第10話 これから

 二人が落ち着いた頃。天神がいとまを告げた。玄関先まで見送りに来た母親は、目が腫れているのも隠さずに、申し訳なさそうに微笑んでいた。


「何も出さずに、みっともないところを見せてごめんなさいね。厚かましいとは思うけどのだけど、もし良ければ、また、ひなと母に会いに来てくれないかしら?」

「ええ、もちろんです」


 天神が胸に手を当てて一礼すると、母親は安堵あんどするような表情を浮かべた。続けて彼はスッとしゃがみ込み、少女に笑いかる。


「ひなちゃん、またね」

「うん!」


 ケサランパサランの入ったジャム瓶を抱きしめたまま、ひなは嬉しそうに頷いた。彼女は顔をぐっと上げて俺と目線を合わせる。


「お兄ちゃんもありがとう!」

「あ、いや……どういたしまして」


 屈託くったくの無い笑顔に毒気が抜かれていく。

 玄関を開けると、ムワッとした空気に出迎えられる。

 ひなが大きく手を振る横では、母親が小さく会釈していた。俺も小さくお辞儀して、手を振り返した。


 颯爽さっそう闊歩かっぽする天神の隣に、俺は早足で並ぶ。


「あれがアザミの種だって言わなくて良かったのか?」

「ああ、良いんだ」

「ふうん。まあ、あの状況じゃ言えないか」


 俺が同調するように頷くと、天神が首を横に振った。


「そうじゃないよ。あれには種子がついていなかった。つまり、アザミだという証拠はないのさ。もちろん、ケサランパサランではないという証拠もない。だから、良いんだ」


 なるほどと、今度こそ俺は納得した。

 確かに、あれがケサランパサランではないと否定出来るだけの証拠は、ない。

それならば、天神が出した解も一つの正解なのだろう。


「それにしても、よくケサランパサランなんて知っていたな」

「僕も昔、捕まえたことがあったからね」

「へえ」


 俺が意外そうな顔をしていると、天神は悪戯っ子のように笑った。

 なんとなくむずがゆくて、歯痒はがゆくて。素気なく言葉をつむぐ。


「それで、お前に幸せは訪れたのか?」

「どうかな。ご想像にお任せするよ」


 天神が目を細めて微笑む。

 哀愁あいしゅう懐古かいこか。判断がつかなかった。

 俺は、真上に来ている太陽に手を伸ばす。


「それにしても、神様、か」

「うん?」

「ひなちゃんがお前のことを神様って、呼んでたからさ」

「ああ。自己紹介したときに、天神と名乗ったらキョトンとされたからね。だから、天に神様と書くことを説明したら、神様だけが印象に残ったんだろう」


 いつの間に自己紹介をしたのやら。

 しかし、今回の一連を振り返って納得する。天神はそれくらいのインパクトを残していた。特にひなから見れば、救世主のような、まるで神様に見えていたのかも知れない。

 

 そして、思う。

 きっと、いや、間違いなく。こいつは、今回のように、これまでも誰かの神様になってきたのだろうと。

 あながち噂は間違いでも無かったらしい。


「なあ。連絡先、交換しないか?」

「どうして?」


 『どうして』

 心臓が不穏に跳ねた。あまりにも想定していなかった返答。連絡先を交換するのに、疑問をていされたことなんて、これまで一度も無かった故の動揺。冷や水を浴びせられたようだった。

 どう答えるべきか。

 俺は思案をめぐらせるなかで、ふと、美和の言葉が想起そうきされた。


「美和さんがさ、お前を誘って店に来いって言っていたんだよ。連絡先を知らないと誘えないだろ? 美和さんのことは、覚えてるか? 佐伯さんの家まで連れて行ってくれた人。あの人、お前を気に入ったみたいでさ。それに、さっきは不本意にもおごられたから、次は俺の番じゃん? あと、ほら。袖振り合うも多生の縁って言うだろう。だから」


 そこまで言って、ぴたりと言葉が出なくなった。だから、なんだと言うのだ。ノンブレスで吐いた言葉は、到底、ていをなしていなかった。ついでに、頭も上手く回っていない。道円はあるのに、円周点が狂っているようだ。


 ああ、嫌になる要領の悪さ。咄嗟とっさの機転も浮かばない。自分の底の浅さが浮き彫りのようで、腹が立つ。

 まさに、アウトオブコントロール。

 それでも、もう少しこいつに関わってみたいと思ってしまったのだから、仕方ない。


 降り立つ無言。


 恥ずかしさと居たたまれなさを感じつつ、恐る恐る見上げると、七三分けの偉丈夫いじょうぶは、呆気に取られた顔をしていた。

 新種の生物でも見るような目。

 「聞いているのか」と肩に触れようとしたとき。天神は急に火が着いたように笑い出した。


「ハハハッ! 本当に稀有けうな人だな、貴殿は! 良いよ、交換しよう」


 ダブルのスリーピース。ジャケットの内側。小粋に黒のスマートフォンを取り出した天神が、バッと俺へ見せつける。


「連絡先の交換なんて、滅多にしない。やり方も分からない。だから、早川。君がしてくれたまえ」

「……嫌じゃないのか?」

「全く?」


 爽やかな笑み。

 俺はなかば呆れながら、彼が手に持つ黒の液晶を受け取った。カバーも何も、ついていない。ボタンに触れると、即座そくざに画面が明るくなる。

 初期設定のままと思われるホーム画面。顔認証やパスコードすら設定されていなかった。


 この男は危機管理感を持ち合わせていないのか。

 奇妙な感覚と若干の不安にさいなまれるなか、俺は両手を駆使くしし、自分たちの連絡先を各々のスマートフォンに一人で打ち込んでいく。

 隣では、天神が面白そうに、終始その様子をながめていた。


 お互いの連絡先が交換されたのを確認し、黒い液晶を突き返す。さすがに天神もアドレス帳の見方は知っていたようで、俺の名前を見て、少しだけ微笑んでいるように見えた。


 この熱い夏が終われば、俺は二十歳になる。そしたら、美和のバーで彼にソフトドリンクでも奢ってやろう。


 目が痛くなるほどの青に、入道雲の白が鮮やかに湧き立つ。蝉時雨は止みそうにない。けれども、微かに吹く風は少しだけ、秋の色を乗せていた。


 了

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草つ月、灼くる日 <天神一の日常推理 しろいこな> ユト (低浮上) @krymk

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