第12話 バカになるほど好きすぎる妹


「えっと……兄さん? これは、どういう状況でしょうか……」

「…………」


 帰宅後、俺は自室のベッドの上で雪奈を後ろから抱きしめていた。

 腕の中で、雪奈が困惑している。


「……いや、安心したんだ。何もなくてよかった……」

「心配してくれたんですか?」

「当たり前だろ。お前に何かあったら、俺は生きていけないぞ」


 雪奈は照れくさそうに俯いた。


「……兄さんがそこまで私のことを心配してくれるなんて……えへへ」

「それに、今日は俺を避けてただろ。教室に行った時も冷たかったし……」

「あ、あれは、友達がいないのを兄さんに見られたくなかっただけですよ」


 よかった。

 ストーカーして嫌われたわけじゃないらしい。


「でも、兄さんがこんなにぎゅってしてくれるなんて珍しいですね」

「嫌ならやめる」

「嫌なんて言ってないです」


 むしろ、もっと求められたいです――。

 雪奈は、小さな声でそう呟いた。


 なら、と俺はさらに強く雪奈の身体を抱きしめた。


「……何だか、変なんです」

「変?」

「この間、階段から落ちた時からずっと、この辺りに穴が空いているみたいで……」


 雪奈は自身の胸に手を宛がった。


「この感覚が何なのかは分かりません。ただ、一つ言えることがあるとすれば……」


 俺に抱きしめられたまま、雪奈は顔を上げてこちらを見つめた。

 冷たい瞳のまま、淡々とした口調で。


「私……兄さんのことが日に日に大好きになっていっているんです」


 雪奈は、甘い言葉をささやいた。


「血が繋がっている兄さんに恋をするなんておかしいことだと分かってます。けれど、好きって気持ちは自分では止められないんです」


 お腹に回した俺の手を取り、雪奈の胸へと持っていかれる。

 胸の上の辺りに押さえつけられると、手のひらに彼女の心臓の鼓動を感じることができた。


「この心の隙間を埋めたいんです。だから、今日は一緒に寝てくれませんか?」


 いつもなら断る誘いだ。

 けれど、おかしいのは雪奈だけじゃない。


「……ああ、分かった。先に寝る準備を済ませないとな」

「はいっ。それでは、私は部屋の掃除をしてますね」


 雪奈は俺の膝の上から立ち上がると、軽い足取りで隣にある自分の部屋へ戻っていった。


 雪奈がいなくなった後で、俺はベッドに横たわる。


 実際に雪奈が告白されていた場面を見たのは、初めてだった。

 雪奈はモテるんだと、話だけは聞いていたが、その光景を目にしてしまうと息苦しさを感じた。


 雪奈が取られる。

 そう思うだけで、死にそうになる。


「……俺もすっかり、シスコンだな……」


 ベッドの上でため息を溢した。



***



 まだ済ませていなかった夕食を終え、風呂に入って寝る準備を整えた。

 約束通り、今夜は雪奈と一緒に寝るために彼女の部屋の前までやってきていた。


 身体の内側から突きあがるような、激しい心臓の鼓動を感じながら扉をノックする。

 少し遅れて、固い声で「はいっ」と答えるのが聞こえた。


 雪奈の部屋に入ること自体は初めてじゃない。

 なのに、何だか結婚初夜みたいな雰囲気がするのは何故だろうか?


 いや、結婚したことないから初夜とかもよく分からないけど。


 雪奈が緊張していると俺まで緊張してくる。

 心臓の鼓動が早く鳴るのを感じながら、ゆっくりとドアノブに手をかけ扉を開く。



 ――その先には腐海ナウシカが広がっていた。



「部屋きたなッ⁉」

「これでも片づけましたよ!」


 これで片付いてるなら、廃墟で暮らしたほうがまだマシだ。


 物が散らかっているのはもちろんだが、食べかけのお菓子や飲みかけのペットボトルも放置されている。

 さらに床に放り投げられた服の一部はカビが生えており、見たことのない白いキノコが生えているんだぞ。


 見たことあるか?

 服からキノコが生えてくる光景!


 雪奈の身体が綾音に入れ替わることもあったけど、よくこんな部屋で過ごせたな。

 ……いや、片づけたら雪奈にバレるから、手をつけなかっただけか。


 目の前に広がる惨状に、俺は深く息を吐いた。

 ベッドの上(これまた物が散乱している)でこちらを見ている雪奈へと、俺はこう告げた。


「寝るよりも先に部屋の掃除だな」

「やだぁぁあぁああああ――――ッ‼」


 俺たちの甘い夜は、先が長いのかもしれない。


 駄々をこねる雪奈を無視して、俺は一度部屋を出た。

 リビングへ降りてゴミ袋を手にし、再び部屋へ戻る。

 その後は、ただひたすらにごみを袋へ放り込む作業だ。


 やっと床が見えてきたころには、日付が変わっていた。

 掃除が終わったのは、それからさらに三時間後……つまり、深夜の三時だ。


「けほっ……酷い目に遭いました……」

「俺のセリフだ、バカ妹……」


 大掃除を終えた俺たちは、ようやくベッドに横たわっていた。

 疲れすぎて、もう雪奈とイチャつく気力も残ってない。


「せっかく兄さんとイチャイチャできると思ったのに……」

「そうがっかりするなよ。明日もあるだろ」

「え? 毎日一緒に寝てもいいんですか?」

「そりゃあ……雪奈がいいなら」

「ダメなはずないですよ」


 隣に寝転んだ雪奈は、俺の服の裾をつまんで言った。


「いつでもどこでも、私は兄さんの傍に居たいので……」

「……お前は、本当に可愛いな」


 雪奈の頭を撫でると、くすぐったそうに彼女は笑った。

 最近は、表情も少しずつ緩んでいる気がする。


「今日の埋め合わせもちゃんとしてくださいね?」

「元はと言えば雪奈が原因だった気がするんだけど?」

「これからは気を付けますよ……」


 顔を赤くしながら話す雪奈。

 反省しているのなら、明日から部屋が腐海化することはないだろう。


 ……そう信じたい。


「まあいいけどさ。それで、埋め合わせって……」

「明日、デートしてください」


 雪奈がじぃと俺の目を見つめながら言った。


「でも……」

「休日に出かけることくらい、兄妹なら普通にやりますよ。むしろ、私は兄さんとの仲をクラスの人たちに見せつけてやりたいって思ってるくらいなんですからね?」

「みんなに見られたら、変な噂が立つだろ。それは雪奈のためにならないって」


 もし、俺以外の誰かを好きになった時に変な噂があれば恋愛できなくなるかもしれない。


 俺とこのまま恋人でいても雪奈は不幸になるだけだ。

 結婚もできないし、俺は綾音に未練を抱いている。


 しかし、雪奈は頭を振った。


「良いんですよ。私には、兄さんがいるだけで十分ですから……」

「でもな……」

「それに、兄さんだって私のことをこんなに心配してくれるじゃないですか。だったら、私にしておきましょうよ。兄妹だから周りに変な目で見られる、なんてつまらない世間体は捨てて」


 雪奈は俺の方へ身体を寄せると、胸の辺りに顔を擦りつけてきた。

 俺は彼女の頭の後ろへ腕を回すと、優しく抱きしめた。


「……兄さんの優しい匂い、好きです。この匂いに包まれていると、安心して眠れるんです……」

「……そっか」

「私、学校の人たちと仲良くしたいわけじゃないんですよ……。みんな、私を評価しすぎなんです。本当の私は、部屋が腐海になってしまうほどだらしなくて、勉強だって嫌いなダメ人間です。きっと、その姿を見ればみんな失望しちゃう……」


 雪奈は成績優秀で、学校でもクールな美少女として名高い。

 彼女のクラスを見ていた時にも感じたが、雪奈はクラスメイトにも一目置かれる存在なのは明らかだった。


 けれど、それらは正しい評価じゃない。

 他人に向けたよそ行きの仮面。

 偽りの自分を褒められても、「それは自分じゃない」という感覚が残るのは必然。


「私を認めてくれるのは、兄さんだけなんです。兄さんだけが居ればいいんです。だから、拒まないで下さいよ……」


 俺が雪奈の彼氏として人前に立つようになれば、彼女が告白されることは無くなる。


 だが、それは倫理的にアウトだ。

 偏見の対象になってしまいかねない。


 雪奈はその壁を無視しようとしている。

 俺と結ばれることを優先して、その後のことなんて考えちゃいない。


 一見するとバカだ。

 バカなほどに、俺のことが好きすぎる。


 俺も、雪奈みたいなバカになれば、細かいことなんて気にしなくてよくなるのかな……。


 そんなことを考えると、静かな寝息が聞こえた。

 隣を見れば、雪奈が目を閉じて眠りに就いているのが分かった。


 深夜まで掃除もしたし、疲れたのだろう。


 俺は苦笑しながら、部屋の明かりをリモコンで落とした。

 常夜灯だけになった薄暗い部屋の中で、雪奈の身体を抱きしめて瞼を下ろす。


 その日、雪奈が綾音になることはなかった。

 そのことに気づいたのは、翌日の朝だった。


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