48.ライクアローリングストーン


 11月12日 土曜日 午前11時25分


「なんで私が怒ってるか分かる?」


 男が女性に言われて困る言葉ランキングでもかなり上位に位置する言葉を使って、きわみは久しぶりに「琉衣」として僕と話してくれた。世の男はこういう時に答えが分からず何も言えなくなってしまうらしいが、僕には彼女の怒りの原因がはっきりと分かっていた。


「……約束を破って葉と死のうとしたからです」

「正解です」


 僕と葉は街に帰るためのバスを、バス停のベンチに並んで座りながら待っていた。右隣に座る琉衣の冷たい視線が、僕の横顔に容赦なく突き刺さるのが、彼女の方を見なくて分かる。僕は意を決して弁解すべく地面をじっと見つめていた顔を琉衣の方へ向けた。


「僕は――」


 だけど琉衣は手のひらを僕に見せつけて、固い拒否の意を示していた。


「聞きたくない。理由なんか」


 琉衣はもう僕の方を見ておらず、ほぼ無表情で正面を向いていた。


「侍に死んで欲しかったわけじゃないし、葉ちゃんに罪を重ねて欲しかったわけでもない。でも侍がやったことは絶対に間違いだから。どんなにロマンチックな理由でも、どんなに正義感にあふれた理由であってもね。だから絶対に聞かない。言ったら侍のこと、一生許さないから」


 晴牧が僕を叱るときに言っていた。


「琉衣ちゃんはずっと、侍君を心配して泣いていたよ。自分のせいで侍君が死ぬと泣いていたんだ」と。


 顔には出ていなくても、僕が嘘をついて傷つけた琉衣の心は、まだ泣いているのかもしれない。葉にみかりに琉衣と、僕はずっと女の子を泣かせ続けている。


「……どうしたら許してくれる?」

「悪いことをしたときに言う言葉は?」

「……ごめんなさい」


 僕の喉の奥から絞り出した謝罪を聞いて、琉衣は手を下ろしてくれた。


「許す。もう2度としないで」

「……うん」


 僕は自分の手のひらに視線を落とした。傷はすっかり塞がっているが、ワイヤーで擦り切れた痕がまだ残っていて、僕が飛び込んだ川のように手のひらを横断している。


「もうひとつ謝らないといけないことがあるんだ」

「何?」

「AIAについて」


 インスマスの中にも平穏に暮らしたい者がいて、そういう者たちがインスマスでも大多数を占めるという晴牧の言葉は嘘ではないのだろう。だけど、


「インスマスの中にも悪事を働いているのは確かにいた。殺すのは違うと思うけど、それでも彼らの犯罪への抑止力を、AIAを僕が壊してしまったことには違いない。琉衣……きわみの言っていた『声なき声』を聴く機会を消してしまったことを、謝りたい」


 僕がもっと賢ければ、強ければ、お金を持っていれば、AIAを良き組織へ改変し継続させることが出来たかもれない。だからといって、たらればの話をしても仕方ないし、友人の使命を僕が邪魔をしたことには変えようもなかった。琉衣はすぐに言葉を返さず、しばらく沈黙した後、これ聞いて嫌いにならないで欲しいんだけど、という前置きをしてから話し始めた。


「ラフトラックの言っていた『インスマスを許容できるか』って話さ。私は侍みたいにすぐに首を縦には振れない。姿形も違うし、正体を隠して生きている奴らを受け入れられない」


 だけど、と言って琉衣の声の調子が変わる。


「それはきわみも同じじゃ。色んな仮面で顔隠して生活しとる。それに女子を攫って乱暴するのは人間だって同じだしの。インスマスだけ処刑じゃフェアじゃない。きわみなりに、奴らとフェアに戦う方法を探すとするよ」


 ありがとう、きわみ、琉衣。と僕は二人の友人に感謝を述べる。彼女の言う通り、自分と異なる者をすぐ受け入れるのは難しい。でも徐々に歩み寄ることはできる。人類の歴史はそうやって発展してきた。これからを生きる僕らにだってできるはずだ。


「で、そういう侍はどうするの? AIAも無くなって、だぁい好きな葉ちゃんもいなくなっちゃったけど」


 今話しているのは琉衣だ。言葉の最後に皮肉がたっぷりと込められているが、これはバカをやらかした僕に、いつも通り接しようという彼女なりの気遣いなのだろう。僕は彼女の好意に存分に甘えることにして、答える。


「僕は誰かの孤独に寄り添いたいんだ」

「『ライ麦』のホールデンみたい」


 琉衣の例えに僕は苦笑した。そんなに文学的でもかっこいいものでもない。僕は下を向くのをやめて前を見た。少し高い場所にある病院のバス停からは、僕らの住む街が見渡せる。孤独な人とそうでない人、インスマスと人間が共存する街だ。


「葉や僕が孤独から攻撃的になったのと同じように、インスマスたちの中にも孤独に苦しんだ末に悪事に手を染める者がいると思うんだ」


 魚人間だって仕事や学校がうまくいかなければ、きっと落ち込み、ふさぎ込む。鬱になったりもするだろう。そんな状況に陥ったら、追い詰められたら、いるかどうかも分からないタコ頭の神様にだって縋りたくなるだろう。


「僕はそういう人間の、インスマスの、孤独に寄り添いたいんだ。気休めかもしれないけど『孤独に苦しむのは君だけじゃない』って。『君と同じ孤独を感じる者がいる』って、そう誰かに届くまで叫びたいんだ」


 具体的にどうするか、というプランはない。でもハーラン・エリスンの短編に出てきた肉塊と違って、僕には目も鼻も口もある。叫ぶことならできるはずだ。そうしてかつての僕や葉のような人たちの助けになりたい。今、僕がやりたいのはそういうことだった。


「ふーん。じゃあさ、侍の孤独には誰が寄り添うの?」


 琉衣がちょっと身をかがめて僕の顔を下から覗き込む。悪戯っぽく笑う彼女の次の言葉を僕は知っている。


「侍、私にしときなよ」


 セオリー通り。王道。テンプレート。彼女のセリフはそんな僕らの変わらぬ日常が戻りかけていることを示している。だけど僕はもうセオリー通りに生きて、諦観で自分を誤魔化すことをやめることにしていた。彼女の瞳を臆せず見つめ返す。


「いや、しとくんじゃない」


 甘い恋愛小説に人を食う殺人鬼の描写を入れるように

 一人称の小説に三人称の地の分を挿入するように

 共感できない男を主人公に据えるように


「僕は君といたいんだ、琉衣。君じゃなきゃ嫌なんだ」


 僕はセオリーを破る。ずっと彼女の物語を読みたい。彼女とファーストフードを食べていたい。笑った顔を見ていたい。僕は自分の気持ちを認めることを恐れなくなった。

 だけど、まともな恋愛などしたことのない僕の告白など心に響かなかったのか、琉衣は僕にそっぽを向いた。


「えーなんか違うなぁ。侍から言うのは違うなぁ。私結構モテるし? きわみにもガチ恋勢はいるし?」


 どうやらフラれたらしい。でもそれでいい。


「それでいいよ。聞いてくれてありがとう」


 だって僕は自由な彼女が好きだから。美少女なのに顔を隠して活動し、派手な遊びも出来るのに休日はパソコンの前で小説を書いている。そんな自由な彼女が、僕は好きなのだから。彼女が自由で楽しく幸せに生きているなら、その隣に僕はいなくてもいいのだ。


「……どーん」


 そっぽを向いていた琉衣が僕の肩に体当たりしてきた。そのまま彼女は僕に密着する。


「寒いから、体温よこせ」


 ご自由にどうぞ。と答える。太陽は出ているが、確かに少し肌寒い。もう11月なのだから当然か。どうせ使い道のないカロリー消費の熱量なので、有効活用してもらったほうが良い。


「ねぇ侍。さっき何聞いてたの?」

「ボブ・ディランの『Like a Rolling Stone』」

「どんな曲?」

「すべてを持っていた人が、全部を失ってしまう曲」

「げぇー嫌な曲」

「確かにね。でも暗い曲ではないんだ。全部失って、今までの価値観がリセットされたから、また新しく一歩を踏み出せるんだっていう終わり方をするんだ」

「……私も聞いてみたいな」

「いいよ」


 僕はスマホに差した安物の有線ヘッドホンの片方を琉衣に渡す。二人でイヤホンを片方ずつ耳にはめて、再生ボタンを押した。


 今も色あせないロックスターの歌声が、メッセージが、問いかけが、僕らに届く。


『今どんな気分だい?』


 分からない。でも悪くはないよ。僕は心の中でそうディランに返事をする。


 琉衣が僕の肩に頭を乗せる。琉衣の体温と僕の体温が交換されていく。


 暖かさと寒さが混ざる秋の陽光の下、琉衣の手が僕の手に触れた。優しく握り返してできた繋がりで、心が満たされていく。


 目を瞑り僕は祈る。


 友人が自分の好きな国を讃えられるようになる日がまた来るようにと


 一人で世界と戦った少女の心と体の傷が、一日も早く癒えるようにと


 世界中の親子が仲良くありますようにと


 孤独を抱えた者たちの苦しみが、少しでも軽くなりますようにと


 眠りにつく邪神が、永遠に穏やかな夢を見続けられますようにと


 隣にいる愛する者が、どうか幸せでありますようにと


 僕は、祈る。


【魚人殺しのレプト 完】

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魚人殺しのレプト 習合異式 @hive_mind_kp

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