第10話 これから
二人が落ち着いた頃。天神が
「何も出さずに、みっともないところを見せてごめんなさいね。厚かましいとは思うけどのだけど、もし良ければ、また、ひなと母に会いに来てくれないかしら?」
「ええ、もちろんです」
天神が胸に手を当てて一礼すると、母親は
「ひなちゃん、またね」
「うん!」
ケサランパサランの入ったジャム瓶を抱きしめたまま、ひなは嬉しそうに頷いた。彼女は顔をぐっと上げて俺と目線を合わせる。
「お兄ちゃんもありがとう!」
「あ、いや……どういたしまして」
玄関を開けると、ムワッとした空気に出迎えられる。
ひなが大きく手を振る横では、母親が小さく会釈していた。俺も小さくお辞儀して、手を振り返した。
「あれがアザミの種だって言わなくて良かったのか?」
「ああ、良いんだ」
「ふうん。まあ、あの状況じゃ言えないか」
俺が同調するように頷くと、天神が首を横に振った。
「そうじゃないよ。あれには種子がついていなかった。つまり、アザミだという証拠はないのさ。もちろん、ケサランパサランではないという証拠もない。だから、良いんだ」
なるほどと、今度こそ俺は納得した。
確かに、あれがケサランパサランではないと否定出来るだけの証拠は、ない。
それならば、天神が出した解も一つの正解なのだろう。
「それにしても、よくケサランパサランなんて知っていたな」
「僕も昔、捕まえたことがあったからね」
「へえ」
俺が意外そうな顔をしていると、天神は悪戯っ子のように笑った。
なんとなくむず
「それで、お前に幸せは訪れたのか?」
「どうかな。ご想像にお任せするよ」
天神が目を細めて微笑む。
俺は、真上に来ている太陽に手を伸ばす。
「それにしても、神様、か」
「うん?」
「ひなちゃんがお前のことを神様って、呼んでたからさ」
「ああ。自己紹介したときに、天神と名乗ったらキョトンとされたからね。だから、天に神様と書くことを説明したら、神様だけが印象に残ったんだろう」
いつの間に自己紹介をしたのやら。
しかし、今回の一連を振り返って納得する。天神はそれくらいのインパクトを残していた。特にひなから見れば、救世主のような、まるで神様に見えていたのかも知れない。
そして、思う。
きっと、いや、間違いなく。こいつは、今回のように、これまでも誰かの神様になってきたのだろうと。
あながち噂は間違いでも無かったらしい。
「なあ。連絡先、交換しないか?」
「どうして?」
『どうして』
心臓が不穏に跳ねた。あまりにも想定していなかった返答。連絡先を交換するのに、疑問を
どう答えるべきか。
俺は思案を
「美和さんがさ、お前を誘って店に来いって言っていたんだよ。連絡先を知らないと誘えないだろ? 美和さんのことは、覚えてるか? 佐伯さんの家まで連れて行ってくれた人。あの人、お前を気に入ったみたいでさ。それに、さっきは不本意にも
そこまで言って、ぴたりと言葉が出なくなった。だから、なんだと言うのだ。ノンブレスで吐いた言葉は、到底、
ああ、嫌になる要領の悪さ。
まさに、アウトオブコントロール。
それでも、もう少しこいつに関わってみたいと思ってしまったのだから、仕方ない。
降り立つ無言。
恥ずかしさと居たたまれなさを感じつつ、恐る恐る見上げると、七三分けの
新種の生物でも見るような目。
「聞いているのか」と肩に触れようとしたとき。天神は急に火が着いたように笑い出した。
「ハハハッ! 本当に
ダブルのスリーピース。ジャケットの内側。小粋に黒のスマートフォンを取り出した天神が、バッと俺へ見せつける。
「連絡先の交換なんて、滅多にしない。やり方も分からない。だから、早川。君がしてくれたまえ」
「……嫌じゃないのか?」
「全く?」
爽やかな笑み。
俺は
初期設定のままと思われるホーム画面。顔認証やパスコードすら設定されていなかった。
この男は危機管理感を持ち合わせていないのか。
奇妙な感覚と若干の不安に
隣では、天神が面白そうに、終始その様子を
お互いの連絡先が交換されたのを確認し、黒い液晶を突き返す。さすがに天神もアドレス帳の見方は知っていたようで、俺の名前を見て、少しだけ微笑んでいるように見えた。
この熱い夏が終われば、俺は二十歳になる。そしたら、美和のバーで彼にソフトドリンクでも奢ってやろう。
目が痛くなるほどの青に、入道雲の白が鮮やかに湧き立つ。蝉時雨は止みそうにない。けれども、微かに吹く風は少しだけ、秋の色を乗せていた。
了
草つ月、灼くる日 <天神一の日常推理 しろいこな> ユト (低浮上) @krymk
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