三・六

 霊安室の中は冷たかった。中は明るく綺麗なのに、部屋を満たす空気は死んでいた。栞の遺体は、真ん中に置かれたベッドの上に横たわっていた。

 真っ白な布を被せられた彼女だったものを見ると、枯れたはずの涙がまた零れてきた。


 ごめんな、栞。

 お前を守れなかった。

 ごめんな、栞。

 あの日の約束、果たせなかった。

 ごめんな、栞。

 僕のせいでお前は——。


 僕はその場に、崩れるように座り込んだ。

 涙の川が頬をえぐった。今にも消え入りそうな蠟燭の灯りが、微かに揺らめいていた。


 ——もしも別の世界があったなら。もしも別の可能性があったなら。

 あるいは、栞は死なずにいられたのだろうか。


 不意に込みあげてきたその言葉を、僕は頭を振ってかき消した。


 そんなことを考えても、もう彼女は戻っては来やしない。

 僕はこれから、一生この業を背負って生きるのだ。


 もう行こう。


 ひとしきり泣いた後、僕は立ち上がって部屋を後にしようとした。


 さよなら、栞。

 もう二度と会うことはないだろう。


 ドアの取っ手に手をかける。

 その時、信じられないものを見た。


 取っ手を握る僕の右手は、微かに青く光っていた。

 目を疑った。

 だが間違いなく、その手は青い光を放っていた。


 不気味だとは思わなかった。怖いとも。何故ならその光は、とても綺麗だったから。栞の瞳と同じ色をした美しい光に、憔悴しきっていた僕はすっかり魅せられてしまった。


 そして僕は不思議な感覚を覚えた。まるで僕が僕でなくなったような、無数の異なる僕と体を共有しているような、別の僕と融合しているような、そんな気がした。なんとも形容しがたい感覚だった。


 やがて僕はその右手を栞の亡骸へと向けた。どうしてそうしたのかは分からない。ただ勝手に体が動いた。まるで、事故の瞬間に僕が手を伸ばした時のように。すると青く輝く光の結晶が、まるで雪が降るかのように腕に集まってきて、光はいっそう強くなった。


 刹那、視界にノイズ。

 ここでないどこかが重なる。


 赤煉瓦の鐘楼。

 澄んだ青空。

 天へと伸ばした僕の手。

 ナイフ。

 血。

 栞。


「栞!」

 どうして栞が? 生きている? 何故生きている? あれはどこだ? これは誰だ? 僕か? どうして僕が?


 視界が歪む。

 眩い光が部屋中を青く染める。右手に光輪が現れる。


 その時、声が聞こえた。

 ——から頑張れよ。お前なら、必ず成し遂げられる……


 段々視界が暗くなる

 嫌だ。

 消えるな。

 これは何だ?

 この手は何だ?

 今の声は何だ?

 瞬間、視界が暗転する。

 分からない。

 一体何が。

 待っ

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