は、その上にまた、足もとに落ちてきた主燈の一つを踏み消してしまった。それまで、化石した如く祷りをつづけていた孔明は、あっと、剣を投げ捨て、

「――死生命あり! ああ、われ終に熄むのほかなきか」

 と、高くさけんだ。

 姜維もすぐ躍り込んできて、剣を抜くや否、

「おのれっ、何たることを!」

 と、無念を声にこめて、いきなり魏延へ斬ってかかった。


「姜維。止さんかっ」――孔明は声をしぼって、彼を叱った。

 悲痛な気魄が姜維を凝然と佇立させた。

「――主燈の消えたのは、人為ではない。怒るを止めよ。天命である。なんの魏延の科であるものか。静まれ、冷静になれ」

 そういってから孔明は床に仆れ伏した。――がまた、陣外の鼓や鬨の声を聞くと、すぐがばと面おもてを上げ、

「こよいの敵の奇襲は、仲達がはやわが病の危篤を察して、その虚実をさぐらせんため、急に一手を差し向けて来たに過ぎまい。――魏延、魏延。すぐに出て馳け散らせ」

 悄気ていた魏延は、こう命ぜられると、日頃の猛気を持ち返して、あっとばかり躍り直して出て行った。

 魏延が陣前に現われると、さすがに鼓の音も鬨の声もいちどにあらたまった。攻守たちまち逆転して、魏兵は馳け散らされ、大将夏侯覇は馬を打って逃げ出していた。

 孔明の病状はこの時から精神的にもふたたび恢復を望み得なくなっていた。翌日、彼はその重態にもかかわらず姜維を身近く招いていった。

「自分が今日まで学び得たところを書に著したものが、いつか二十四編になっている。わが言も、わが兵法も、またわが姿も、このうちにある。今、あまねく味方の大将を見るに、汝をおいてほかにこれを授けたいと思う者はいない」

 手ずから自著の書巻を積んでことごとく姜維に授け、かつなお、

「後事の多くは汝に託しておくぞよ。この世で汝に会うたのは、倖せの一つであった。蜀の国は、諸道とも天嶮、われ亡しとても、守るに憂いはない。ただ陰平の一道には弱点がある。仔細に備えて国の破れを招かぬように努めよ」

 姜維が涙にのみ暮れていると、

「楊儀を呼べ」

 と、孔明は静かにいいつけた。

 楊儀に対しては、

「魏延は、後にかならず、謀反するであろう。彼の猛勇は、珍重すべきだが、あの性格は困りものだ。始末せねば国の害をなそう。わが亡き後、彼が反くのは必定であるから、その時にはこれを開いてみれば自ら策が得られよう」

 と、一書を秘めた錦の嚢を彼に託した。


(中略)


「予を扶けて、車にのせよ」と、左右の者へ云い出した。

 人々はあやしんで何処へお渡り遊ばすかと、訊ねた。すると孔明は、

「陣中を巡見する」といって、すでに起って、自ら清衣にあらためた。

 命旦夕に迫りながら、なおそれまでに、軍務を気にかけておられるのかと、侍医も諸臣も涙に袖を濡らした。

 千軍万馬を往来した愛乗の四輪車は推されて来た。孔明は白い羽扇を持ってそれに乗り、味方の陣々を視て巡った。

 この朝、白露は轍にこぼれ、秋風は面を吹いて、冷気骨に徹るものがあった。

「ああ。旌旗なお生気あり。われなくとも、にわかに潰えることはない」

 孔明は諸陣をながめてさも安心したように見えた。そして帰途、瑠璃の如く澄んだ天を仰いでは、

「――悠久。あくまでも悠久」

 と、呟き、わが身をかえりみてはまた、

「人命何ぞ仮すことの短き。理想何ぞ余りにも多き」

 と独り託って、嘆息久しゅうしていたが、やがて病室に帰るやすぐまた打ち臥して、この日以来、とみに、ものいうことばも柔かになり、そして眉から鼻色には死の相があらわれていた。

 楊儀をよんで、ふたたび懇ろに何か告げ、また王平、廖化、張翼、張嶷、呉懿なども一人一人枕頭に招いて、それぞれに後事を託するところがあった。

 姜維にいたっては、日夜、側を離れることなく、起居の世話までしていた。孔明は彼にむかって、

「几をそなえ、香を焚き、予の文房具を取り揃えよ」

 と命じ、やがて沐浴して、几前に坐った。それこそ、蜀の天子に捧ぐる遺表であった。

 認め終ると、一同に向って、

「自分が死んでも、かならず喪を発してはいけない。必然、司馬懿は好機逸すべからずと、総力を挙げてくるであろうから。――こんな場合のために、日頃から二人の工匠に命じて、自分は自分の木像を彫らせておいた。それは等身大の坐像だから車に乗せて、周りを青き紗をもっておおい、めったな者を近づけぬようにして、孔明なお在りと、味方の将士にも思わせておくがいい。――然る後、時を計って、魏勢の先鋒を追い、退路を開いてから後、初めて、わが喪を発すれば、おそらく大過なく全軍帰国することを得よう」

 と、訓え、しばらく呼吸をやすめていたが、やがてなおこう云い足した。

「――予の坐像を乗せた喪車には、座壇の前に一盞の燈明をとぼし、米七粒、水すこしを唇にふくませ、また柩は氈車の内に安置して汝ら、左右を護り、歩々粛々、通るならば、たとえ千里を還るも、軍中常の如く、少しも紊れることはあるまい」

 と云いのこした。

 さらに、退路と退陣の法を授け、語をむすぶにあたって、

「もう何も云いおくことはない。みなよく心を一つにして、国に報じ、職分をつくしてくれよ」

 人々は、流涕しながら、違背なきことを誓った。


(中略)


 一夜、司馬懿は、天文を観て、愕然とし、また歓喜してさけんだ。

「――孔明は死んだ!」

 彼はすぐ左右の将にも、ふたりの息子にも、昂奮して語った。

「いま、北斗を見るに、大なる一星は、昏々と光をかくし、七星の座は崩れている。こんどこそ間違いはない。今夕、孔明は必ず死んだろう」

 人々は急に息をひそめた。敵ながらその人亡しと聞くと何か大きな空ろを抱かせられたのである。仲達もまさにその一人だったが、老来いよいよ健なるその五体に多年の目的を思い起すや、勃然と剣を叩いて、

「蜀軍に全滅を加えるは今だ。――準備を伝えろ。総攻撃を開始する」

 司馬師、司馬昭の二子は、父の異常な昂奮に、却って二の足をふんだ。

「ま。お待ちなされませ」

「なぜ止めるか」

「この前の例もあります。孔明は八門遁甲の法を得て、六丁六甲の神をつかいます。或いは、天象に奇変を現わすことだってできない限りもありません」

「ばかな。愚眼を惑わして、風雨を擬し、昼夜の黒白をあやまらす術はあっても、あのあきらかな星座を変じることなどできるものではない」

「でも、いずれにしろ、孔明が死んだとすれば、蜀軍の破れは必至でしょう。慌てるには及びません。まず夏侯覇にお命じあって、五丈原の敵陣をうかがわせては如何ですか」

 これは息子たちの云い分のほうが正しいように諸将にも聞えた。息子自慢の司馬懿は、息子たちにやり込められると、むしろうれしいような顔つきをした。

「む、む。……なるほど。それも大きにそうだ。では夏侯覇、敵にさとられぬように、そっと蜀軍の空気を見さだめて来い」

 夏侯覇は、命を奉じて、わずか二十騎ほどを連れ、繚乱の秋暗く更けた曠野の白露を蹴って探りに行った。

 蜀陣の外廓線は、魏延の守るところであったが、ここの先鋒部隊では、魏延を始めまだ誰も孔明の死を知っていなかった。

 ただ魏延はゆうべ変な夢を見たので、今日は妙にそれが気になっていた。けれどちょうど午頃ぶらりと訪ねてきた友達の行軍司馬趙直が、

「それは吉夢じゃないか。気にするに当らんどころか、祝ってもいいさ」

 と云ってくれたので、大いに気をよくしていた所である。

 彼が見た夢というのは、自分の頭に角が生えたという奇夢であった。

 それを趙直に話したところ、趙直は非常に明快に夢占を解いてくれた。

「麒麟の頭にも角がある。蒼龍の頭にも角はある。凡下の者が見るのは凶になるが、将軍のような大勇才度のある人が見るのは実に大吉夢といわねばならん。なぜならばこれを卦について観るならば、変化昇騰の象となるからだ。按ずるに将軍は今から後、かならず大飛躍なされるだろう。そして位人臣を極めるにちがいない」

 ところが、この趙直は、そこから帰る途中、尚書の費※「ころもへん+韋」(ひい)に出会っている。そして、費※「ころもへん+韋」から、

「どこへ行ったか」と、訊かれたので、ありのまま、

「いま、魏延の陣所をちょっと覗いたところ、いつになく屈託顔しているので、どうしたのかと訊くと、かくかくの夢を見たというので、夢判断をしてやって来たところだ」と答えた。

 すると費※「ころもへん+韋」は、重ねて訊ねた。

「足下の判断はほんとのことか」

「いやいや。実際は、はなはだ凶夢で、彼のためには憂うべきことだが、あの人間にそんな真実を話しても恨まれるだけのことだから、いい加減なこじつけを話してやったに過ぎない」

「では、どう凶いのか。その夢は」

「角という文字は、刀を用うと書く。頭に刀を用いるときは、その首が落ちるにきまっているじゃありませんか」

 趙直は笑って去った。


(中略)


 一面、魏陣のうごきはと見るに――さきに司馬懿の命をうけて五丈原の偵察に出ていた夏侯覇は、馬も乗りつぶすばかり、鞭を打ち続けて帰ってきた。

 待ちかねていた司馬懿は、姿を見るやいなや訊ねた。

「どうであった?」

「どうも変です」

「変とは」

「蜀軍はひそかに引揚げの準備をしておるようです」

「さてこそ!」

 司馬懿は手を打って叫んだ。そしてそのふたつの巨きな眼にも快哉きわまるかの如き情をらんらんと耀かしながら、帷幕の諸大将をぎょろぎょろ見まわしつつ、足をそばだててこう喚きまたこう号令を発した。

「孔明死す。孔明死せりか。――いまは速やかに残余の蜀兵を追いかけ追いくずし、鑓も刃も血に飽くまでそれを絶滅し尽す時だ。天なる哉、時なる哉、いざ行こう。いざ来い。出陣の鉦鼓鉦鼓」

 と急きたてた。

 銅鑼は鳴る。鼓は響く。

 陣々、柵という柵、門という門から、旗もけむり、馬もいななき、あたかも堰を切って出た幾条もの奔流の如く、全魏軍、先を争って、五丈原へ馳けた。

「父上父上。壮者輩にまじって、そんなにお急ぎになっても大丈夫ですか」

 ふたりの息子は、老父の余りな元気にはらはらしながら、絶えず左右に鐙を寄せて走っていた。

「何の、大丈夫じゃよ。司馬仲達はまだ老いん」

「いつもは、大事に大事をとられるお父上が、今度は何でこう急激なんですか」

「あたり前なことを問うな。魂落ちて、五臓みな損じた人間は、どんなことがあっても、再び生きてわが前に立つことはない。孔明のいない蜀軍は、これを踏みつぶすも、これを生捕るも、これを斬るも、自由自在だ。こんな痛快なことはない」

 夏侯覇がまた後ろでいった。

「都督都督。余りに軽々しくお進みあるな。先鋒の大将がもっと前方に出るまでしばらく御手綱をゆるやかになし給え」

「兵法を知らぬ奴。多言を放つな」

 司馬懿は振り向いて叱りつけた。そして少しも奔馬の脚をゆるめようとしなかった。

 すでにして五丈原の蜀陣に近づいたので、魏の大軍は鼓躁して一時になだれ入ったが、この時もう蜀軍は一兵もいなかった。さてこそあれと司馬懿はいよいよ心を急にして、師、昭の二子に向い、

「汝らは後陣の軍をまとめて後よりつづけ。敵はまださして遠くには退いておるまい。われ自ら捕捉して退路を断たん。後より来い」

 と、息もつかず追いかけて行った。

 するとたちまち一方の山間から闘志溌剌たる金鼓が鳴り響いた。蜀軍あり、と叫ぶものがあったので、司馬懿が駒を止めてみると、まさしく一彪の軍馬が、蜀江の旗と、丞相旗を振りかかげ、また、一輛の四輪車を真っ先に押して馳け向ってくる。

「や、や?」

 司馬懿は、仰天した。

 死せりとばかり思っていた孔明は白羽扇を持ってその上に端坐している。車を護り繞っている者は、姜維以下、手に手に鉄槍を持った十数人の大将であり、士気、旗色、どこにも陰々たる喪の影は見えなかった。

「すわ、またも不覚。孔明はまだ死んでいない。――浅慮にもふたたび彼の計にかかった。それっ、還れ還れっ」

 仲達は度を失って、馬に鞭打ち、にわかに後ろを見せて逃げ出した。


「司馬懿、何とて逃げるか。反賊仲達、その首をさずけよ」

 蜀の姜維は、やにわに槍をすぐって、孔明の車の側から征矢の如く追ってきた。

 突然、主将たる都督仲達が、駒をめぐらして逃げ出したのみか、先駆の諸将も口々に、

 ――孔明は生きている!

 ――孔明なお在り!

 と、驚愕狼狽して、我先に馬を返したので、魏の大軍は、その凄じい怒濤のすがたを、急激に押し戻されて、馬と馬はぶつかり合い、兵は兵を踏みつぶし、阿鼻叫喚の大混乱を現出した。

 蜀の諸将と、その兵は、思うさまこれに鉄槌を加えた。わけて姜維は潰乱する敵軍深く分け入って、

「司馬懿、司馬懿。どこまで逃げる気か。せっかく、めずらしくも出て来ながら、一槍もまじえず逃げる法はあるまい」

 と、鞍鐙も躍るばかり、馬上の身を浮かして、追いかけ追いかけ呼ばわっていた。

 仲達はうしろも見なかった。押し合い踏み合う味方の混乱も蹄にかけて、ただ右手なる鞭を絶え間なく、馬の尻に加えていた。身を鬣へ打ち俯せ、眼は空を見ず、心に天冥の加護を念じ、ほとんど、生ける心地もなく走った。

 だが、行けども行けども、誰か後ろから追ってくる気がする。そのうちおよそ五十里も駈け続けると、さしも平常名馬といわれている駿足もよろよろに脚がみだれて来た。口に白い泡ばかりふいて、鞭を加えられても、いたずらに一つ所に足掻いているように思われる。

「都督都督。我々です。もうここまで来れば大丈夫。そうおそれ遊ばすにはあたりません」

 追いついてきた二人の大将を見ると、それは敵にはあらで、味方の夏侯覇、夏侯威の兄弟であった。

「ああ。汝らであったか……」

 と、仲達は初めて肩で大息をついたが、なおしたたる汗に老眼晦く霞んで半刻ほどは常の面色にかえらなかったと、後々まで云い伝えられた。


(中略)


 旌旗色なく、人馬声なく、蜀山の羊腸たる道を哀々と行くものは、五丈原頭のうらみを霊車に駕して、空しく成都へ帰る蜀軍の列だった。

「ゆくてに煙が望まれる。……この山中に不審なことだ。誰か見てこい」

 楊儀、姜維の両将は、物見を放って、しばらく行軍を見合わせていた。道はすでに有名な桟道の嶮岨に近づいていたのである。

 一報。二報。偵察隊は次々に帰ってきた。

 すなわち云う。この先の桟道を焼き払って、道を阻はばめている一軍がある。それは魏延にちがいないと。


(中略)


「――なに。なおまっしぐらにこれへ攻めてくるとか。小勢とはいえ、蜀中一の勇猛、加うるに、馬岱も彼を助けておる。油断はなりませぬぞ」

 姜維がかく戒めると、楊儀の胸には、この時とばかり、思い出されたものがある。それは孔明が臨終の折、自分に授けて、後日、魏延に変あるとき見よ、と遺言して逝った――あの錦の嚢であった。


 嚢の中には一書が納められてあった。孔明の遺筆たるはいうまでもない。封の表には、

 ――魏延、叛を現わし、その逆を伐つ日まではこれを開いて秘力を散ずるなかれ。

 と、したためてある。

 楊儀と姜維は嚢中の遺計が教える所に従って、急に作戦を変更した。すなわち閉じたる城門を開け放ち、姜維は銀鎧金鞍という武者振りに、丹槍の長きを横にかかえ、手兵二千に、鼕々と陣歌を揚げさせて、城外へ出た。

 魏延は、はるかにそれを見、同じく雷鼓して陣形を詰めよせて来た。やがて漆黒の馬上に、朱鎧緑帯し、手に龍牙刀をひっさげて、躍り出たる者こそ魏延だった。

 味方であった間は、さまでとも思えなかったが、こうして敵に廻してみると、何さま魁偉な猛勇に違いない。姜維も並ならぬ大敵と知って、心中に孔明の霊を念じながら叫んだ。

「丞相の身も未だ冷えぬうちに、乱を謀むほどな悪党は蜀にはいない筈だ。日頃を悔いて自ら首を、霊車に供え奉りに来たか」

「笑わすな、姜維」

 魏延は、唾して軽くあしらった。

「まず、楊儀を出せ、楊儀からさきに片づけて、然る後、貴様の考え次第ではまた対手にもなってやろう」

 すると、後陣の中からたちまち楊儀が馬をすすめて来た。

「魏延! 野望を持つもいいが、身の程を量って持て。一斗の瓶へ百斛の水を容れようと考える男があれば、それは馬鹿者だろう」

「おっ、おのれは楊儀だな」

「口惜しくば天に誓ってみよ。――誰が俺を殺し得んや――と」

「なにを」

「――誰が俺を殺し得んやと、三度叫んだら、漢中はそっくり汝に献じてくれる。いえまい、それほどな自信は叫べまい」

「だまれ、孔明すでに亡き今日、天下に俺と並び立つ者はない。三度はおろか何度でもいってやろう」

 魏延は馬上にそりかえって大音をくり返した。

「誰か俺を殺し得んや。――誰か俺を殺し得んや。――おるなら出て来いっ」

 すると、彼のすぐうしろで、大喝が聞えた。

「ここにいるのを知らぬか。――それっ、この通り殺してやる」

「あっ?」

 振り向いた頭上から、戛然、一閃の白刃がおりてきた。どうかわす間も受ける間もない。魏延の首は血煙を噴いてすッ飛んだ。

 わあっ――と敵味方とも囃した。血刀のしずくを振りつつ、すぐ楊儀と姜維の前へ寄ってきたのは、馬岱であった。

 孔明の生前に、馬岱は秘策をうけていた。魏延の叛意はその部下全部の本心ではないので、兵はみな彼と共に帰順した。

 かくて、孔明の霊車は、無事に成都へ着いた。四川の奥地はすでに冬だった。蜀宮雲低く垂れて涙恨をとざし、帝劉禅以下、文武百官、喪服して出迎えた。

 孔明の遺骸は、漢中の定軍山に葬られた。宮中の喪儀や諸民の弔祭は大へんなものだったが、定軍山の塚は、故人の遺言によって、きわめて狭い墓域に限られ、石棺中には時服一着を入れたのみで、当時の慣例としては質素極まるものだったという。

「身は死すともなお漢中を守り、毅魄は千載に中原を定めん」となす、これが孔明の遺志であったにちがいない。

 蜀朝、諡して、忠武侯という。廟中には後の世まで、一石琴を伝えていた。軍中つねに愛弾していた故人の遺物である。一掻すれば琴韻清越、多年干戈剣戟の裡にも、なお粗朴なる洗心と雅懐を心がけていた丞相その人の面影を偲ぶに足るといわれている。

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