第37話.カオスな事態

 


 ……ジークが惚れ薬を飲んでいない?


 そんな馬鹿な、とセシリーは唖然とする。

 そんな都合の良いことがあってくれたら気楽だったが、ありえない。階段から落ちたセシリーを助けてくれたジークに、セシリーは問答無用で瓶の中身をガボガボと飲ませたのだから。


「えっ、でも私、惚れ薬をジークに飲ませたけど」

「う~ん……セシリー、本当にわたくしのレシピ通りに作ったの?」

「もちろん!」


 意気揚々と頷いてから、セシリーはふと思い出す。


「そういえばカエルの生き血だとかトカゲの尻尾だとかは、何か他のもので代用した気もするけど……」

「他のものって?」

「厨房にあったトマトとか、ごぼうとかだったかな……」

「………………」


 グレタは微笑んだまま沈黙する。


「それで惚れ薬ができるわけないじゃない」


 なんとまともなツッコミだろうか。


「で……できないの!?」


 セシリーはわなわなと震える。当時は完成したと大いに喜んだのだが、まさかトマトやごぼうでは駄目だったなんて。それなら最初からそう書いておいてほしいものだ。


「この子ったらダーリンに似ておバカなんだから……でもそんなところも可愛いわ。さすがわたくしの娘」

「えへっ」


 いかな状況だろうと、褒められれば喜んでしまうセシリーである。


「ま、待ってくださいグレタさん。だとすると、セシリーちゃんはジークにいったい何を飲ませたんですか? ごぼうトマトジュースだとでも?」


 アルフォンスの問いかけに、グレタがジークを見やる。

 食い入るように見つめられてジークはどこか居心地が悪そうだ。


「ん~……そうね。確かに魔法の残滓は感じるわ。セシリーの作ったごぼうトマトジュースに古代魔法が宿っていたのは間違いないわね」

「もったいぶらずに教えてください。その魔法ってなんなんですか?」

「そうねぇ、一言で言えば……」


 顎に色っぽく人差し指を当てたグレタが、その言葉を言い放つ。




「魔法効果は、そうね。言葉にするなら――『飲ませた相手に対して、とんでもなく素直になること』……ね」




「…………へっ?」


 その場に居る全員が、目を点にしていた。

 だがジークだけは、うんうんと頷いている。その通りだと言いたげに。


 しばし呆然としていたセシリーだが、どうにか気力を奮い立たせてグレタに訊ねる。


「で、でもおかしいわお母様。私、ジークとはほとんど初対面みたいなものだったけど、急に『可愛い』って言われたの! これって惚れ薬が効いてたってことでしょ?」

「違うちがーう。そのときにはジークくんは、セシリーに惚れていたってことよ!」


(え……っええ~~!?)


 セシリーはあの頃の、今や懐かしのジークの態度を思い出す。

 苛立たしげな顔つき、仕草。組んだ足の長さ。冷たい言葉を吐き、さっさと部屋を出て行ってしまった後ろ姿、階段を降りる足の長さ……。


「いや、ぜっんぜんそんな感じじゃなかったけど!」


 とてもじゃないが好きな相手への態度ではない。

 むしろ「この女うざってぇな」という感情が露骨すぎるくらい感じられた。あのときのジークはまさに凶犬騎士だったのだ。


「いちいちわたくしに聞かないで、本人が居るんだから直接ジークくんに聞いたらいいじゃないの。ねぇどうなのジークくん。出会った頃、セシリーのことどう思っていたの?」


 しばらくジークは答えなかった。


 だが、得体の知れないものを飲まされたからとセシリーに怒っているわけではない。というのもジークの褐色の瞳は、とっくにセシリーのことを見つめていた。

 さすがにもう抱き合ってはいないが、至近距離で見つめ合う二人に、シャルロッテが頬を染めている。いつキスするのかしらとそわそわしているのだが、繰り出されたのはキスではなくひとつの告白だった。


「出会った日から、俺は、その……彼女を可愛いと思っていました」


(そっ、そうなの!?)


 今初めて知る衝撃の事実に、セシリー目眩が止まらず!


「でも、一目惚れというのとは少し違うと思います。飛竜や聖空騎士団への理解がある彼女の勉強熱心さに、強く興味を引かれて……それに、俺を怖がらない女性というのも初めてでした」


 ただセシリーは飛竜乗りが登場する恋愛小説を読み耽っていたのと、ジークの残酷な言動にもドン引きしつつ表情に出さなかっただけなのだが、ジークは都合の良い風に勘違いしていたようだ。


「後日、会ってほしいと連絡が来たときは本当に心が弾みました。だけどセシリーはずっと気まずげで、婚約の件を断られるんだろうと思うと……苦しくて、冷たく突き放してその場を去ることしかできなかった、というか」

「団長すっごい饒舌だ!」

「団長ってこんなに喋れるのか!」


 団員たちに騒がれて、ジークは目元を染めている。

 それでも、納得しない者も居た。その筆頭がアルフォンスである。


「でもジーク、おかしいよ! ジークってあんな砂糖菓子みたいな言葉を吐く男じゃないよね!」

「そうよね。アルフォンスの下半身じゃないんだから」

「そうだよ! オレの下半身じゃないんだから!」


 シャルロッテの言葉を勢いで肯定するアルフォンスは、女性陣のドン引きにも気がついていない。


「やっぱり変だよ。惚れ薬を飲んだんでもなければ、あんな甘ったるい言葉は出てこないんじゃないの?」

「アルフォンス先輩、それなら僕に心当たりがあります」

「なんだよシリル!」


 てきぱきと挙手をするシリルに、アルフォンスが舌打ちしながら顔を向けると。


「僕は自分が書いたロマンス小説を、よく団長に読んでもらっていました……! 団長がセシリーさんに囁く愛の言葉は、小説内で僕が書いた台詞にちょっと似てるんです!」

「お前の書く小説ってロマンス小説だったの!?」

「ガチガチのロマンチック小説です!」


 アルフォンスが愕然としているが、セシリーには聞き逃せない情報だ。


 ありとあらゆる恋愛小説が出版される世の中だが、なかなかセシリーの好みと合致する小説ばかりではない。しかしジークの言動の基となった小説であれば、現在のセシリーの趣味とだいぶ一致しそうだ。非常にそそられる。


「それ、今度私も読ませてもらっていいですか!」

「もちろんですセシリーさん。ぜひ感想聞かせてください」

「やった」

「じゃ、じゃあ、やっぱり団長の下半身はセシリーに惚れ込んでるってことなのね。これってスタオベだわ」


 感動したシャルロッテがパチパチと小さな手を叩く。

 もはや場は混沌と化していた。団員たちは赤い顔で囁き合い、ジークは恥ずかしさのあまり視線をうろうろさせ、アルフォンスは頭を抱え、グレタはうふふと扇子で顔を扇いでいる。


 まだ見ぬロマンス小説にセシリーは思いを馳せかけたが、今はそれよりも重要なことがあった。


(あれ? つまりジークは惚れ薬を飲んでないのに……私のことが好き、ってこと?)


 しかもグレタによれば、「素直になる薬」とやらの効果も切れているというから――つまり目の前に居るのは、素面のジークということになるのか?


(そ、それだと、なんの問題も障害もないってことになるんじゃないの……!?)


 一瞬、セシリーは都合の良いことを考えそうになった。

 眼裏に、ハッピーエンドへの道筋が見えたような気がしたのだ。


 しかしそんな妄想は、長くは続かない。


「あら? みんなで集まって、どうしたの?」


 セシリーはごくりと息を呑む。


 ジークの幼なじみ――美しい笑顔を浮かべたローラが、そこに立っていた。



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