古城ホテルの精霊師

深見アキ

プロローグ

「――美しいわね」


 ツンとした気位の高そうな老婦人の言葉に、斜め後ろに控えていたオリビアは「お褒めいただきありがとうございます」と浅く礼をした。


 三百年ほど前に要塞だった頃の趣を残しつつ、住み心地の良い住居用として改装されたヴォート城の敷地内にはいくつもの庭園が存在する。


 今の時期にもっともお勧めしたいのが「クイーンズ・ガーデン」と呼んでいる区画だ。真っ赤な大輪の薔薇が咲くアーチをくぐると、瑞々しいピンク、可憐な白、小ぶりなオレンジ色といった多くの品種の薔薇が愛らしく出迎えてくれる。


 乙女心をくすぐる花の甘い香りは、誇り高きレディの心も和ませるらしい。老婦人は目元を緩め、ゆったりと生垣の間を見て回った。


「噂に聞いていた通り、素晴らしい数の薔薇ね。……これだけたくさんの薔薇が見られるなんて、わたくしが子どもの頃を思い出すわ。地方にあった祖父の邸宅でも薔薇園が自慢で、初夏になると従姉妹たちと庭でお茶会を楽しんだものなのよ。今じゃ、アパルトマンのベランダに出してあるプランターを見ながらお茶を飲むのがせいぜいだけど……って、いやだわ。ごめんなさいね、こんな愚痴っぽい話」


「いえ」


 微笑んだオリビアは首を振る。


「今は領館を手放されて暮らしている方がほとんどですから。やはり皆さま、昔が懐かしいとおっしゃられますわ」

「そうよね。……すっかり時代は変わったものよね……」


 ほんの半世紀前までは、貴族は領地を治め、地方の邸宅で暮らしているのが当たり前だったのだが――ここ、エリメラ公国でもすっかり近代化が進みつつあった。


 馬車ではなく蒸気自動車が走るようになり、労働者階級の立場は確立され、多くの人や物は都市に集まるようになる。貴族は大きな屋敷を維持するだけの使用人を抱えることが経済的に困難になり、代々受け継がれてきた城や領館を手放すケースが増えたのだ。


 この城もその一つ。だが、幸運にも取り壊されずに済み、「古城ホテル」と看板を掲げて多くのお客様をお迎えしている。


「時代が変わっても残り続けるものはありますわ。このホテルもその一つ。ほんのひととき思い出を懐かしんでいただけたり、日常を忘れて羽根を伸ばしていただくお手伝いができれば、私共も幸せでございます」


「あなた、お若く見えるのにずいぶんと堂に入っているのね」


 くすっと老婦人が笑う。

 新米コンシェルジュが張り切ってそれらしいセリフを言っているように見えるのだろう。十八歳のオリビアはホテルスタッフの中でも群を抜いて若い。


「案内をありがとう。せっかくだから向こうの四阿あずまやで少し休憩してからお部屋に戻ることにするわ」


「よろしければお茶をお持ちいたしましょうか。こちらの薔薇園の花びらを使ったローズペタルティーはいかがでしょう?」


「まあ。素敵ね、いただくわ」


 オリビアはさっそく庭園の四阿に老婦人を案内しながら、厨房係へ頼む準備を考えた。


(幼い頃を思い出されているようだから、お茶菓子は定番のスコーンかビスケットの素朴なものを厨房係に準備してもらおう。クロテットクリームに、お土産品として売っている自家製の薔薇ジャムを添えて……)


 お客様の期待のさらに上を越えてこそ、一流の仕事人というもの。


 世が世ならオリビアは優秀なメイドとして活躍していたかもしれないが、この身を包んでいるのはお仕着せではなくツーピース。お客様がホテルに滞在の間の要望に対応する、コンシェルジュというのがオリビアの肩書きだ。


 業務内容は、部屋の電気がつかないといったトラブルから、サプライズでプロポーズするための花束の手配、近隣の観光地に関しての情報まで。滞在中のお客様の相談や雑事を一手に引き受ける仕事である。

 宿泊客には古城の庭園の案内や解説を求められることも多く、オリビアはひそかに「古城案内人」を自称していた。仕事は楽しく、やりがいもあり、充実しているが……。



 突如、ごうっと背後から突風が吹き抜けた。



 思わずつんのめりそうになったオリビアの真横をが駆け抜けていったせいだ。時代錯誤な鎧を身につけ、仰々しい剣を振り回し、馬上の騎士は高らかに宣言して通り過ぎていく。



『やあやあ! 我こそはヴォート城が誇る聖剣騎士団、三番隊隊長のドナテラ・ジャン・エスメラルダ三世なり! 我こそはと思うものはかかってきたまえ! 剣の錆にしてくれようぞ、ハーッハッハッハ!』



「……いやね。つむじ風かしら」


 老婦人は乱れた髪を手櫛で直した。オリビアは力なく笑みを返す。


(この霊感体質がなければ、素晴らしい職業だと胸を張って言えるのに……)


 庭を爆走する騎士の高笑いを聞きながら内心でげんなりする。


 今年で十八になるオリビアは、長年の間、自分の身の回りで起こる心霊現象に悩まされっぱなしだった。

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