「風」の段 1 新たな出会い

※前話でアリシアと桜庭のお見合いを「四月十三日」としていましたが、諸々の整合性を考え、「四月十二日」に変更いたしました。


◇四月四日


ガタンゴトン、ガタンゴトン……


 彼らは電車に揺られていた。

 電光掲示板も設置されていない古い車体は、あちこちを軋ませながら走っている。

 開け放たれた窓からは柔らかな春風が吹き込み、やがて通り過ぎて行く。

 車体の両端にボックス席が二対、ドアを挟んで真ん中には大きな窓に沿った横長の座席がある。

 彼らは前方左側のボックス席に、贅沢にもはす向かいに座っていた。

 他に乗客はいないし、そんな状況で隣り合って座る程、彼らは仲が良くもなかった。

 二人しかいない乗客の内の一人、渡会モモは初めて来る地域の風景を、まるで珍しいものを見るように眺めていた。

 線路の周囲には、所々に家がポツポツとある以外に、まだ田植えがされていない田んぼが広がっている。

 田んぼのさらに向こうには青々とした山が連なっており、ほとんど雲のない空からの光を受け、より活き活きとして見える。

 世間では新年度初の土曜日という事で浮かれモードに包まれているが、乗客の二人は決して休暇のためにこの電車に乗っている訳ではない。

 モモの、入社三日目にして初の出張である。

 そんな訳でやや緊張した面持ちのモモと違って、もう一人の乗客は優雅に足を組み、相も変わらず新聞を読んでいた。


「出先でも新聞ですか?」

「おや、新聞はいいですよ渡会君。私だけでは見られない事、知れない事もたくさんありますから」


 そんな小井野の言葉に、モモは「近しい事は既にやってるし、新聞規模でも出来るならやってる、みたいな口ぶりだな」などと思いながら、再び窓の外に目を向けた。


「それにしても、先方はよくこんな急な連絡で承諾してくださいましたね……」


 モモは昨日の出来事を回想する。


 昼休憩を挟んだモモは、小井野のリストの内の二件に目星をつけて電話をかける事にした。

 アリシアの炎を抑えるヒントを得るための取材交渉だ。

 事前に小井野から電話応対のレクチャーを受けたモモは、彼の「私が掛けましょうか?」と言う誘いを断って、自ら受話器を取った。

 結果、何とか二件とも了承を得る事が出来たのである。

 応対したのが一件目は可愛らしい女の子の声、二件目は抑揚のない合成音声だった事が、彼女が事前にリストから得た先方の情報と全く異なっていたのが気がかりだったが、ともかく許可を得たのだ。

 本日は一件目のとある神社を訪問する予定である。

 津雲辻からは電車を乗り継いで麓の村まで五時間、さらにそこから徒歩で一時間を要する中々な立地に位置している為、訪問だけでなくさらに一泊させてもらう行程になっている。

 昨日の今日で本当に大丈夫かとモモは何度か確認を取ったが、電話の主からは『大丈夫じゃと言っているですニャ』との事だった。


「あのリストには、私と同じ手合いか、暇人か、変人しかいませんから」

「そんなリストだったんです⁉」


 確かにどんな繋がりなのか気になる人物ばかりだったと、モモは事務所に保管してあるリストを思い浮かべた。

 事務所に保管しているのは、万が一の流出がIRKの信用に関わる代物だからである。


「ちなみに今日訪問する方は暇人の類ですね」

「そ、そんな言い方して怒られません……?」


 モモは訪問予定の人物、いや、竜を恐れて身震いした。


「今から緊張してますよ私……」

「心配はいりません。最低限の礼儀を弁えていれば、私たち小さきものにも優しいお方です」


 小井野は新聞を本革のボストンバッグに仕舞うと、モモにも荷物をまとめるよう促した。

 慌ててモモは弁当のゴミや飲み物類を片付け始める。


「そろそろ到着ですよ」


 小井野は横の窓ではなく、前方の運転席の向こうを指さした。

 ここで電車も行き止まりなのだろう、先程までよりも一際高い山と、その麓に広がる小さな村が見える。

 モモはつられて、少し腰を浮かして背後を覗いた。

 そして、これから訪れる新たな出会いを恐れつつも、胸を高鳴らせるのだった。


――――――――――


 ギャギャギャギャ……


 大きな音を立てながら、電車はゆっくりと停止した。

 車掌のアナウンスが流れ、ドアが開く。

 小井野に続いて、モモはスーツケースを電車から降ろし、持ち手を伸ばした。


「あ、ありがとうございました!」


 改札へと向かう前に、車掌の方を振り向いてモモは一礼する。

 車掌はモモに応えて敬礼してから、津雲辻方面へと電車を再び走らせ始める。

 電車に乗る人は一人もいなかった。


「そういえば渡会君、スーツケースで良かったのですか?」

「家に大きい鞄がなかったんです~……前に処分しちゃって」


 モモは辺りを見回して、スーツケースは全く相応しくなかった事を確認した。

 ホームの反対側には緑が広がっているし、駅舎の奥に見える家の類も数十軒といったところだろうか。

 道は舗装が十分でない箇所も見られるし、そもそもの目的地は山中の神社だ。

 一時間歩くしかないという点からも予見できたはずだ。 

 それでも訪問が急に決まったので、もう少し悪路でも持ち運びやすい鞄を用意する事ができなかったのだ。

 もちろん、メイク道具は諦めるなどして荷物を必要最低限にすれば、普段のビジネスバッグに詰める事も不可能ではなかった。

 しかしモモは旅先に荷物を持っていきたがる性分だった。


「大分遠くまで来ちゃった感じがしますね~」

「実際遠いですからね」

「私、実は津雲辻から南って行った事なかったんですよ」

「へえ、そうですか」

「うわ、興味なさそ……」


 ちなみに本日は山中を歩く予定であるため、モモは数年前のアウトドアウェアを引っ張りだしてきたが、小井野は何故かいつものスーツである。

 見た目だけで言えば、モモはアウトドアと旅行用フェミニンスーツケースのちぐはぐファッション、小井野は空港のVIPラウンジがお似合いの場違いなフォーマルさであった。


「さて、迎えが来てくださっていると聞きましたが」

「そうですね。合流しないと……」


 改札を出ると、背の高い建物がないためにより眩しく感じられる日光が目を刺す。

 駅の前には道路を挟んで、八百屋やドラッグストアといった細々とした商店があった。 

 その他はほとんどが住宅で、昼間だが物音がしないのをモモは珍しがった。


「はるばるようこそお越しくださいましたニャ」


 その人物は意外にも近くにいた。

 先程まで駅舎の手前にあるベンチに座って待っていたようで、モモたちの姿を認めると、トテトテと歩み寄る。


「あ、貴方が様……⁉」


 モモが「天竜」と呼んだ人物は……お世辞にも竜には見えなかった。

 猫がそのまま二足歩行になったかのような顔立ち、金色が混じった茶の毛並みと、深い湖のような美しい青い瞳を持った彼女は、猫の獣人と言うのが正しいだろう。

 赤い袴の巫女服を着こなし、手元にこれまた赤い和傘を携えていた。


「ニャ⁉ あたしとドラグラノス様を間違えるなんてありえないニャ! さてはあんたが電話してきた人⁉」


 ふさふさの耳を震わせた彼女はビッという効果音とともに、モモの眼前に鋭い爪を持つ指を突き出した。

 モモはすっかり怯えた様子で、降伏の意を示すために両腕を上げる。

 バランスを崩したスーツケースが音を立てて倒れた。


「ニャんかよく分からないけど、昨日の電話の時からあんた勘違いしてるニャ。耳かっぽじってよく聞きニャさい!」


 モモは突きつけられた爪を注視しながらも、語尾のせいでかわいいな、と関係のない事を考えていた。

 小井野は隣で止める事はせずに眺めているが、モモのスーツケースを直しておく優しさはあった。


「あたしの名前はムギ! ドラグラノス様に仕え、ドラグラノス様の意志を伝える猫巫女ねこみこニャ‼」


 ムギと名乗る少女は、トドメに爪を仕舞ってモモの額に優しめのパンチをお見舞いする。

 額に肉球のスタンプをくらったモモは、少し遅れて頭を下げた。


「ムギさん、勘違いしてすみませんでした……」

「フン、分かったならよろしい、ニャ」


 満足そうに腕を組んだムギは頑張って背筋を伸ばしているが、それでも頭を下げたモモよりやや高い程度の身長だった。

 小井野はモモよりも更に身長が高い故、モモが頭を上げると、途端にムギは二人を見上げる事になる。

 そんなムギの事を可愛いと思わずにはいられないモモは、少し口元がニヤついている。


「ムギ様、部下がご迷惑をお掛けし申し訳ございません。私、IRKエージェント代表取締役の小井野と申します。本日はよろしくお願いいたします」

「すっ、すみません! ご挨拶が遅れました、渡会モモと申します。突然の訪問をお許しいただき、ありがとうございます!」


 落ち着いた所で、小井野が挨拶を切り出し、ようやく気が付いたモモもそれに続いた。

 小井野の名を聞くと、ムギのそれまでの高慢さは鳴りを潜め、ムギも小井野に向けて恭しく頭を下げる。


「小井野様、ドラグラノス様からお話は伺っていますニャ。道案内は任せてほしいですニャ」

「道案内から今日は宿泊のご用意まで、本当にありがとうございます」

「ドラグラノス様のご友人とあらば、当然の事ですニャ」


 小井野に頼られてなのか、ムギは誇らしげに胸を張った。

 そんなムギの変わりように目をパチパチとしているモモに、小井野が耳打ちする。


「渡会君、電話応対と礼儀作法はもう少し練習しましょうか」

「ハイ、ガンバリマス」


 常に優し気故にあまり抑揚のない小井野の、珍しく冷たさを感じる声にモモは震える。

 その背は先程より大分小さく見えた。

 ムギは、恐らく自分より年上なのに怒られているモモを見て、袖で口元を隠しつつ笑う。


「さっそく出発するニャ!」


 彼女は手に持っていた傘を、ツアーガイドが持つ旗にみたてて振り上げる。

 そんなムギの号令で一行は歩き出した。

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