01.花弁



アマースト侯爵家が治めるプラムペタル領は、北方の国境にあり、鉱山もあることから国防の要所の一つである。

元は辺境伯であったが、十数年前の戦の功績で侯爵を得た。辺境伯と侯爵に大きな差はなく、体裁上のものだ。だが、王都近くにも領地を与えられ、社交シーズンには中央に訪れる必然性が発生したことをアシュリーはわずらわしく感じていた。

最後の見合いを終えて一週間後、アシュリーはすでにアマースト本邸に帰っていた。国防の観点から国境の砦の近くに位置する本邸に両親はいない。国境に近くては気が張って仕方がない、と領地中央にある別邸で穏やかに暮らしている。幼い頃、いくさおもむく父を見て育ったアシュリーは、その方がいいと思っている。

両親が落ち着いて暮らすためにも、侯爵を継いだ自分が今の平穏を守らねばならないと領地管理業務をこなしてゆく。


「今回もダメだったんですか」


残念そうに執事のカルヴィンが嘆息する。優しげな顔立ちの彼は、アシュリーと同じ歳だ。硬質そうな短髪のアシュリーと同じ黒髪にもかかわらず、カルヴィンの一つに結わえた黒髪はやわらかく揺れる。

執務室で不在の期間の会計書類に眼を通していたアシュリーは、カルヴィンへ一瞥をくれた。


「単刀直入に爵位目当てだと言ってくれた方がいっそ清々しい」


「そんな令嬢はいませんよ……、まったく、今回は男爵、子爵も含めて歳若い令嬢もいたというのに」


立場の近い伯爵位以上の令嬢は、幼い頃から英才教育を受けており、社交慣れしている。そういった女性こそ得意でないと思い、受ける相手の選別に男爵以下も含め、社交慣れしていないだろうデビュタントして間もない令嬢まで用意したというのに、そのカルヴィンの配慮をアシュリーは一蹴した。


「歳が若かろうが、一緒だ」


「いい加減、我慢して一人だけでいいんで選んでくださいよ。アシュリー様がそのようでは、私はいつまで経っても結婚できません」


「それはお前が勝手に言っているだけだ」


カルヴィンは主人が身を固めるまでは結婚しないと決めている。アシュリーには報告していないが、将来を約束した恋人もいるのだ。そんな恋人を何年も待たせている状態が続いている。自分の忠義の厚さも含めて好いてくれる彼女だが、待たせ続けているのは大変忍びない。

家の将来だけでは説得材料にならないと、個人的事情を持ち出してもアシュリーはがんとして折れない。



「またシーラ様から、いつになったら孫の顔が見れるのか、と小言を言われますよ」


「そ、それは……」


母親の名前を出され、うぐっ、とアシュリーは唸った。

幼い頃から白粉などの匂いが苦手だったアシュリーのために、彼の前では可能な限りの薄化粧で妥協してくれる母のことを持ち出されると弱い。両親から愛情を受けて育ってきたため、アシュリーにも親の願いを叶えてやりたい気持ちはあるのだ。

また母のシーラが結婚の件で訪問すると、最低一時間は小言を聞く羽目になる。それもできれば避けたい。母の言うところの説得は根気強すぎる。


「そろそろ私たちを安心させてください」


「わかって、はいる……が、戦時にまで身を飾ることを優先する令嬢オンナでは困る」


「最悪の事態を想定しすぎです」


確かに十数年前は国境を攻められ、大きくはないものの戦になった。すぐ隣の領地の国境線で起こったことだ。アシュリーだけでなく、カルヴィンも周囲の物々しさに、幼いながら不安を抱えた。

戦には勝ち、現在は平和を取り戻したが、そのときの損失はすぐには回復しない。隣国に眼を光らせながら、領地が栄えるようアシュリーは努めている。営利上やっとプラスマイナスゼロにまで回復したところなのだ。アシュリーが侯爵として、やることはまだ山積みである。

領地、領民のために常に行動する領主。アシュリーは領主のかがみのような男だった。カルヴィンはそんな主人が誇らしくもあり、自身を後回しにしやすい性質たちが心配でもある。

主人の懸念も理解できるが、アマースト領の財政は、質素倹約をし続けなければならないほどひっ迫していない。カルヴィンの主人は慎重すぎる。また領民の生活が豊かになるまで贅沢を禁じている節もある。

堅実すぎる主人の説得を、カルヴィンは一旦諦め、執務室を辞した。



下がったカルヴィンは、邸の見回りを行う。

使用人たちの働きぶりを確認し、邸に補修が必要な箇所がないかなどを点検した。使用人からの報告を聞き、必要な指示を終えたカルヴィンはエントランスに差し掛かる。

三時も近いので、根を詰めやすい主人のためにお茶の用意をしようと思っていたところだった。

バン、とエントランスの両扉が大きく開かれた。


「頼もう! アマースト侯爵に嫁ぎにまいりました!」


扉の向こうに現れたのは、銀糸の髪をたなびかせた一人の令嬢だった。想定外の出来事に、カルヴィンは眼をぱちくりさせる。


「あ、貴女は……?」


「名乗っておりませんでしたね。失礼いたしました。私はガートルード・キャロライナ・ベックリーと申します。以後、お見知りおきを」


カーテシーを執り微笑む彼女が名乗った名前に、カルヴィンは聞き覚えがあった。アシュリーの見合い相手の一人が、ベックリー子爵家の令嬢だ。

彼女をみると、馬車などもなく、足元に旅行などに用いる四角い収納鞄ひとつだけ。供をつれている様子もない。

先触れもなくいきなり来訪したことといい、カルヴィンは事態の把握が追い付かない。


「ガートルード様は、どうやっていらしたんです?」


「気軽にルードとお呼びください。途中までは馬で。それからはアマースト領に向かう方の馬車などに同乗させていただきました」


令嬢が一人で供もなく、商人や農民の馬車に相乗りするなどお忍びであっても異例だ。王都近辺に邸を構えるベックリー邸からなら、ここまで三日はかかる。

そんなはずは、と思いたいがカルヴィンの目の前の彼女のドレスは若干くたびれている。


「ルード様、はどのようなご用向きで?」


彼女の申告に嘘偽りがないであろうことに眩暈めまいを覚えつつ、カルヴィンは形式的な対応をする。

頼んだ通りの呼称で呼ばれたことに気をよくしたガートルードはにこりと微笑んだ。


「はい。ですから、侯爵アシュリー・ジャレッド・アマースト様に嫁ぎにまいりました」


聞き間違いでなかったことに、カルヴィンは今度こそ意識を失うかと思った。

そんな彼の意識を引き留めたのは、エントランスホールへ下りてくる階段からの足音だった。


「カルヴィン、喉が乾いたから茶を……誰だ?」


茶の催促にきたアシュリーは、来訪者と思しき見たこともない令嬢に首を傾げる。不審さに眉を寄せる彼に対して、姿を認めたガートルードは瞳どころか表情を輝かせた。


「覚えていらっしゃらないでしょうが、先日ぶりです。私、あなたの嫁になりにきました」


喜色満面で言われた言葉を理解するのに、アシュリーは数秒を要した。


「は?」


しかし、理解しても理解ができなかった。


「本日より、私、ガートルードはあなたの嫁です」


目の前のガートルードの笑顔が、アシュリーには奇異としか映らない。


「何を言っている。大体、歳若いお前が、親の許可もなく……」


「あなたに一目惚れした、と書き置きを残しています。両親は恋愛結婚ですから、応援してくれることでしょう。それに十六はもう大人ですよ」


結婚可能年齢であると主張するガートルードに、アシュリーは頭痛を覚える。まるで屁理屈のような返しだが、行動が用意周到すぎる。


「後日お返事します、とお伝えしたじゃないですか」


「それは断りの文句だろう!?」


見合いの席でアシュリーは最後に必ずそれを言われる。そして、数日後に断りの手紙が届くのだ。返事の手紙ではなく、本人がきたのはこれが初めてだ。


「形式的に、とはいえ、先日の見合いはアマースト侯爵からの依頼であり、受けるかどうかの選択権は女性側にあります。そして、私が最後の見合い相手でしょう?」


最後の相手だったか記憶していないアシュリーが、カルヴィンの方を見遣ると、彼は首肯した。すぐに婚姻できるかはともかく、ガートルードが断らなければ婚約は成立する。

令嬢が断るに決まっている態度をとっていたアシュリーには、彼女が断らないのが信じられない。


「あなたの要望は、化粧や香水をせず、ドレスで着飾らず、媚びたり、噂話をしない、ですよね?」


「あ、ああ」


女性が嫌いな理由を列挙され、アシュリーは肯定するしかない。


「やっぱり気が合いますね! 私もそれ、ぜんぶ好きじゃないんですっ」


「……は?」


ガートルードに同意されてしまい、アシュリーだけでなくカルヴィンも瞠目した。彼女は何を言っているのか。


「結婚する相手とは、好きなものより嫌いなものが同じ方がいいと聞きます。令嬢らしいことが好きでない私は、あなた好みの嫁になれますよ」


「そんな訳……」


「たとえば、時間と費用がかかるだけの挙式などあげずに、せきだけ入れればいいと思ってません?」


考えを言い当てられ、アシュリーは閉口する。肯定の沈黙を得て、ガートルードは嬉しそうだ。


「きっとその方がすでに婚姻書類は準備されているでしょう。出していただければ、すぐサインいたします。それで済む話です」


彼女の指摘通り、書類を準備済のカルヴィンは驚いた。主人がその気になった場合、気が変わらないうちに手続きだけでも済ませておかねば、といつでも用意できるようにしている。


「それとも、またお見合いされ続けるのですか?」


ぐっとアシュリーは言葉を飲む。八つも下の少女に感情に任せた反論などしてはいけない。


「……何が、目的だ」


アシュリーの事情を把握したうえで脅してくるのだ。彼女には、その目的があるはず。

要求を訊かれ、ガートルードは口角をあげた。


「あなたの領地に引きこもりたいんですっ」


「引き……?」


「正確にはパーティーなどに出たくないので、他の男の目に触れさせたくないとか理由を作っていただければと。私と籍を入れておけば、あなたも今後、結婚を急かされることはないでしょう?」


双方に得だ、とガートルードは提案する。

本当に自分の提示した条件をすべて飲めるのであれば、アシュリーにとって彼女は最適な婚姻相手だ。度重なる見合いに辟易へきえきしていたので、今後その煩わしさがなくなるのであれば魅力的な提案に思える。

アシュリーは、ガートルードの眼を見つめる。発言内容こそ突飛だが、その眼は本気だ。

なので、彼は彼女の覚悟がどれほどのものか試すことにした。


「カルヴィン、書類とペンを」


婚姻書類を用意するように指示すると、少し悩んだようだがカルヴィンは一度下がり、書類板に挟んだ紙一枚と万年筆を持ってきた。

それを受け取ったアシュリーは自身の名をそこに印す。そして、ガートルードへ差し出した。


「惚れてもいない男に嫁ぐなど、後悔するだけだぞ」


「一目惚れしたのは本当ですよ?」


威圧するように見下ろされながら、ガートルードは涼しい顔で受け取り、さらりとサインした。

一枚に収まった婚姻書類には、アシュリーの名前とガートルードの名前が並ぶ。それを見せつけるように返されたアシュリーは、驚愕のままに受け取る。

さすがに躊躇ためらうと思った。やはり駄目だと泣き言を言うとばかり思っていた。アシュリーは、自身の名前の隣に並ぶ名前を信じられない思いで見下ろす。

単身できた彼女の覚悟をなめていた。


「ああ。そういえば、結納金がまだでしたね」


書類上では妻となってしまった少女だけがけろりとしている。


「装飾のたぐいは、道中の宿をとる際にしちに入れてしまったので……」


そう言って、ガートルードはスカートをたくしあげた。突然の行動にアシュリーもカルヴィンもぎょっとする。

晒されたももには、さやに収まった短剣がベルトで固定されていた。護身用であろうそれを抜き取り、刀身を光らせたガートルードはその刃先を迷わず、自身の喉元へと向けた。


「何を!?」


咄嗟とっさに止めようとアシュリーが伸ばした手は間に合わず、ザク、と切断音が響き、はらりと銀糸の髪が舞った。


「こちらをお納めください」


ガートルードが差し出した手には、銀糸の束が握られていた。彼女の襟足から腰まであった長い髪が一瞬で消失した。


「金髪ほどではないでしょうが、それなりの値になるはずです」


あっけらかんと令嬢の証を取り去った少女に、アシュリーはどんな感想を持てばよいのか。アシュリーが反応に困り、一向に受け取る様子がないので、ガートルードは切った髪を結んでひとまとめにして、カルヴィンへと預けた。


「さて、私は旦那様をなんとお呼びすればよろしいでしょうか?」


「……好きに呼べ」


もう何に驚けばいいのか判らないアシュリーは、長々と溜め息を吐いた。


「では、アシュリー様、これからよろしくお願いいたします」


楽しそうに微笑むガートルードのそれは、とても少女らしいものだった。

妻ができた実感もないが、書類上はそうである以上客室に通す訳にもいかず、自分の隣の部屋へ案内するようアシュリーは指示をする。ちょうど見回って侯爵夫人用の部屋が問題なく整っていることを知っているカルヴィンは、その指示に頷いた。

カルヴィンは案内するために、彼女から荷物を預かる。といっても、鞄一つではあるのだが。


「これだけですか?」


「はい。そちらでは用意できない生活必需品を持ってきました」


身の回りのものは用意できるはずだと思っていたカルヴィンは、首を傾げる。


「中身はなんですか?」


「下着です」


ゴトン、と落下音がした。ガートルードの答えに、カルヴィンが固まったためだ。落ちた衝撃で鞄の留め具が外れ、カパッと鞄が開く。そのなかには、彼女の言った通りレースなどがあしらわれた布たちが収まっていた。

開け放したままだった扉の向こうから、一陣の風が吹き込む。布面積も小さく軽い布地は、簡単に舞い上がった。

ひらひらと花弁はなびらのように、白や淡い水色やレモンイエローのレースが舞う。

その光景にアシュリーはくらりと眩暈を覚えたのだった。


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