第5話 二日目 正午

 母の実家の前まで来た。

 しかしながら私にはその先が手詰まりだった。

 この時代では母は26歳、私は干支の分まで長く生きてきた。息子が訪ねてきたとか言えるはずもない。困り果てたが、ここで待てばその姿が見えるかと期待していた。

「兄さん、そりゃあ無理だよ」

 背後から声を掛けてきた初老の男がいた。振り返ると列車の隣の席に座っていた探偵風の男だった。

「兄さんもこの時代の人間じゃねえんだろ。その洋服だろ、おいらにはわかるぜ。ここでまた会ったのも何かの縁だ。ちょいと訳ありそうだが、話でもしねえか。ここにはおいらの目的地もあるんでね」

「貴方も、巻き戻しでこの時代にいらしたのですか」

「事情は人それぞれよ」

「兄さんは物見をしているんだろ。こんな手狭な場所に張り込んでいたら、終いには駐在さんが飛んでくらあ」

 彼はいなせな口調で歩を進めていく。迷いがない。口調からすれば、「関東からですよね」と私は声に出して聞いた。

 彼は口笛を吹きながら、駅舎に寄り、お茶と駅弁を購入してくれた。かしわ飯というこの駅の名物だった。二つ購入してお互いに下げて歩いた。

「これは奢りだぜ。もうそろそろ使い道がないからな」と彼は言った。


 彼の目的地がわかった。

 駅舎を見下ろす高台の丘に、忠霊塔が建立されていた。

 戦前にこの街には陸軍第46連隊と海軍航空隊があった。ここは戦火に斃れた兵士の御霊を慰めるための慰霊碑だった。それまで口数の多かったその初老の男が沈黙して、長い石段を登っていく。

 忠霊塔に向かう石畳。その場所に立って彼は「あの日のままだ」と言った。その場所は桜が満開で、風に散っていく花弁が雪のようにひらひらと空を舞っていた。

「ここから出征したのであります。昭和11年。支那事変でありました」

「そんな昔から、この時代にですか」

「戦死したと分かった時は、満州國三江省林口県に部隊が展開してあり。自分は歩哨を務めておりましたが、迂闊にも掩蔽壕の隙間から抜かれました」

 口調までが軍隊調になって、彼は照れ笑いをした。

「いけねえや。ついつい。兄さん、おいらはね。戦の終わった後の大日本がどうなるのか見たかったんだよ。いいかい。列車にずっと乗り続けていたら時代はどんどん巡ってくる。なので今じゃこの歳だ。それでたまには新聞なんてものも売りにくる。事情がわかっちまってな。もう潮時だと思ったんだよ」

 彼の身体がどんどん透けてゆく。彼が右手で中折れ帽を取ると蓬髪がぱらりと額にかかった。そこに風だまりがあるのか、桜吹雪が吸い寄せられていく。言霊のように最後に彼は言った。

「いいかい。軍隊で習ったことだ。進駐地で情報を取るのは風呂屋か散髪屋に行くと良い。誰しもが心が無防備になるからな、本音が聞けるんだよ」

 一陣の風が巻く。儚げな桜色の龍のように。

 そしてぱさりと音を立てて、駅弁の包みが玉砂利の上に落ちた。

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