布教 一

 ミノタウロスたちを見送った後、オバちゃんは次なる行動に移った。


 それは風化した遺跡の大掃除である。


 いつ町から追い出されるとも知れない状況、雨風をしのげる場所を用意する必要があった。勇者様たちが既知の場所に留まるのは少しばかり不安だけど、他に当てもないので致し方なし。もう少し信者とか増えたら、その時に改めて引っ越しを考えよう。


 なんならミノタウロスの実家に押し掛けてもいいかも知れない。


 いいや、流石にそれはちょっと怖いか。


「……よし」


 石像からほど近い位置にあった社の掃除を終えた。


 勇者様との遭遇から放置されていた掃除道具一式、こちらを利用しての清掃活動である。風化も甚だしい石造りの建物ではあるが、それなりにしっかりと建てられているようで、当面は問題なく過ごせそうだった。


 ただし、家具は全滅。


 ベッドや机、椅子といった生活必需品は、町から運び込む必要がありそうだ。できれば冷蔵庫やエアコンといった家電も欲しいけれど、送電線が存在しているかどうかも怪しい世界観を思えば、絶望的ではないかと考えている。


 いずれにせよ、今日は町の宿に戻るとしよう。


「神様の像は社の中に隠しておくか……」


 町まで持っていって、勇者様たちに発見されたら大変だ。


 破壊される可能性が高い。


 こちらに置いておいても、彼らが戻ってこない可能性がゼロとは言えない。だが、彼らはオバちゃんが石像を持って逃げたことを目撃している。その上で元あった場所に石像がなければ、他へ移ったと考えてくれるに違いない。灯台下暗しというやつだ。


 社の隅に寝かせた上、崩れた壁やら何やらを周りに配置して隠す。


 これにて出発準備は完了である。




◇ ◆ ◇




 町への帰りがけには、山岳部でクマを数匹ばかり狩った。勇者様の町での行動如何によっては、遺跡に籠もらなければならなくなる可能性もある。必要な生活物資の調達に向けて、少し多めに狩ってみた。


 そうした土産を片手に、ブナドンドの町の外縁に並んだ露天に向かう。


 目当てのイケメン商人、ザックの店はすぐに見つかった。


 飛行魔法を細かに制御して、彼の店の正面にふわりと着地。更にその前方へ、狩りたてホヤホヤのクマをドサドサと横並びに降ろす。ここ数週間で日常となった光景だ。しかしながら、本日に限っては少しばかり相手の反応が異なった。


 一連の様子を確認して、彼はどこか焦った様子で声を上げた。


「ちょ、オバッ……こっち! こっち来てっ!」


 彼は到着間もないオバちゃんの腕を取った。


 そうかと思えばグイッと力強く引いて、自らの営業している露天、そのテント内に引きずり込んだ。予期せぬ先方の反応に危機感を覚える。もしかして彼ってば、熟専だったりするのだろうか。


 オバちゃん、貞操のピンチである。


「ちょ、あのっ……」


「シッ! しゃべらないでっ……」


「…………」


 口を抑えられて、そのままテントの奥の方に押し込まれた。周囲には商品を納めた木箱や籠の類いが積まれている。その間に身体を隠すような形だ。一方で彼はこちらの正面に外を向いて腰掛ける。


 オバちゃんからはイケメン商人の背中しか見えない。


 恐らく外からも、オバちゃんを確認することはできないだろう。


 テントの狭い出入り口越し、改めてザック氏から声をかけられた。


「お姉さんがどんな人なのか、付き合いの浅い自分には分からない。ただ、ここ数週間で気持ちよく儲けさせてもらったお礼だけはしておきたい。だから、どうか大人しくこちらの話を聞いてもらえないか?」


「……あの、なにかあったんですか?」


「勇者様たちがお姉さんのことを探しているんだ」


「…………」


「世界に対して悪い影響を与える、悪しき邪教の教徒だと、彼らは町の人たちの前で言っていた。今も君のことを探している。近い内に近隣の町にも、お姉さんの身柄を求めて、お触れを出すと語っていたよ」


「なるほど」


 恐れていた事態が発生してしまったようだ。


 こうなると宿屋に戻ることも難しい。


「ただ、僕にはお姉さんがそんな悪い人には見えない」


「…………」


「この国の人間は保守的なんだ。自分たちと違う何かを迎え入れることができない。亜人に対する迫害も、他所の国と比べて酷いものだ。だからこうして、信仰する神が異なるというだけで、簡単に迫害の対象になってしまう」


 こちらからは背中しか見えないので、表情こそ窺えない。


 ただ、そうして語る彼は、とても申し訳なさそうであった。


「窮屈な場所で悪いけど、少しだけここに隠れていてもらえないかい? 町の中に手引きすることはできない。ただ、それでも国を出る為に必要な支度くらいは、こっちでなんとか整えてみせる」


「いいんですか? それだとお兄さんに迷惑が掛かるんじゃ……」


「いっただろう? 気持ちよく稼がせてもらったお礼だって」


 なんだよ、このイケメン。めっちゃ良い人じゃないの。


 てっきり勇者様に売り飛ばされるかと思った。


「……ありがとうございます」


「困った時はお互い様さ」


「いつかこのお礼は必ずします」


「そう大したことじゃない。そこまで気にしなくて大丈夫だよ」


 こちらとしてはもう、感謝の言葉を述べることしかできない。


 いつかちゃんと、お礼ができる日が訪れることを願うばかりだ。




◇ ◆ ◇




 結論から言うと、オバちゃんは大八車を押して町から逃げ出した。


 当初、町で用立てようと考えていた品々は、イケメン商人のザックが用意してくれた。流石にベッドや机までは無理だったけれど、毛布や水筒、革袋など、必要最低限のキャンプ道具一式をまとめてくれた。


 おかげでしばらくは人らしい生活を続けていけそうである。


 脱出は同日の深夜、人目を忍んで行われた。


 お別れの挨拶を交わしたのも彼だけ。


 そうした都合もあって、銀行に預けていたお金や、狩りたてホヤホヤであったクマさん一式については、彼に譲っての出発と相成った。向こう数年、こちらの町には近寄らない方がいいだろうという判断である。


 ちなみに出発に差し当たっては、近隣の地図も頂戴した。


 現代日本のそれと比較しては簡素なものだ。


 それでも国境を接する周辺各国の配置と、主要な町の名称や場所、更に人の足で歩くことが可能な道などが、最低限記述されていた。ただ、残念ながら神様の遺跡がある森までは記載がなかった。


 地図は草原と丘を越えて、山岳部に接する辺りで切れていた。多分、それ以上は移動の需要がないのだろう。なので神様の像が設けられていた森林地帯は、オバちゃんの逃走先として申し分ないと考えられる。


 それでも心配事があるとすれば、勇者様ご一行もまた、神様の祀られた遺跡を知っているということ。灯台下暗し作戦も、いつまで通用するか分からない。ゲームの攻略に行き詰まったプレイヤーのように、過去訪れた場所を虱潰しにされたらアウトである。


 ということで、目下の悩みは当面の住処だ。


「……どうしよう」


 町を脱した日は、まっすぐ森の遺跡に向かい、掃除をしたばかりの社で一泊。


 翌日、オバちゃんは身の振り方を考えて、頭を悩ませていた。


 逃亡を手伝ってくれたザック氏からは、隣国まで逃げれば当面は大丈夫だろう、との助言を頂いた。なんでもお隣では勇者様の影響も小さいのだそうな。しかし、それでは神様との約束を果たすことができない。


 やはり、ホームはこちらの森に設けたい。


 そんなことを考えながら、ウンウンと一人で唸っている。


 するとしばらくして、なにやら社の外から声が聞こえてきた。


「あのニンゲン、いる? こっちにはいないんだけど」


「こっちにも見当たらないな……」


 社の出入り口に身を隠して、屋外の様子を窺う。


 すると、そこには二体のミノタウロスが立っていた。お互いに言葉を交わしながら、遺跡のあちらこちらを見回している。その口ぶりから察するに、オバちゃんの存在を探しているのだろう。


「いないなら帰ろうぜ? 参拝とか面倒臭いし」


「いやでも、もしかしたら隠れて様子を見てるかも」


「うわ、ありえる」


「だろ?」


「あのニンゲン、性格悪そうだったもんな」


「友達とかマジ少なそうだったよな」


「わかる。脇とか臭ったし」


「さっさと拝んで帰ろうぜ?」


「そうだな」


 オバちゃん、ショックだよ。


 だって、知らなかった。


 臭ってたんだね。


 しかもこちらの行動を見越した上で、律儀に頭を下げて参拝しているミノタウロスたちの姿が、見ていて居た堪れない気持ちになる。友達がマジ少なかったのも事実だし、自分が自分で嫌いになってしまいそう。


 おかげで彼らの前に一歩を踏み出すのに躊躇する。


 ごめん、君らの言う通り見てたんだよ、みたいな台詞はアウトでしょう。


 ちょうど今気づいたんだけど、って感じで行くしかない。


「昨日の今日で足を運ぶとは感心ですね」


 社から一歩を踏み出すと共に声を掛ける。


 すると彼らはビクリと肩を震わせて、こちらを振り返った。昨日の高い高いが、少なからずトラウマとして根付いているのだろう。こちらとしては、決して悪いことではない。ただ、ワキガを指摘された後だと、どうにも申し訳ない気分。


 そりゃ下の方だって臭う訳だ。理解したよ。


「ほ、ほら見ろ、いたぞっ! だから言っただろ?」


「ちゃんと参拝してるだろし、も、文句ないよな?」


「感心ですね。信徒の熱心な祈りに我らが神も喜んでいますよ」


 上から目線で偉そうに語って、さらっと話を流す作戦。


 今日のところは気を遣ってやろう。


 だって、オバちゃん臭ってるし。


 あんまり長いこと会話とかしていたくないだろうし。


 っていうか、そうなるとイケメン商人の彼も、こちらの香りに気遣ってくれていたということになるんだよな。おぉ、なんて切ない。おくびにも出さないで付き合ってくれていたザック氏、これでもかと神対応だ。


 名前も伝えずに去っていった神様より、よほどのこと神である。


「ところで教祖、ここの神様は何かご利益とかあるの?」


「拝みに来てるんだから、何かしらご褒美が欲しいよな」


「マジそれな? 村からも結構距離があるし」


「…………」


 彼らの言わんとすることは分からないでもない。


 現代社会でも宗教法人に所属するメリットは多少なりともあった。一方的に拝みまくるばかりでは、誰も付いて来てくれないだろう。信者に対するご褒美が必要だとは、オバちゃんも理解できる。


 ただ、未だに神様からレスポンスはない。


 そうなると、自身がどうにか代替するしか手はない。


 しかし、ワキガババァに何ができるだろう。


「……何か困っていることとか、ありますか?」


「え?」


「もしかして、ニンゲンが何かしてくれるの?」


「ええまあ、信徒を助けるのも教祖の役割ですから」


 素直にお伝えすると、マジかよ、みたいな表情をされた。


 二人して顔を見合わせたりしている。


 牛の癖に表情が豊かで困っちゃうよな、コイツら。


「どこまで力になれるか分かりませんが、もしも困っていることがあるようなら、この場で懺悔すると良いでしょう。これでもそれなりの教養は持ち合わせていると自負があります。何かしら手伝えることもあるでしょう」


「…………」


「…………」


 ミノタウロスたちは、どうするよ? みたいな表情で視線を交わす。


 山岳部のクマさんが、一方的に襲いかかって来るばかりであったことを思うと、モンスターもピンきりなのだと思い知らされる。しかもコイツら顔がデカいから、表情変化がダイレクトに伝わってくるんだ。


 少しばかり悩んでから、片割れが口を開いた。


「実はここ最近、ちょっと村で困ってることがあるんだよな……」


「ちょっと待てよ、こんなヤツに相談するのか?」


「でも俺らより強いじゃん? 意外とこういうのが活躍するかもだし」


「そりゃそうだけど、ミノタウロスとしてのプライドが木っ端微塵だわ」


「俺のプライドは前に空に放られて漏らした時に、もう砕けてるし」


「え、オマエ漏らしたの? 汚なっ……」


 おいおい、漏らしてたのかよ。


 っていうか、それはもしかして、出会い頭に彼らを放り上げた時、頬に受けたお天気雨がそうだったりするのだろうか。ふと思い出したことで、軽くダメージが入った。特に気にすることもなく、指で拭って過ごしてしまっていたもの。


「……それで、懺悔するのですか? しないのですか?」


 少しばかり語気を強めて訴える。


 すると彼らは、ビクリと肩を震わせて応じた。


「あ、いや、それなんだけど、隣の集落のヤツらと少し揉めてるんスよ」


「何度か村が襲撃を受けたりもしてて、これが結構大変なんスよ」


「普段だったら軽く捻って終わりなんだけど、今回は相手と相性が悪いっていうか、一筋縄でいかないっていうか、おかげで俺らも、こんなところまで食料を探しに来たりしていて、ちょっと困っているっていうか」


「そうそう、おかげでアンタみたいなのに捕まって、わざわざ石像を拝みに来る羽目になってるんだよな。以前なんて俺らのおふくろが巻き込まれて、それでわざわざエルフの集落に怪我を見せに行ったりしてな」


 細かい事情は分からないけれど、意外と彼らも苦労しているようだ。


 しかし、問題が荒事となると、どこまで力になれるか分からない。飛行魔法一本でご飯を食べているオバちゃんとしては、その事実を知られた時点で、割とサクッと攻略されてしまうのではないかという危機感がある。


 けれどまあ、話くらいは聞いてみようか。


 なんたって教祖様だもの。


 他者に頼られるの、チヤホヤされているみたいで少し楽しい。


「そういうことでしたら、貴方たちの代表者に会わせ下さい」


「え、マジで?」


「いやでも、もしかしたらこのニンゲンなら、イケるかも」


 信仰を稼ぐ意味でも、ここは頑張りどころではなかろうか。

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