「春」の段 9 目標

(桜庭さんとも面談した事のある小井野所長によれば、桜庭さんもアリシアさんに好意を抱いているのは確実……しかし、二人とも奥手すぎてチャットで連絡を取り合う今でも恋愛関係に進展している訳ではない……)


 面談後の小井野とのやりとりから得た情報を整理しながら書き出すと、あの二人がいよいよ少女漫画より少女漫画らしい恋をしている事がわかる。

 モモはアリシアの話を聞いて、そんな偶然があるわけがない、と二人を引き合わせたIRKの所長、小井野を疑っていたのだが……それも解消されたのだ。


(桜庭さんは津雲辻大学大学院、多種族文化学専攻の博士後期課程在学中で26歳、今まで研究一辺倒で彼女いない歴=年齢の猛者。だけど息子の将来を心配したお母様が小井野所長に相談を持ち掛けた、と……)


 それでもどこかに引っかかる小さな違和感までは拭えなかったが、モモはそれが何か二人に不都合がある訳でもない、と記憶の奥底にしまう事にした。


(結婚相談所に登録したのがお母様経由っていうのにはちょっと驚いたけど、プロフィール見れば納得かも……)


 IRKでは他の相談所と同じく、会員にはプロフィールシートを作成してもらい、紹介に活用する。ちなみに例の専用アプリを使って、会員同士は希望に合いそうな人を検索する事も出来る。

 プロフィールシートには年齢や年収といった基本情報に加えて、自己PRという欄があるのだが、桜庭のそれはほとんどが自らの研究内容で埋まっていた。

 素人には理解の出来ない文章が枠満杯にびっしり入っており、アリシア以外にはIRKを通して知り合った人もいないらしい。

 モモが小井野に添削しないのか尋ねた所、「彼らしくていいじゃないですか」との事だった。


(アリシアさんの話を聞く限り、女性に免疫がない訳でもないみたいだけど……一回私も桜庭さんと顔合わせとかした方がいいよね)


 現時点でモモは、アリシアの話の中で語られた桜庭しか知らなかったが、勿論直接会う事で得られる情報もあるだろう。

 「桜庭との顔合わせ」をtodoリストに連ねる。


(それで私は仲人としてお見合いに同席する訳だけど……何も、今回のお見合いで婚約まで進めなくちゃいけない訳じゃない)


 アリシアとの面談の後、小井野が依頼に関して、唯一モモにはっきりと示した事があった。

 それは今回のお見合いの「目標」である。


(これから交際に進めるか判断してもらう事、そしてお互いの事を知ってもらう事……既に想いあってるからきっかけさえあれば関係が進みそう)


 モモは「目標」と括った箇所に、それらを書き連ねる。

 二つの目標を書き終わった所で、モモは赤いペンに持ち換えた。

 そして新たに、「私の目標」と書き出した。


(最後の目標は、アリシアさんの炎を抑える方法を見つける事)


 書き終えた所で、モモはペンを一度置いた。

 そうして深いため息をつく。

 モモを最も悩ませるのが、この最後の目標であった。

 もちろん、お見合い中は小井野が炎を吸収するため危険はない。

 しかしこれから先もずっと、小井野がアリシアについていられる訳はなく、どうにかして小井野なしでも抑える方法を見つけなければ、二人の交際はままならないのだ。


(小井野所長はもう答えを見つけてそうだけど……ううん、自分で見つけてみろってことだよなぁ)


 入社から間もなく業界未経験のモモに対して、横暴だという見方も出来るだろう。

 だがモモはこの程度で諦める事も、文句を言う事もしない。

 それは他に道がないからという消極的な理由ではなく、モモが本心からアリシアの助けになりたいと思っているからこそだった。


(一応ヒントはもらったし……)


 そしてモモの手には一枚の紙があった。

 本日の出勤時に小井野から渡されたもので、人物の名前、連絡先がずらりと書き記されている。

 小井野が懇意にする、様々な関係者のリストだった。


「訪問したい方が決まりましたか?」

「ッひえ」


 手に取った紙を眺めていた所、急に後ろから声をかけられてモモは思わず体を揺らした。

 さっきまで新聞を読んでいると思ったのに、とより窓に近い所に設置された机の方を見ると、そこには変わらず小井野の姿がある。

 そしてモモが振り返った先にも同じ人物の姿があった。


「もう! 驚かさないでください」

「すみません。随分悩んでいる様子だったので、ティーブレイクでもと思ったのですが」


 そう言う小井野はモモの返事を聞く前から、ティーセットを机の上に広げる。

 小井野の、割と自分の意志を無視しがちな所に、モモは早くも慣れ始めていた。

 仕方がないのでモモは広げていたノート類を片付け、小井野に応じる事にする。


「昨日はアリシアさんに、全く同じ容姿の者が二人もいたら気が休まらない云々言ってたのに……全然二人になってるし」


 それはそれとして、分体を使っていきなり後ろから驚かされるのも困るのである。

 少しくらいの文句は許されるだろうと、ポットとカップの間に弧を描く紅玉色の液体を眺めながら独り言ちた。


「ふむ、何故でしょうね?」

「いや、自分にも分からないんですか」


 こと、とソーサーに乗ったカップを差し出される。


「……ありがとうございます」

「いいえ」


 家具と同じくティーセットにも気を遣っているのだろう。

 花のような造形の白磁に紅茶の色が良く映えている。

 小井野はいつの間にか、机を挟んだ場所に椅子を取り出して陣取っていた。


「ふー、ふー…………あち」


 少し息を吹きかけるがあまり意味はなかったようで、ちび、と一口だけ舐めてモモはカップを戻す。


「そんなに焦っても、何も得られませんよ」

「……わかっています」


 小井野が言いたいのは、紅茶の事ではなかっただろう。

 紅茶がもう少し冷めるまでの間に、モモは小井野にもらったリストを再び見ようとして、やめた。

 通りに面した窓から陽光差し込む事務室に、新聞をめくる音だけが流れる。


(あと一週間ちょっとか……)


 二人のスケジュールを合わせた結果、お見合いは四月十二日に決まっていた。

 決して長い準備期間とは言えない。

 しかしこの10日でモモは成さなければならない。

 それを少し重荷に感じる心もどこかにはあった。


(……紅茶飲んだら、再開しよ)


 モモは再びカップに口をつける。

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