第8話 誤算

 ―――光の漣のようだ。

 とろりとろりと弛緩した意識に、青と赤、黄色の三つの光が織りなす、柔らかな煌めきが目覚めを誘った。

 奇妙な覚醒である。

 まだ半ば微睡まどろみの中にいるような。

 そんな調子だ。

 私を包み込む約三七・五度の液体は、呼吸ガス運搬機能に優れた溶液、酸素、他に電解質、アミノ酸、脂質、糖分などから出来ている。

 足元のほうでモーターの微かな駆動音がし、液体の排出が始まった。

「・・・・・・」

 二一世紀の人類にはきっと信じては貰えまいが、液体呼吸から通常の呼吸に切り替わること、あるいはその逆は、慣れてしまえばどうということはない。

 身体的な能力というよりも、いま私が約二時間の仮眠をとっていたナップタンク側の機能に依る。

 正式には、冷凍睡眠用タンクの仮眠ナップモード。

 艦橋の一層下、ふだんは休憩室として扱われている部屋の壁面にある。予備も合わせて計四基。勿論これは緊急脱出ポッド区画内におさまっていて、いざという場合には冷凍睡眠状態で救助を待てるわけだ。

 熱く、体の芯まで解きほぐしてくれるような湯がタンクの頭上方向から流れてきて、私の全身を洗い流す。

 正直なところ、仮眠モードは苦手だ。

 ほんの数時間の睡眠で、日常的な疲れの何もかもを取り去ってくれるほどの効果があるものの、目覚めの感覚がなんとも奇妙なのである。

 ウトウトと微睡んだところを叩き起こされたように感じるときもあれば、まるで一生分眠ってしまったように思える場合もある。

 いまだと―――

 そうだな、半年ばかり・・・・・眠ったような気分・・・・・・・・だ。

 もっと眠っていたい。

 機能的に克服できない、タンクと各個人の相性のようなものだという。多くの艦長プレイヤーが、仮眠モードの使用よりも本物のベッドでの睡眠を好むのも無理はない。

 毎度、溶液を洗い流すシャワーが一番心地よいように思う。

 意識が完全に覚醒するのも、このタイミングだ。

 全自動のブロアが、髪の一本からつま先に至るまで乾かしてくれると、くぐもった微かなモーター音がして、タンクの扉が開いた。

 この段階となると、気分爽快。

 呼吸一つが新鮮で、艦橋内の空気まで美味い。

 これは心理的なものだけではなく、呼吸ガス運搬機能溶液には肺の洗浄作用まで備わっているからだ。

 クリーニング済の、艦長用のアイクジャケット風上下その他をギャリソンのように腕へ携えたジギーが、そこにいた。

 あー、髪を解いたジギーだ。

 航海中は艶めかしく思えてしまう。

「よく眠れた?」

「ああ。ありがとう」

 手早く身支度を整える。

 まったく、本当にありがたいことだ。

 戦闘予定宙域への突入前にできた余裕時間を使って、仮眠をさせてくれたのだ。

 宇宙空間での戦闘は、ときに大変な長さになる。昨年起こった大規模会戦など、四日に及んだ。

 一航過での行動予定である今回の場合、そこまでの流れにはなるまいが―――

 眠れるうちに眠っておくことは、いいことだ。

 食事と同じくらい大事なことだ。

 艦橋に戻ると、ドーム型スクリーンを一目眺め、軽く息を飲む。

 パルティア5はもう、随分と大きく見えた。少なくとも地球から眺める月など比較にならない。

 髪を結んだジギーが、パイントカップにたっぷりとしたコーヒーを用意してくれる。

 いい香りだ。

 目覚めには何よりのもの。

 豆は中煎り。角砂糖一つ。

 二杯目が欲しければ、保温機能は最新、見た目は鈍色をしたクラシカルなポッドごと、艦長席脇のテーブルにある。いつもそうして貰っていた。

 ただでさえジギーに頼りっぱなしなのだ。せめて御代わりを注ぐくらいは自分でやらなければ。

 ちょっと床屋の椅子に似た、高く太い一本脚つきの艦長席につく。

「パフィンたちは?」

 私は尋ねた。

 まったく、艦長席という代物は、どうしてこれほど居心地がいいのだろうな。

 緊張と安堵、冷静と発奮。広大な宇宙には塵にも数えられぬほどちっぽけで、我が<畝傍>にとっては紛れもない支配者。そういった何もかもが混淆した場所。

 私の居場所だ。

偵察機ストロベリー5は、間もなくパルティア5-3に到達。残りの三機は光子魚雷を積み、待機中」

「雷装は各二本か・・・」

 手元の三次元ディスプレイに表示されたデータと投射映像を読み取る。

 左右両舷にある艦載機格納庫内のガンシリンダー型格納庫兼射出装置に吊り下げられたパフィンには、鋭角的な形状のシュワルツコフ社製光子魚雷が装着済みだった。

 TURMSを介した作戦計画に依れば、発進はパルティア5-3への突入直前になる。

 艦隊の周囲に偵察任務中のものを除く全艦載機を展開し、突入と同時に魚雷投射のプラットフォームとして使う。

 まあ、セオリー通りの運用法といったところだ。

 二七世紀における宇宙戦闘の主要な攻撃手段の一つ―――光子魚雷飽和攻撃を狙って、艦隊全艦と全艦載機でありったけの魚雷を<同盟>泊地に叩き込むわけだ。

 FB艦隊ほどの規模になると、さぞ豪勢な光景になるだろう。

 豪勢な光景といえば―――

 いまごろ、パルティア3も大騒ぎになっているでのはあるまいか。

 二七世紀の人類社会にとって、<連邦>及び<同盟>両陣営による宇宙空間での戦闘は、娯楽・・である。

 文字通りの意味だ。

 自らの手を汚すことなく、また命が失われることもなく、繰り広げられる戦争なのだ。

 専門のブックメーカーブッキーまであり、金を賭ける。

 免許制で営まれる彼らは、需要に合わせて実に様々なレートで賭けを成立させ、単純な勝敗を選択する手軽なものから、何隻沈めて幾ら残るかというような細かな条件のものもあるらしい。

 この<畝傍>を三隻ほど買って御釣りの来るような、そんな大金が動くこともザラだという。

 機密維持の観点から、情報が解禁になり、賭けが募られるのは戦闘開始の直前であることが多い。

 いまごろ、ブックメーカーには物理的にも通信的にも人だかりが出来ているはず。

 あまりいい気分はしないが―――

 こちらには、関係の無いことだ。

 不正を防止するため、プレイヤーは関わってはならないという法律がある。間接的な手法を使って、闇で手を染める方法はあるそうだが。私には興味がなかった。

「いずれにしても。最終偵察情報待ちだな。地上の連中のためにも」

 <同盟>の泊地は、5-3の裏側にある。

 直接偵察の機体―――あー、ディスプレイ表示に依れば<スタロスヴィツカ>から発進したストロベリー2の感知した諸データを、うちのストロベリー5が中継して届けてくれる手筈だ。

 私へ、ではない。

 ルイの奴に。



 ―――戦艦<デヴァスタシオン>。

 艦内時計は、標準時一六三七時を指していた。

 全自動天測装置は、可視光観測の他に中性子及びX線望遠鏡も備えている。肉眼では捉えることの出来ない「暗黒の星」まで解析しているということだ。他に、いまは背後の方向から吹き寄せている太陽風のプラズマ流、磁力、放射線の測定・・・

 パルティア3から記録された、航路データも勿論存在する。

 そうやって割り出された自艦位置へ、更に艦隊を構成する各艦のデータを受信し、艦載電算機が演算、補正。

 正確無比な艦隊現在位置を、<デヴァスタシオン>のドーム型ディスプレイに映し出していた。

 艦首スラスターに、推進剤投入。

 パルティア5の裏側に向かう。

「随分と電波の強い惑星だな? マルト」

 ルイ・デュヴァルは、自らのPAIに尋ねた。

「ええ。主に波長一〇メートル。周波数は三メガヘルツから一〇メガヘルツの、いわゆる短波通信帯です」

「自然現象か?」

「はい。パルティア5はガスの塊のようなもの。その内部でコアが回転しています。一種のプラズマ放射でしょう」

「面倒な話だ」

 ―――いや、そうでもないか。

 呟きはしたが、ルイは被りを振った。

 観測手段は多いに越したことはない。二七世紀の宇宙艦艇は、主な通信手段に非可視域レーザーを使うから、の連携にとって邪魔になる要素でもなかった。

 おまけに、差し迫ってもっと「面倒なこと」が起こってもいた。

 推進剤投入による最終減速と、5裏側への突入コース変針点を迎える直前。

 艦隊を構成する各艦のうち、最後尾に近い位置にいた<咸陽>の艦首スラスターが、整備不良のためか、予定推力の約八三パーセントしか発揮できないことが判明するというトラブルが起こっていたのだ。

 報告を受けたルイは、直ちに艦載電算機を用いた再計算をマルトへ命じ―――

 元より機動調整時間MATに大きな誤差を生じていた<咸陽>のみの努力では、どうにもならないことが分かった。

 対応を急がねばならない。

 偵察機の直接偵知データ受信もあれば、攻撃任務を割り当てたパフィンの群れを発艦させる必要時間もある。

 ルイは、戦闘宙域突入前に確保できる最後の余裕時間を使って、クロックムッシュ―――パンにハムとチーズを挟み込み、バターたっぷりに焼き上げたホットサンドを口にしていたから、これを平らげてしまう必要もあった。

「・・・仕方がない」

 ルイは艦隊全体の速度調整を決断し、TURMSを介した通達を実施。

 決定を受け、各艦の艦首付近で推進剤が煌めく。

 ―――最終調整後の、FB艦隊によるパルティア5裏側の単純航過時間は、約一九分間という試算結果になった。

 宇宙艦船乗りには、これは遥かなる過去、宇宙開発時代以来のことだが、惑星や衛星の裏側軌道に入ることへの、何とも奇妙な恐怖感がある。

 完全な「闇夜」。

 そこは恒星の光も、中性子も、プラズマも届かぬ世界。

 そんな時間を迎える前に―――ましてや確実に予想される戦闘含みの未来を前にして、まったく願い下げの調整だった。

 ただし、<咸陽>を責める者は誰もいなかった。

 艦橋で罵りを漏らした奴くらいはいるだろうが、通信にまで乗せる者は皆無だ。

 トラブルは誰しもに起こり得ること。

 明日は我が身である。

偵察機ストロベリー3より、データ受信」

「ディスプレイに出してくれ」

 クロックムッシュの旨味との別れを名残惜しみつつ、カフェオレを啜っていた動きが止まる。

 出来損ないの、殻付きピーナッツのような形状をした岩石型衛星パルティア5―3。

 これだけで月の三倍ほどの大きさがある。

 問題はそこではない。

 5-3の更に裏側にある泊地だ。

「・・・なんてこった―――」

 ルイは叫んだ。

「なんてこった!」



「・・・・・・約四〇隻」

 私は、転送されてきた<同盟>泊地の拡大映像に茫然としていた。

 5-3は完全な「闇夜」だったから、可視光域を調整のうえ、重力センサーその他の補正を加えたものだ。

 あちらの戦時統一規格の大型商船ばかりが、蟻の群れのように5-3の表面に張り付いている。

 重力係留索グラビリティ・ホーサー―――私の<畝傍>はもちろん、宇宙艦艇が標準的に備えた重力投射装置の束を使って、停泊中だ。

 ―――事前情報の倍の数も!

 読み違えなどというレベルではないから、きっとこちらの作戦開始後に到着したのだろう。敵を引っ張り出した、TB艦隊の戦闘開始後に違いない。彼らが知らせてきた観測情報からも漏れていたからだ。パルティア5の裏側にあるから、観測はやりにくい。

 敵船団の更に外側、5-3の軌道空間上には幾らかの戦闘艦艇もいた。

 巡洋艦八、駆逐艦六。

 こちらは情報通り。泊地の警戒隊だろう。

 つまり、ほんの僅かな護衛だけで、「宝の山」が転がっているのだ。

 ―――目の前に!

 度しがたいことに、興奮を覚えた。

 各艦の艦橋の様子が、目に浮かぶようだ。

 きっと皆、同様だろう。

 例えば、所謂「脳筋」らしい巡洋艦<スタロスヴィツカ>のシェフチェンコ艦長など、狂気乱舞しているのではないか。

 だが―――

「・・・・・・ジギー」

 私は、左側席のジギーを呼んだ。

「はい、雅人?」

ストロンバークの連中TBが接触した敵は、事前予測の範囲から超えていなかったな?」

「ええ」

「警戒隊も同様」

「そうね」

 なんてこった。

 なんてこった。

 喜んでなどいられない。

 ―――昨日か。一昨日か。到着したであろう、増援の船団。

「ジギー! 勝敗確率を再演算! 条件は―――」

 私は叫んだ。

 もう時間がない。艦橋内の何もかも暗くなりつつある。「夜」に突っ込んでしまう。

 宙域が宙域だ。

 船団が無防備でやって来ることなどあり得ない。

 ―――いったい、こいつらの護衛は何処へ行ったんだ?



(続)

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