E子といいこと

赤川凌我

第1話 E子といいこと

E子といいこと

 よく多くの人の憧れの的とされている少女がいます。彼女の名前を直接的に言うのは何だか照れくさい感じがするので僕は彼女をE子と呼ぶ事にします。E子は学校のマドンナ的存在でした。彼女に嫉妬し、目くじらを立てようとする人間もいましたが、彼女は完全無欠にして難攻不落の要塞なのでそのような陰謀には頓着いたしません。彼女の意志を汲み、まるで阿吽の呼吸のように振舞うメイドも彼女と同じ学校に通っていました。彼女を見るとまるで彼女は懊悩とは無縁に感じる人も多いのです。これまでE子は日本中の学校教育で跋扈しているいじめというものに加担する事はありませんでした。E子は賢い美少女でした。彼女の脳髄は奇想天外な事柄や学術的な事柄が縦横に駆け巡っています。彼女の常套句はアドラー譲りの思想なのか「人間が世界を恣意的に複雑にしているのよ。世界は捉え方次第で面白くも、無味乾燥にもなるわ」というものでありました。彼女の一本筋の通った哲学体系に羨望の眼差しを向ける生徒も相当いました。

 21世紀の日本の吐瀉物とでも言うべきミーハー達をE子は内心軽蔑してました。それも当然の事です。彼女程屈強な人物は日本にはいません。彼女はドストエフスキーの金字塔を愛読書にしている文学少女でもありました。彼女の担任は彼女の事を学年屈指の文化人だと言っていました。彼女にはそれだけの風格もありました。E子は誰とでも仲の良い娘でした。不和や軋轢なんて語彙は彼女の辞書にはないのでしょう。E子の姉はダイエットを拗らせて、拒食症になっていました。彼女は即身仏にでもなりたいのだろうか、E子は傍目で彼女を見てそう思っていました。彼女は人一倍人間の感情の機微を感じ取る事が出来ました。彼女は仲間の間では守護神のような存在感を無意識に出していました。大人の言動の背理を斟酌する能力にも物心がつく前から彼女にはなぜだか分かっていたのです。なぜ彼女に学業の才能だけでなく社交の才能も神は与えたのか、彼女の周囲はその神の偏愛ぶりに嘆息する事もしばしばでした。しかし彼女は憎めない娘でした。顔が端整で、学業が優秀だから?愛想が良いから?沢山の人に愛されてるから?理由はおそらく複合的なものなのでしょう。精神障害の発症が往々にしてそうであるように。

 E子に好意を持っている男の子がいます。彼の名前は悟。彼はE子以外の有象無象どもに愛着がどうしても沸きませんでした。彼は元来気難しい少年でした。しかしE子にだけは違ったのです。悟はE子の可憐で、屈託のない笑顔が大好きでした。もっとも、彼女の笑顔に慰撫されているのは悟だけではありません。彼女との逢瀬を夢見るのは彼らの学校中の通例でした。中にはE子をじっとりと眺めて恍惚の表情をしている生徒もいたほどです。

 しかしその恵まれた境遇に反してE子は何故だか焦燥感に駆られていたのです。それは紛れもなく思春期における一過性精神病の前触れでした。しかし彼女はその事を誰にも打ち明ける事はできませんでした。彼女は自分の精神的混沌に気づいていました。この苦悩を解消するには換骨奪胎の知性の研磨より他に手立てはないと彼女は思っていました。彼女を慕っている人は多かったのですが彼女が慕っている人は歴史上の偉人や天才以外にいませんでした。彼女は心底孤独で不安でした、過渡期なら当然ですが、難点は彼女がストイック過ぎる事です。彼女はある日超天才の書籍に出会いました。超天才の酒池肉林のような流麗かつ濃密な言葉は彼女には神聖な言葉に思えました。その本との邂逅した日、彼女は溜飲を下げた。同時に彼女はダブルミーニングで紅茶を彼女の咽喉に流したのでした。それは彼女にとって良い記憶でした。それは彼女のトポスでした。彼女を鼓舞するのは書籍内の超天才の言辞でした。

 悟も精神的危機に相対していました。彼を救ったのはなんであったか。それは何もなかった。彼は救われず、ただン悩みを抱えながらE子に片思いしていたのです。自らの胸中に屹立する恋愛の意識こそ彼を生かせていました。2か月前に尊敬していた祖父が死去し、彼を弔ってから、悟には憂鬱の日々が到来していました。

 「E子さん、最近さらに可愛くなったよな」「元々可愛いだろう」「何か恋をしているのかな」悟はそんな会話を見ていました。しかし悟はE子を自分のものにしたかったのです、好敵手などは彼にとって目障りでしかありませんでした。しかし自分には誇れるようなものは何もない、悟はずっとそう思っていました。悟にはその劣等感が重く彼にのしかかっていました。現実への深い悲哀と絶望、それらによって悟はいつの間にか自暴自棄になっていました。悟が失恋する事は彼には自明の事でした。そしてそういう現実を見るのも彼には耐えられませんでした。

 ある日の放課後、悟は掃除を終え、帰宅しようと思っていました。しかし夕暮れの光に照らされてこの上なく煌々としているE子の姿を彼は見ました。彼は勇気を振り絞って彼女に声をかけました。今の僕はあの時の記憶をずっと反芻しています。しかしながら不可逆的なその思い出を悔恨する事も僕にはあります。

「E子さん、どうしたの?」「君を待っていたのよ」「僕を?」「君、私の事好きでしょ?そして自分の軸がなく、深淵なる人生の闇に煩悶してる」僕ははっとしました。どうして彼女がそんなことを。「そうだよ。そして、そして」君への恋愛感情だけが僕を生かしている、と僕は言いかけました。しかしそれは叶いませんでした。「私が人間の面白さをあなたに教えてあげる。私は誰かに自分の光を教えたいの。そしてあなたはその基準を満たしている。私はずっと虎視眈々としてた。最近気づいたよ、でも女の勘かしら、なんとなくくあなたが好きな事、分かるようになったのよ」まるで僕の青春ラブコメはチートのように疾駆していきました。そこから僕たちは恋仲となりました。僕たちは現在夫婦です。

 その時彼女としたいい事。それは性的な事ではありません。しかしそれは僕の知的好奇心を横溢させ、のみならず人生そのものの質を転化するものでした。彼女は僕に色々と知らない事を教えてくれました。彼女は僕の知らないことをたくさん知っていました。彼女は何でも幼少期から本の虫だったようですが、周囲から迫害されるのを恐れて人目を憚って読書をするようになっていたらしいのです。彼女は読書で得た知識やレトリック、トリビアを惜しげもなく僕に話してくれました。彼女は本当に博識でした、僕はそんな彼女を見ると青春の苦悩などは浄化していくようでした。

 今は青春のあの苦悩は本当に一時的なものなのだと思います。発達心理学的にもそれは自然の摂理なのでしょう。しかし、あの時E子に出会っていなければ僕は生きても死んでもいない自分を、そして人生を否応なく認めなければならないところでした。

 僕はあの事、自分が醜怪で邪魔な男だと思っていました。僕は日本社会の和を乱すものなのだと思っていました。しかしE子との出会いが僕を人非人からまっとうな人間へとアウフヘーベンさせたのです。このアウフヘーベンというのも彼女によれば哲学用語で、主にヘーゲルなどによって使用された言葉であるようです。今でも僕は彼女に知性では勝てそうにありません。しかし一つ僕が彼女に勝てると自信を持って言えるのは僕の恋人への愛だけです。


科学熱中症

科学に熱中している松下という男が21世紀にもいました。彼はマクスウェル、ファラデー、ダーウィン、アインシュタイン、その他様々な科学史上の天才や偉人に憧れていました。彼は科学理論を勉強しすぎて半ば揶揄されながら科学熱中症とまで呼ばれていました。なんでも科学の事を考えすぎて用水道に落ちた事もあるらしいです。彼の部屋の巨大なホワイトボードにはいつも数式で埋まっていました。彼はよく論文も書いていました。しかし最近は執筆の手が滞っています。どうしたのでしょうか。彼のもとに数日前紅顔の美少年が弟子入りしました。松下は別に弟子などは取っていないのですが美少年の顔立ちがあまりにも好みだったので特例として弟子を設ける事にしました。この美少年は佐助といい年齢は16歳です。何でも高校を辞めて、各地を放浪していたが一冊の科学者の本がきっかけで科学に魅了されるようになったといいます。彼は一生懸命働きました。給料などは出ませんが、松下は佐助を大層可愛がりました。松下には自分の家族の遺産がありました。それに数年前国際的な科学の賞を総なめにしていたのです。松下はゲイでした。ゲイの数学者にはアランチューリングなどがいます。松下は自分が歴史上の偉大な人物になるのだという強い意志がありました。彼は既にそれを原動力に多くの事を成し遂げていたのです。

 松下は佐助に色々な事を教えました。基本的な数式、数学の道具、物理法則、原理、証明、幾何学基礎論、数学基礎論など。20世紀の科学や数学については彼の専門なので熱を入れて松下は佐助にそれらを教えました。佐助は熱心にそれを聞き、スポンジのように知識や知見を吸収していきました。佐助は既に17歳で数学の論文を書くようになりました。17歳で処女論文を書くことはパスカルよりは遅いのですが、ガロアと同じくらいでした。松下は佐助の事を心底溺愛しており、彼の書いた論文も素晴らしいと絶賛し、まるで自分の息子のように周囲には紹介していました。松下は今までずっと童貞でした。ゲイである事も影響していたのですが、これは彼自身の独立独歩な精神性も少なからず影響していました。だから松下はこの恋愛を享楽していたのです。同性とは言え、このような女の子のような愛らしいルックスの美少年と過ごすのは松下にとって甚だ幸福な事でした。

 松下は熱力学の研究をしています。熱力学にはボルツマンなどがいます。松下はそれ以外にも多くの分野の研究をしていました。それは彼にとっての生命活動に相違ないのでした。彼にとって研究を辞める事は死を意味します。それほどまでに研究が生活の基盤となっていました。また34歳になっても悠々自適に研究に没頭できています。彼の食事は豆腐と卵でした。佐助が来るまでは昼ごはんはカップラーメンだったのですが、最近は昼に卵と豆腐を食べています。この食事に変えてから松下はみるみる内に痩せていきました。そんな松下を見て佐助は「段々とイケメンになっていきますね!」と言いました。松下は何だか恥ずかしくなり、赤面しました。

 彼らは長期間にわたり太平無事な生活を送っていました。佐助の笑顔は天真爛漫で屈託がありませんでした。松下は日ごろからニートだとか言って自分を見下す社会人に苛立ちを募らせていたのですが佐助が現れてからはそんな事はどうでも良くなりました。本当は松下は説明能力がなく、また他人への偏愛もないので弟子育成には向いていなかったのですが佐助は松下の熱心な指導により徐々に頭角を現していき、最近では歴史上の偉人に匹敵する程の功績を世に打ち出しています。松下は数学や自然科学の事を佐助に教える時にはまずそれらの歴史から教えました。これは自分自身への反芻と、人類の業績の主体となるのはいつでも人間であり、その人間を度外視して無味乾燥な理論だけを勉強しても仕方ないだろうという事から松下はそうしたのでした。

 松下はある日街で大学時代の友人と再会しました。「よう、松下」「藤原か、久しぶり」「お前、今暇?」「ああ、今日は休日さ。弟子もどこかに遊びに出かけているし」「なら俺と一緒に飲まないか?」「いいよ」そうして彼らは一緒に酒を飲むことになりました。「熱燗一本、おちょこ、二つ」藤原は居酒屋に入ってすぐそう注文しました。「僕、熱燗なんて飲むの初めてだよ。今までずっとワインかウイスキーだったからな」「そうだったな。お前は大学時代の飲み会でもいつも白ワインとウイスキーばっか注文していたな。そういう趣味なん?」「単に飲みなれてるから新しいものに挑戦するのが億劫なだけだよ。金払って飲んだ酒がまずいんじゃ興ざめでしょ」「そりゃそうだ。その気持ち、何となく分かるよ。俺も現在仕事についてその事を実感してる」「お前の仕事は確かプログラマーだったか。最近どうなの?」「最近は踏んだり蹴ったりだよ。上司からは邪険に扱われるし、会社は倒産寸前だし」「まじか、倒産したらどうなるの?」「当然解雇だよな。政治家でもないから天下りも出来ないし」「死活問題だね」「そうなんだよ。だから苦に病んで最近資格の勉強を始めているんだ。でも何だか新しいものを学ぶのは難しくてね。皆がそうだろうけど」「確かに誰もが通る道だよな。でも諦めずに挑戦していけばきっと道は見えてくるさ」「綺麗ごとは誰にでも言えるんだよ。でもな、現実はそう甘くない」藤原は嘆息しつつ、不安そうにそう言った。松下はしまった、と思いました。軽い気持ちでの発言が他人を傷つけてしまったのか、松下はそう思いました。松下は昔からデリカシーのない発言をする事が悪癖でした。それがきっかけで絶縁されたこともあるくらいでした。

 話を変えよう、松下はそう思いました。「僕のとこにいる弟子、佐助という名前の美少年なんだけど、彼、可愛いんだよ。それに賢いし、業績もかなりのものだし。日頃の僕の指導のおかげかな。ははははは」「美少年か、確かに学生時代から松下は女に興味なさそうだったもんな。しきりに男といる方が楽だと言っていたし。お前は普通にイケメンだからお前を好きな女子もたくさんいたんだがな、いやあ、勿体ない」「佐助はエヴァリストガロアだね。彼は日本のエヴァリストガロアだよ。僕が彼に出来る事は数学や自然科学の指導と、決闘で死んだりしないようにする事だけだ。潜在能力では彼はトップだよ」「激賞だな。そこまで熱が入っているのか」「彼は天才故にちょっと繊細過ぎる事もあってね。また幻聴や被害妄想もあるからもしかすると精神病かも知れない。まあでも僕が彼の幻聴や妄想の不在を数学的科学的に証明する度に彼は平静を取り戻すんだ。それに向精神薬の副作用で太った佐助は想像するだけで可哀そうだし」それは事実であった。彼は弟子にきて8月になった頃、急に精神的な変調をきたしはじめました。松下は自分にも統合失調症の経験があったので、いかに対処すべきか、我流にそのノウハウを見つけていたのです。確かに統合失調症の破瓜型は10代の内に発症するケースが多かったのです。現代の精神医学はまだ統合失調症について原始的かつお粗末な知見しかありません。しかし松下は統合失調症は稀に天才であるが故に発症するケースがあると考えていました。統合失調症は天才の証だと始終彼は佐助に言っていました。今や松下の科学熱中症は薄まり弟子佐助の溺愛により彼の偏愛に変化が見られたのであります。


友好円盤生物

 ある夏の日の事でした。空から円盤が飛んできたのを平和樹は見ました。彼はその円盤をもっと仔細に観察しようとして追いかけました。彼は一人暮らしのフリーターだったので、その行動を逐一咎める両親や寮母もいません。したがって自由闊達な行動がとれたのです。円盤は赤と黒が混ぜ合わさった前衛芸術のような見た目をしていました。そして円盤はある公園に不時着しました。するとその円盤は人型になりました。「やあ」「お前は誰?」「僕は円盤生物、地球ではそんな風に僕を呼ぶ人もいるね。君の名前は?」「和樹」「和樹、ふむ、今我々のネットワークで瞬時に調べたが名前からしてここは日本かな?もしかすると日系という事も考えられるが」「そうさ、ここは日本さ」「良かった、我々は日本が大好きです。地球の中では日本という国がベストです。我々円盤生物は正式名称、ブルーブルーメと言います。丁度人をホモサピエンスと呼ぶのと同じ感じですね。まあ個人名はロウと言います。よろしく和樹」「こちらこそよろしく」両者は握手をしました。この握手の瞬間に和樹は少し意識がぼんやりしました。不審に思い和樹はロウに尋ねました。「今、何か僕にした?」「うん、少し観察のために君の記憶の核の部分をブルーブルーメの最先端技術で抜き取ったんだよ。大丈夫?何も言わずにやってごめんね?でも地球人と接触した際にこうするのは決まりになってるから」「いやいや、大丈夫さ。ちょっとびっくりしただけだよ」

 この円盤生物の特筆すべき性質は、人並み以上に礼儀正しく、柔和な笑みを浮かべている事でした。表皮は青いのですが、それ以外の場面は彼の専門技術で人間のそれと遜色のないレベルでした。和樹はこの円盤生物と嬉々として話をしました。ロウは中々面白い話を聞かせてくれます。実際異星の事なのだから、聞いていて珍しくないわけがありませんでした。ロウの話はそのまま小説や映画の題材に使っても歴史的な大ヒットを伴うものに和樹は思えました。和樹は普段から職場の人間に疎んじられています。彼は統合失調症を罹患しており、日ごろの奇異な言動によって周囲の人間はほとほと疲れ果てていました。彼自身も常に周囲に迷惑をかけている事は知っていたので、この関係は全く良いものではありませんでした。ロウはそういった和樹の話を聞いて、こう言いました。

「統合失調症に近い病気は僕の母性にもあるよ。この病気の研究は結構母性では進んでいてね。なんでも無限の潜在意識のベクトル変換によって起こる病なようだよ。高等な生物にしか見られない疾患なんだって、統合失調症は」この際、和樹は何だか高等な生物、という言葉を聞いて自分が褒められているように錯覚し、気分が高揚しました。「まあ反面、母性で一番声が大きいのもこの統合失調症患者なんだけどね。彼らは自分たちの知情意の統合能力が失調して、自制できず、よく公然と乱痴気騒ぎをしているよ」「僕はそんなことしない」「分かってるよ」「僕はこの病気を治したい。何か良い案はないの?」「一つだけある。それは統合失調症を昇華させることだ」「サブリメーション?」「そうだ。統合失調症は不可逆的な疾患だ。生卵を加熱すると中身が変質するように、脳も一度とうっ豪失調症になったら元には戻らない。そもそも統合失調症になる前に戻るというのは発達的お粗末さやレジリエンス、発症に寄与した性格までもが戻る事だから良い事とは言えない。したがって目指すべきは昇華。高次元のものに脳を引き上げるのさ」「具体的にはどうすればいいの?」「この装置をつけるといい。これは体に埋め込むタイプではなく、リモートで着用者の脳に変化をもたらす。こっちは時計タイプ、そしてこっちはペンダントタイプ、二種類ある。好きなのを取れば良いよ」「じゃあ時計タイプにするよ。このタイプの時計の時間はあってるの?」「うん、時計としての機能もついているよ。この装置はね、何度も言うが脳を更に高い次元のものへと変化させるんだ。次のなすべき進化を促進させる装置さ。どのような変化が起こるかは僕達にも分からない。でも母性でこの装置をつけている統合失調症のブルーメ達は何やら全知全能に近い状態にまで至っているよ」全知全能?あまりにも壮大な言葉に和樹は思わず愕然としました。

 「次なる進化か、胸が躍るね」「僕は親友である君には幸せになってほしいんだ。ここまで楽しく話が出来た相手なんて初めてだからね。母性の連中は冷酷無比で嫌だよ、あいつらは冷血どもだ」「この装置を装着する事で、肉体的に変化は起こらないの?」「外見的な変化は理論的に引き寄せられない。無論、外見的変化を伴う装置も開発されてはいるが、それは生物兵器用で高度な知的生命体用ではないな」「助かったよ。この装置は四六時中つけていないといけないの?」「そういう訳でもないよ。でも一日3時間以上はつけないと目に見えて効果が表れるのは長引くよ」「一日三時間か。余裕で出来そうだね。時計の形状をしているから仕事でもつけられそうだし」「武運を祈るよ。じゃあ君の家に行こうか。さっきも話したけど同棲して良いんだよね」「ああ、良いよ。後その皮膚の色だけど」「ああ、皮膚の色は人間のそれに変化させる事も出来るよ、ちょっと機械の設定ミスって今は青色だけど、君が心配しているような事は起こらないよ。すぐ君と同じ色にするね」するとロウの肌の色は一瞬で変わりました。もう完全に見た目は普通の人間です。

 「君たちの母性の技術には驚かされるよ。本当に人類のそれとは比べ物にならないね」「まあ僕の母性の平均IQは1100だからね、地球人の10倍以上さ。僕自身も1500あっるし」和樹はこれを聞いて大層驚きました。和樹はIQ検査を受けたことはないのですが、ここまでブルーメと人間に歴然たる差があるとは思ってもみませんでした。和樹は仰天して白目をむきました。「でも和樹も僕と同じくらいのIQあるよ。これは生命体のIQを検査なしで見えるようにする眼鏡なんだけどね」彼はそう言って眼鏡をくいっと上げました。「そうなのか。しかしここまで技術力があれば、他の惑星を征服する事も可能じゃないか?」「可能だよ。でも僕たちブルーメはそんなアホみたいな事に興味関心はないけどね」

 和樹は翌日から、なんだか幻聴や被害妄想が自分の中で形容しがたい興奮、リビドーの亢進を伴う事を感じるようになりました。そこからは和樹に奇異な行動は見られなくなり、普段からも理路整然とした印象を他人に与えるようになりました。彼は非常に人当たりが良く、常識的な人間になっていったのです。そんな彼を見てロウはただ微笑していました。和樹の潜在能力は爆発しました。和樹はモチベーションに満ち溢れるようになりました。もしかすると統合失調症の陰性症状や脳機能障害もこの装置は改善したのかもしれません。とにかくあらゆる場面で和樹は有能になっていきました。和樹を以前から慕っていた長身美人が和樹に告白しました。和樹はその告白を受け入れました。

「なあ、ロウ。僕、初彼女が出来たんだよ。もしかすると僕は子供も生まれて家庭を持つかも知れない。彼女は175㎝以上の長身美人で僕の超タイプなんだ。エディプスコンプレックス的にね」「良かったじゃないか!我々ブルーメは生殖は専門機関で優秀な者同士をかけ合わせたり、劣等種は遺伝情報を弄りまわしたりした後に生殖に至らせるのが常だが」「専門機関?愛の欠片もないところで妊娠出産をするの?」「妊娠出産は我々は体外でも出来るんだよ。理論的にはね」友好円盤生物は彼の吉報を彼なりに喜んだのです。


自動殺虫ロボット

 遠い未来の話、自動で殺虫してくれるロボットの発明が人類史に屹立する大事件となりました。このロボットは安価で国民に普及しました。その効果たるや、並々ならぬものでした。家庭からゴキブリはいなくなり、孤独死を迎えたりした人間の腐乱死体にハエが沸くこともありませんでした。また虫を察知すればこのロボットは指定された種以外の虫をこのロボットは駆除してくれたのです。図らずもこのロボットの誕生によって人類文明は更なる発展と、文化を手に入れました。今やこのロボットのない生活は人類には考えられません。丁度、歯を磨いていないと不安になるのと同じように登山などでもこのロボットは存分に活躍しました。たまに誤作動を起こして、周囲の虫全てを殺害するということも社会問題になりましたが製造企業の追加ソフトウェアにより、その弊害も消失しました。世界の虫撲滅組織はこのロボットを使って、虫を絶滅させようと企んでいました。彼らの中には世界一のハッカーもいました。そしてその虫全滅の計画は着実に進行していました。

 ある日、虫たちによって審判の日が来ました。世界中の自動殺虫ロボットが何者かのハッキングを経て街中で虫を悉く殺害し始めたのです。日本には風流心をくすぐられる蛍などもいますから、この事を許せないと思う人物も相当いました。しかし彼らにはこの問題をどうにかするだけの力量がありませんでした。

「わははは。虫どもは殺戮だー。汚物は消毒だー」街にもそんなバカげた事を言ってロボットに加勢する声も多く見られました。虫は確かに煩わしく、あまりにも人類の肉体とは違います。しかしそれは虫を殺戮して良い理由になるのでしょうか。きっと虫を殺戮するよう自動殺虫ロボットをハッキングした人間たちには地獄が待っている事でしょう。いや、そうでなくては前世が虫の我々霊魂にとっては困ります。現世では虫や虫に伴う生物が絶滅したと言います。食虫植物も消えうせました。そして人間界では虫を主食とする動物たちが人間たちの食べ物を相次いで狙うようになりました。これは当然の事です。動物たちにとっても食事は生命線です。そうならない道理がないでしょう。

「最近、虫、見なくなったねえ」「そりゃそうよ、あのロボットの暴走が起こって、もう半世紀以上経とうとしてる。光陰矢の如しとはよく言ったものだ」「もう蛍も見なくなった。時代の変化に伴って生態系も変わる、か。我々はちょうど分岐点を生きていたのかも知れないな」「たかが虫と言えども、ゴキブリやハエやムカデみたいなのを除けば益虫もいるしなあ。何だか感傷に浸っちゃいそうだ。彼らには何の罪もなかったのに、傲慢な人間たちは彼らを恣意的な情動や口実で殺戮した」「本当だよ。虫を絶滅させるよう仕向けた彼らにはきっと神の名のもとに断罪されるだろう。もっとも彼らはそれをいささかも意識していないようだけどね」「本当に、すごい時代になったな。虫が絶滅するなんて古代ギリシアの賢者でさえ想像もしなかっただろうね」「しかも動物たちは人間の食べ物を狙うようになったしね。カラスだけじゃなくて、他の動物もゴミ箱の中を荒らすもんだから動物殺害ロボットも徐々に開発されているらしいよ」「人間は殺害が好きだねえ。昔はよく戦争なんかもしていたしさ。結局どこかで死ぬか生きるかの瀬戸際を望んでいるんだろうな。そして闘いで死ぬことこそ、英雄的な、華々しい死に方だと思っている人々もいたくらいだし。根っこのところでは万人が暴力的な意識を持っている。嗜虐心なんてその典型みたいなものだしさ」

 動物殺害ロボット、人間はどこまでも殺害せずにはいられませんでした。自分たちの生活の豊かさや利便性の代償は外ならぬ、血生臭い殺戮にあったのでした。しかしこの殺戮欲に抗する人間がいたのも事実です。しかしそういった人間はその他大勢に、トートトジー的に言えばマジョリティに迫害されていました。時代がそれを許さなかったのです。殊に日本では同調圧力の強い国でしたから日本人自体もあまり突飛な事は出来ませんでした。そのような勇気のある人物はいなかったのです。何らかの革命を起こすには知性だけでは不十分で、勇気も必要だったのです。日本人は元来臆病ですから革命などとは無縁の日常を謳歌するものが大半でした。過去の虫絶滅の際に声量の大きかった人物は日本民族を束ねて国家のこの上なき結束を生んでいました。日本は今や世界の覇権国家になりました。国土面積や地理的要因を考慮すればこれは世界史上の奇跡とも言えるでしょう。

 動物愛護団体も最初の内は殺害を反対していましたが、今では不可視の言論弾圧の風潮が日本には存在していました。覇権国家の立場にいながら国民そのものは何かしらの縛りがあったのです。

「うちのペットもあの忌々しいロボットによって殺された。人間は間違っている。殺害なんてものがここまで大衆的なものになるのはおかしい。確かにゴキブリやハエなんかは殺しても良かったけど、動物や益虫まで殺してしまうのは明らかに過剰だよ」そのような話も巷では聞かれるようになったが、日本政府に表立ってそんな事は言えませんでした。今や日本政府にはローマ帝国の暴君、皇帝ネロのような過激な人物が主要な政権を取っていたのです。「我々の殺戮ロボットの汎用は人類史的に見て致し方ないことだったのでしょう。生命体は様々なプロセスを経て、種が右往左往していく」生物学者達は現代においてほとんど考古学者的な仕事をするようになりました。残された生物学的見地の使用は人間のみに限られていました。人間は確かに地球の生命体のトップに立ちました。しかし人間は頂点を極めすぎて、非常に自分勝手で、宇宙人からも見放されるようになりました。人間はその内滅ぶだろう、何もしなくても滅ぶだろうという声がファルタン星人の間ではよく言われていました。実際人間の中にも自分たちの自滅を予知するものがいました。彼らは人類滅亡を信奉していました。人類は消えうせなければならない。かつての虫や動物のように、と彼らは言っていました。もう動物もペットなどを除けばほとんど種が消滅していたのです。

この事の発端となったのは人類の知恵の悪用乱用である自動殺虫ロボットが誕生した事であります。私たちはこの人類史上稀にみる大発明がかくのごとき地球の混沌を生んだのだと思います。私たちは神に起訴しています。このような不都合、不平等、不均質があるのはおかしいと。神の弁護士はそれは人間が自らを模した家族であり、その家族に援助をするのは当然だと言っています。私たちは本当にむかつきます。そのようなドメスティックな理由で、ここまでの惨状を生んで良い訳がありません。私たち、前世が虫だった魂は当然生きている間は道徳法則のようなものはなく、まともな知能もありませんでしたが、今では魂も昇華されてそう言った事が可能になりました。知性の面でも人類と遜色がないレベルにまで到達しました。もう人間の好き勝手にさせる訳にはいきません。我々は自動殺人ロボットを目下製作中です。



芳香剤よ永遠に

 22世紀には文化というものは臭覚で認識されるものとなっていました。上等で高貴な文化は良い匂いがし、品性下劣なそれには悪臭がしていました。殊に日本文化は良い匂いがしており、またその独特な文化は世界中に広まり、海外の人間であっても車に向けてお辞儀をしたりしていました。日本は22世紀にはソフトパワーの面において世界一になっていました。日本人はその事実に最初は驚いたものの、今ではそれを漫然と受け入れていました。そして先進国の整備の行き届いている場所には良い匂いがするようになっていた。どのような治安の悪さであっても表向きには良い匂いを引き寄せる、芳香剤が置かれていた。この芳香剤は文化の核のみを扱う装置であり、これを見た生物は脳内で自動的に良い文化の知覚を催させるものでした。

若者たちが居酒屋で会話をしている。「最近どんな漫画が出たのよ。ほら、あのシャンプの新連載」「ジャンクってやつ。これ中々面白いんだよ。作者の博識ぶりや練り上げられたプロットも遺憾なく発揮されているし、伏線もあり得ないくらい緻密に張り巡らされているんだよ」今や、漫画はかつての大衆芸術であった小説にとって代わって人間の一般的な文化になっています。これは20世紀後期から続いている傾向らしいのです。若者の活字離れが叫ばれて久しいが、世界中の恵まれた土地に住む若者は自発的に活字を読むようになっていました。中でも理系の専門書や実用書、心理学書が多くの新世代の若者に好まれていました。

「芳香剤も、本当、登場したての頃は画期的な発明だとか、人類の進歩と調和の象徴だとか言われていたけど、今や世界中で普通だもんな。昔の人間が現在の世界の実情を多分、驚いて卒倒するよ。実際ここまでの発展を遂げるとは僕も思いもしなかったもん」「そうだな。そういや最近化学の分野で新たな現象を発見した日本人がいるらしいぜ。ほらこのニュース見てみなよ」短髪の男は自分の携帯の画面を同席していた友人に見せました。どうやらノーベル賞級の大発見を日本人が新たにしたようです。その発見者の大学は地方の底辺私立大学でありました。最近の日本は大学の偏差値ではなく、その大学にどのような教授がいるのか、その大学で何が学べるのかを中心に考え、ただ盲目的な高学歴賛美を行う事を辞めていました。無論21世紀まではそういった傾向もみられていたのですが、その傾向は本質を見極めた日本の21世紀の最高賢者の発信力によって急速に衰えるようになりました。今や日本人はもう世界大学ランキングのようなものを微塵も気にしなくなりました。この性向は日本人の研究意欲に非常に大きな影響をもたらしました。

 日本はソフトパワーのみならず優秀な研究者が21世紀に相次いで現れた事で、科学技術力や数学において世界トップの実力を居丈高に世界中に示していました。それまで優位だった白人の数学や、自然科学の研究者はもう日本にはかなわないと思って、衰退の一途をたどりました。近頃では日本の良い部分を吸収しようと様々な活動が海外でなされています。そしてそれよりも特筆すべきは日本文化の偉大さでした。

 良い匂いを消滅させまいと多種多様な日本人たちが懸命に自分たちの文化を守りました。その日ごろの勤勉さが発露されたのか現代の栄華ぶりは殆ど荒唐無稽な絵空事のようでした。

この文化に対する芳香剤を開発したのも日本人でした。21世紀の日本の偉大な科学者がそのメカニズムを示した論文を発表し、同様に日本の偉大な技術者が天才的な発想でそれを応用したのです。このような仕事を出来るのは真の天才だけです。しかし我々のイメージとは相反して彼らは学生時代成績不振者であり、のみならず精神疾患を抱えていたようです。

30代の中年男性達がとある日本のパーティーでこのような会話をしたと言います。「日本人の発展は21世紀の最高賢者である赤川なしでは語れないものだよ。彼は本当に並外れた男だよ。彼は統合失調症だったというが、それもこと彼に関して言えば天才の証だね。もうだいぶ統合失調症に対する偏見も22世紀になって緩和されてきているようだし。この流れというか、風潮を作ったのは赤川に他ならないよ。今や多くの子供たちが彼の伝記を読んで感銘を受けていると言うじゃない。偉大な日本人ランキングという統計結果でも彼は抜群の首位だったみたいだし」「そうだね、彼は偉大だ。彼は普通の人間ではなかった。彼の高校時代の生徒は彼を過小評価して普通の人だと言っていたようだが、本当、あてが外れたな。凡人の見る目なんて最初から無きに等しいよ」「最近日本では出る杭も打たなくなったよね。集団主義や同調圧力も赤川の孤軍奮闘によって消えうせたというし、胡散霧消に。本当、あういう意識が21世紀の日本人に依然としてあったのだと思うと、虫唾が走るというか、悪寒がするよ」「今の時代を作ったのはその震源地には赤川がいた訳だけど、それ以外の天才たちも赤川に続いて続々と出て来たよね。テレビや雑誌を嫌忌する高潔な科学者が忌憚なくメディア批判をしたりしてさ。もう21世紀は激動の時代だよ。一目瞭然な革命はなかったにせよ、赤川をはじめとした人物が完全に日本人の在り方を、そして世界の人々の在り方を丸ごと変えたんだから。彼らがいなければ現代の学問は5000年遅れていたと言う人も現代の研究者にはいるよ」「でも赤川にせよ、本当の天才というのは天才だと認識されるのに時間がかかるよね。だって凡人には天才のしている事の意味が分からないんだもん。あまりにも凄いパラダイムシフトは有史以来多くの人の理解を得られなかった。もしかすると22世紀の現代でも理解されていない、正当に評価されていないダイヤの原石が、天才がいるのかも知れないな」

 「文化はどうだ?漫画やアニメなどは」「日本の漫画やアニメは本当に一般的なものになったよね。学術書でさえ、読者を理解させる為の諧謔か、漫画が採用されたりしているみたいだし、すごい時代になったもんだ」「日本は戦後少したって清潔だとか言われていたけど文化の芳香剤によってその心地よさがさらに発展したよね」「本当だよ、日本は警官も美しいし、風光明媚な自然もあるし、清潔だし、治安も良いしって事で最近移民も多くなってきたらしいし。世界各国から愛されているってね」「おかしな話だな、WW2の際にはスケープゴートにされていたのに、一度文化と科学、学問において覇者になればここまで皆がへこへこするんだから。なんというか人間のエゴイズムというか、通俗性を感じるよ」「まあでも、日本は超然としていて、中国との戦争も平和的に退けたと言うし、なんだかんだで政治家が有能だったんだろうなあ」「政治家が馬鹿だと国の将来は「大変になるしな、その事に気づいて国を変えようとした人物が選挙に対して創意工夫をしていたって聞くよ。今では政治に関心を持つ若者も多いらしい。でも普通の会話ではあまり皆政治の話しないね」「その辺の分別はあるんだろう」「やっぱ行動しない限りは、この文化の芳香剤以外の芳香もなかっただろうね。まあ文化以外の臭覚への変換は今盛んに研究されているらしいけど」「色んな事が人間の五感の次元に変換されるとは、人間の知性は本当に恐ろしいね。でもそこには崇高さもあるよ」彼らはそうやって歴史を振り返って芳香に感謝さえもしていました。


恋愛的近視眼

 皆様、日本の連中は全員間違っています。何故なら彼らは恋愛によって近視眼になっているからです。ほとんど盲目なのです。恋愛資本主義に私は反対です。彼らは本当の退廃的な世界を生きてはいません。それが私には無性に腹立たしいのです。なんだ、あいつらは。どいつもこいつも彼女をつくりやがって。子供の頃はあれ程無比で野蛮だった癖に、今や女に色目つかってやがる。許しちゃおけねえ。今こそ裁きの時。

私はずっと童貞でした。少年時代は異性に恋愛感情を抱かれる事も多かったのですが、その時分は特段恋愛に興味がありませんでした。それに私に好意を持ってアプローチしてくる異性は一人の例外もなく私のタイプではありませんでした。私は中学時代後半で、意識や自我に甚だしい障害が起こり、非常に婉曲的な形ですが自殺への誘いが精神病によって始動しました。そしてそれから現在23歳まで、暗い迷走を続けてきました。本当に私は死にたかったです。死なない為に努力してきたのに、その結果人生と言うものは無情にも一向に変化しませんでした。いや、私の感覚が鈍いのでしょう。変化が感じ取れないのです。世相の変化、流行の変化、そういったものが私には皆目見当がつかないのです。

最近私は恋愛に対して憧憬を抱くと同時に恋愛によって近視眼的になっている自惚れた連中を敵視しています。これはおそらく精神病理学的に見ればなんらかの障害に相当するのでしょう。実際私は統合失調症を患っています。その事もこの認知の歪みに関係しているのかも知れません。畜生、どうすれば良いのだ。私には一向に現実が五里霧中の袋小路でどうする事も出来ないように思えてならないのです。

私は今、ただ感情的に喚き散らしています。時には慟哭や嗚咽、血涙を交えながら般若の形相を保ちつつ言っているのです。恋愛なんかは人間を馬鹿にします、近視眼にします、正常な判断を失わせます。馬鹿とは悪です。しかし私は馬鹿になりたいのです。私だって一度くらい意中の長身美人と恋愛をしたいのです。

世間では童貞を嫌悪する女性も多いようです。私のルックスは悪くないつもりです。身長は210㎝あるし、顔面も端整で、女に見間違われる程の自他ともに認める女顔美形です。しかし私は童貞です。何故でしょう。理由は思い当たります。第一は私の対人恐怖です。第二は私の統合失調症です。この二点のみが私の前途洋々たる恋愛世界への入門を無意識的に拒んでいるのでしょう。統合失調症の仲間には東大卒の人もいて彼は恋愛を諦めているようです。統合失調症はモテない人が多いと憚らず言う連中もいます。結婚も絶望的だという連中もいます。そういった批評は現役の統合失調症患者を奈落の底に突き落とします。既に精神的に憔悴しきっている病気の渦中にいる人物はそういった言動を甘受し、たちまち自暴自棄になります。

第一の理由についてです。私は中学までは社交的でした。しかしいつの日か自分の殻に閉じこもるようになり、人との接触も拒むようになり、当時在学していた学生寮ではほとんど誰とも喋らず、純文学の原点を貪り読んでいました。一念発起して、高校に再入学した16歳の時、私の精神を更に苦境に立たせるかの如く、統合失調症の代表的な症状である幻聴や被害妄想が私を襲いました。私は通常人が精神病と対峙した時そうであるように、混乱し、当惑しました。それに伴い、私の対人恐怖はますます根深いものになっていきました。人という概念から受ける表象、これは大陸合理論的言辞ですが、この表象が私の内部で魑魅魍魎の怪物となって私の眼前に立ちはだかっているのを私は知覚しました。そしてその怪物は古今東西の内向的な人間がそうであったように、私には対処不可能の難攻不落的問題でした。

「おっさん」「気持ち悪い」「不細工」「ちっちゃい」そのような悪口が私の脳髄を揺さぶります。これが病気の症状だと知ってはいるのですがやはりいつになってもなれそうにありません。私はこれらの声に慄然としてしまうのです。陰隠滅滅としてしまうのです。おそらくこの感覚は修辞だけでは理解できないでしょう。統合失調症にしか理解できない感覚だと思います。合理主義精神とは相反する要素が象徴的に現実に展開されているのです。この違和感たるや甚だしく恐ろしいものなのです。私は小学校時代、些細ないじめのようなものに加担していました。その罪が今、私の精神を凌辱すべく神が運命操作しているのでしょうか。

結局、近視眼なのは私の方です。私は度重なる激甚の苦痛から遂に精神が破綻したのです。周囲の人間は私を普通の人であると認識しているようですが、私の精神の核の部分は既にお釈迦になっているのです。したがって真のコミュニケーションも、真の恋愛も出来ません。頭ではその事を理解しているつもりです。しかし一縷でも望みがあるならば、と私は毎日必死に自分を慰撫し、他人の感心しない一挙一動でさえも意に介さず、宥和しようとしています。

私は世間の連中に関して目くじらを立てられるような人間ではありません。そもそも統合失調症自体が吉凶禍福を左右するものなのです。我々は迫害されるべき運命なのだ、そうに違いないのだ。分かっています。これが私の思い込みだという事も。しかし私には苦し紛れにこのような事を考えなくては心が虚無で満たされてしまい、廃人になってしまいそうになるのです。

私が恋愛の出来ない第二の理由についてです。それは前述の如く統合失調症であるからです。私はこの訴えにもどこか思い込みの激しさというものが認められると思いますが、実際そうなんです。この特質は人間関係の負の側面でも惹起されます。私は他人から軽蔑されている、嫌われていると思い込んだら一気になってしまうのです。丁度それはガロア理論のガロアと同じです。私はガロアのような天才性を持っているのです。しかし天才と自分を比較して共通点を見出すというのももしかしたら誇大妄想かも知れません。そうなると同じような論理的解析を私の日常に当てはめれば私の全ての力動の根源は妄想から生起しているのかもしれません。小説家や芸術家ならこのような妄想も自らの創作に有効活用出来るのでしょうが、私にはそのような他者を魅了する際立った才能なんてものとは無縁です。凡人の統合失調症ほど不幸な存在はいません。私はたまに自身の将来を憂い、死を考える事も多いのです。

「義正」義正、私の名前です。誰かが私を呼んだのでしょうか?女性の声ですが聞き覚えがありません。「なんですか?」「あなたはすぐに恋愛を出来るわ。あなたのような人は世の中に沢山いる。でも全員が恋愛を謳歌できていない訳じゃないじゃない」「しかし、私には魅力が皆無なんです。こんな外れくじはないです。ガチャガチャを外してしまったのです。私は終わりです」「あなたの将来はこれからよ。あなたには長所がたくさんある。認めてくれてる人もいるじゃない。あなたは自分が不幸である方が自分の美意識にとって快楽だから慣性を維持しているに過ぎないのよ」「ならば私はどうすれば良いのですか?」「自分を好きになって。ナルシストでも良いじゃない。勘違いでも、笑われても良いじゃない。ここまで苦しんできたんだもの。現実はあなたが思っている程厳しいものではないわ」「そうなんですか」声だけの彼女は私から消えていきました。私も恋愛的近視眼になりたいと今、本気で切望し、これから変化を起こしていきたいです。全て破壊するのです。私は破壊神です。



かつての老人にごめんなさい

 僕は数年前にテレビで日本の今後を憂う老齢の外国人紳士を見た事がありました。彼は日本に日本らしさが失われつつあると言っていました。そして現代22世紀の日本では本当に日本独自の魅力というものが喪失してしまったように思えます。日本の21世紀の若者は伝統的な日本文化に関心を示さなくなり、その継承者は非常に少なくなりました。これは戦後の日本人の弱り切った、衰弱しきったマインドに大挙して押し寄せた西洋文明の勢いを鑑みれば当然の事でありました。あのタイミングで国の再起をかけて結束し、高度経済成長を日本が遂げるためには清濁併せ吞む経験が必要だったんです。日本の第二次世界大戦時の軍部は甚だ糾弾され、彼らは戦犯とみなされました。日本はアメリカの犬となりました。そして政治的場面でも常にびくびくと周囲の調子をうかがうような精神が佇立していました。日本人の弱さはそのまま女性的感受性とも換言できます、あの時代の日本人は弱さを露呈させずには存続が不可能なのでした。21世紀にはそれでも日本への愛を忘れられない外国人がいました。彼らは日本文化を賛美し、惻隠の情や日本の慇懃無礼とも言えるその態度にも非常に感銘を受けていました。無論それも世界の人口を考えればごく少数の上澄み液に過ぎませんでした。それでもアドラーの解説者が言っていたように大勢の人に嫌われていても少数の人に好かれていれば良かったのです。しかしながら日本人は海外に圧倒されました。日本のメディアや企業、そして有識者が一丸となって作り上げた日本の衰退論調を彼らはやむを得ず受け入れるしかなかったのです。悲しい事です。国を作るのは国民であり、国民を作るのは情報です。しかしその生命線である情報を恣意的に歪曲してしまって何になりましょうか。日本人は当然、周囲の様子をうかがいながら、行動するようになりました。エリートなどであっても肝の座った人物はそうそういませんでした。

そして日本人は無意識的に自暴自棄になり、自らの文化を捨てて他国の潮流に風潮する他はなくなりました。それでも観光業を潤沢なものにしようとした後継者はいましたが、大部分において、たとえば花鳥風月だとか日本の歴史に造詣の深い人物は黙殺され、黙殺された彼らはいつしか人間関係を考慮し、そういった傾向を口に出す事はなくなりました。恐ろしい事です。個性を出そうとした日本人は忽ち周囲から非難、誹謗中傷されました。当然そういった環境からイノベーションなどは生まれる訳がありません。そして羊のような精神性が根付いた日本人もそういった現状を受け入れていました。

21世紀には赤川という人物、21世紀の最高賢者、人類史上最高の天才と言われる人物が突如現れました。彼は20歳からの3年間の豊饒の期間において学問において甚だしく画期的で革命的、独創的な発見発明をしました。それは当時の学問の状況を慮っても奇跡的としか呼べないものでした。そのような事を20代前半五成し遂げた赤川はまさに真の天才なのでしょう。しかし彼は日本文化を軽視していました。日本の元号などを軽んじ、グレゴリオ暦で良いのではないか、などと言う事もありました。日本文化は彼にとって退屈でつまらないものだったのです。日本文化は高貴な文化です、したがって受け入れる側にもそれ相応の審美眼が求められます。赤川は学問においては白眉でした。しかしながら日本文化を受け入れる程の円熟性は持っていませんでした。また彼を偶像崇拝する日本人も彼のそう言った姿勢に影響を受けて、日本文化の没落を招きました。しかし前述したように観光業などは何とか持ちこたえていました。

21世紀は少子高齢化で日本人が苦しんでいました。そしてそれに伴う年金問題自体の見直しも日本政府が取り組んでいました。しかし多くの日本人にとってもはや日本政府なんてものは信頼に足るものではありませんでした。選挙の際も声の大きい者だけが活躍するだけで多くの日本人は政治への無知と無関心故に影を潜めていました。しかしこれにはメディアや政治家そのものにも責任の一端がありました。政治を高尚なものとしてしまっている日本の知識人たちだっていました。確かに国家の行く末を掌握するのは国家の政府であり、政治です。しかしながらその部分を針小棒大に訴えて何になりましょうか。冒頭で示した昔の老人は日本の行く末を不安に感じていました。確かに日本のたどった道は前途多難なものでした。日本政府のとある英断によって少子高齢化は解消し、日本の経済成長率も上がり、現在では日本は世界の覇権国家となりました。しかしながらその代わりに、日本には日本らしさが失われたように思います。日本はニュートラルな、無機質な、極東の経済大国に過ぎませんでした。日本人は元来優秀ですから、赤川を含めた日本人による日本の未曽有、空前絶後の黎明期は当然の事です。しかし今こそ我々は日本の伝統的な文化というものに焦点を当てて、これから独自の文化を示さないといけないのではないのでしょうか。

異常の文書は漫画やアニメという概念が存在しない世界線での日本の話です。もし少し条件が違えば全く違う未来が展開されるのが物理学を筆頭とした科学の基礎であり、その法則性は別の宇宙であっても同様の事です。冒頭の老人は日本の将来を苦に病んでいました。日本にはそれだけの心配を外国人紳士に抱かれるほどのポテンシャルを持っているという事です。しかしながら老人の言う言葉は得てして時代錯誤の言葉に思えがちですが、全てを時代錯誤と解釈してしまい、一概に一笑に付すのはいかがなものかと思います。実際古代ギリシアの哲学者も老年について非常に啓蒙的な記述をしています。まあ碌でもない老人は日本においてもいます。おや、ここあの世で会話をしている老人を見かけました。少し彼らの会話を盗み聞きしてみましょう。

「老人には老人なりの美学がある。それは円熟した末の重みのある美学である。わしらはそれを最後、胸に抱いたまま死んでいった。中には数学や科学の難問に敗れてしまって悩みながら死んでいった者もいる。しかし老人には老人なりの感受性の円熟があるのではないか、そうわしは思うのだ。多くの人は迫りくる死を老人だけのものだとするが、死なんてものはいつだって人間の傍にあるのだよ」「人生は良く生き、立派に生きるには十分な長さだったね。確かにわしらだって紆余曲折あった、艱難辛苦もあれば七転八倒もあった。しかしそれも自然な事だったのだ。それを不幸な事だとは思ってはならないのだとわしは思うね」「わしもそう思うよ」「魂は不滅である、実際ここあの世でわしらは存在している。現世は永遠に住み続けなければならない家ではない。むしろ現世は娑婆苦に満ちた、刹那的な場所なんだよ。実際わしらが心理をつかみ取って、ここで過ごし始めて何年になる?もう3000年以上は過ぎただろう。まあここでの時間の流れは現世のそれとは齟齬があるようだが」

中々興味深い話です。私は言いたい。かつての老人たちにごめんなさい、と我々人類が誤った方向に進んでしまってごめんなさいと。そして謝罪の末に未来の創意工夫は生まれる。罪や失態だけに着目して、いつまでも粘質せずに、私たちはこれを教訓にして、学んで、未来を責任を持って創っていきたいのです。



驚きをカットするサングラス

僕は何にも驚くことがありません。僕のサングラスは僕が魔改造して驚きをカットするように加工しているのです。そんな事を考えながら僕はピンクフロイドのアニマルズというアルバムを聞いています。このアルバムはこの話とは関係がありません。単に僕がピンクフロイドの愛好家であることをアピールしておきたかったのです。僕は芸能人です。実はアーティスト畑出身の芸能人で、最初は映画監督をやっていました。今年で還暦になります。僕は色んな番組に出演してきました。しかしながら芸能人風情なんてものは巷で言われている程大した存在ではありません。これは別に僕が驚きカットのサングラスをしているからではなく、本当に俗物が多いのです。確かに要望が麗しい人間は多いです。しかしながら彼らには天才的なマインドもなければ、多くは愚物です。世間の人間があまりにも芸能人を礼賛するきらいがあるので僕はここで訂正しておきます。先ほどあった会話だって本当に下らないものでした。

「ねえ、松本(マネージャーの名前)、あいつまだ来ないの?」「藤井さんですか?まだ来ないようですね」「ちゃんとして欲しいわね。立派なギャラ貰ってるんだから。なんだか世間では付き合いたい男ランキングナンバーワンみたいだけど。彼にそれだけの値打ちがあるようには私は思えないわ」「まあ感想は人それぞれですから」「ねえ、お腹空いた。夕食は確か松坂牛なんだよねー、この撮影頑張ろーっと」

本当に下らない話です。芸能界が華やかで、夢物語のような世界なんて甘い通念は結局幻想なのです。現に有名女優の彼女は彼女より年上の有名俳優に対して辛辣な物言いをしていました。本当に醜悪さは芸能界にもあったのです。この世界で世渡りをしていくにはもはやこのサングラスなしでは平静でいられません。現在活躍している芸能人は強靭なマインドを持っているか、それか相当な阿呆なのでしょう。僕はこの世界での驚きをカットしましたが、疲労はカット出来ません。今、僕は日頃の鬱憤を解消すべくウイスキーを飲んでいます。飲まないとやっていけないのです。こんな事を言えば僕は落伍者に思われるかも知れませんが、僕も正真正銘芸能界の人間なのです。最近は俳優業もしています。渋い顔面からの聡明なセリフがどうやら世間の淑女の感銘を受けているらしいです。なんたる偶然でしょう。この世は僕にとってはアニマルズの集合にしか思えません。ピンクフロイドのアニマルズはある小説家の世界観がベースとなっているらしいですが、その小説家の気持ちも僕には分かります。この世には動物的な人間が多すぎます。

知識人の犬、富裕層の豚、小市民の羊。多くの人間がこの三類型で識別が可能です。もしかするとこの分類も旧時代的なものなのかも知れません。人間の認識なんてものはどこまで行っても主観的なものです、客観と称しているものでさえ主観の延長に過ぎません。ならばどのような極端な理論を標榜しても文句は言われないでしょう。まあ仮に言われたとしても還暦過ぎの僕のような老人に対してマジレスするような人間はいない筈です。

「おい爺さん。好々爺たる貫禄だな。もしかして芸能人か?」「そうだよ」「まじか!なら稼いでるんだろ?金貸してくれないかな」こうした連中も街では多いのです。しかしながらこういった連中に僕は単に無視するのです。彼にそれに反感を抱かれたとしても僕には僕を保護するガードマンがいます。僕は僕が昔成し遂げた功績の利益、報酬を一身に受けているのです。

僕は最近収録でグアムに行きました。何でも絶品の料理があるのだとスタッフが言っていました。確かにグアムの料理は滅多に食べられるレベルの料理ではありませんでした。しかしながらそれは芸能活動という大義名分を持って、すべき事なのでしょうか。僕は海外の絶品料理を食べるのなら家族と共に行きたいのです。それが自然な欲求なのです。しかしながら芸能界で生きる者は多くの場合忍耐が試されます。先ほどのピンクフロイドのアニマルズで挙げた動物比喩が真理らしいものであることが僕には分かりました。それは60年以上生きてきた僕だから確信を持って言えるものです。

僕は多くの還暦以上の老人と現在付き合っています。老人といるのは楽しいです。緩慢な時間感覚が老人の多くにはあります。僕はもう若い頃のような過激さや極端さがほとほと嫌になってきました。作家や脚本家ならともかく、若さの象徴である過激さや極端さを携えて活動するには僕は歳を取り過ぎました。もう僕に刺激はいりません。それでも僕の眼前の現実は尚も悠然と変化していくのを辞めません。しかしながら僕はそんな現状に憤慨したりするつもりはないのです。僕は別に明日人類が滅亡しようが、世界大戦が起ころうが別に頓着しないのです。こういうと危険思想のように思われるかも知れませんが、しかしこれは真に僕が思っている事なのです。仮にこれが愚かな発想の致すところであろうと、僕はいかんともしがたく自分のパトスなのです。

敢えて言うならば僕の自身のパトスを抑えられない事自体が僕に残された若さなのだと思います。老齢と若年のハイブリッド、サラブレッド、そのように思えば、中々楽しいではないかと僕は思うのです。

チャラそうな芸能人が美人女優と話している場面を僕は隠れて目にしていた事があります。「あの耄碌爺、あんたの事を気に入っているようだな、爺に色目使われてあんた気味悪くないのかよ」「彼はそんな人じゃないわ。あなたのような軽薄な人物とは違って、彼には王者の風格がある、燦然たる功績がある、はっきり言って彼は凡人ではないのよ。そんな天才肌の人間をあたかも下衆な人間と一般化するあなたは負け犬よ」そのような返しをする美人女優もいました。僕がこれほどまでに自分の業績に誇りを持てた事はありません。今の僕は自分のしてきた仕事と、肌のたるみや皺を誇りに感じています。老人というのも悪いものではありません。僕は最近ハイデガーの死における哲学やキルケゴールの同様の死に対する哲学を密かに勉強しています。数学が若者の学問なら哲学は老人の学問です。僕は哲学に救いを見出していますし、周囲の老齢の仲間達もそう言っています。

僕は青年時代は眉目秀麗の男だと言われていたのですが、中年になり精悍になり、老年の今において僕はおじさまと呼ばれるようになりました。この印象の変化は僕にとっては甚だ愉悦に思います。まあいつの時代も僕は容貌についてあまり悪口は言われませんでした。言われたものは殆ど嫉妬や悪意によるものでした。僕の今は亡き母親は美人だったので僕はもしかしたら彼女の遺伝を受け継いだのかも知れません。実際青年時代の長髪だった頃の僕は母親に瓜二つでした。男の子は母親に似るだなんて俗説もありますが、それもあながち大嘘でもないのかも知れません。

僕は生物学的宿命に対しても驚く事はありません。どのようなドッキリであっても僕は驚きません。どのような天変地異であっても、奇跡であっても僕は冷静にそれらを分析しています。僕は次成功の為に今考えているのです。ブレーズパスカルは人間は考える葦である、と言いました。この原理原則は驚きのカットされた僕の日常においても十分に作用しているのです。かくして日本芸能界の泰斗はいるのです。



性の番人

 僕の母は非常に性に対して規制をかけていた母でした。幼い頃から僕に対して彼女は過保護でした。性なんてものは自分の子供には無関係でなければならない、少なくとも星人になるまでは、とそのように彼女は僕を扱っていたようです。彼女は僕を誘惑するコンテンツを完全に遮断していました。中学生になるまでは。しかしながら僕は中学生になるまで女にも、女体にも一切興奮しない男子でした。したがって僕が小学生の時分には別に僕の母親の性の番人たる役割がなくてもセックス関連のものに興味関心を持つ事はなかったのです。僕の母親は16歳で統合失調症の幻聴や被害妄想が始まっても僕を献身的にサポートしてくれました。今でも母親には頭が上がりません。

僕が初めて彼女が出来たのは17歳の時です。僕は統合失調症に支配されながらもなんとか他人と意思疎通を図りました。本当は他人が怖くて仕方なかったけど、病気のせいで社会活動が不能になることだけは僕は避けたかったのです。だって悔しいじゃないですか。突発的な統合失調症なんかに人生を真っ暗にさせるのは。まあそんな感じで他人と意思疎通をしていく中で僕の事を気に入ってくれた女子が同じ学校にいました。僕はこれはいける、童貞卒業のチャンスだと思い、彼女に告白しました。彼女は僕の告白をOKしました。そして初彼女が僕に出来たのです。僕は周囲の非モテ男子たちにしばしば自分のリア充ぶりを自慢したい気持ちに駆られました。

しかし僕の初彼女は僕と性的な事をするのを嫌いました。あまりそういうのは好きではないらしかったのです。また僕にも性的な話題を振ったり、マスターベーションをする事を禁じました。最愛の人には性的な事柄に関わって欲しくなかったようです。僕にはマスターベーションを我慢する事は出来ませんでした。結局精子の臭いがつかないようにマスターベーションをしていました。僕と彼女は色んな事をしました。僕は彼女との約束を破った事が本当に申し訳なくて、あまり心の底から彼女との日々を享楽できませんでした。僕は少し経ってから何とかマスターベーションをしない事を続けられるようになりました。これは僕の矜持や、彼女への責任感もあったのでしょう。

僕の彼女は可愛かったです。しかし僕は段々と彼女に飽き始めていました。童貞を卒業できないのに彼女といて何になるだろうか、僕はそのような残忍かつ打算的な事を考えていました。しかし高校生の身分でありますから風俗などには行けません。しかし僕の初彼女、性の番人たる初彼女であってもそのようなくだらない事で破局になるのは何だか悲哀の心地がしました。僕の心は統合失調症で様々な心的懊悩が錯綜しており、もう当時の僕は勉強をする事も出来なくなっていました。また昔は起伏のある学校までの長距離を自転車で通学していた程の健脚の持ち主だったのですが、その頃の僕はもう部活でも部員と諍いがあって、勉学ではまともに頭が働かなくなって、恋愛でも始終うわの空でした。僕の彼女はある時、僕に別れを切り出しました。僕は半ば解放されたような心地をしながら理由を彼女に尋ねました。

「なんで?僕の事嫌いになったの?」「違うよ。別れる方があなたにとって良いと思って。だって最近のあなた、まるで精神病みたいに支離滅裂だし、目が血走っているし、明らかに狂人よ。今は中途半端に恋愛をしたり、勉強したりするより、一旦学校を辞めて、自分の事を考える時間を作った方があなたの為になると思うの。こんな学校見つけてきたのよ、隣の県だけど、通信制高校で、学費も比較的安いわ。何も私はあなたの事を嫌いになった訳じゃないの。ただ恋愛は今のあなたの心を乱すものになっているから、一旦そこから離れて休養した方が良いと思って。この通信制高校の学費の半分は私が負担するわ」「良いのか?学費の負担なんて、君にとって何の得もありはしないじゃないか」「得はあるわ。あなたの幸せよ。私はあなたに幸福になってほしい。勿論全額負担じゃないから残りの半額はあなたの両親なりアルバイトなりで賄ってもらうけど」「分かった。高校辞めるよ。確かに君の言う通りだ。だらだら続けていても病気にとって悪い。それにこの病気の適切な治療を行うために少し怖いけど精神科に行くよ」「その方が良いと思うわ。あなた自分では気づいていないみたいだけど、存在しないものを見たり、聞いたりしているわ。最近独り言も増えて来たし」

そうして僕は高校を自主退学し、精神科を訪れました。僕は当時図書館で精神医学の解説書を読んでいたので半ば分かっていましたが僕の病気は統合失調症のようでした。僕はその診断が下りた時、精神科医から「あなたは頑張り過ぎたんですよ。少し休憩した方が良い。何、心配はいらない。若い頃の数年間なんて重大に思えるけど長い人生のスパンから見れば大した事はありません」彼は柔和な笑顔を携えて僕を見ました。僕は安堵と先行きの不安が入り混じった複雑な心境でした。その日から僕の闘病は始まったのです。僕はまず規則正しい生活を心がけました。早寝早起きです。また母親の作ってくれる栄養価のある食事を取りました。軽い運動もしました。もっとも運動に関しては夏場は避けましたが、それでも極力運動をしました。僕は向精神薬の副作用で少し太り気味になってしまったので何とかして痩せようと思っていました。

勉強も認知機能障害が酷くて最初の内は出来ませんでしたが半年もすれば、段々と精神的に余裕が出来てアットホームな感じで勉強を出来るようになりました。通信制高校は人と関わる機会があまりありませんから僕は健常者にかなり近づいてきた段階で近所の清掃のアルバイトを始めました。そこでは様々な人がいました。主婦、兼業、フリーターなどがいました。僕は彼らと意思疎通を取る事で、いかに自分が今まで視野狭窄になってくだらない事で、ちっぽけな事で悩んでいたのか思い知りました。

最終的な僕の性の番人は僕自身でした。もっともここの性は性欲の性ではなく、本来の性質という意味での性です。僕は精神的な憂き目を体験し、恋愛も一応体験しました。しかしながらそれでも僕はやはり自分が変わる事を恐れており、無意識にもう一人の自分を性の番人、管理者にしていたのです。僕はその事実に気づいた時、思わずはっとしました。僕自身が、僕を苦しめていたのだ、僕はそう思いました。様々な僕を縛る要素がこの人生ではあります。固定観念や、既成概念、常識なんかもその典型でしょう。僕は誰もが自分自身でこの第三の、性の番人になっているのではないかと思うのです。自分自身の可能性を否定し、自分を型にはめて、机上の空論をただ延々と繰り返す。そのような日々はもう終わりにしませんか?僕は終わりにしました。

僕は最初は怖かったですが自分を変えていきました。その過程では並々ならぬ胆力を必要とし、統合失調症発症直後の僕の精神では自分の変革などは理論的に不可能でした。この性は勝手に自分が先天的なものと思い込んでいるだけのかりそめの性であり、僕はその事を高校退学を契機として実感しました。その後数年たって、今僕は社会人です。大学には進学しました。今は障害者雇用で清掃の仕事をしています。今はあります、僕の人生に華が。



覚醒剤と同じ作用をもたらす合法ドロップ

 僕は眉目秀麗と言われている一人の青年です。今はアイザックニュートン風に髪を伸ばしている。その事も相まって今や僕の存在は最高潮を迎えています。またここ21世紀後半の日本では覚醒剤と同じ作用をもたらす合法ドロップが一般市民でも安価で入手出来るようになりました。この作用はすさまじいもので、勉強にも使えるし、セックスにも使えるし、その他様々な場面で汎用可能な汎用性の高いドロップであります。しかもこのドロップの特筆すべき点は副作用や禁断症状、離脱症状などのようなものはないという事でありました。僕の青春時代は少し悪ぶりたい気持ちが勃興して、このドロップに惑溺するようになりました。また街では年齢を偽って売春婦と関係を持つ事もありました。僕の事を気に入ったのか、それとも金を巻き上げる格好の餌食に思ったのか、僕の事を気に入ったそぶりを見せる女性もいました。僕はドロップと女に溺れていきました。僕は既に16歳で高校を退学しています。今僕は高卒認定試験と大学受験のために勉強をしています。そんな中で癒しとなったのはドロップと女でした。このドロップはアルコールによる酩酊状態のような作用ももたらすらしく、このドロップの乱用が今では日本では社会問題となっています。僕もその乱用者の一人でありますからそれについて論客に反駁する事は出来ません。僕は普段は真面目でストイックな人間なので、日常生活では割とストレスがたまるのです。

「小泉のやつ、何をしているんだろうか」僕はショッピングモールで17歳の時かつての友人を見かけ、その会話を聞いていました。「あいつ、もう駄目だよ。社会問題になってる合法ドロップにも溺れて、童貞卒業したのは良いが今度はタガが外れたように猿のように女性と交わっている。正直あんなやつはクズ男だよ。中学時代は性格も良い美少年だったのに、今は駄目駄目の美少年に凋落したな」「本当に可哀想だね。彼の真面目過ぎる性格、ストイック過ぎる性格、素直過ぎる性格が世の中では全く通用しないんだから。そりゃストレスたまって落伍者になりたくもなるわ。僕には彼の気持ちが少し分かるよ。彼も思春期の少年らしく葛藤し、自殺欲求も常日頃から感じているんだろう」

「なんか、本当に悲しいね。本人も心の底じゃ、このままじゃ駄目だって気づいているんだろうね。でも解決方法が分からない。完璧主義で独走しがちだから周囲に頼れる大人や友達もいない。高校生以後、彼は急に内向的で、自閉的になったらしいね。まあ性格が急激に変転する事は、過渡期においては珍しい事ではないけどさ」

僕は愕然としました。かつての友達が自分の事を心配してくれている、そして自分の事を分かってくれている、僕はまだこの世に希望が残されている事を受け、内心少し嬉しかったのです。もう合法ドロップを使用する事はたまににしよう、僕はそう思いました。そしてこれからの人生の前途に悩んでいるからちゃんと信頼できる人間に相談しよう、と僕は思いました。

「どうしたんだ、小泉君?」僕は遂にアルバイト先の大卒の先輩に相談しました。「実は僕、将来の進路に悩んでいるんです。合法ドロップで人生はどんどんと零落していって、高校も辞めて、セックスに依存したりもしていました。今は合法ドロップやセックスから距離を置いていますが、もはや何をしたら人生上手くいくのか皆目見当もつきません」「まあ君くらいの年齢の人はよく悩むものだよ。現代は合法ドロップもあるからそのせいで人生めちゃくちゃになる人も多いし、でも君は大丈夫だよ。全然普通に見えるし、コミュニケーションも取れている。この世の中には合法ドロップを使用して人間を殺害したシリアルキラーもいるらしいし、この間のニュース見たかい?アメリカのジェフリーアバンディさ、彼は多くの人間を殺害したらしいね。しかもIQ170あったみたいで警察を欺きながら合法ドロップを使って凶行をしていったとか。彼のインタビュー見たけど、彼は真正のサイコパスだったよ。まあともかく、君くらいの年齢なら悩むのも無理はない」僕は急に犯罪者の名前を挿入されて、この会話は彼にとって自慰行為のようなものなのかと少し落胆しました。しかし会話を利用して自分の知性を研磨したり、感性を涵養させたりするのは人間の常なのでさほど驚くような事ではありません。

「そうだね、まあまずは精神を安静にして、読書でもしてみたらどう?太宰とか安吾とかの無頼派じゃなくて、もっと夏目漱石とか文学の世界に傾倒していったらどうだろう。色んな作家の構築した世界に没入していく事で自然と自分の操も良くなったり、合法ドロップからも離れられるかも知れない。幸い医学的科学的には合法ドロップには離脱症状や禁断症状の類がないようだし、それにセックスなんて大人になったら息を吸うように出来るよ、今爆発するかの如くやる必要もない」「文学ですか。確かに僕は何かに没頭する事で救われるのかも知れません。僕は前からドストエフスキーやトルストイなんかに興味を持っていたんですよね。この際だから小説オタクのように貪り読んでも良いかも知れませんね。彼らの言葉を脳髄に染み渡らせ、そして人生の再起を図る、うん、何かの物語も書けそうな気がする。小説を書いてみようかな、僕」「小説執筆か、良いね。急に長編書くんじゃなくて、最初は短編とか掌編を書けば良いよ。それで文章表現の技術を上げていくんだ。作品を量産していく中で独自の文体や世界観なんてものも生まれてくる。確かに僕も君は小説家向いてると思うよ。君には独自の哲学を感じるし、よく考えた上で発言しているのが良く分かる。本当に向いてると思う」「文豪になれますかね」「努力次第では人類史上最高の文豪になれるよ。ゲーテ以上のね」「作品の随所に自分の知識や哲学を利用するのも良いかも知れませんね、ある意味成功経験になるかも知れません。まあまずはインプットですね、それから小説を書き始めようと思います。ここまでの波乱万丈の人生を記述するのはどこ快感でもあるのかも知れません」「確かに君の身の上話は今まで聞いてきたけど順風満帆なものではなかったみたいだね」

僕はその日から猛烈に読書と執筆活動を始めました。僕を誘惑してくる女もいましたが僕は彼女達を徹底的に無視していました。僕は顔面が美形で、昔はイケメンだなんて言われた事もあるほどに容貌が良いので、別に変な関係でなくても女からはモテるのです。それに僕は一時期ほど極端に内向的ではなかったので、割と女は僕のもとに寄ってきました。僕は彼女達と肉体関係を持つ事はありませんでしたが、暇つぶしや息抜きの会話相手として彼女達と親しくしました。僕は会話のセンスを上げる為に彼女達を如何に笑わせられるかを自分への試練としていつも会話にも没頭していました。それに日常生活の会話の中からも小説の材料は見つかります。彼女達の知識も馬鹿にはなりません。惚気話や恋愛話のストックも僕の中ではかなり増えました。

「小泉、お前最近小説書いているんだって?」「ああ。書いてるよ」「どんなの?」「合法ドロップと女の耽溺とそこからまっとうな人生を送る話」「まんまお前の話じゃないか」僕は友達と最近このような会話を交わしました。僕の人生からの眺望は今や霧も晴れて絶景でありました、空気も冷涼で澄んでいます。



発閃所

 この21世紀末にはひらめきというものも非常に量産されうるものになりました。もはやこの駆動のある場所があれば凡人は天才に嫉妬する事も、羨望を抱く事もなくなりました。天才はただでさえ異端で馬鹿にされたり、のけ者にされたりしていたのにこの発閃所の誕生によって彼らへの凡人の迫害はさらに拍車がかかりました。

「天才なんてもんはな、無意味なんだよ。この時代において異質な人間などいらない。あの発閃所の登場によってもう天才を生む必要もなくなった。ギフテッド教育もあの場所の発明によって年々減少傾向にあるらしいね。ざまあみろってんだ。本当に良い気味だよ。すごくスカッとする」「でも歴史を作ってきたのは天才だし、これからの時代もやっぱり彼らの補助なしには発展は珍しいんじゃないかな。あの場所の発明だって天才がしたらしいし」「天才なんて大体が非社交的でいけ好かない連中じゃないか。あんな奴らのどこを好きになれっていうんだ」「天才のしている事は凡人には理解できない。時代が経過してからやっとああ、奴の言っていることは本当だったんだって思われるよ。それが歴史の常なんだよ。人類にはやっぱり天才が必要だ」

「君は何を言っているんだ?あのKY達に肩入れするのか」「天才の真価はそう簡単には揺らがないって話さ」

その様子を見て天才は微笑を浮かべていました。

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E子といいこと 赤川凌我 @ryogam85

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