39.ありがとう

【現在】


 10月29日 土曜日 午後6時35分


『っ! 侍君、奴がまだ生きている!』


 爆発で生じた煙が晴れ始めた頃。聞こえてきた晴牧の声に、僕は慌ててスコープを覗き直した。煙の中に立っている人影がいた。手と顔に大けがを負っているが、ラフトラックはまだ生きていたのだ。


『貴様らよくも……!』


 ラフトラックは素顔を晒し、鬼のような形相で眼前の3人を見ている。どうやら爆発の寸前でヘルメットを脱ぎ致命傷となることを避けたらしい。くそっ、と自分とラフトラックをなじりながら、僕は再び狙撃のための体勢をとる。


『……もしかしてあいつは』

『え、晴さん知ってるん?』

『孵化崎 堅碁……だっけ?』


 ラフトラックの素顔を見た面々でみかり以外はその正体が分かったようだ。


『孵化崎 堅碁、元市議会議員。不倫が発覚して議員を辞職させられたやつだよ』


 晴牧の言葉で思い出した。確か対抗政党の女性議員が街頭演説で名指しで批判してた。


『殺して、殺してやるぅ!』


 インカム越しにラフトラックの怒声が響く。僕は銃口を向け再度狙撃を試みるが、歩みを進める相手に照準を合わせるのは、静止している相手とは難易度が大違いで、狙いが全く定まらない。


「3人ともそこから逃げて!」


 僕はインカムに叫んだ。このままだとラフトラックに彼らが殺されてしまう。だがラフトラック、もとい孵化崎はそうはせず歩みを止めた。


『ない、ない、あれが、あれがない』


 孵化崎は四つん這いになって何かを探し始めた。すぐその探し物を見つけたようだが、今度はそれを失くした時以上に狼狽している。


『な、鳴らない。なんで鳴らないんだ!』


 孵化崎が持っているのは普段の笑い声を再生するためのリモコンだった。爆発に巻き込まれて壊れてしまったのか、その機能はもう果たせなくなっている。この隙に殺そうと僕は構えたライフルVALの引き金に指をかける。しかし爆発の音を聞き、野次馬が孵化崎の周りに集まってきてしまったことで、狙撃は中止せざるを得なくなった。今撃てば確実に一般市民を巻き添えにしてしまう。


『え、なにやば、またテロ?』

『あの人ケガしてない?』

『おい誰か警察と救急呼んで!』

『てか、あの人どっかで見たような』


 仮装をした野次馬たちがどんどん増えていき、次第に晴牧やみかりや琉衣の姿もその中に紛れ見えなくなってしまった。早く皆どこかに行ってくれと僕は願う。


『笑うな……皆私を笑うなぁぁぁぁ!』


 突然、野次馬たちのざわめきを引き裂くように孵化崎が叫んだ。そして次の瞬間にはカボチャのマスクを被った野次馬たちのうちの一人に飛び掛かり、馬乗りになりながら殴りつけ始めた。


『笑うな! 笑うんじゃない!』

「くそっくそっくそっ、どうにか殺さないと」

『その必要はもうないよ、侍君』


 群衆に紛れて見えなくなった晴牧が、僕を諭すように言った。


『もう殺す必要はない。警察も来ている。彼はもう終わりだよ』

「だけど約束と違います! あなたに復讐をさせると僕たちは約束をした!」

『それはもう果たされたさ』


 晴牧の言っている意味がよく分からない。僕はまだ孵化崎が通行人に暴力を振るうところを、成す術もなくスコープ越しに見ている。


『侍君。君は若いからまだ分からないかもしれないが、男にとって一番辛いのは死ぬことじゃないんだ』

『離せぇ! 離すんだクソどもぉ!』


 野次馬の中にも勇敢なものが何人かいたようで、孵化崎を後ろから掴んで取り押さえようとしていた。


『男にとって一番辛いのは、レッテルを貼られて、蔑まれながら生きていくことなんだよ』


 多勢に無勢。ラフトラックは押さえつけられ叫ぶことしかできなくなっている。最終的に近くにいた警察官が身柄を確保した。ラフトラックこと孵化崎 堅碁はこれから人々にこう記憶されるのだろう。『不倫をし議員を辞職後、やけになってハロウィンの夜に騒ぎを起こして暴力を振るった犯罪者』と。彼が良く口にしていた『ヒーロー』とは真逆の人物として、人々の記憶に残るのだ。晴牧が良いというなら、僕がそれ以上行動を起こす必要なはい。少なくとも当初の琉衣救出という目的は果たせたのだから。


『侍君。彼女が話をしたいと』

『侍!』


 琉衣だ。僕はスコープから目を離し、インカム越しに聞こえる琉衣の言葉に耳を傾けた。


『大丈夫?! 今どこ?!』

「僕は大丈夫だよ。その二人は味方だ。彼らに家まで送ってもらって」

『侍にもすぐ会えるよね?』

「……」


 僕は口を噤んで撤収の準備を始めた。まだ僕にはやるべきことがある。


『侍、ねえってば』

「……ありがとう」


 みかりから借りたVALをリュックサック入れながら答える。


『え?』

「クレープを奢ってくれてありがとう」

『……どうしたの?』

「面白い小説をいつも読ませてくれてありがとう」

『侍、何言ってるの?』

「僕のそばで笑ってくれてありがとう」

『ねぇ、なんでそんな最後みたいな言い方するの?』


 だってこれが最後になるから。


「透明人間の僕に『生きてていい』って言ってくれて、本当にありがとう」

『侍! 侍! ちゃんと答えてよ! 約束と違――』


 僕は通話を切って晴牧とみかりの着信を拒否した。リュックサックを背負い立体駐車場の出口に続く階段へ向かう。僕は歩きながら、ある人物に電話をかける。その人はすぐに電話に出てくれた。


「こんばんわ……うん、うん。ああ、全部終わったよ」


 電話の向こうから聞こえる声は実に落ち着いていた。


「そうだ、AIAはこれで終わりだ。一旦はね」


 そう、まだ終わっていない。虐殺の火種はまだ燻ぶっているのだ。僕はそれを止めなければならない。


「今から君に会いたい。AIAの真のリーダーに」

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