第13話 戦い

 ニンマリと笑ったのは雄二さんだった。既に島からは結構な距離がある。服が濡れている所をみると、泳いで来たのだろうか。服から覗く肌はうっすらと赤くなり、筋肉の隆起がハッキリと分かる。そして、額にはかつての信一と同じように突起が確認出来る。

「しかし、この力は素晴らしいな」

 雄二さんはそういうと軽く跳躍した。俺の目の前に迫る巨躯。太い腕がニュッと伸び、俺は頭を掴まれた。

「う、あ……が……!」

 まるで万力に挟まれた様に締め付けられるこめかみ。耳の奥でミシミシと骨が軋む音がする。

「石川君!」

「秋人!」

 遠くで、各務さんと晃の声が聞こえた。俺は必死に雄二さんの腕を掴み抵抗するが、抜け出す事が出来ない。

「そこを動くな! 一歩でも動いたらこいつの頭を握り潰すぞ」

「うああああっ!」

 更に締め付ける力が増す。痛い、怖い、死ぬ、嫌だ、死にたくない。

 俺は恐怖に包まれた。もがけばもがくほど、締め付ける力が増す。

 脳が痛い、体中から冷や汗が吹き出す。目の前が段々と白んできた。

 本格的にヤバいと思った瞬間、頭の中を思い出達が駆け巡った。これが死ぬ間際に見るという走馬灯というやつだろうか。信一の不貞腐れた顔。唯の優しい笑顔。夏希の膨れっ面。楽しかった思い出がフラッシュバックする。

 記憶はどんどんと遡る。幼少の頃の俺、今まで忘れていた記憶。どこかの建物の屋上。隣には一人の少女が座っていた。黒い髪を左右対称に結んだツインテールの少女。

「あきくんは、人をころしたことある?」

 それがその少女との初めての会話だった。

「え? そ、そんな。僕は……無いよ」

 俺は少女の質問に戸惑いながらそう答えた。

「そうなんだ。あたしはね、あるよ」

 少女は少し悲しげに微笑んだ。

「お母さんを殺したの」

 空を見上げながらポツリと呟いた。見事な茜空だ。俺は、何て答えればいいか分からず、ただ戸惑うだけだった。

「あたしが産まれたから、お母さんが死んだってみんなが言うの。だからあたしがお母さんを殺したの」

「なんだ、そういうことか。それなら僕もそうだよ」

 今まで心の奥底に封印してきた記憶。俺も本当の母親を知らない。母親は俺を産んで他界し、父親は俺を孤児院に預け、行方をくらました。

「本当に? じゃあ、あたしたちおんなじだね」

 少女は笑った。茜色に染まる笑顔。俺はこの瞬間、少女に恋をした。

「ねぇ、あたしと友だちになってくれる?」

 少女のその言葉に、俺は照れながら頷いた。しかし、少女はその後すぐに里親に引き取られて行った。孤児院で孤立していた俺は、常にその少女の笑顔を思い出していた。

 その笑顔が、各務さんの笑顔と重なる。

 そして、俺が孤児院で孤立していた理由。

 それは。

 俺は両手に力を込め、雄二さんの腕を握りしめる。

「ぐっ、な、何?!」

 こめかみを締め付ける力が緩んだ瞬間、俺は腕を振りほどき床を転がった。

 すぐに体勢を立て直し、身構えた。

「う、うおおお!」

 雄二さんは、片方の手首を押さえている。先ほどの感触からすると、恐らく骨が折れているだろう。

「秋人! 大丈夫か?」

 晃と各務さんがブリッジから降りてくる。

「あぁ、何とかな。お陰で、色々思い出したよ」

 俺は各務さんに向かって言った。彼女は笑っていた。

 あの時と同じ笑顔だ。

「久しぶり、あきくん」

 各務さんはずっと覚えていたんだろう。しかし、俺はいつの間にか記憶を封印していた。記憶だけじゃない、人並み外れた力も同時に封印していた。俺が孤児院で孤立していたのは各務さんと同じだ。

 ある時、同年代の男の子と玩具の取り合いになった。どっちが先に取っただの、どっちが悪いだのは覚えていないが、俺は相手の男の子の肩を押した。ほんの軽く、ちょんっと押した程度だったが、男の子は盛大にふっ飛び、肩を骨折した。それがあってから俺は、周りから忌避され、孤立した。

 そして、里親に引き取られると同時に、俺は孤児院での記憶を封印した。

「貴様達は何者だ! その力はどこで手に入れた!」

 雄二さんは手首の具合を確かめる様に、掌を閉じたり開いたりしていた。骨折はすでに治っているようだ。

「あなたの実験で生まれた、いわば被害者よ」

 各務さんが雄二さんの問いに答える。

「被害者、だと?」

「そう。かつてあなたの下で働いていた研究員、桐山光司。僕はその娘よ」

「桐山、だと?」

 雄二さんは一瞬考え込んだ表情をしたが、すぐに思い出した様だ。

「ああ、あいつか。くくく、お前はあの裏切り者の娘なのか」

「裏切りもの?」

「そうだ。あいつは研究の真相を知った途端に辞めようと言い出した。これ以上研究を続けるなら、実験内容を公にすると言ってな。だからあいつ自身で実験する事にした。まさか、親子そろって私の研究を邪魔するとはな」

「邪魔じゃないわ、阻止よ」

 各務さんが床を蹴り雄二さんに飛びかかる。流れるような打撃を繰り出すが、ダメージは薄いようだ。

「ふん、何処でその力を手に入れたか知らんが、蚊ほども痒く無いわ」

 雄二さんは鼻を鳴らした。

「これなら」

 渾身の正拳突きが鳩尾に決まる。

「こんな細い腕で私がやられるか!」

 しかし、その腕を捕まれ、放り投げられた。

「各務さん!」

 背中を叩きつけ、床に踞る各務さんに駆け寄る。

「うっ――。だ、大丈夫よ。けど、困ったな。打撃が一切通用しないなんて」

 俺は雄二さんを睨み付ける。各務さんの力で通用しないとしても、俺の力ならばダメージを与えられるかもしれない。現に先ほど、雄二さんの手から逃れる事が出来た。

 しかし、問題がひとつある。俺は格闘経験はおろか、人を殴った事すらない。

「けど、やるしかない」

 俺は自分に言い聞かせ構えた。もちろん我流だ。勢いで何とかするしかない。

「今度は君か。さっきは油断したが、今回はそうはいかないぞ」

 しかし、口とは裏腹に、その表情からは余裕がみてとれる。

「だっ!」

 俺は勢いに任せ前へ跳躍する。そして、その勢いと体重を右の拳にのせる。

「おっと、危ない」

 が、俺の拳は空をきった。その勢いでバランスを崩し、危うく船から落ちそうになる。

 体勢を建て直し、再び構え、距離を詰め攻撃をするが、その全てがかわされる。

「このぉ」

 俺は死に物狂いで身体ごとぶつかった。雄二さんと揉み合いながらデッキの上を転がる。その時、ゴトリと何か固いものが落ちる音がしたが、気にしている余裕は無かった。必死で抵抗したが、気がついたら雄二さんが上に乗っていた。

 マウントポジションだ。

 腕を膝で押さえつけられ、全く身動きが出来ない。

「ぐ、ぐふふふぅ」

 雄二さんの顔は既に正気を失っている様だった。眼は血走り、口角からは泡が出ている。そして、太い腕が首を掴んできた。

「あっ――かはっ!」

 気道を塞がれ、呼吸が出来なくなる。

 脳に酸素が届かなくなり、目の前が白くなりかけた時、遠くで何かが破裂した様な音がした。それはとても乾いた音で、運動会で聴いたような事のある音に似ていた。

 突然、首を締め付ける力が緩んだ。

「ぎぃやあああぁぁぁ」

 上でものすごい叫び声が聞こえた。

 霞む目で見上げると、雄二さんが額を押さえてのけ反っている。

 俺は全身をバネの様に反らせ、雄二さんの拘束から逃れる。柔道の授業が役に立ったと初めて思った。

 雄二さんは床を転がりながらもがき苦しんでいる。信一と同じように羽化が始まったのだろうか。

 しかし、信一の時と苦しみ方が違う様な気がする。それに、あまりに羽化するまでの時間が早すぎる気がする。

 後ろを振り返ると、晃が拳銃を構えていた。その銃口は、ピタリと雄二さんにあわされている。

「晃……お前」

 晃の表情は至って冷静なものだった。

「あき君! 後ろ!」

 各務さんの叫び声に後ろを振り向く。雄二さんが立ち上がり、両手で俺を掴もうとしていた。顔は血で濡れている。身構えようとした時、後ろで再び銃声が鳴った。

 雄二さんは額から血を吹き出させ、よろめきながら後退する。

「ぐ、ぐおおおぉぉぉ」

 ガクガクと痙攣しながら雄叫びをあげると、海へ落ちていった。

 すぐさま手すりから身を乗り出して海面を確認する。海面には雄二さんの物であろう血が広がっており、それは、海の色と混じり、マーブル模様を描いていた。再び襲って来るのではと警戒して見つめていたが、浮き上がってくる気配は無かった。

「終わった、のか?」

「そのようね。所で二階堂。あんた、なかなかやるじゃない」

 各務さんは腰に手をあて、安堵した様に言った。

「自分でもびっくりしてるよ」

 晃は銃を見つめながら言った。

「まさか、これが俺の力だったのか?」

「どういうことだ?」

 晃は自分自身で失敗作と言っていた。しかし、何かしらの能力があったと言うことか。

「実は、二回とも額を狙ったんだ。銃を撃つのは初めてだったけど、狙いを外す事なく撃てた」

 晃は自分でも信じられないという表情をした。

「偶然って事は無いか?」

「それは無いわね。オートマチックの銃で、あの距離から額のさらに一部、突起の部分だけを狙うなんてプロでも難しいもの」

 各務さんが晃に賛辞を送った。

「俺は、失敗作じゃ無かったのかもな」

 晃がポツリと呟いた。

「お前は元から失敗作なんかじゃない。何たって、俺の自慢の友人だからな」

 確かに晃は人工的に作られたのかも知れない。しかし、人間である以上失敗作なんてものは存在しないと思う。それは夏希や唯、信一も同様だ。

「秋人。ありがとうな」

 晃は照れる様にうつ向いた。

「ところで秋人、お前はなんでそんな力があるんだ」

 確かにそうだ。俺は記憶と力を思い出したが、そもそもなぜ自分にこんな力がるのかまでは知らなかった。

「それは僕が説明するよ」

 各務さんが海面に広がっている赤を眺めながらつぶやいた。

「あきくんも、二階堂と同じで実験で作られた子供なんだよ」

「俺が、晃と同じ?」

「そう、あの生物の細胞を使って作られたの」

「じゃあ、俺と秋人は兄弟ってことか」

 晃がうんうんとうなづく。

「広い意味で言えばそうかもね」

「でも、それならなんで晃は二階堂家で育てられたのに、俺は孤児院に預けられたんだよ」

「それはね、あの孤児院が二階堂グループの孤児院だからよ。二階堂は一番初めに作られた子供だから常に手元において観察していたようね。でも、その後に作られた子供たちは、表向きは孤児院だけど、二階堂グループの所有する施設で育てられたの」

全ては二階堂グループの仕組んだ事だったというのか。

「所でさ二階堂、この船、どこに向かってるの?」

 確かにそうだ。晃は今、目の前にいる。ブリッジは無人で、誰も舵をとっていない。この船はあてもなく海上をさ迷っている事になる。

「その……何だ。ここがどこだか、正直判らないんだ」

 晃は申し訳なさそうに言った。

 俺らは、このまま漂流してしまうのだろうか。炎天下の中をだ。

「この。やくたたず!!」

 容赦なく照り付ける太陽の下、各務さんの叫び声が船上に虚しくこだました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

鬼のなく島 玄門 直磨 @kuroto_naoma

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ