マイウリアの事情


 マイウリアの国境門に詰める役人達は、こそこそと小声で話しながら中央からの指示を待ち侘びていた。


「おい、本当にディルムトリエンの姫君なのか?」

 ひとりが疑問を口にすると、次々と無責任な意見が飛び出す。


「まさか! あの強欲なディルムトリエン王家が、自分の娘を差し出すわけがない」

「あの馬車を見ただろう? 本当の姫君なら、怒り出すはずだぜ」

「つまり、あいつらはまだ我が国に、間者を送り込もうとしている、ということか」


 誰もが隣国、ディルムトリエンに対していい感情を持っていない発言を繰り返す。

 マイウリアは六年ほど前に、市民達が起こした……とされている革命という名の反乱が失敗に終わっている。

 首謀者達は悉く処刑されてしまった。


 王族達は彼等が思っていたよりずっと残酷で容赦がなく、自国の第一王子でさえ反乱に手を貸したとして現在幽閉されているという。

 だが、そのことを知るのは、ほんの一部の者達だけ。

『第一王子と国王は不仲である』程度の噂は流れているが。


「先だって革命などと言って反乱を起こした奴等の裏には、絶対にディルムトリエンがいたはずだからな」

「ガウリエスタじゃなくて?」

「あっちが欲しいのは北側だろう? だが、反乱分子は南側だけにしか拠点を持っていなかったっていうぜ」


 北のガウリエスタ王国とも相容れないこの国には、現在味方といえる国がない。

 東側の海を挟んだ魔導大国イスグロリエスト皇国とは殆ど国交を持たず、西側の海の先は何の力も持たぬ小国ばかり。


 内政が安定しているとは言い難いこの国に、新たな火種となる『姫』が訪れようとしている。

 国境では緊張が走り、剣と弓、そして僅かばかりの魔法師が攻撃魔法を準備していた。


「まだ潜伏している奴等と、国内で落ち合うのではないか?」

「だとしたら、一度入れて様子見をすべきでは……」


 彼等ももう面倒になっているのか、態度が投げやりになってきていた。

 そもそも、自分達のような下っ端に本当のことなどは解らない。

 なにもかも『噂』なのだ。

 それすら、他国や反乱を諦めていない者達の流言の可能性だってある。


「まぁ待て、木っ端役人の俺等が話し合ったところでどうもならん。もうすぐ中央からの連絡が届く」

「……まだ方陣門が使えるのか、中央は」


 方陣門とは、方陣と呼ばれる図形を用いた札で展開される、移動距離を短縮するための『門』を作り出せる魔法である。

 そもそもは常設型でいつでも発動の魔力さえ流せば決まった場所へと繋がるものなのだが、それを設置しても維持できる魔力を蓄えておけないから作られていても使えない。


 一時的に繋げる『方陣札による門の展開』ですらイスグロリエスト以外の国では発動させられる魔力を持つ人間が非常に少なくなっており、方陣があっても魔法として使えない者が多い。


『魔石』という魔力を入れ込めば門を通るために使える石があるのだが、充分な魔力を入れられる石を用意することすら難しくなっている。

 質のいい『石』は、ほぼガウリエスタの更に北のアーメルサス教国か、イスグロリエスト皇国産だからだ。


 北方のガウリエスタとの小競り合いは、もう何年も続けられている。

 どちらも疲弊していて、ただ負けたくないという惰性だけでの闘い。

 決定的な勝利を挙げる力は、もうどちらの国にもあるとは思えなかった。


 だが、自国に攻め込ませないための防衛戦は、維持しなくてはならない。

 魔法師はそのために、戦場での待機を余儀なくされている。

 戦場に『死体』を残してはいけないからだ。


 死体は名前も顔も確認されることなく、すぐにその場で焼き尽くされる。

 そうでなければ、魔虫と呼ばれる毒虫の卵が産み付けられ、大地が穢れ更に人を襲う魔獣を呼び寄せる。


 魔獣が出たら確実にその国が負ける。

 魔法師の炎は、その防止のため、全ての死体を焼き尽くさせるために絶対に必要なのだ。


「魔法師はみんな北側に移っているが、神官達は残っているからな」

「ふん、あの神官ってのは胡散臭くてムカつくぜ。絶対に戦には出やがらねぇくせに、威張り散らして」

「反乱の奴等が王家じゃなくて先に神官を襲ってくれていたら、もっと味方する奴が出たんだろうな」

「来たぞ! 中央の神官だ!」


 繋がれた『門』から、銀の法服を纏い、魔力を溜めた貴石の付いた杖を持った男が不機嫌そうな面持ちで現れた。

 背が高く、もし鎧を纏っていたら、戦士と言われても何ら疑問を持たれないほどの体軀をしている。


「ディルムトリエンから姫君が来ているというのは、この門ですか?」

「はい」

「……おかしいですねぇ、海路で来いと伝えてあったのですが……」


 神官は杖で二回ほど地面をこつ、こつ、と叩き、国境門の役人のひとりに問いかけた。

 役人は殆ど感情を表に出さずに答える。


「ディルムトリエンには魔導船がありません。海流を遡って来られないのでは……」

「ああ……なるほど。でも、もう必要ありませんね」

「え?」


「第二王子は、先日からの病でつい先ほど亡くなられましたから」

「……!」


 その場の誰もが息を吞む言葉が、軽い口調で発せられた。


「でも、それを今知られるのは非常にまずいです。第二王子との結婚はできません……が、姫君一行は門の中へ通しなさい」

「ご結婚がないのに……ですか?」

「『姫』と言っている以上、入れないわけにはいきませんし……人質はいただいておかねば。その後『本物であれば』動きを見張れと、陛下からのご命令です」


 陛下……と、何人かの役人達は顔を伏せた。

 この国の王は、誰よりも残虐であった。

 民からの支持など必要としていないからこそ、反乱分子達は町ごと壊滅させられたのだ。

 いくつもの町や村が炎の中に消えた。

 その時に、本当は反乱になど荷担してもいなかった民達が数多く含まれていた。

 しかし、そのことに心を痛める王族も貴族も神官も殆どいなかった。


「全員を入れてよろしいのですか?」

「そうです。まず、第二王子と結婚できないことを、そして相手は第一王子である、と伝えます」

「ど、どうしてそのような……?」


 役人達はなぜ、そのような無駄と思えることを言うのか解らなかった。

 第一王子は国王に悉く反発して、随分と不仲であることが一部では有名だ。

 あの国王が、第一王子を跡継ぎになど望むはずがない

 そんな男に自国の姫を嫁がせたいと思うわけがない……と、役人達が思うのは当たり前だった。


 銀の神官は、表情を崩さず続ける。


「第一王子と国王の不仲を知るのは、国内の者だけです。もしそのことをあちらが知っていたとしたら、入国を拒むでしょう」

 この国に入り込んで、内情を報告をしているディルムトリエンの者がいるはず。

 銀服の神官は、それらがどこまで掴んでいるかのあたりが付けられれば、と考えていた。


 噂を知らなければ、第二王子より玉座に近い第一王子との話に飛びついてくるだろう。

 知っていたとしても、噂程度であると高を括っていたらやはり拒むことはあるまい。

 ディルムトリエンもマイウリアと同じように、第一子が跡継ぎとなるのが当たり前だから。


 だが、既に第一王子が『幽閉』されていることまで掴んでいたとしたら……自国の姫を態々送り込むことはすまい。

 この国の王族に『現在婚姻できる王子がいない』ことが解っていたら、無駄なことをするより自国の姫を第一に考えるはずだ。


 ……銀服の神官は……ディルムトリエンの『がらくた』の扱いを知らなかった。

『姫』がどのような容姿かすら知らされていないのは、偽物を送り込んでもばれないためではないかとすら思っていた。


「引き返すのであれば、止める必要はありません。ですが、そのまま姫を差し出してきたら……絶対にひとりも逃してはいけません。必ず全員を入境させなさい。ただし『入国』は姫君唯一人です」


 差し出してくる姫が偽物であれば、間違いなく『火種』。

 早い時期に戦闘の火蓋が切られる事態が考えられる。

 本物であったのだとしても、火種には違いないがすぐに攻め入ろうというのではなく内部工作が目的だろう。


(第二王子の始末が済んでしまえば、あの国の姫など必要ないが……時間を稼がなくては。今はまだ、ディルムトリエンに攻め込ませる理由を与えてはいけない)


 神官の思惑は、今は誰にも理解できないだろう。

 役人達は一礼し、まったく違うことを考えながら国境門へと走った。


(なんと言うことだ……第二王子が……それではまた、反乱分子達が盛り返してしまうではないか!)

(第二王子が亡くなったというなら……王は一体、誰を跡継ぎに指名するのだ? それ次第では……またしても、内乱になる)



 役人のひとりが『姫』の一行に向き合って、無表情に告げる。


「お待たせいたしました」

「おお、やっとか!」

「第二王子殿下とは……ご結婚いただけません」


「なんだとっ?」

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