22.タクティカルエスピオナージ


 9月25日 日曜日 午後6時00分


 僕はスマホにBluetooth接続された小型のインカムを耳に装着する。


『テステステス、聞こえておるかレプト』

「フェザーライト、ばっちり聞こえてるよ」


 きわみのちょっと耳につく声を聴きながら、僕は今日の狩りを行う場所、ライブハウス『PYM.G』を、通りを一つ挟んだところにある雑居ビルの壁にもたれかかりながら観察する。ライブハウス『PYM.G』は小規模でもなく、かといって大きめの箱でもない、街中に存在するのであれば丁度いいサイズのライブハウスだ。メジャーデビューはしていないものの、そこそこ人気のあるバンドが演奏するにはもってこいの場所だろう。


『よし、じゃあ改めて今日のターゲットを確認するぞ』


 きわみから送信された画像をスマホで確認する。黒い長髪に赤いメッシュを入れた女性を望遠レンズで撮影した写真だ。


『ターゲットはシンガーソングライター『Mayson』。テレビ出演等々はないが、動画サイトを通じて精力的に活動しておる」

「そしてインスマスである、と」

『その通りじゃ』


 画像をスクロールすると見覚えのある顔触れとMaysonが路上で話している隠し撮り写真に切り替わった。少ししてから、僕はその話している人物が、先日みかりと始末した、人さらいインスマスの面々であることに気づいた。


『やつはインスマス共のアジテーターの一人じゃ。使うのはうさん臭いプラカードではなく、青臭い歌じゃがな。じゃが『音楽は心を強姦する』と言うからの。拠り所を求める若人には最適な方法じゃて』

「虐殺の文法、か」

『おおう! 知っておったか!』


 SF小説の引用であることに僕が気づいたことに、きわみは嬉しそうだ。


「好きな本だから」


 その黒い本の表紙の角が白く擦り切れるまで何度も読んだし、グロテスクな描写の参考にと、琉衣にも貸したことがある。


『奴の手口もそういうものじゃ。青春を謳歌すべしと聞こえる歌に、その実、偏見、差別、分断を促すような歌詞を巧妙に入れ込んでおる。敵ながらよく考えておるよ。とんだ歌姫じゃ』

「だけど、それも今日までだ」

『そうじゃ。今回はライブハウスに侵入し、一瞬の隙を突いて歌手の面を被ったインスマスを排除する、ステルスミッションじゃ』

「一応聞くけど、街の中で狩るのじゃダメなのか?」


 ライブハウスには演者以外にもスタッフ、観客と大勢の人間がいる。潜入の発覚によるトラブルも勿論だが、DWによる被害の危険もある。可能であれば避けたい狩場に思える。


『本当はそうしたいんじゃが、仲間が殺されたことでかなり警戒しとる。街で単独でいるところを捕まえるのはほぼ無理じゃ。ライブ中の動けない時間が、一番確実に接触できる』

「分かった。で、どう侵入すればいい?」


 僕は葉の装備から借りた小型双眼鏡で侵入に使えそうな箇所を探す。正面入り口は入場する客がおり、紛れ込みやすそうだが、チケットが無いので門前払いを食らう。チケットがあっても、入れるのは客席だけなのでターゲットに近づくのは難しい。次に裏手の出入り口に目を向ける。年配の警備員が立っている。倒すのは容易そうだがインスマスではい人間を傷つけるのは気が進まない。かといって侵入できそうな窓等も他に見つからない。


「正面から堂々と行くのも、裏口からこっそり行くのも厳しそうだ」

『むふふ、レプトぉ。どっちも違うぞぉ』


 音声しか聞こえていないが、きわみの3Dモデルがにやりと笑う様が簡単に想像できた。


『裏口から堂々行くんじゃよ』


 ◆


「お疲れ様でーす」


 僕は首にかけたストラップの先についたカードを掲げながら、警備員のおじさん近づく。


「荷物チェックお願いします」


 背負っていたリュックサックを手に取って中身を確認してもらう。つい先ほどコンビニで買ったばかりのペットボトル飲料が数本顔を覗かせる。マスクとVALはウインドブレーカーの下でベルトとズボンの間に挟んで隠し持っている。きわみからの情報では『ない』とのことだったが、突然のボディチェックが入らないことを、僕は必死に願う。


「はい、オッケー。お疲れねー」

『うっす、って言うんじゃ』

「うっす」


 耳元からの演技指導に対し、可能な限り忠実に口を動かす。映画では一旦セキュリティを通過した後、呼び止められるというのがお約束の展開だが、幸いなことに何事もなく僕はライブハウスの舞台裏へ侵入した。行きかうスタッフや関係者に紛れながら、自然に見えるよう歩みを進める。


『直進4メートル、右折すると明かりのついてない部屋が見える』

「おつかれさまでーす」

『挨拶されたらすぐ返す!』

「おつかれさまです」


 狭い通路で髪を短く切り上げたスタッフとすれ違いながら小さく会釈し、目的地を目指す。気分は図書館のオーディオコーナーで見た、スパイ映画の主人公のようだった。怪しまれれば終わり。心と喉がひりつく。


「見えた」

『人がいないか確認。いなければ入ってカギをかけろ』


 了解、と一言返すのさえ周りにバレないかと臆してままならない。目当ての部屋に入ると素早く中を見渡す……誰もいない。部屋のドアを閉めカギをかけると、僕は大きく息を吐きだしてしまった。


「はぁー! 入ったよライトフェザー」

『でかした! だが油断するなよ。可能な限り身を隠せる場所にいろ』


 埃っぽい部屋を進むと、積み上げられた段ボールの陰に腰を下ろす。部屋には化粧台があるものの、資材や段ボール箱で大半のスペースが占められている。どうやら使っていない楽屋を倉庫として使用しているようだ。


『その部屋はライブ中、ほとんどの人間が入らん。ひとまず安心じゃ。どうじゃ、簡単だったじゃろ』

「……思ったよりは」


 息を整えながらきわみの声になんとか答える。


「ライブ会場のセキュリティってこんなに緩いんだ」

『この会場だったから、じゃよ。お主が身に着けたバックステージパスは、このライブハウスで働く人間からのリーク情報で偽造したものじゃ』


 首に下げていたカードを手に取る。事前にきわみからこのカードがスタッフ用の入館証のようなものと聞いていたが、出所を知って簡単に潜入できたことに合点がいった。


「ライブとかあまり詳しくないけど、出回るとまずいものなんじゃないの?」

『ああ、まずい。現に部外者のお前がケータリングスタッフになりすましてここにいるしな』


 きわみの言葉はまるで他人事のような軽さだ。


『待遇に不満を持つスタッフがおってな。そいつから色々良いことが聞けたわい』

「ライブハウス内の構造や、この隠れ場所のことも?」

『そうじゃ。暴露者の証言やSNSの画像を元に3Dのモデルを作ったのじゃ。見てみぃ』


 スマホを暗がりで取り出す。画面には単色のポリゴンで描画された部屋にきわみのアバターがおり、僕に向かって手を振っている。きわみがその部屋のドアから出ると、先程まで僕が怯えながら進んだ通路のモデルが表示される。ライブハウスの内部構造をまるまる再現したようだ。


『な、すごいじゃろ! これでお主を完璧にナビゲートできるってわけじゃ』


 仮想空間に再現された部屋と自分が見ている風景を重ねて見てしまう。無邪気に自身の活躍を誇るきわみが本当に横にいるようだ。ただ、


「すごいけど、内部情報を渡す人の気が知れないな……」


 僕だったら絶対にしない。明るみになった時に炎上するのは目に見えている。せっかく働けているのに、クビや訴訟になるかもしれない行為に至る思考を、働きたくても働けない僕の頭は理解できないでいる。


『人は追い詰められると、なんにでも縋るんじゃよ』


 きわみの声から軽薄さが消えていた。


『嫌なことに耐えきれなくなると、顔に見えない相手ですら救世主に感じるんじゃ。暴露者もマネージャーからのパワハラに耐えかねたと言うておった』


 ライブが始まったのか、遠くから観客の黄色い声が聞こえる。自分たちのいる場所の管理者がパワハラをしていると知っても、彼らは同じ歓声を上げていられるだろうかと思案する。きっとほとんどは気にしないはずだ。役所の人間が僕の窮状を見なかったことにしたように、きっと彼らも自分の楽しみのため、何も見なかったことにするのだろう。

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