第5話 転生した幼馴染みとお風呂


 その後、綾音の作ってくれた夕食を食べ終えると、俺は風呂へ入ることにした。

 夕食の片づけをしようとしたのだが、綾音に「私がやるから」と止められてしまったのだ。


 そういうわけで、やっと一人きりになれた。

 湯船に浸かると、手のひらでお湯を掬って顔にかけた。

 温かなお湯が顔を覆うと、思わずため息が零れた。


 今日はなんだか疲れた。

 雪奈が階段から落ちるし、かと思えば綾音に転生するし……。

 ヤンデレだって発覚するし!


 綾音に再会できたことは嬉しいけど、やっぱり困惑の方が大きい。

 雪奈とはもう会えないかもしれないのに、素直に喜んでいいのか?


「………………ん?」


 その時、ふと風呂の前の脱衣所から物音が聞こえた。

 衣擦れの音が鳴り、扉が開く。


 そして、綾音が入って来た。


 ……身体はギリギリ、バスタオルで隠されていた。

 長い髪も頭の上で纏めており、普段は隠れている耳が露出して色っぽさを感じさせる。


「お、おい! 何で入ってきてんだよ⁉」

「いいじゃん、別に兄妹なんだし。どうせ、雪奈ちゃんと一緒にお風呂入ってたんでしょ?」

「小学生までの話だ!」


 むしろ、雪奈の成長が早すぎて小学校の高学年になる頃には入らなくなっていた。

 雪奈は寂しがって「一緒にお風呂入りたいです……」とせがんできたっけ。

 けど、思春期には目に毒すぎる光景が広がるので、丁重にお断りしていた。


「それじゃ、久しぶりの兄妹水入らずのお風呂だね!」

「いや、もう俺が出ていくから……」

「そんなこといって、本当は雪奈ちゃんといつも一緒にお風呂入ってたんでしょ? ズルいよ。私というお嫁さんがいるのに他の子とお風呂入ってたなんて」


 まだ、ヤンデレスイッチ入ってるじゃん!

 どうすりゃいいんだよ、俺は⁉


「ほら、翔馬。頭、洗って?」

「何で俺が……」

「翔馬の手の感触を一分一秒でも多く感じたいの。ただでさえ、この二年間で雪奈ちゃんに遅れを取っているんだからここで挽回ばんかいしなきゃ……」


 ……綾音は、本気で今の姿のままで俺を再攻略する気らしい。


 俺はため息を溢すと、一旦、浴室から出た。

 扉の前に置いてあったバスタオルを腰に巻いて浴室へ戻ってくると、綾音の後ろに膝立ちになる。


「洗ってやるから、髪を解いて」

「うんっ。翔馬って何だかんだ言いながらやってくれるよね。そういう優しいとこ好き~」


 綾音はにへらにへらと笑いながら、頭の上に束ねるように結っていた髪を解いた。

 はらりと、長い白銀の髪が床へ滑り落ちていく。


 その頭にお湯をかけると、手にシャンプーを取って髪を洗い始めた。

 爪を立てないように気を付けながら、頭皮を撫でるのを意識して洗っていく。


「んっ……。翔馬の手つき、優しいね」

「雪奈の髪は綺麗だからな。傷付けたくないんだよ」


 俺は雪奈の髪が好きだった。

 艶やかで、風が吹くとふわりと舞い上がるその髪が。


 しかし、綾音は今の言葉をお気に召さなかったらしい。

 むぅ、と頬を膨らませて、正面の鏡越しに睨んでくる。


「私の方が綺麗だったもん……」

「……そうだったな。綾音の髪も綺麗だったよ」


 綾音の元々の髪色は、明るい茶色だった。

 今では触れることもできないが、頭を撫でる度に感じた髪の柔らかな感触は今でも覚えている。


「えへっ。翔馬にまた褒められちゃったぁ」

「……あのさ。俺だって綾音が転生して嬉しくないわけじゃないんだよ。ずっと好きだったし、ずっと大事にしたかった」

「でも、雪奈ちゃんを優先して死んでくれなかった。一緒に死にたかったのになぁ……」


 綾音は目を伏せながら、そう話した。


「……流すぞ」


 シャワーの蛇口を捻り、軽くお湯を流して温かさを調整する。

 白くて艶のある髪を、宝石でも取り扱うかのように慎重に流していく。

 毛先まで完全に泡を流すと、俺は小さく息を溢した。


「……それじゃ、俺は先に上がるから」

「待って」


 立ち上がろうとした時、綾音に手首を掴まれた。

 頬を上気させながら、綾音が俺を見上げてくる。

 甘えたような視線で、ぷっくりと膨らんだ桜色の唇が動く。


「まだ、身体が洗えてないよ?」


 胸元を隠していたタオルから手を放し、生まれたままの姿を晒そうとしてくる。

 落ちそうになったタオルを咄嗟に掴み、その身体を隠した。


「や、やめろって! そうやって、雪奈の身体を軽々しく扱うのは!」

「別にそういうつもりじゃないよ。てか、翔馬になら雪奈ちゃんも見られていいって思ってるんじゃないかな?」

「何でそう思うんだよ……」

「だって、雪奈ちゃんって……」


 綾音は何かを言いかけたが、途中で深くため息を吐いてやめてしまった。


 何を言いたかったんだ?

 疑問はあったが、綾音が静かにこちらを見つめてきていることに気づいた。

 ……やっぱり、やらないといけないのか。


「……分かったよ。でも、背中だけな」


 渋々、そう答えると綾音がようやく手を放してくれた。


 身体を洗うボディタオルを手に、ボディソープを着けて泡立てていく。

 ある程度、泡立つと綾音の背中へと軽く触れさせた。


「んっ」

「ご、ごめん! くすぐったかったか?」

「う、ううん……ちょっとビックリしただけ……」


 綾音は首を振る。

 白いうなじをほんのりと赤くさせながら。


 髪を上にあげているせいで、余計に色っぽく感じてしまう。

 緊張で心臓が痛くなる。


 おちつけ、俺……!


 震える手に力を籠め、綾音の身体へとタオルを押し付ける。

 ゆっくりと手を動かし、宝石を扱うかのように丁寧に背中を洗っていく。


「んっ……んんっ……翔馬に洗われるの、好きかも……」

「別に、自分で洗うのも変わらないだろ……」

「ううん。大事にしてくれてるって、分かるから」


 綾音は正面を向いたまま、口許に笑みを讃えた。


「髪を洗ってくれた時もそうだったけど、手つきが優しいね。本当に、雪奈ちゃんのことが大事なんだ……殺しちゃいたいくらい嫉妬しちゃうなぁ……」

「この身体が綾音だったとしても大事にするに決まってるだろ。今じゃ口だけになっちゃうけど」


 俺にとっては、綾音も雪奈も変わらないくらいに大事な女の子だ。

 傷つけたくないし、嫌われたくない。

 だから、綾音に自分だけを選んで死んでほしいと言われても死ねない。


「まあ、これから好きになってもらえばいいもんね」


 小さく溢したその一言に、思わず心臓がぎゅっと締め付けられてしまう。

 正面の鏡に写った、綾音の寂し気な表情も身体を熱くさせるには十分な燃料となった。


 それでも、俺は綾音に手を出そうとしない。

 雪奈を傷付けないために、こうするしかないんだ。


 羞恥に耐えながら、綾音の……雪奈の身体を洗っていく。

 やがて、背中を洗い終えると熱くなった息を吐いた。


「も、もういいだろ……後は自分でやってくれ……」


 熱くなる顔を逸らしながら、綾音にボディタオルを渡そうとする。

 だが、前へ手を伸ばした瞬間、手首を掴まれた。


「翔馬……まだここが残ってるよ?」


 肩越しに振り返った綾音は、首まで赤くなりながら自分の胸元を指した。

 タオルで隠された胸元へと、掴んだ俺の手首を持っていこうとする。


「ちょ……そこは流石に……!」

「いいの。私は、翔馬に触られても大丈夫だから……」


 そういう問題じゃない!


 綾音は止まらない。

 俺の手首をそのまま双丘の谷間で挟もうとする。


 身体に巻いていたタオルから手を放し、乳白色の膨らみの頂にツンと立った赤いものが見えそうになり――。


「だ、ダメだって!」


 俺は慌てて、掴まれた手首を引き抜いた。

 その勢いで、思わず床に尻をついてしまう。


 綾音は椅子に座ったまま我に返り、「ひゃあっ!」と悲鳴を上げた。


「……自分でやっておいて、恥ずかしくなるのかよ……」

「う、うぅ……だって……翔馬に私のことをもっと好きになってほしかったんだもん」


 湯気で湿った空間に、気まずい沈黙が下りた。

 しばらくして、俺はゆっくりと立ち上がった。


「ほんと、無理しなくていいから……。無理して恥ずかしい思いをするのは、お互いのためにもならないだろうし……」

「…………うん」


 小さく頷く綾音を背に、俺は浴室から出た。

 後ろ手で扉を閉めると、脱衣所の床に座り込んで息を吐いた。


「……何やってんだよ、俺は……」


 危うく、受け入れそうになっていた。

 雪奈の……実妹のあの成熟しきった身体に触れたいという欲求が、身体の内側から溢れて暴れ出しそうだった。


 実妹に手を出しそうになってしまったんだ。

 後悔が、今もまだ激しく脈動する心の奥に渦巻いていた。


 その時、背後の浴室から綾音の声が聞こえた気がした。


「……早く結ばれたかったかっただけなのに」


 その声には、寂しさが孕んでいた。

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