夢のあと


午後の温かな日差しの中、カーテンを締め切ったその部屋は薄暗かった。

ベッドの上には男と女がひとり。

女の名前は佐藤奈美、名門大学出身で名前を聞けば大抵のひとは知っている大企業に勤めるOLだ。

男の名前は坂上浩之、市役所に勤める公務員で奈美の姉の夫。

つまり義兄である。

その浩之は自分の頭を義妹の太ももの上に載せて身もだえていた。

奈美の細く白い指には飴色の細い棒。

それが浩之の耳孔に差し込まれている。

それがゆるゆると妖しく動くたびに浩之の喉から切なげな声が漏れた。


「ねえ、義兄さん。お姉ちゃんと私、どっちが気持ちいい?どっちが上手?」

「そ、それは……」


逡巡するものの浩之の中で、答えは既に決まっていた。

しかしそれを口にするわけにはいかない。

そんな内心を分かっている奈美はことさら楽しそうに笑みを浮かべた。


「お姉ちゃんに教えてあげたのは私だからね。だから、浩之さんが知らないこともっと沢山やってあげれるわ。だから、言ってくれないかしら。私とお姉ちゃん、どっちがいいのかしら?」

「あぁ……ぁ」


そんなこと言えるはずがない。

浩之は必死に抵抗するが奈美はその手を緩める気は一切なかった。


「ほら、どっちの方が気持ちいいの?」


彼女が耳の中を掻きまわすたびに、浩之の脳髄に甘い痺れが走る。

その様子に奈美はサディスティックに口の端をつり上げた。


「言わないと……止めちゃうわよ」


ああ、駄目だと分かっている。

しかし、我慢しきれなかった浩之は女性の名を叫んだ。

ただし、それは愛する妻の名ではない。

それは裏切りの証だ。


「そう、嬉しいわ」


淫靡に濡れる瞳で奈美は言った。

二人の爛れた午後は始まったばかりだ。







「っていう夢を見たのよ」


頭の悪い笑顔を浮かべて梨子は言う。

すっかり散った桜の並木道が見える喫茶店での出来事だ。

空になったパフェの器が3つ並んだテーブルの周りで、私とお姉ちゃんはその不快極まる話を聞いている。


「アンタ……来週、結婚式を迎えた友達に、普通そういうこと言う?」

「っていうか、お姉ちゃんはヒロくんを奈美ちゃんに寝とられちゃうのね、ショック~」


口ではショックといいながらも、お姉ちゃんはちょっと楽しそうだ。

結婚して4年経って倦怠期なんだろうか?

頼むからそういうドロドロした昼ドラ展開は遠慮して欲しいわ。

旦那さん泣いちゃうわよ。


「でも、その夢には梨子ちゃんは出てこないのね? ここからさらに梨子ちゃんの旦那さんも加わって泥沼の展開になったら面白かったのに~」

「おお、それ面白そう、さすがは悠美姉ちゃん、分ってる♪」

「そうでしょ~」


全然面白くない。

っていうか、この二人たまに実の姉妹であるわたしよりも仲良いのよね。

これがちょくちょく梨子が言ってる魂の絆なのかしら?

相変わらず嫌な絆ね。

それとお姉ちゃん。

ヒロくんは真面目なイケメン好青年で安定安心の公務員なんだから、粗末に扱ってはいけません。


「ところで奈美、式の準備はどうなの?」

「ああ、とりえずは終わったわ。思ってたよりも時間かかるのね。ドレスとか一着で別にいいのに」

「奈美ちゃんはこだわりがなさすぎよ」

「奈美は見た目と違って、中身は男前だからね」


ケラケラ笑う二人だが、二人の結婚式は対照的だった。


大学を卒業してすぐの式だったために地味婚だったお姉ちゃん。

以前「出来ちゃった婚でもないのに何でそんなに急いで結婚したの?」と尋ねたら「好きなひとと早く一緒になりたかったの」という乙女な答えが返って来た。

この辺は確かに私とは真逆だ。

私は思ってはいても絶対に口に出来ない。

まぁ、それでも『思ってはあげている』から、それで彼には納得してもらいたい。


梨子の方はというと、大学時代の彼とスッパリ別れた直後にえらく格好いい年上の男性を見つけてきた。

7才も上って、どう?と当時は思ったけど、今考えたらそこまでの年の差じゃなかったわね。

結婚式は豪華だった。

昔、TVで見たことのあるアナウンサーが披露宴の司会をして、式の演出もやたらと凝っていたのも印象的。

参加人数も凄かった。

以前「何でこんな年上のひとを選んだの?」と聞いて見たら「甲斐性があるから」と非常に梨子らしく即答された。


さて、私の結婚式はというと可もなく不可もなく。

むしろ旦那様の方が張り切っちゃっている。

旦那様は梨子が学生時代の最後の年に紹介してくれた、見た目はギリギリおまけでAランクの現在一般会社員だ。

正直、二人の旦那さまに比べたら見劣りするんだけど、私自身も別に美人なわけじゃないんだから、伴侶としてはあれくらいで調度いい。

まぁ、仕事にはちゃんと行ってるし、少ない給料の中でも私のために一生懸命誕生日プレゼント選んでくれたりするし、昔一回だけ「トレビの泉でコイン投げたい」って言ったことを覚えててハネムーンの場所にイタリアを選んだりくれたりと、甲斐性の件は、まぁ……少しは無視しても問題ない。

そういえばやたらと入り婿に入りたがっていたけど、あれだけは謎だ。

うちは女兄弟だけとはいえ、そもそも継ぐような家督なんかないから断ったけど、本当にあれは何だったんだろう?


「奈美ちゃんのハネムーンはイタリアか、いいな~」

「悠美姉ちゃんは国内だったよね?」

「うん、北海道。お金がなかったから」

「うちは国内どころか行ってないもん。旦那の会社が忙しいから」

「それも意外よね?何回も海外旅行してるのに」

「時期が悪かったのよ。出来婚だから、式も急いだしね。奈美はいいな~、身体のライン綺麗な状態でドレス着れるから。悠美姉ちゃんは予定日いつだっけ?」

「9月だよ。まだ、お腹大きくならないんだけど大丈夫なのかな?」

「心配しなくてもぼちぼち大きくなってくるよ……へこむかどうかは分らないけど」

「うぅ……不安なこと言わないで」

「奈美は子どもどうすんの?」

「そりゃ、欲しいけど、仕事も続けたいしね」

「そんなこと言ってると、30歳超えちゃうよ。子宮も老化していくんだから、早めに作った方がいい!」

「まぁ、その辺は授かりものだからね。お姉ちゃんも出来るのに時間かかったもんね?」

「4年目だからね……まだ20代だけどちょっと焦ったかな」

「うぅ~ん、早く作った方がい…のかな」

「その方が……いよ……」

「奈美……ん、も……方が……ね」

「そう……だ…」











「…………ん?」


うつらうつらしていた所で目が覚めた。

少し昔の夢を見ていたようだ。

結婚する前の夢だ。

お姉ちゃんがまだ妊娠中だったわね。

会話内容は記憶半分、妄想半分か、あんな内容を話していたような気がする。

時計を見れば夜の8時。

旦那が帰ってくるまでまだ時間がある。

ソファから立ち上がろうとすると、隣でもじもじしている男の子がいた。

私の子どもだ。


「どうしたの、誠?」

「ママ抱っこ」


返事を待たずに抱きついてきた。

今年で5歳になるけど、なかなか抱っこ癖が治らない。

梨子曰く、その内なくなるから気にしなくてもいいらしいけど、ずっと「抱っこ抱っこ」言ってくるので治るのか気になる。

まぁ、子どもを3人産んだ彼女の言葉を信じるとしよう。

ぎゅっと抱っこしてくる息子の体温は温かくて気持ちいい。

うん、やっぱり産んでよかった。

あんな夢を見たあとだから余計に思うな。

でも俊介を抱っこしてると未だに旦那が羨ましそうな顔で見てくるのよね。

まったく仕方のない人だな、と思っていると息子の手の中に納まっているものに気がついた。

茶色い竹で出来た軸、その先にはふわふわの羽毛がついている。

耳かきだった。


「ママやって」


本当に誰に似たんだろう……いや、考えるまでもないわね。

まっさきに思い浮かんだのは旦那の顔だ。


「はいはい、じゃあ、お膝に乗りましょうか」

「は~い」


息子がごろっと乗っかると玄関の戸が開く音がした。

旦那が返って来たようだ。

あとで「やってくれ」って言われるわね。

まぁ、旦那の喜ぶ顔を見るのは嫌じゃない。


「ママはやく」

「はいはい」


耳かきで出来た縁で生まれた子どもだから、こうなるのも当然か。

そんな益体もないことを考えながら、わたしはすっかり使い込まれて指に馴染んだ耳かきをそっと構えた。



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