第7話 二日目 夕刻

 白いお握りが並んでいた。

 幼児の姿の私がねだったものだった。

「今日のは炊き立てだからね。ふうふうしてから食べんばよ」と床屋の姉らしき老女が内戸の外から嬉しそうに渡した。言葉通りに皿に仲良く並んだお握りに湯気が立っていた。懐かしさに胸が一杯になる。

 幼児は不思議そうな顔で私を見て、すたすたと歩いてきた。そして「ひとつあげる」と叫んで、皿を私に差し上げてきた。

 私が躊躇していると、「おあがりなさいな。それも躾ですから」と散髪を施術している妹老女が微笑んだ。フード着の袂から左手を出して、それを受け取り頬張った。薪で炊いた塩むすびのご飯が、ほろりと口中で甘く解けた。

「偉いねえ。もうひとつ握ってあげようね」

 姉老女が内戸の向こうから、再び顔を出した。掌についた米粒を舐めとっていた。幼児は跳ねながらついてゆき、歓声を上げていた。

「お隣の金物屋さんのお子さんですね」

「ああら。東京からと思ってましたが、地元はこちらさんでしたか」

「ええ」と口籠った。まさか同じ空間に、同じ人間が併立して存在している。そんな話は聞いたことがない。しかも併立とはいえ、一方は生者でもう一方は死者だ。

「また届いたんだよ。あんたを大事に思っている人からね」と奥から姉老女の声が漏れてくる。

「婆ちゃん、また貰った。金平糖!」

 歓声の主が現れて、油紙の包みを開いて、色とりどりの星型のお菓子を誇らしげに見せた。電流が走る思いだった。

「ご、ご実家のお母さんからですか?」

 髪を梳いていた妹老女の笑みが強張った。重い沈黙の中で鋏の音が響く。続いて何かを決断したように鋏が大きく鳴った。

「・・・よくご存知で、貴方、訳有りの方かしら」の問いに「実は」と応えた。

「ご内儀さんにお世話をかけて頂いたものです。御礼に帯留めを贈り物にしたくて参ったのですが、今のお住まいはご実家でよろしいでしょうか。それともこちらに言伝をお願いできますでしょうか」

 彼女はちょっとひねた笑いを見せた。

「そんな贈り物はご自分で渡しなさいな」と内戸を開けて、奥に引っ込んだ。

 そうだ。金平糖だ。

 お握りだけではなく、この床屋で私はそれが楽しみでならなかった。

 成る程祖母にとって、この床屋に私が出入りすることは鼻白むものだった。祖母の立場からすれば、息子との曰くのある嫁であったに相違ない。しかも元は士族であれば、より曰くが重いはずだ。

 妹老女は再び現れた。そして私に一枚の絵葉書を手渡した。阿蘭陀坂が水彩で描かれた絵葉書だった。そして表面には住所が記してあった。


 陽が傾くころ、私は駅舎に戻った。

 受付に向かい私の存在を認めたのは、あの好好爺とした白眉の駅員だった。

「ああ。また来なさったね。今度はどちらに行きなさる」

「長崎駅まで。ですがどうしてこちらにいらっしゃるので」

「お客さまのような巡霊者には担当が決まっておりまして、どの駅にも私がいるはずです」と彼は提示された周遊券を確認しながら言った。

「巡霊者?」

「ご自分の命と引き換えに、誰かの命を継いだ方々には、その余命で見たいものを見れるようにと御仏の慈悲でございます」


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