第15話
それからさらに2週間後、蒲田は花荘院の邸宅に来ていた。花荘院の邸宅は都心から離れた閑静な住宅街にあり、武家屋敷のような外観と、見事な日本庭園を持っているので、地元ではちょっとした有名スポットとして知られていた。紅葉の時期には木々が
今、蒲田は屋敷の縁側に腰掛けてその庭園を眺めていた。季節は10月。紅葉の時期には少し早いが、中にはすでに葉を紅く、あるいは黄色く染めている木々もあり、地面に敷き詰められた白い砂利と相まって、それは美しいコントラストを作り上げている。庭の中央には立派な松の木が鎮座し、傍にある水鏡のような池では錦鯉が優雅に泳いでいる。道路を行き交う車の騒音も聞こえず、
「この庭はいつ見ても見事だな」
蒲田が呟いた。奥の茶室で花を生けていた花荘院が彼の方に視線を向ける。
「ただ手入れが行き届いているというだけでなく、空間そのものが別世界のように感じられる。ここが東京の一角だということが未だに信じられん」
「お前の住む雑多な界隈とは比べ物にならぬだろうな」花荘院がふっと息を漏らした。
「ここは花荘院家が何代も前から守り抜いてきた場所。今でこそ住宅街の一部となっているが、建立した当時は周りに住居はなく、山や田畑に囲まれていたそうだ。都会の喧騒を離れ、自然の息吹を感じられる土地として先代はこの地を選んだのだろう」
「ふん。つまりお前の祖先は、お前以上に世捨て人のような生活を送っていたということか」蒲田が鼻を鳴らした。「田舎に引っ込み、花と戯れているだけで飯が食えるとは、何ともいいご身分だな」
「お前からすれば、我々の仕事は貴族の遊戯のように思えるのだろうな」花荘院が手元の花に視線を落とした。
「だが、現実社会と同じく、熾烈な競争を強いられるのは華道の世界も同じこと。生き残るためには自らが修行を積むだけでは足りず、流派を広めるための
「わかっている。ほんの冗談だ。気分を害したのなら悪かった」
蒲田が手を払いながら言った。実際、華道の世界で生きていくというのは、よほどの覚悟がなければできないことだろう。自分は公務員で、毎日決まった時間に出社すれば給料がもらえ、不祥事でも起こさなければクビになることはない。しかし、華道の世界は言わば自営業で、休日もなく修行に励まねばならず、安定した収入が得られる保障もない。それでも花荘院が父親の跡を継ぐことに決めたのは、連綿と続いてきた花荘院流の看板を自らの代で下ろしてはならないという、矜持とも呼べる気概に支えられてのことなのだろう。
「ところで次郎。あれから例の女性には連絡を取ったのか?」
花荘院が出し抜けに尋ねてきた。庭園を見ながら物思いに耽っていた蒲田は、突然その話題を出されてびくりと肩を上げた。
「……誰のことだ?」蒲田が動揺を気取られまいとしながら振り返った。
「決まっている。先日の展覧会でお会いした女性のことだ。確か久恵さんと言ったか」
久恵。花荘院が彼女を名前で呼んだことで、蒲田はなぜか自分の胸が疼くのを感じた。
「……特に連絡は取っていない。向こうも俺のことなど忘れているだろう」
「そうか。大方そんなところだろうと思っていたがな」花荘院が頷いた。「かくいう私も、こちらから連絡を差し上げることはしていない」
「ほう? 意外だな。この間は、手をこまねいているつもりはないと言ったじゃないか」
蒲田が意地悪く言ったが、花荘院は気分を害した様子もなく言った。
「あの女性は、お前と連絡を取ることを望んでいた。だからお前より先に行動を起こすべきではないと考えたのだ」
「余計な気遣いはするな」蒲田が吐き捨てるように言った。「お前があの人と連絡を取りたいなら勝手にしろ。俺の知っちゃことじゃない」
「本当に構わぬのか?」
「あぁ。ろくでもない犯罪者どもの話を聞かされるより、お前と華道談義をしている方があの人も楽しいだろうからな」
蒲田はそう言うと庭園の方に視線を戻した。目も綾な日本庭園。久恵が花荘院と並び、この中を歩く光景を蒲田は想像してみた。生ける大和撫子である久恵がこの庭園を歩く姿はさぞ絵になるだろう。そして久恵自身も、庭園に咲き乱れる草木や花々を愛でることに喜びを見出すに違いない。
だが、自分はどうだろう。自分は彼女に何も与えてやれるものがない。自分が日々目にするものと言えば、
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