09.ボタン



雷雨の夜を越えた朝、その日もいつも通りの時間に朝食の支度がされる。

ジュリアンとガートルードがほぼ同時に食堂へ訪れ、先に着席する。最後にやってきたのはアシュリーだった。

着席前、ぱちりとアシュリーとガートルードの眼が合う。


「お、おはようございます。アシュリー様」


「あ、ああ……」


ガートルードは務めて明るく笑って挨拶をする。それに、アシュリーは頷くだけで返した。いつも通りのようなそのやり取りは、少しばかりぎこちない。

ガートルードの向かいの席で二人の様子を眺めていたジュリアンは、何かあったことを察する。しかし、冷やかしたり揶揄う趣味はないので、食事が並ぶまでの間、彼は日常的な話題をあげる。


「昨日、雨酷かったみたいだね」


「雷でボヤ騒ぎがあったのよ。気付かなかった?」


「雷も落ちたの? 寝てたから気付かなかった」


「ふふ、ジュリーは一度寝ると朝まで起きないものね」


可笑しそうに笑うガートルードに、ジュリアンは当然だと返す。


「肌の健康には睡眠が大事だからね。その肌の感じだと、ルードは夜更かししたの?」


「ええ。つい雷を眺めてしまって」


「駄目だよ、ちゃんと寝ないと」


気を付けるわ、とガートルードは微笑む。雷の話になった瞬間、二人がわずかに反応をみせたのをジュリアンは確認する。


「旦那も、今日は昼寝するか、早く寝なよ」


「俺も?」


友人の心配だけしていたかと思っていたジュリアンの矛先が自分に向き、アシュリーは小さく驚く。ジュリアンがみたところ、彼の肌も夜更かしした人間のそれだ。美容に敏感なジュリアンは、その状況を見過ごせない。


「別に、俺の肌が荒れようと、どうでもいいだろう」


「よくないよ! 化粧しない男だからこそ、肌の調子は万全にしないと! 脂ぎってたり、無精ひげ生やしてたり、ちょっとしたことで印象最悪になるんだからっ」


男は肌がものをいう、とジュリアンの持論を掲げられ、アシュリーは気圧される。衛生面からアシュリーも清潔感は意識しているが、肌の調子にまで言及されたのは初めてだ。しかし、化粧をしないということは顔色がそのまま相手に判る状況のため、彼の言にも一理あった。くまの有無だけでも人相の雰囲気は変わる。

アシュリーは、検討する旨を返し、食事に手を付けた。

食後になり、席を立とうとしたアシュリーにジュリアンが声をかけた。


「どこかいくの?」


「ああ、雷雨の影響が牧場以外にないかを見に。川の様子も気になるしな」


火急の案件だったのは牧場だけで、もしかすると他にも雷の被害が現れているかもしれない。また、領民が危惧していた川の氾濫の危険性が高かった箇所に問題がないかも確認したかった。アシュリーの意識は、すでに領民への対処へ切り替わっていた。


「ふぅん。じゃあ、旦那は邸を空ける訳だ」


意味深に呟いたジュリアンの視線は、ガートルードへ向かう。その視線を追って、アシュリーは彼の意図に気付いた。

躊躇ったのは一瞬。席を立ったアシュリーは、すぐに食堂を出ず、ガートルードの傍へ立った。どうしたのだろう、とガートルードは彼を見上げる。


「邸を空ける」


「はい」


「……ルード、その間、邸のことを任せた」


ガートルードは目を丸くして、彼の指示を理解するのに数秒をかけた。じわりと嬉しさが頬ににじみだす。邸の主であるアシュリーが不在の間、邸で何かあった場合の采配を一任されたのだ。


「はいっ、アシュリー様もお疲れでしょうから、早く帰っていらしてくださいね」


表情をほころばせるガートルードを直視できず、アシュリーは視線を逸らせた。


「夢でなくてよかったです」


昨夜のことは自分の都合のいい夢ではなかった。それに、ガートルードは安堵する。頬を染めて呟く彼女を一瞥いちべつして、アシュリーは食堂の出入口へと踵を返す。


「いってくる」


「いってらっしゃいませ」


かかる声できっと笑っているのだろうと判った。それを確認しようと振り返りそうになり、アシュリーは思いとどまる。


「では、カルヴィンさん、ご指導ご鞭撻べんたつのほど、よろしくお願いいたします」


邸の管理業務の引継ぎを、カルヴィンはこころよく引き受けた。


「かしこまりました。あらためて邸の者を紹介いたしますね」


「はいっ、皆さんにきちんとご挨拶したかったんです」


邸の使用人、ひとりひとりに挨拶回りをしたいと喜ぶガートルードの言葉に、アシュリーは食堂の出入口で一度、足を止めた。

彼女の挨拶は、気安く呼んでほしいといった旨のものだ。上司の要望のため、カルヴィンたちのように他の使用人も倣うことだろう。つまり、彼女の愛称を呼ぶ者が増えるということだ。そして、邸の使用人は現在、ターラを除いて全員男性である。

アシュリーの足を止めたのは、その事実による葛藤だった。

一度足を止めたものの、何もいわずに去る彼の後ろ姿を眺めて、ジュリアンは呆れた。彼女の夫は彼なのだから、一言いえば済む話だ。そのことに気付いていないのか。

二人が本当の夫婦になるまでの道のりがまだ遠いことを、ジュリアンは悟った。



ガートルードの愛称を呼ぶ者が増えた翌日、天気がよかったため、一日でもう地面は乾いていた。

その日も陽光が降り注ぎ、ガートルードにつれられて散歩をするジュリアンは日傘を差す。汗をかいて化粧を落としたくないとジュリアンが要望するため、彼を馬に乗せ、アシュリーが手綱を引いている。ガートルードはその隣で意気揚々と歩いている。

昼下がりに彼らが向かったのは、兵士たちが訓練をしている広場だ。今日は、ガートルードがキムに鍛錬を受ける日だった。


「こんにちは、隊長」


「おう、ルードじゃねぇか。よくきたな」


広場ですでに訓練を始めていた兵士たちは、どよめく。ガートルードがアシュリーとつれだってきたことより、馬に横乗りになっている人物に視線が集まった。

フリルの多い袖などから覗く手足は細く、顔も小さい。日傘で陰った白い肌ははかなげな印象を与える。わずかに伏せられた瞳には長い睫毛が被さっており、肌が白いので淡いコーラルピンクの口紅が眼を惹いた。

アシュリーの手を借り、降りる様子で可憐なその人は人形ではないと気付く。

庇護欲をかきたてる可憐な人物は、ガートルードとは別種の愛らしさがあった。彼女と並ぶと余計にそれが判る。

兵士たちの手が思わず止まってしまう。平然としているのは隊長のキムだけだ。


「このお嬢ちゃんは、ルードの彼女か? いいトコみせたくてつれてきたなら、残念だったな」


鍛錬の序盤で実戦形式の訓練などの見せ場はない、とキムは笑う。ガートルードがはりきりすぎて、勇み足をしたと勘違いしたようだった。自分を少年と誤解したままなのはよいが、他の誤解は解いておくべきだとガートルードは口を開く。


「いえ、ジュリーは友人で……」


「なら、アシュ様の噂の嫁さんか? でも、銀髪だって聞いたぞ」


ガートルードが説明をしようとするも、キムは自身の憶測を先に被せてしまう。彼の誤解に、ガートルードの背後で、二人の表情が思いきりゆがんだ。ガートルードはそんな二人に振り返り、心底嫌なのだと察する。


「僕、男なんだけど」


声色を使うことなく、素の声でジュリアンは告げる。その声は美声ではあったが、たがえようもなく少年のそれだった。


「ん?? どうみても、お嬢ちゃんじゃねぇか」


キムの女性と認識する基準は、髪が長く、凹凸のある身体で、スカートを穿いていることだ。内二つに該当しているジュリアンは、彼には女性にしかみえない。凹凸が不足しているのは、未発達の段階だと判断されていた。

キムが確認する間に、兵士たちのなかでガラガラと芽吹いたばかりの淡い恋心が崩れる音がした。ショックが強く、その場にうち崩れる者もいた。


「ジュリーは可愛らしいですが、男性ですよ」


「はははっ、こんな別嬪べっぴんなお嬢ちゃんが男な訳ないだろ。ルードは面白い冗談をいうな」


現実に打ちのめされている兵士たちを余所に、キムだけはそう笑い飛ばした。


「この筋肉、頭弱いの?」


「……戦闘では役に立つんだ」


「悪い人じゃないのよ」


睥睨へいげいするジュリアンに、アシュリーは部下をかばいきれず片手で顔を覆った。代わりに、ガートルードが足りない部分を他で補える人物だとフォローする。

ガートルードへの誤解も含め、おいおい解けるだろうと、キムの勘違いは流すことにした。

登場しただけで兵士たちの士気をあげて落としたジュリアンは、広場全体を見渡せる場所に敷物を敷いて、そこに座る。その隣に立つアシュリーは、腕を組んで広場のある一点を見つめていた。その図は可憐な令嬢とそれを守る騎士のようで絵になるが、その光景が訓練を継続する兵士たちには、また錯覚しそうになり辛いものだった。

ガートルードは、前回習った型の復習を懸命にしている。腕があがりきっていなかったり、体幹がぶれていると、すぐさまキムが指摘した。

その様子に、キムという男が戦闘においては優秀な人材であるとジュリアンは理解する。見た目では勢いだけで指導するように思えたが、きちんと相手の力量に合わせて指導をおこなえる人物のようだ。友人が不用意に怪我をする心配がないようで安心した。

小さい頃、木登りをとめられて残念だった、とガートルードが思い出話をしたことがある。そんな彼女は、今いきいきとした表情で運動をしている。本来の彼女の輝きをみれて、ジュリアンは微笑ましく感じた。

だが、微笑ましく思えるのはジュリアンだけだ。


「邸もだけど、旦那のとこってむさくるしいよね」


目の前に広がる男の群れに、呆れ混じりでジュリアンは感想を零す。それに返事はない。


「ルード、可愛いから、こいつらには目の保養だろうな」


実際、ジュリアンの存在で砕けた心を、ガードルードをみて癒している者も少なからずいた。真剣に稽古に取り組む様子も健気であるし、褒められたときに浮かべる笑顔はとても少女らしい。この場で、紅一点のガートルードは兵士たちの癒しであり、励みだった。

まだ、隣は沈黙している。


「で。あれ、いいの?」


時間が経過すると疲労もでる。そのため、同じ型をひたすら訓練していたガートルードもぶれが生じた。その都度、キムがゆるんだ箇所に手を当て、修正をする。それは、下がった腕であったり、体幹がぶれる要因となる腹や背中だったり。

ジュリアンが隣を見上げると、腕を組む手に力がこもる様が見て取れた。この男がなぜ見守ることに徹しているのか、ジュリアンは理解ができない。こんなにも面白くなさそうなのに。

ガートルードが真剣だから、キムも熱心に指導している。それはアシュリーも解っている。護身術を習得する許可をだしたのは自分だ。だが、ガートルードの身体にキムの手が触れるたび、腕を組む指に力が入るのを感じた。

その理由も、彼女の行動を制限せずに解決する手段も解っているが、ジュリアンは渋面の男に黙っていた。


「だいぶよくなったぞ。その感じを忘れるなよ」


「はいっ」


疲労しても同じ型を保つ意識ができるようになったガートルードを、キムは頭を撫でて褒める。わずかの成長でも褒めるキムは指導役として適任といえた。ガートルードとて、始めたばかりで未熟だと承知しているが、やはり努力したところを褒めてもらえると嬉しい。

キムに対して、彼女の表情がほころんだのがアシュリーの限界だった。

ガートルードは、突然肩を引かれた。急だったものだから、引かれた勢いで相手に寄りかかる体勢になってしまう。肩を掴む手の熱は、ガートルードのよく知ったものので、見上げると思った通りの人物が険しい表情をしていた。


「アシュリー、様……?」


彼女の疑問の呼びかけに答えず、アシュリーはキムの方を見据え、絞り出すようにいった。


「稽古なら、俺がつける」


護身術の指南役を名乗り出た彼に、ガートルードは目を丸くする。キムの方はからりと笑って了承した。


「アシュ様から直々に指導してもらえるなんてよかったな、ルード!」


そういってキムはまたガートルードの頭へ手を伸ばす。しかし、アシュリーが彼女をさらに抱え込むことで、それを防いだ。


「ルードは、俺の嫁だ」


剣呑な眼差しを向けられて、キムは目を丸くする。ガートルードも同様だ。

すべては反射的な行動だったため、我に返ったアシュリーは二の句が継げなくなる。両者からの眼差しにいたたまれなくなった彼は、話は済んでいたので、腕のなかのガートルードの手を引いて去る。ガートルードは状況がうまく飲み込めず、彼に手を引かれるままついてゆく。

広場では呆気にとられたキムが取り残された。


「は? 嫁? アシュ様、男色の趣味があったのか??」


「隊長ー、それ、アシュリー様にもルード様にも失礼ですよ」


「とりあえず、俺たちは、今度からルード様のことは奥様って呼びましょうね」


理解の追いついていない上官に、兵士たちがさとす。今しがたの出来事で、領主の逆鱗は一目瞭然だ。自分たちの上官が、これ以上藪蛇やぶへびをつつかないように対応しなければ。兵士たちは、ガートルードの顔をみる機会がなくなったことを残念に思いながら、いかにキムを説得するかに粉骨する未来を憂えた。

一連を眺めていたジュリアンは、薄く笑みを刷く。


「まぁ、及第点かな」


まだ言葉が足りないため、ガートルードには正確に伝わっていない。それでも、女嫌いだからとガートルードを一般的な令嬢と一括りにしていたときからすれば、ずいぶんな成長だ。周囲に若干主張できるようになっただけでも、今は上々としておこう。


「さて、僕はあの筋肉バカにでも手綱を引かせるかな」


日傘を差したままでの乗馬は危険なので、ジュリアンは、邸までの送迎をキムに依頼することにした。

二人の時間を持たせるために、頼むのはもう少し後にしよう。そう決め、ジュリアンは、二人の姿が小さくなるまで、しばらく眺めていたのだった。



ジュリアンがアマースト邸にきて、ちょうど一週間が経った。

彼は宣言通り、ガートルードの服の仕立て直しを完了させた。正確には、作業したのは、彼がつれてきた仕立て屋のマダム・パトリスとメイドたちだ。しかし、仕立て直しのデザインはジュリアンが監督した。

ガートルードの要望が動きやすさのみだったため、彼女の好むように細かなデザインを指定したのはジュリアンだった。

衣装合わせのため、侯爵夫人室では女性たちの楽しげな声がする。隣の侯爵の部屋で、ジュリアンは椅子に座り、ゆったりと着替えが終わるのを待っていた。もちろん部屋の主も一緒に。


「どうして俺まで……」


「うちの技術をみて最終判断をするって話だろ。まぁ、僕だけがルードの可愛い姿をみてもいいんだけど」


使用人を除いて二人きりにしていいのか、とジュリアンが暗に問うと、アシュリーは黙殺した。席を立つ様子もないから、彼も解っているのだろう。

二つの部屋をつなぐドアが開き、ガートルードが顔を覗かせた。


「着方、こんな感じでいい?」


最初に彼女が身に着けたのは、一見丈直しだけされたかのようなシャツにパンツスタイルだった。しかし、ボタンは糸の通し穴がみえる通常のものとは違い、少し大きめの半球状のボタンだった。腰の高い位置でシャツが入れられており、パンツは彼女の脚のラインが判るように直されている。

彼女の華奢な体躯が明瞭になるだけで、パンツ姿にもかかわらず女性らしく映った。


「いいね。やっぱり、ルードは脚が綺麗だからそういうデザインが似合うよ」


全体を確認するために一回りしてほしいとジュリアンに乞われ、ガートルードはその場でくるりと回る。スカートがひるがえる代わりに、彼女の短い髪がふわりと浮いた。


「うん、動きやすい」


「それはよかった」


次の服に着替えるために、ガートルードがドアの向こうに消えてから、アシュリーは感想を述べた。


「ずいぶん印象が変わるんだな」


自分の服だった面影がなく、アシュリーは単純に驚いた。


「ふふん、ボタンを変えただけじゃなく、袖が外にいくほど広がるようになってるんだよ。ちょっとしたことで可愛くなるでしょ」


誇らしげなジュリアンに細かな変更点を聞き、アシュリーはギンコーブランチ領の服飾技術の高さを知る。

次にガートルードが着たのは、あえてパンツからシャツを出したタイプのものだ。腰の後ろに絞りがあり、腰のラインが判りやすくなっている。裾が前後でゆるやかな楕円を描いている。絞りの留め具になっているボタンや、袖を巻き留めているボタンはアマースト侯爵家の紋章が刻印された金属のボタンだった。

パンツはロングブーツのなかに入るぐらいぴったりしたもののため、乗馬にも向いていそうだ。


「ルード、きつくない?」


「大丈夫よ」


ジュリアンは、詰めるか緩めるかの微調整を都度ガートルードに確認する。だが、採寸が正確だったため、ガートルードは違和感を感じない。足を曲げたり、身体をひねってみるが、服が張って動きづらい箇所などはなかった。


「……あのボタンは、うちの工房のものか」


「そっちの腕前も確認しなきゃ、公平じゃないでしょ」


最初に金物工房の見学をしたのはこのためかとアシュリーは納得する。その後、マダム・パトリスを通じて、見本としてガートルードの服の分だけ注文したのだろう。

いい腕だと、紋章の細工の細かさにジュリアンは満足げだ。彼の眼鏡にかなう出来だったらしい。自領の職人の腕を知ってはいるが、他人に認める発言をされればアシュリーも悪い気はしなかった。


「そういえば、お前の方は女性ばかりなんだな」


邸の使用人が男性ばかりだったアシュリーと真逆で、ジュリアンのつれてきた使用人は女性だけだった。身の回りの世話をするメイド数人。プラムペタル領に無事たどり着いたことからして、護衛を兼ねた者も混じっているようだ。

護衛ができるとしても、ジュリアンも女性と見紛う可憐さのため男一人でも護衛がいた方がいいように感ぜられた。


「僕が危ないから」


「お前が?」


「僕、可愛すぎるから、男の使用人雇うと性癖目覚めさせるんだよね」


ジュリアンも、彼の使用人たちも、厳選して男性の使用人を雇おうと試みたことはある。しかし、彼の性別を承知していながら行動に移すほど下心を持つようになったり、可憐でいながら健全な男子である彼に罵倒されたいと性癖を歪めたりしていった。

そんな者を主人に近づけられない、とジュリアンを敬愛する女性の使用人たちが徹底するようになり、彼は男の使用人を雇うのは無理だと判断した。使用人が女性だと、信仰に近くジュリアンを慕うため、害がない。むしろ、彼女らはジュリアンを守るためならば自身を鍛えることも厭わない者ばかりだ。それを母性だけで片付けてよいものか、彼はいまだ図りかねている。

彼の使用人事情を聞いて、アシュリーはどう反応したものか弱る。


「てゆうか、関係ない話で逸らそうとしてるけど、旦那、ルードに服の感想いったげなよ」


いまだガートルードの服装に言及しないことを、ジュリアンは指摘した。アシュリーは先ほどとは別の意味で返答に困窮する。

ジュリアンから視線の圧力を感じ、アシュリーは渋々口を開く。


「何といったらいいのか……」


「そんなの、思ったままいえばいいだろ! 可愛いのひとつもいえない訳!?」


どう褒めればいいのか判らないという八つも歳上の男に、さすがにジュリアンもキレた。これまで女性の相手をロクにしたことがないにしても、正直な称賛ひとつもいえないなどポンコツすぎる。


「それとも、この僕直々にルードが可愛くなるようにしたのに、可愛くないとでも?」


「そういう訳では……」


靴も含めすべてのトータルコーディネートを監修したジュリアンは、自身のセンスに絶対の自信がある。友人だからこそ彼女の魅力を最大限にだせたはずだというのに、この男にはそれも解らないのかと、ジュリアンの額に青筋が浮いた。

ジュリアンの怒りに触れ、アシュリーはたじろく。戦場でもない場所で、殺気にも似た気迫をだされるとは思わなかった。

そんな一触即発な空気を、ドアが開く音が霧散させた。


「アシュリー様、みてください。これ!」


はしゃいだ様子のガートルードが最後に身に着けた服装は、ショートパンツのものだった。今度のシャツは身体の線が判らないぐらいのゆとりがあり、前方はシンプルだが、背面にはリボン飾りとその下に三段のフリルがつらなっていた。

ショートブーツからももまでハイソックスが伸びており、ショートパンツの下からガータベルトで落ちないように挟んでいる。上下のシルエットのアンバランスさが、かえってガートルードの脚のラインや身体の華奢さを強調していた。


「この服装なら、川遊びにいってもすぐ素足になれますよっ」


川遊びにも興味があるガートルードは、それに向いたこの服装をいたく気に入ったようで、嬉しそうだ。確かに、現在の服装であれば、ガータベルトからハイソックスを外せば、簡単に川の水に足を浸せる状態になる。

声を弾ませるガートルードに、アシュリーは固まる。全体をみて、そのあと、足元から視線をあげてゆくと、ハイソックスとショートパンツの間から肌色が覗いていた。わずかな面積であるはずのそこに、思わず視線が吸い寄せられる。


「っ駄目だ!」


一番よいと思った服装を却下され、ガートルードは瞠目した。


「え。どうしてですか? これからの季節にちょうどいいと思うんですが」


「だが、肌が……」


「でも、ドレスから足首がみえるのと、そう変わりはないぐらいの露出ですよ??」


ショートパンツからハイソックスの間は数センチ程度。それぐらいであれば、ドレスのスカートからの方が露出する肌面積の方が、同じか、多い。

背面のリボンやフリルはガートルードが思ったより可愛く感じるが、彼女の髪の短さゆえに背面でデザインを遊べたのだろう。それに、自分にはみえない箇所のため、ガートルードは気にならない。

試用で用意された三着のうち、一番気に入ったため、ガートルードはきちんと説明をされないと、納得できずにいた。


「本当に、駄目ですか? 似合いません?」


ちゃんと確認してもらいたくて、ガートルードはアシュリーに近付き、彼を見上げる。

自然と上目遣いをされ、アシュリーは怯んだ。似合ってはいるのだ。むしろ似合っているからまずいと感じるこの心境を、どう伝えればいいのか、彼は困る。ぴったりとしたハイソックスで彼女の脚の曲線美がありありと判るだけではなく、ショートパンツとの間の肌にまばゆさすら感じる。落ちないようにするためのものと頭で解っていても、普段なら女性のガータベルトなど特定の条件下でなければ目にしないものだ。

彼女のこの姿を、他の者の眼に触れさせてはいけない気になる。だから、駄目だといったのだ。

しかし、残念そうに懇願のこもった眼差しを向けられると、申し訳なくもなり、自身の心境を知られたくない想いにも駆られた。


「いや、それは……っ」


発する言葉に困窮するアシュリーへ、ジュリアンが容赦なく核心を突く。


「旦那がエロい目でみるからだって」


「本当ですか!?」


「どうして喜ぶ!?」


やましい感情を禁じ得ないと暴かれて、アシュリーは気が気ではなかったが、ガートルードが喜色満面になったのが予想外すぎて、思わず叫んでいた。通常は嫌がるか、恥ずかしがるものだろう。


「さすがに、アシュリー様の体型の好みは知らないので、私の身体に気に入っていただける箇所があってよかったです」


安堵に、彼女は表情をほころばせる。

ガートルードは、アシュリーに異性としての魅力を感じてもらえるかを少なからず心配していた。ただでさえ八つも下だというのに、彼女の女性的な箇所への肉付きはほぼない。すでに第二次性徴を迎えているため、今後そこが大幅に成長する見込みは少なく感じる。

だからこそ、ジュリアンのいう通りだったらガートルードはとても嬉しい。

そう素直に喜ばれてしまえば、アシュリーは返す言葉がなくなる。それに、これまで服装の感想を伝えておらず、やっといったかと思ったら否定を口にしてしまった。それも彼女が一等に気に入ったものに対して。不用意に口を開けば、また傷付けないかと怯んでしまう。


「……よく、似合って、いる」


口の中で言葉を泳がせ、余計なことを口走らないよう片手で口元を覆ったアシュリーは、どうにかそれだけを吐露した。

視線を逸らしていわれたそれに、ガートルードは嬉しさで頬を紅潮させる。この一言だけに今日一日の精神力を使い果たしたアシュリーは、彼女の顔をみて、口にしてよかったと感じた。


「では、これで川に遊びにいってもいいですか?」


「いや、それは……」


それは彼女の素足が晒されるということだ。目を奪われる者が少なからずでるかもしれないと思うと、アシュリーは許容できない心持ちになる。


「旦那なら、人気ひとけのない穴場を知ってるんじゃないの? そこにつれってってあげたら」


自身の領地で育った場所なのだから地理に明るいだろうと、ジュリアンが提案する。彼の思った通り、アシュリーは容易に該当する場所をあげた。


「山の方に清水しみずの湧く場所がある。小さい川だが、なだらかなところなら、足を浸けるぐらいはできる」


アマースト邸の裏手にある山のため、私有地で基本的に他の者が立ち入ることがない場所だ。そこならば、ガートルードが気兼ねなく川で涼むことができるだろう。


「気持ちよさそうですね」


夏の時期でも、山間部ならば水が冷えていて十二分に涼めることだろう。アシュリーのあげた場所に、ガートルードは興味津々だ。気付けば、アシュリーが彼女を川へ案内することが決まっていた。

涼みにいく日を楽しみにしていると、嬉しそうにガートルードは侯爵夫人室へ戻っていった。ドアが閉まったことを確認して、ジュリアンは最終交渉に入る。


「うちなら、機能性とデザインを両立させられる。王国共通の軍服より、山でも動きやすい私兵用の制服はどう?」


現在、プラムペタル領の私兵の制服は、国軍のそれと同じものを利用している。他の領土もそうだ。しかし、山間の訓練や巡回もするプラムペタルの私兵には機能が不足している。ポケットが少ないため、ナイフや携帯食料などをリュックやポーチに入れるしか叶わず、どうしても荷物が増えやすい。荷物が増えれば、山では動きづらくなる。布地の耐久度や、汚れが目立つ色合いは、プラムペタル領では不向きだ。

指二本で挟み、アマースト家の紋章が刻印されたボタンを掲げ、ジュリアンはにんまりと口角をあげる。きっと彼なら、兵たちの要望を聞き、士気の上がるデザインをすることだろう。

服飾に明るくないアシュリーでも、彼に任せれば問題ないと解った。


「よろしく頼む」


交渉成立した途端、ジュリアンは話題を変える。


「それにしても、最初から二人きりになれる場所へデートに誘うなんてねぇ」


「なっ!?」


なかばジュリアンに誘導された形とはいえ、アシュリーがでかける先を指定したことに変わりはない。男女二人ででかけることが、世間一般で何というかを知り、アシュリーは動揺した。そのような意図はなかったが、あえて指摘されれば意識もする。

本当に困るのであれば、参加人数を増やせばいいだけだ。それをする気がない時点で、彼もやぶさかではないのだろう。これしきのことでここまで動揺するとは、とジュリアンは呆れる。すでに結婚している事実を、彼は忘れてやしないか。

家紋入りボタンの使用範囲や、制服の作成に必要な作業行程のスケジュールを詰めて、その日のうちに事業提携の契約は完了した。

翌日、せいぜい楽しんで、とジュリアンは笑ってアマースト侯爵邸を発った。友人の魅力が発揮できるよう可愛くできて、彼には満足のゆく遠征だった。

その一方、このタイミングで去る彼を恨めしく感じるアシュリーだった。


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