第6話 キス以上の関係になれない恋人

 風呂からあがった俺は、すぐに自室へと戻った。


 時刻は22時。

 寝るには早いが、俺は既にベッドに潜っていた。


 さっき見てしまった光景を、早く忘れてしまいたかったからだ。

 けれど、目を閉じれば瞼の裏に雪奈の瑞々しい肌が浮かび上がってしまい……。


「あぁ、もう忘れろって……!」


 自分に言い聞かせるように呟き、布団を頭まで被った。


「……綾音とは、もう少し距離を置かないとな」


 綾音の気持ちが分からないわけじゃない。

 俺だって、死んだと思っていた彼女と再会できたのは素直に嬉しい。


 だけど、雪奈も知らないところで男女としての関係を進めてしまうのはやっぱり違うと思うんだ。


「もし、あの体が綾音だったら……」


 そんな不毛とも呼べるような考えが脳裏を過った時、扉がノックされた。

 返事をする前に綾音が部屋に入ってきた。


「翔馬、もう寝てるの?」

「…………」


 今は会いたくない。

 寝たふりをして誤魔化そう。


「……本当に寝てる?」


 寝てる寝てる。

 だから、早く雪奈の部屋に……。


「ふぅ~……」

「ふひゃあっ⁉」


 いきなり耳に息を吹きかけられ、素っ頓狂な声で跳び上がった。


「何しやがる⁉」

「あははっ。相変わらず耳が弱いんだね」

「何だよ、からかいたいだけか? だったら、部屋に戻ってくれよ……」

「そうじゃないよ。一緒に寝たいなって思ってきたの」


 改めて綾音を見てみれば、腕に枕を抱えていた。

 本気で一緒に寝るつもりか?


「お前、さっきのこと忘れたわけじゃないだろ……」

「もちろん。でも、あれはあれ。これはこれだか……」

「顔赤いぞ」

「ぐぅっ⁉」


 顔色を指摘すると、綾音は低く呻いた。

 やっぱり、お前も恥ずかしかったんじゃないか……。


「そこまで無理して一緒にいることないだろ。せめて、寝る時くらいは一人に刺せてくれよ……」


 これ以上話すこともない。

 綾音の背を向ける形で寝転がった。


 しかし、綾音は部屋から出ていこうとしない。

 気になってしまい、振り返ってみる。


 綾音が泣きそうな顔で俺を見ていた。


「っ……なんだよ、その顔」

「……翔馬は分かってないんだよ。死んじゃうのが、どういうことなのか」


 小さく身体を震わせながら、綾音はポツリと溢した。


「死んじゃうと何もできなくなっちゃうんだよ? 好きな人に好きって言えない。やりたいこともできない。未来なんてなくて、目の前は真っ暗……でも、こうしてチャンスが巡って来た。翔馬と一緒に居られるのは今だけかもしれない。だったら、今やりたいことをやるべきじゃない?」


 俺だって分かっている。

 綾音が死んでしまった後の絶望も知っている。


 少しだけ目を伏せた後、深く息を吐き出した。


 ベッドから立ち上がると、泣きそうな綾音の肩を掴んで引き寄せた。


「わっ!」


 ベッドに二人して倒れ込む。

 綾音は今、俺の腕の中だ。


「し、翔馬……?」

「……仕方ないから、今日は一緒に寝てやるよ」

「っ……うんっ。ありがと、翔馬!」


 綾音は表情を一気に明るくすると、俺に抱き着いてきた。

 柔らかな身体を密着させられ、身体が熱くなるのを感じる。

 綾音の顔も真っ赤だった。


「えへへ。熱いね」

「……これじゃあ、二人とも布団はいらないかもしれないな」

「うん。お互いの身体を密着させて、温め合おうよ」


 綾音は俺の足に、自分の足を絡ませてきた。

 胸の双丘で腕を挟み、ギュッと密着してくる。


「お、おい……」

「んっ……翔馬の心臓の音も聞こえる……」


 俺の胸に耳を当てると、綾音は目を閉じて言った。

 身体を密着されている上に、心音まで聞かれると恥ずかしいな……。

 今すぐ身体を引きはがしたかったが、さっき一緒に寝るのを許してしまったので言い出せない。


 そうして綾音を拒絶できないでいる間にも、さらに力を込めて抱き着いてくる。


「そんなに密着する必要なくね?」

「やだ。寝た後も翔馬がそばにいるって感じていたいんだもん」


 でもね、と。

 綾音はいたずらっぽく笑いながら、俺を見上げた。


「もっと密着する方法、あるよ?」

「も、もっと……?」

「――キスするの」


 綾音は宝石のような瞳を輝かせて言った。

 ベッドの中で身じろぎし、身体の位置を変えると俺の耳に唇を寄せてくる。

 温かな吐息で耳を撫でながら、綾音は囁いた。


「だからね、キスしよ? もっと、お互いのことを近くで感じられるように……」


 綾音へ振り返る。

 彼女は目を閉じ、唇を俺へとさらに近づけてくる。


「……むぐっ」


 綾音の顔を胸に押し当て、やめさせた。

 腕の中で、綾音が不満げにこちらを見上げてくる。


「むぅ……どうしてしてくれないの……」

「今の身体は雪奈だろ。雪奈を傷ものにしたくないんだってば」

「大げさだなぁ。別に、兄妹なんて何度もキスしてるものじゃないの?」

「んなわけあるかっ」


 綾音は一人っ子だったし、兄妹の仲の良さについて色々と誤解してそうだ。

 それにしては、ちょっと歪んでる気もしなくはないが。


「じゃあ、いいもん。キス出来るのは唇だけじゃないし」

「それってどういう……ひぃっ⁉」


 綾音が俺の首筋へとキスした。

 ぞわり、と背筋に寒気が奔った。


「んちゅ……れろ……あむっ……んっ……んちゅぅ…………」


 首に唇を触れさせ、吸い、舌で舐める。

 舌先から垂れた唾液が水音を奏で、その音にさらに身体が熱くなった。


「んちゅ……んっ……くちゅ……」

「や、やめ……っ」

「んへへ……やーらっ」


 引き留めようとしたが、綾音は止まってくれない。

 そのまま、さらに首から鎖骨へと舌先を移動させる。


 身体を舐めているだけなのに、キスよりもさらにイケナイことをしているように感じてしまう。


「んっ……はぁ……はぁ……しょうまぁ……」


 甘ったるい声で俺の名前を呼び、綾音は身体を放した。


 ベッドの上に座ると、パジャマのボタンに手をかけた。

 上から順番に外していき、中から乳白色の果実で出来た谷間が露わになる。

 見せつけるように前傾になりながら、綾音はとろんと蕩けた目で俺を見つめた。


「翔馬も……舐めて……? 身体、熱いの……」

「っ……!」


 潤んだ目で見つめられながら囁かれた言葉に、ついに自制が利かなくなった。


「あっ、んんっ!」


 綾音の身体に抱き着き、はだけた服から覗いた鎖骨へと舌を這わせる。

 甘い嬌声を上げる綾音を逃がさないように抱きしめてその身体を舐めていく。


「んぅぅ……し、翔馬……しょう、まぁ……!」


 いけないことをしている自覚はあった。

 俺が相手しているのは綾音じゃなくて、雪奈の身体だ。

 実妹の身体に、こんなに興奮を覚えるなんておかしい。


 だけど、一度点いてしまった火を止めることは、自分の力ではできなかった。


「綾音……っ」


 俺は綾音の身体を組み敷いていた。

 綾音は呼吸を荒くしながらも、口許に笑みを讃えていた。


 まるで、俺に求められているのが嬉しいみたいに。


「いいよ……翔馬……私と……しよ?」


 綾音は半分まで止めていたパジャマのボタンを、ついに全部外した。


 ボタンで締め付けられた双丘が、重力に従って左右に零れる。

 辛うじて、まだパジャマで隠れてその全てを見ることはできない。


 だが、手を伸ばせば風呂場で見たあの光景をもう一度見ることになる。

 心臓が痛いほど強く鼓動を始め、息を呑んだ。


 綾音は俺の反応を見て、面白がるように笑っていた。

 パジャマに手をかけ、俺の期待に応えるようにゆっくりと、服に隠れた素肌を晒そうとして――。


「……ごめん」


 俺は、綾音の手を掴んで引き留めていた。


「どうして、止めるの? 翔馬がしたいなら、私……」

「そんな泣きそうな顔で言われても、説得力ないって」


 綾音は目を丸くした。

 その白磁の頬に、涙が伝う。


「ど、どうして……私、翔馬とそういうことをしたいはずなのに……」

「やっぱり、中身は綾音でも身体は雪奈ってことだろ」

「雪奈ちゃんが、本能的に嫌がってるってこと……?」


 それは、たぶん違う。

 俺が誘えば、雪奈だってそういうことはしてくれる……と思う。


 ただ、自分以外の他人に自分の身体を勝手に使われるのが嫌なんだろう。

 まして、雪奈の初めてを奪うなんて……許される行為じゃない。


「とにかく、その身体は雪奈のものだ。雪奈を傷付けることは、俺にはできない」

「そんな……」


 綾音は顔を覆った。


 俺たちは、互いになくてはならないほどに好き同士で、愛し合っている。

 身体の制約さえなければ、今だって本能のままにしていたことだろう。


 だが、その身体は血の繋がった兄妹。


 俺たちは、キス以上の関係にはなれないのだ。

 そして、俺自身も。


 ……あれだけ興奮したのに、生殖機能が反応しなかった。

 雪奈と子供を作りたいという願望が、本能的にないのだ。


 俺は最低だ。

 欲に負けて、雪奈を傷付けようとした。

 それなのに、綾音の気持ちにも応えられないなんて……。


 奥歯を噛みしめる。

 すると、綾音が顔を腕で覆ったままぽつりと言った。


「……決めた。私、翔馬のことをもっと好きになる」

「え……?」

「この身体が、私の意思じゃないところで嫌がるなら、嫌がらないようにもっと翔馬のことを好きになる。翔馬にも私をもっと好きになってもらう。そうすれば……次はきっと上手くできるはずだから」

「……そうだな」


 俺は、少し嘘を吐いた。


 俺と雪奈は付き合っている。

 お互いに好き同士なんだ。


 たとえ、これ以上好きになったとしても綾音の気持ちに応えることはできないだろう。

 

 その事実を伝えられず、目を固く閉じた。

 綾音は頭を撫でてくれて、慰めようとしてくれた。


 その優しさが、心に毒針を植え付けていくみたいだった。



***



 ――身体が重い。


 翌朝、目を覚ました俺が感じたのは、まずその感触だった。

 瞼を持ち上げてみれば、カーテンの隙間から朝日が差し込んでいる。


 ……結局、あれから綾音に抱きしめられたまま寝たんだっけ?


 寝ぼけているせいで記憶があいまいだったが、次第に覚醒していく。

 それと同時に、俺は誰かが自分に跨っていることに気づいた。


「綾音……?」


 目を擦ると、視線の先には思った通り綾音の姿が……。


「何寝ぼけてるんですか?」

「え……?」


 その丁寧な口調に、背筋が震える。


 綾音、じゃない。

 この喋り方は、もしかして――。


「どうかしましたか、兄さん? 私は雪奈ですよ?」


 綾音が、消えた――?


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