百戦錬磨の妹


私は今日、生まれて初めて彼氏とのクリスマスを過ごしている。

お相手は梨子から紹介してもらった男性だ。

彼と出会ったのはお姉ちゃんの結婚式のすぐ後だから、そろそろ3か月くらいの付き合いになる。

男性とつき合うというのは昔から憧れはあったけど、実際にしてみると面倒くさい半々、楽しい半々といったところだ。

今は楽しさがやや勝っている。

今日に限ったら楽しさが圧勝かな。

何しろ今日はクリスマスなのだ。


クリスマスのイルミネーションを見るために少し遅めに出かけてから、美味しいディナーを食べた。

彼の注文したメニューが手違いで品切れになってしまうというアクシデントがあったけど、その後のフォローが印象的ね。

お詫びのケーキと一緒に「恋人にとって大切な夜に申し訳ありませんでした」の言葉。

完璧なクレーム対応。

クリスマスに恋人と大切な夜、内海くんとつき合うまで「何よそれ?」と悔しさで悪態のひとつでも吐いていたところだけど、言われる立場になるとにやけてしまう。

「またこの店にいこうかな?」という気にさせてくれる。

うん、悪くない。

店の雰囲気もあいまっていつもよりじっくりお喋りしてしまった。

うん、クリスマスは恋人たちにとって特別ね。

そんな感じで私は正直浮かれていた。

だから、いつもはやらない凡ミスに気づかなったのだ。


いつもより遅い時間に出かけ、オーダーミスで食事が遅くなり、サービスの良い店だったこともあって、食後も彼女とすごく会話が弾んでいつもよりも帰宅が遅くなる。


そして私の終電がなくなった。





私は今、内海君の部屋にいる。俗にいうお持ち帰りをされてしまったらしい。

少し前までは自分がこんなことが起きるなんて考えたこともなかったのでちょっと混乱している。タクシーで帰るにはお金がなかったし、近くに友達も住んでいない。

いや、友達はそもそもあんまりいない。

実家の近くに梨子みたいなのが何人かいるくらいだ。だからって、内海くんの部屋に泊まらなくても他に方法がありそうなものなのに、混乱した私は彼の部屋に泊まるのを選んでしまった。

まぁ、いつかはお持ち帰りされてもいいと思っていたし、別に嫌じゃないんだけど突然の出来事に頭が対応できていない。


八畳一間の1Kのマンション。

こたつを挟んで対面で座る距離がやたらと遠くに感じる。


「内海くんの部屋……意外と綺麗にしてるのね」

「ああ、うん。たまたまだけど」

「そう……」


内海くんの部屋は意外にも綺麗に片付いていた。もともと綺麗好きなのか、それとも最初から私を呼ぶつもりだったのかはわからない。もしも後者だったとしたら大した役者だ。

内海くんの評価を一から見直す必要があるけど、それはなさそうだ。彼もすごく緊張している。

それにしてもさっきから会話が続かない。

これからのことを変に意識してしまうからだ。

これから……クリスマスなんだし、その……するのよね?

別に彼のことは嫌いじゃない。

私だって一人暮らしの男の部屋に来た時点で“そういうこと”をする覚悟は決めているのだ。

無言が続き、TVの中でお笑い芸人のガリガリボーイが何とか間をもたしてくれる。

ついつい周りをキョロキョロ見回してしまう。


「あのさ……今日のイルミネーションキレイだったよね」

「うん、そうね」

「…………」

「…………」


駄目だ、会話が続かない。内海くんはよく言えば紳士、悪くいえば小心者。本当ならここは男性からリードして欲しいけど、内海君も落ち着きなくキョロキョロしている。普段はこのがっつかない感じが安心するんだけど、今日は積極的でいいんだよ。

私の思いもむなしくTVの音だけが室内に響く。

ありがとう、ガリガリボーイ。いつもはハイテンションで正直嫌いなんだけど、このやかましさが今は助かるわ。

心の中でお礼を言ってガリガリボーイをもう一度見る。そのとき私はTVの脇に置いてあった一本の棒を発見した。

ボールペンくらいの長さ、竹で出来ていて、頭のところに白いフワフワした羽毛がついている。

ありていに言うと耳かきだ。

耳かき……か

以前にお姉ちゃんや梨子が言っていた言葉を思い出す。

そういえば男の人は耳かきをしてあげると喜ぶらしい。

本当かな?

少なくともお姉ちゃんは耳かきのおかげで旦那さんと仲良くなったと言っていた。

でもいきなり耳かきするなんて言い出したら内海くんはどう思うだろう。おかしな女だと思われないだろうか?

普通はちょっとおかしいと思う……気がする。

でも、この沈黙けっこうキツい。

ほら、やっぱりこのあと二人で色々するんだろうけど、その前に何かワンクッション入れた方がいいじゃない。スキンシップをこっちからとれば内海くんも安心して手を出してくれるかもしれないし。

でも耳かきか。

やっぱり恥ずかしい、どうしよう?

あ……ガリガリボーイのネタが終わっちゃう。

早く決めないと。

よし。


「ねぇ……耳かきしてあげるわ」


勇気を振り絞って言ってみた。


「え?」


あ、内海くんがポカンとしてる。

ミスったわ。

お姉ちゃんの言うことなんて信用するんじゃなかった。そりゃおかしいわよね、いきなり耳かきするなんて話をしたら。恥ずかしい、顔が赤いわ。


「あ、ごめん、何か変なこと言っちゃったわね」


言うんじゃなかった、言うんじゃなかった、言うんじゃなかった。

完全に変な女だって思われた。

お姉ちゃんのアホ!

一生恨んでやるから。


「え……あ、いや……オレは佐藤さんに耳かきして欲しいかな」


え……嘘、まさかの一発逆転?


「本当?」

「ホント、ホント」

「じ……じゃあ、やってあげるわ」


心の中で安堵しながらTVの横の耳かきをとる。

ついに以前から言われていたわたしの耳かきスキルが役立つときがきたようだ。




内海君の頭がわたしの膝の上に乗っている。

そういえば男の人に耳かきするのは初めてだ。

ドキドキする。

幸い内海くんは嫌そうな顔はしていない。梨子が言うように、本当に男の人は耳かきが好きってことなのかしら?


「でも、急に耳かきするとか言い出してびっくりしなかった?」

「うん、ちょっとね」

「そ、そう……まぁ、耳かきには実はちょっとだけ自信があるのよ」


認めたくはないが耳かきは私の数少ない特技の一つらしい。内海くんは説明に納得したのかしないのか「そうなんだ」とだけ答えてくれた。


「じゃあ、始めるわね」

「あ、うん、お願い」

「いくわよ」


さぁ、集中だ。

耳かきを構える。

今日は耳を拭いたりだとか、マッサージだとかはなしで、普通に耳かきだけにしておこう。

耳垢は……そこそこ溜まってるわね。

最低でも1か月はしていない気がする。

最初だから軽めね。

まずは手前にある耳垢溜まりから処理していこう。

丁寧に、いつもよりも慎重にいこう。

カリカリした感覚が耳かき棒を通じて指先に伝わってくる。

ちょっとずつ、ちょっとずつ、焦らずに少しずつ掻きだしていこう。


「内海くん、大丈夫?」

「ああ、うん……大丈夫。耳かき……ウマいんだね」


内海くんがトロンとした目で答えてくれる。

男の子がこんな顔するなんて、ちょっと可愛いかも。

なんか嬉しくなってきた。


「へへへっ、そう?」


お姉ちゃんが結婚してから耳かきなんてしてなかったから半年くらいブランクがあって不安だったけど、どうやら大丈夫みたいだ。

よし、このままドンドンやっていこう。

耳かきの匙の先端部分を立てて、耳の内側をちょっとずつ突いていく。

力を強くしちゃ駄目だ。

表面の部分が傷つかないように、弱い力で少しずつ食い込ませていく。

そのまま弱い圧をかけながら、つぅ~っと突き崩した耳垢を外に運搬していく。


「うわ~、めちゃくちゃ気持ちいい」

「ふふん、凄いでしょ」

「スゴいなぁ、佐藤さんにこんな特技があったなんて知らなかったよ」


凄い嬉しい。

口角が緩んでるのが自分でもよくわかる。馬鹿な特技だと今まで思ってたけど、生まれて初めて役に立ったからね。

それに男の人を喜ばすのって、何だかゾクゾクするかもしれない。

そう思うと、お腹の下の方がきゅ~っと熱くなってきた。

私の膝の上にはなすがままになっている内海くん。

それを見ていると悪戯心が湧いてきた。

ここをこうするといいのよね。

私が耳かきで彼の耳孔を軽くくすぐるとわずかに肩がピクっと動く。

ほらね。

ちょっと楽しい。


「うぅ~気持ちいい、もっとやって欲しいなぁ」


もっとか……じゃあ、肩慣らしも済んだし思いっきりやってみよう。

内海くんにももっと喜んで欲しいしね。


「そう、もっと?……じゃあ本気でいくね」

「へ?」


耳かきの持ち方がポイントなのよね。

軽く握って手首を返す。

こうすると窪んでいるところによく当たる。

連続でしていくと耳かきを集めながらいっぱい刺激出来る。

これでもっと気持ちよくなるはず

ほらね、内海くんの表情がどんどん弛緩してきた。

嬉しいなぁ、楽しいなぁ。

よし、もっと彼を喜ばせてあげよう。

出来うる限り丁寧に、可能な限り丹念に、耳道に塵ひとつ残さないように優しく撫で上げる。


「さと……さん、ちょ……プ」

「え、何?」


内海くんが何か言ってるけど、ちょっと待ってね。

これで終わりだから。

耳かきを耳からすっと抜くとくるっと逆に持ち帰る。

最後の仕上げだ。

梵天を、そぉ~っと耳の穴に差し込むと内海くんが小さく声を上げる。


「……ぃぃぃっ…………あ」


耳の中に完全に隠れてしまった梵天をぐるりと回すと続いて「うぃ……ぃ」と声が聞こえた。

それを見届けるたら、最後に梵天をすぅ~っと抜いた。

うん、終わり。

内海くんは感無量といった顔で感涙にむせび泣いている。

そうだ、いいことを思いついた。

せっかくの機会だから、私は以前から一度やってみたかったことを試してみた。


「ふぅ~っ」


耳に息を吹き込んでみた。

お姉ちゃんには出来ないから、やってみたかったのよ。

何か恋人っぽくていいよね、これ。

やってみて、あとからちょっと恥ずかしくなってきた。

内海くん、やり過ぎて怒ってないかな?

さすがに気になって、ゆっくり彼の顔を覗き込んでみると……


「もうダメ……いっちゃう」


内海くんが白目をむいて悶絶していた。

足の指が全部反りかえって、身体が小刻みに震えている。


「え?……内海くん、どうしたの?」


あれ? なに? どういう状態?

内海くんは完全に意識が飛んでしまっている。

ゆすっても、声をかけても反応なし。


「えっと……」


このあとに距離の近づいた二人のロマンスが始まる……気配はないわね。

おかしい。

ロマンチックなデートの後で、わたしは彼氏にお持ち帰りされちゃって、クリスマスの夜のはずだったのに、何だかすごくヤッテしまったようだ。

結局、内海くんが起きたのは朝のこと。

初めての二人きりのクリスマスはコタツで添い寝という、これはこれで嬉しいんだけど、何とも言えない結果となってしまった。


……お姉ちゃんの馬鹿


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