十日目:「くらげ」やっぱりクラゲはまずかった

 夏の海に行くと、クラゲが落ちている。

 

 家は海近、徒歩15分。海抜がマイナス、そんなところに住んでいる。

 落ち込んだときは海に行った。楽しいときも海に行った。朝にも昼にも夕方にも夜にも深夜にも海に行った。

 いつ行っても浜辺には誰もいない。

 不人気な海なのだ。

 外国の粗末な船が浮かんでいる、という噂もあった。

 俺は見たことがない。

 

 クラゲの死骸はゼリー状だ。

 死んでいても触ると危ないクラゲがいるという噂なので、その辺で拾った棒でつんつんつつく。

 死骸はぶよぶよと棒を跳ね返す。

 アロエみたいでおいしそうだと思うが、危険なので食べない。

 落ちているものを食べると危ない、というのも有名な話なので。

 

 スーパーに行くとたまにクラゲが売っている。クラゲを細かく切って味をつけたやつだ。

 一度買って食べたことがあるのだが、特有の生臭さがあってだめだった。

 ひょっとすると、そのクラゲは古かったのかもしれない。

 

 キクラゲはおいしいのにどうしてクラゲはまずいのか。

 クラゲは生ものだが、キクラゲはきのこだから味の落ち方が違うのだろう。

 それとも俺がクラゲを嫌っているだけか?

 

 ともあれ浜辺ではあんなにおいしそうにみえるクラゲも実際食べてみるとまずいのだ。

 それでもやっぱり浜辺に行く度クラゲをつつくし、おいしそうだとも思ってしまう。

 謎だ。

 

 クラゲが話しかけてくるようになると終わりだと思う。

 しかし今のところ、クラゲに話しかけられたことはない。

 その点、俺の狂気もまだまだ軟弱なのだと思う。

 ただ、俺も一人で寂しいので、たとえクラゲであっても喋ってくれた方が良いには良い。話し相手がいないので。

 

「こんにちは」

 話しかけてみる。

「死んでますか?」

 答えはない。

 いくらつついても動かない。

 やっぱりクラゲは喋らない。

 

 家に帰ると声が聞こえる。

 俺を責める声だ。

 聞こえないふりをして薬を流し込む。

 そうすると、声は消える。

 こんな幻聴よりも、クラゲが喋ってくれた方がよっぽど良いのに。

『投票に行こうね』

 幻聴だ。

『民主主義の国民の義務だよ』

 幻聴だ。

 ここから投票所までは徒歩30分。

 海よりも遠い場所。

『投票しないと変わらないよ。こんな世の中になったのはお前たちのせいだ』

『責任を取れ』

『責任を』

 徒歩30分。

 それを耐えるためにまた海に行って、クラゲを拾ってビニール袋に入れて、背負った。

 ……これで大丈夫。

 時刻は19時。

 投票に行くにはぎりぎりの時間だ。

 ビニール袋の上からクラゲを触る。

 やっぱりぶよぶよしている。

「クラゲくんは投票しますか?」

 答えはない。

「クラゲくんの意志を背負って、俺が投票します」

 答えはない。

 

 クラゲのために30分歩いて、投票所に行った。

 紙を取って、書いて、箱に入れる。

 投票所の人々は片付けの準備をしていた。

「投票しましたよ、クラゲくん」

 答えはない。

 荷物に手を入れてクラゲをつついてみた。

 ぶよぶよしている。

 投票所の人が不審そうに俺を見ている。

 笑ってみた。

 答えはない。

 

 家に帰る。

 クラゲを海に返してあげなければ。

 

 俺はまた荷物を背負って、海に向かった。

 夜の海は真っ暗で、シーサイドラインの明かりだけが頼りなく光っている。

 ビニール袋をひっくり返すと、クラゲはべしゃりという音を立てて砂浜に落ちた。

「投票は楽しかったですか?」

 答えはない。

 俺はクラゲをつんつんとつつく。

 ぶよぶよしている。

「今日はありがとうございました」

 返事はない。

「また来てください」

 できれば喋ってください。

 波がクラゲをさらって行く。

 ついでに俺の靴も濡らして行く。

 靴の底には穴が空いていて、靴下までずぶぬれになってしまった。

 

 クラゲがいない家に帰る。

 まだ夕食を食べていない。

 冷蔵庫から、この前買ったクラゲの佃煮を出す。

 米を解凍し、上にクラゲを載せた。

 

 やっぱりクラゲはまずかった。

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