第9話.惚れ薬、飲ませる!

 


「うふふ、どうもすみません~。お忙しいのに、お呼び立てしたりして」

「……いや」


 素っ気なく顔を背けるジークに、セシリーは気まずい思いで「うふふふふ」と苦笑した。


 惚れ薬が完成してから七日後のことである。

 今日、ジークは再びランプス家の邸宅へとやって来た。というのもセシリーがスウェルを通して呼んだためである。本当はもっと早く呼びたかったのだが、多忙なジークは今日しか空いていなかったのだ。


 スウェルは「ジーク殿と親交を深めたいんだね!」と感動していたが、もちろん違う。

 今日、セシリーはジークに惚れ薬を飲ませる予定なのだ。


 しかし応接間で向かい合う二人の空気は非常にぎこちない。

 スウェルは用事で留守にしているので致し方ないのだが、思った以上に会話は一切弾まない。お互いに居心地が悪く、しきりに尻の位置を調整したり、紅茶を控えめに飲んだりと、そんなことばかり繰り返している。


 ジークはとうとう、この空気に耐えられなくなったようだ。


「それで、お話というのは?」

「あっ、それはですね、その~う……」


 目を泳がせるセシリーを、ジークは不審げに見やる。

 セシリーは手にしたバスケットの中に瓶を入れている。もちろん、七日前に完成した惚れ薬がたっぷり詰まった瓶だ。

 だがその効果については確信が持てていない。なんせ惚れ薬などという物騒な代物だ。自分が試しに飲んでも意味はないし、誰かに代わりに飲ませて実験することもできなかった。


 というか、もっと根本的な問題がある。


(これ、どうやったら飲ませられるの?)


 惚れ薬自体は完成したけれど、おどろおどろしい真っ赤な色をした液体である。

 トマトジュースだと偽ったとして、素直にジークが飲むとは思えない。毒殺かと疑われて体格の良いジークに殴られでもしたら、セシリーは一発で死ぬだろう。実際にセシリーが盛ろうとしているのは、ほとんど毒薬みたいなものだし。


 売られた喧嘩は買う主義です、みたいな発言を平然としていたし、この惚れ薬を「売られた喧嘩」と認識される可能性は高いと思われた。


(しかもくっせーのよね)


 よく知らない相手に飲み物だと称して出されたりして、セシリーなら絶対に口をつけない。それほどにくっせーのだ。


 なんとかして飲ませないと、と画策するセシリーだが、良い考えは浮かんでこない。

 そのうち、しびれを切らしたようにジークが足を組んだ。


(足、すっごく長い!)


 セシリーは変なところに注目していた。この前はほとんど観察できなかったが、ジークの足はとても長かった。これではソファに座って収まりが悪いのも頷けようというものだ。


 目をガン開くセシリーを、ジークは胡乱げに見ている。


「ご令嬢。言いたいことがあるならば、はっきりおっしゃっていただいて構いませんよ」

「え……?」


 セシリーの言いたいことは「くっせー液体、飲んでほしいな」ということだけだが……。


「あなたの言いたいことはだいたい想像がつきます」

「え!?」


(惚れ薬のこと、バレてる!?)


 まさかにおいが漏れているのか。慌ててバスケットの中を確かめるセシリーだ。

 そんな態度に、ジークは次第に苛立ってきた様子だった。彼は鼻を鳴らして立ち上がると。


「……わざわざ呼ばなくても。手紙で断っていただければ、俺は結構ですから」


 よく分からないことを言いながら、部屋を出てしまう。


「まっ、待ってください!」


 慌てふためきつつセシリーはジークを追う。

 しかし足が長いだけあり、すでにジークの姿は階段の踊り場にさしかかっている。


「待ってってばぁ!」


 足は平均よりやや短めのセシリーが階段へと踏み出したときだった。


「あっ……」


 つるっと足の裏が滑って。

 次の瞬間には、セシリーの身体は宙に投げ出されていた。


(――これ死ぬ! 死ぬやつ!!)


 セシリーが心の中で絶叫したときである。


「危ない!」


 気がついたジークが、こちらに手を伸ばしていた。

 飛んできたセシリーを、筋肉質な腕が抱き留める。だが勢いが良すぎて支えきれず、次の瞬間、ジークの頭が壁に激突していた。


 ガン! とひどい音が鳴る。


「ぐっ!」


 呻きながらも彼はセシリーを離さず、抱きしめたままその場に倒れ込んでしまう。

 どうにか起き上がったセシリーは、目を閉じて表情を歪めたジークの名を必死に呼んだ。


「ジ、ジーク様? ジーク様!」

「…………」


 何度呼びかけても、ジークは苦しげに呻くばかりだ。

 一般的な令嬢であれば、涙を堪えて助けを呼びに行く場面であろう。


 だがその日、セシリーは完全に正気を失っていた。


「絶好のチャンスだわ!!」


 これぞ好機と捉えたセシリーには、もはや人の心は残っていない。

 まだ使用人たちが駆けつけていないと見るや、手にした荷物から瓶を取り出す。

 セシリーは素早く蓋を取ると、瓶の先をジークの口に突っ込んだ。


「ジーク様、これは薬湯です! さっ、早く飲んでください!」

「くっせッ」

「さぁさぁ!」


 いやがるジークの口に、勢いよく液体を流し込む。


「ガボボボボボ!」

「大丈夫、飲み干せば治りますから!」


 羽交い締めにして押さえつけたジークに、容赦なく惚れ薬を飲ませて、セシリー。

 そんな時間が、数分続いた頃だろうか。ようやく中身を飲み干したジークの口を強制的に塞いでいると、気がつけば彼は目を閉じていた。


「ジーク……様?」

「…………」


 名前を呼ぶと。

 少ししてから、ジークの目が静かに開いていった。

 褐色の瞳はしばらくさまよってから、セシリーに気がつくと、ゆっくりと身体を起こす。


「だ、大丈夫ですか?」


 思わずセシリーは手を伸ばして、そんな彼を支えた。

 起き上がったジークは、細めた目で睨むようにセシリーを見ている。今のところ、セシリーに愛情が生まれている様子はまったくない。


(惚れ薬、失敗したのかしら!?)


 だが――それにしてもジークは、やたらとセシリーを見つめ続けている。

 居心地悪い思いをしていると、急にジークの手が伸びてきて、セシリーの頬にそっと添えられた。


 そんな風に異性に触れられたことのないセシリーは、びくりと肩を震わせてしまう。


「あ、あの?」


 狼狽えるセシリーに向かって。

 彼は確かに、こう言い放った。






「……………………可愛い」



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