番外編3.セシリーとシリルと

 


「わぁ~! すごいっ、すごいわ!」


 セシリーは歓声を上げていた。

 場所は聖空騎士団宿舎。その倉庫である。


 作家希望のシリルに呼ばれてここにやって来たセシリーは感動していた。

 というのも倉庫におかれた棚の中には、所狭しと原稿用紙の束が詰まっているのだ。

 これが全てシリルの書いた恋愛小説と聞けば、セシリーはもうきゃあきゃあ言ってしまうのだった。


「少し読んでみてもいいかしら?」

「はい、もちろん」


 興奮するセシリーは、シリルの後ろに立つジークの渋面には気がついていない。

 原稿用紙を手に取って、ぱらぱらとめくってみる。内容が気になるようなタイトル、魅力的な登場人物たち、次々と起こる事件、ドキドキの恋愛ドラマ……どこを見て取ってもワクワクしてしまう。


「た、宝の山じゃない……すばらしい。感動したわシリルさん」

「えへへ。ありがとうございます」


 シリルが照れくさそうに頭をかく。笑うと、騎士団最年少の少年は本当に幼げに見える。

 騎士団の仕事の合間にちびちびと執筆しているというが、ものすごい量だ。これだけの物語を書くのには、どれだけの時間がかかるのだろうか。書き物といえば手紙くらいのセシリーには想像がつかない。


「シリルさんって、何か恋愛小説を書くきっかけとかあったの?」

「きっかけ、ですか。そうですね……よく姉の小説を借りて読んでいたので、その影響があるかもしれません」


 どうやらシリルは実の姉と読み友だったらしい。なんて羨ましいことだろうか。


「現実とはかけ離れたきらびやかな世界で起こる、夢のような、嘘のような、虚構の恋愛物語……心が弾みますよね」


 何かいやなことでもあったのだろうか。セシリーはちょっぴり心配になったが、遠い目で語るシリルはこれ以上なく幸せそうだ。


 それにしても今日中に読み切れるような量ではない。セシリーはシリルに訊いてみた。


「ねぇねぇ。気になるお話って、持ち帰って読んでも大丈夫かしら? なくしたり汚したりしないように、気をつけるから」

「もちろん大丈夫ですよ。また感想でも聞かせていただけたら嬉しいです」

「ええ! 私なんかで良ければ心を込めて書くわ!」


 セシリーは張り切って頷く。高尚な感想なんて言えないけれど、シリルもそれは分かっているだろう。


(御者にも手伝ってもらって、馬車に詰め込んで持ち帰ろうっと!)


 セシリーはもう、るんるん気分だ。


「ほら見てみてジーク! このお話もすっごくおもしろそうだわ!……ジーク?」


 反応が返ってこないのを不思議がり、セシリーが名前を呼ぶと。

 ぶすっとした仏頂面をしたジークが、目を背ける。セシリーは唖然としたが、シリルはいろいろと察するものがあったらしい。


「そ、それじゃ僕はこれで! あ、倉庫の鍵は管理室に返してもらえれば大丈夫ですから!」

「え、ええ。ありがとうシリルさん!」


 そそくさとシリルが倉庫を出て行く。今日は休息日なのにセシリーに付き合ってくれたのだ。

 取り残されたセシリーは、とりあえずもう一度ジークに話しかけてみた。


「えっと、ジーク? ね、本当にシリルさんってすごいわよね。こっちのお話は怪盗が出てくるんですって。それにこっちはヒーロー役が王子よ!」

「俺は全部読んでるから」


 そうだった。ジークこそシリルの腕を見出し、この倉庫も特別に貸し出している張本人なのだ。

 今さらセシリーが何を言う必要もない、シリルの第一のファンである。つまり先輩である。そう思い出したセシリーはにこにことジークに話しかけた。


「それじゃあ何かオススメの作品とかある? 私は目移りしちゃって、最初の作品が選べそうもないっていうか――」

「……セシリー」


 鼻歌を歌いながらセシリーが原稿用紙を漁っていると。


 ――後ろから、ジークに抱きしめられた。


「……そんなに楽しそうに、他の男の名前を呼ばないでくれ。気がおかしくなりそうだ」

「!!!」


 セシリーは心の中でありったけの力で旗を振った。

 そこには何か文字が書かれている。



「おかしくなって♡」――。



「も、もう、ジークったらいつもそればっかり」

「俺に嫉妬してほしくてやっているなら、すぐにやめてくれ。心臓がもたない」


「もたないで♡」の旗を振りまくるセシリー。


 身体に回された筋肉質な腕は、否応なしにセシリーの胸を高鳴らせてしまう。

 ジークは何やらシリルと仲良く話すセシリーに嫉妬を募らせている様子。これは大いなるチャンスだ。絶対にこの機会を逃してなるものかと、セシリーは目をギラギラさせている。


(観念してよねジーク。今日こそ……今日こそ私にキスさせてやるわ!)



 そう――お察しの通り!

 二人は未だ……キスもしていなかった!!



 つい先日。シャルロッテの宮殿にていろいろときわどく盛り上がった二人ではあるが、人様に言えないようなことなど、あのあと何も起こっていない。

 それは当たり前である。ジークは凶犬騎士と呼ばれているが、実際は実直で生真面目な男だ。嫁入り前の娘に手を出すほど、彼は破廉恥で責任感のない男ではない。


 そんなことをすれば、セシリーがどれほど傷つくか……そう想像すれば、鋼の精神で両手を上に上げることができるのが、ジークという男である。仕える主の宮での出来事だったというのも、ジークを踏み止まらせる大きな要因として働いた。


 しかし!

 セシリーは正直、手を出してほしかった。というより、あそこまで盛り上がっておいてまったく手を出されなかったというのが、逆にショックだったりする。


 確かに自分は嫁入り前。だが、ジークとの婚姻は確定している身なのだ。

 ちょっとくらい触られたりしたって、別にいい。ジークだからいい。キスなんて子ども同士だってするのだから、セシリーだってしてみたい。

 そういう気持ちでいたものだから、ジークがあのあとまったく触れてこなくて、めくれたスカートの裾を赤い顔で直したりしているのを見て、悔しい気持ちになったのだ。


(私だって――キスくらいしたーい!)


 というわけで、今日のセシリーは策略を練っていた。

 というのも単純な作戦だ。この状況こそが、セシリーの策を物語っているといえよう。


 シリルが書いた珠玉の恋愛小説の草稿が溢れる空間……。

 ここでならば、恋愛の話をするのはごく自然なこと。どの場面が良いか、どの台詞にグッと来たか。そんな話をしていれば、自分たちにもそういう艶っぽい雰囲気が漂い始めるに違いない。


(私の勝ちよ、ジーク。ここについてきてしまった時点であなたの敗北は確定したわ……)


 これはセシリーの猛攻とジークの自制心の仁義なき戦いである。

 セシリーの行動が始まる。やれやれ、と呆れたように溜め息を吐いたのだ。


「何言ってるのよジーク。私たちは小説を読みに来たのよ? シリルさんはここまで案内してくれただけじゃない……それなのに嫉妬がどうとか、へそで紅茶が沸いちゃうわよ?」


 まさに余裕の躱し。

 身のこなし鮮やかなセシリーに、一瞬ジークの動きが止まる。彼はやや恥ずかしそうな顔で、セシリーの拘束を解いた。


「そ、そうだよな……悪い。勝手に妬いたりして」


(もっと妬いてくれて構わないけどね!)


 本音を必死に仕舞い、セシリーは取り繕う。

 そして、さっそくセシリーは仕掛けた。


「ねぇジーク? この中でジークの胸にきゅんときたお話ってある?」

「俺の趣味は、セシリーとは違うかもしれねえけど……」


 断りを入れつつ、ジークが中腰になって本棚の中を漁る。


「そうだな……これとか良かったな」

「どれどれ、見せて……」


 後ろから覗き込んだセシリーは、そこで固まった。

 原稿用紙の一ページ目に書かれたタイトルが目に入ったのだ。


(『キスしてほしくて! ~子爵令嬢は忠実な騎士の甘い口づけを求める~』)


 セシリーの背中を滝のような汗が伝う。

 なんというか、現状にあまりにぴったりすぎて逆に怖い。


 まさか最初からセシリーの作戦は、ジークに筒抜けだというのか?


(いやいやいや、そんなばかな!)


 ジークの横顔を見るに他意はなさそうだ。単純におすすめ作品を出してきただけなのだろう。


(それはそれとして読みたい!)


 セシリーは欲望に忠実だった。これは必ず読もう、と心に決める。


「ふぅん。どういう話なの?」


 平静を装って訊ねれば、ジークが教えてくれた。


「恋に積極的な子爵令嬢が、自分に仕える禁欲的な騎士を一生懸命に誘惑して、口づけさせようと奔走する話なんだ」

「へ、へぇ……お、おもしろそう」


 セシリーはなんとか笑みを浮かべる。

 細部は違うが、ほとんどセシリーとジークの話に聞こえる。それにしてもびっくりするくらいニアミスだが……。


「まぁ、まだ中身は書けてないんだが」

「……え?」


 ぺらぺら、とジークが原稿の束を捲る。そこには、一文字も書かれていなかった。

 よくよく見比べれば、『キスしてほしくて!』の筆跡だけ、他の原稿とは異なっている。

 これはシリルの書いたお話ではないのだ。つまり偽の原稿を用意したのは、ジーク本人――。


「だ……っ騙し――」


 セシリーの怒りの言葉は、最後まで続かなかった。

 唇が熱いものに塞がれている。手にしていた原稿用紙が、ぱさりと床に落ちる。


 数秒の触れ合いのあと。

 もどかしそうに唇を離したジークが、ぶっきらぼうに言う。


「騙して悪い。でも、俺だって最初は、もっとロマンチックな場所でするつもりだったのに」


 そんなジークの顔を、セシリーは問答無用で引き寄せる。

 目を白黒とさせるジークに、真っ赤な顔で要求するのは。


「…………も、もういっかい」

「え?」

「もう一回してくれたら、ゆ、許すから」



 そんな恋人の可愛らしい我が儘に、騎士は笑って応じる。

 それは物語よりもずっと甘い、蕩けるような口づけだった。









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