新天地 六

 他者から信仰を集める。それはつまり新しい宗教の誕生を意味する。


 名前も知らない神様が言っていた通りだ。


 元いた世界では宗教法人として登記すれば、誰でも名実ともに宗教を始めることができた。信仰の自由が保証されていた。実際には大人の事情があって新規認可の難易度が高く、年に数件しかみられないそうだけど。


 ただ、宗教っぽい行いをするためのハードルは決して高くなかった。


 ぶっちゃけアイドル界隈とか、実態は宗教そのもの。


 しかしながら、こちらの世界ではそう簡単ではない。既に国お抱えの宗教が広く普及しており、これに対立する新興宗教の存在は、大抵の場合で風当たりが強いのだ。下手をしたら命の危機となる。勇者様が言っていた異教徒云々がこれである。


 つまり町中での布教など言語道断。


 おかげで取れる選択肢は自ずと狭まる。


「……着いた」


 やってきたのは元々神様の石像が元々あった場所だ。これまでの生活スペースであった町からは、草原を越えて、丘を越えて、更に山岳部を越えた先にある、やたらと大きな森の只中に存在する遺跡っぽい場所。


 もしかしたら勇者様たちに壊されているかもと考えたけれど、取り立てて変化は見られない。放置してしまった掃除道具も、そのまま転がっていた。神様の石像を元あった位置に配置すると、過去に見た光景は元通り。


「よし……」


 人間の町は既にレッドオーシャン。


 布教先には人外を狙っていく他にない。


 自身が生まれ育った地球とは異なり、この世界の知的生命体は人間に限らない。エルフだとか、ドワーフだとか、その手の類いの生き物が、そこかしこに集落を作り、人類と同じように営みを育んでいるという。


 オバちゃんはそこに目を付けた。こちらの森は広大だ、きっと集落の一つや二つはすぐに見つかることだろ。そこに布教させて頂くのだ、未だ名の知れぬ神様の存在を。本人もこの森を開拓してどうのと言っていたし。


「……いたぞ、さっき飛んでいた人間だ」


「こんなところにいたのか。苦労を掛けさせやがって」


 オバちゃんが決意を新たにしていると、背後から声が聞こえてきた。


 予期せぬ他者の気配に驚いて、咄嗟に後ろを振り返る。すると今まさに木々の合間から、樹木の葉をかき分けて姿を現す者たちの姿があった。数は二人。共に人間とは程遠い姿格好の持ち主である。


 具体的にどういった違いがあるかというと、首から上が牛である。いわゆるミノタウロスと呼ばれる類いの生き物ではなかろうか。その拳はこちらの頭部ほどもある。身の丈も三メートル以上ありそうだ。


 しかも人類とは比較にならないほどのマッチョ。上半身は裸、下半身には腰巻きのようなものを纏っている。バキバキに割れた腹筋が羨ましい。また、手には原始的なデザインの斧を携えており、おかげで第一印象がとても威力的に映る。


「なんか黄色くないか?」


「黄色いな」


「食った後に腹を壊したりしないよな?」


「人間に毒とか聞いたことないな」


「ならいいか」


 ぜんぜん良くないよ。


 本人の前で物騒な会話をしないで欲しい。まず間違いなく、今晩のご飯枠で認識されているぞ。手にした斧も随分と年季の入った代物で、随所に赤黒い染みのようなものが見て取れる。掠っただけでも得体の知れない病気になりそうだ。


「これは君たち、いいところに来ましたね」


 まさか怯えている訳にはいかない。


 声も大きくご挨拶。


 弱々しい姿など見せたら、たちどころに襲われてしまうことだろう。幸い相手は会話でコミュニケーションが取れる。せっかくなので今しがたに立てた誓いを現実のものとするべく、最初の一歩を踏み出そうではないか。


 コミュ障だなんだと言い訳を並べている場合じゃない。


「なんだこの人間、膝震わせてビビってる癖に挨拶してきたぞ」


「言ってやるなよ、こいつも生きるのに必死なんだろう」


「それもそうか。まあ、いずれにせよやることは変わらないんだけどな」


「…………」


 微妙にフレンドリーというか、トークの距離感が近い。


 同じクラスのいじめっ子って感じ。


 自分たちの優位を確信しているのだろう。のっしのっしと二匹のミノタウロスが無遠慮に近づいて来る。どうやら交渉は失敗の様子だ。このまま放っておいたら、斧で真っ二つにされそうな感がある。


 致し方なし、オバちゃんは魔法を使わせていただこう。


「たかいたかぁぁああああいっ!」


 奥義を叫ぶと共に、ミノタウロス二名に対して、飛行魔法を行使。


 間髪を容れずに、対象の肉体が空に向かい浮かび上がる。


「な、なんだっ!?」


「ぬぉぉぉっ!?」


 瞬く間に上昇していくミノタウロスたち。


 数秒と経たぬ間に、その高度は周囲の木々を越える。何やら元気に叫び声を上げているが、すぐに遠退いて聞こえなくなった。相手の面構えが恐ろしかったので、普段以上に高いところまで上げてしまったぜ。


 脅威極まりないマッスルも、空に放り上げてしまえば小さな点の一つに過ぎない。頭上を見上げると、あっという間に上昇していき、すぐに姿が見えなくなる。お天気雨だろうか、空を見上げたオバちゃんの頬に、ポタリと小さな雫が降ってきた。


 やがて、その姿が見えなくなった辺りで開放。


 自由落下に祈りを込めて、飛行魔法を解いた。


 あとは待つだけ。


「ぅ、ぅぉぉおおおおおおおおおおおおお!」


「ぁんだこりゃぁあああああああああああ!」


 するとミノタウロスたちは結構な時間を掛けて、地上まで落下してきた。途中で風に煽られたのか、少しばかり着地地点が前後した結果、正面の森の中へ木々の枝をバキバキと降りながら、賑やかな悲鳴と共に着地である。


 相手がクマさんだと、これだけじゃあ効果が薄いんだけど、どうだろう。


 ドキドキとしながら眺めていると、先方に反応があった。


 ガサガサと木々の葉が擦れ合ったかと思えば、その間からにゅっと牛面が顔を見せた。二人揃って手にした斧を紛失している。しかしながら、パッと見た感じ怪我はしていない。共に自らの足で立っての登場である。


「このニンゲン、ま、魔法を使うぞっ!」


「どうする? やっぱり、や、止めておくか?」


「そうだな……」


 登場シーンとは一変して、及び腰になって見える。


 ダメージの入り具合というよりは、空を飛ばされたこと自体に驚いているみたい。いずれにせよ、飛行魔法が有効であることは判明したので、後は落下時の加速次第で打倒することも可能と思われる。


 F=maのFの部分が火を吹くぜ。


「っていうか今の魔法、マジで怖かったんだけど……」


「なんか上の方、暗くなかったか? まだ昼なのに」


「暗かった、マジ暗かった。あれなんなの? 普通にビビるし」


「もしかして、まさか夜が落ちてきたのか?」


「夜が落ちてきたってなんだよ。そ、そういうこと言うなよっ……」


 顔を合わせて言葉を交わすミノタウロスたち。


 どことなくファンシーでピュアな感じの会話がちょっと可愛い。おかげで牛面が少しだけチャーミングに感じられる。図体の大きな彼らが身を縮めるようにして、ああだこうだと話をする様子は、なかなか見ていて楽しい光景だ。


 気づけば自身の膝の震えも止まっている。


 我らが神様を布教するならば、今このタイミングでしょう。


「貴方たち、少しだけ私の話を聞いてもらえませんか?」


「……あの、やっぱり俺たち帰るんで」


「すみませんが、見逃しちゃくれませんかね?」


 まるで地方のヤンキーみたいな物言いのミノタウロスである。


 おかげでやりやすいったらない。


 ここぞとばかりに交渉させて頂こうじゃありませんか。


「こちらの言うことを聞くなら、本日は見逃してあげてもいいですよ」


「な、なんすか?」


「もしかして、お、俺らと子作りをしたいとか……」


「ニンゲンもミノタウロスの肉体美に惹かれるのか!」


「前にも似たような理由で、メスのエルフが村まで来たもんな!」


「…………」


 今のちょっとムカついた。陰キャ的にムカっときた。


 もう一回くらいなら、地面に叩きつけても死にやしないだろう。一定以上はどれだけ高いところから落としても、最終的な落下の衝撃は変わらない。少なくとも地球ではそうだった。高々度を怖がっていたし、目一杯上げてから落としてやる。


「たかいたかぁあああ……」


 即座に飛行魔法の構え。


 すると彼らは、酷く慌てた面持ちとなり返事をした。


「ちょっ、待って! 待って待って! ごめんなさいっ!」


「嘘です! 嘘っ! ちょっとした冗談ですからっ!」


 こんなおっかない外見のモンスターでも、冗談とか言うのな。


 涙目になって頭を下げる様子は、少し愛嬌があった。


「冗談は嫌いです。そこのところ注意してくださいね」


「そ、それで、俺らに話っていうのはどういったことで?」


「今ならなんだって聞いてやるから、ほら、い、言いなって!」


 微妙に自尊心を保とうとする言い回しが逆に微笑ましい。


 こちらも選り好みをしている余裕はないし、ここは素直に伝えさせて頂こう。信仰を集めるという目的を思えば、あまりおちょくり過ぎる訳にもいくまい。当初の予定どおり、彼らを信者に勧誘するのだ。


「貴方たちには本日より、我らが神を信仰してもらいたいのです」


「……え、なんだよそれ」


「ニンゲンの宗教に付き合えって?」


 ポカンとした表情で問うてくるミノタウロスたち。


 その疑問は良く分かる。モンスターを教徒に迎えたところで、人類側に旨味があるとは思えない。だが、我らが神様はこれといって、信徒を人間に限定していなかった。この際だし、牛でも馬でも、信じるものは救ってやろうの心意気。


「我らが神は信徒を選びません。どうか入信の意志を見せて下さい」


「具体的にどういう神様なんですかね?」


「信徒になると、何かいいこととかあるんスか?」


「…………」


 図体が大きい癖に、細かいことをごちゃごちゃと気にする連中だ。


 素直にウンと頷いて、毎日こちらの像を拝んでくれればいいのに。おかげで段々と面倒になってきたぞ。こっちは他人からチヤホヤされたくてやっているのに、これじゃあまるで、飛び入り営業でもしているみたいじゃないか。


「断ると言うのであれば、更に高いところから落ちてもらいますが……」


「わ、わかった。アンタのところの神様、ちゃんと崇めるから!」


「そうだよな。たまには宗教も悪くないなって思ってたところだ!」


 よし、初日にして早速、神様の信徒をゲットである。


 出会いこそ最悪だったが、これはこれで悪くない成果だ。宗教を始める上で大切なのは最初の一歩だと思う。あとはコイツらの友人知人を紹介してもらって、芋蔓式に入信してもらうって寸法さ。


 そっち系の人が家族や友人の勧誘に熱心だった理由、今ならよく分かる。


「素晴らしい判断です。我らが神も貴方たちの決断を喜んでいますよ」


 ところでチヤホヤとは違うけれど、神様の肩書を借りながら、一方的に上から目線であれこれと言うの、想像した以上に心地いい。まるで自分が偉くなったような気分。世の中から宗教が無くならない事情の一端、理解してしまったかもしれない。


「質問、いいっスか?」


 おっと、信徒から最初の質問が飛んできたぞ。


 ここは真摯にお答えさせて頂こう。


「なんですか?」


「アンタの言う神様ってのは、どういった名前なんですかね?」


「そこのところにある石像が神様ってことで大丈夫?」


 ミノタウロス二名の意識が、こちらの背後にある石像に向かった。


「え? あ、いや、それが……」


 どうしよう、神様の名前、実はまだ知らないんだよな。


 勇者様は邪神だとか言っていたけれど、具体的に名前までは上げていなかった。それに勇者様が信仰する宗教が一神教であった場合、問答無用で他所の神様は邪神扱いだろうから、その辺りの細かい事情も関係していると思われる。一概に判断は下せない。


 おかげで、あぁ、どう考えても面倒臭い。


 そもそもちゃんと名前を教えていかなかった神様が悪い。


「名前は今度教えます。取り急ぎ貴方たちは、毎日この石像を拝むように」


「え、マジ? そこ大切なところじゃないの?」


「っていうか、毎日ここまで来なきゃ駄目なの?」


「…………」


 ミノタウロスたちの表情がしょっぱいものになった。


 たしかに毎日は厳しいかも知れない。


 こちらのオバちゃんも、定時出社という単語が大嫌いだ。


 ストレスで内蔵がやられる。逆流性食道炎になる。


「それなら二日に一度、いえ、三日に一度で構いません。代わりに毎日自宅でこちらの方角に向かい、祈りを捧げて下さい。我らが神は常に信徒を見守っております。その意志に報いるべくは、献身的な祈りに他なりません」


 元いた世界でも働き方改革とか流行っていた。


 リモートワークとか話題に挙がっていた。


 リモート参拝も許されて然るべきだろう。


「まあ、それくらいならいいか……」


「そうだな。三日に一度くらいなら来てやるか」


 やったぞ、二人とも三日に一度で妥協してくれた。


 オバちゃんは週に一度でも嫌だな。完全リモートがいい。いやしかし、こちらの世界では満員電車や交差点の信号、横断歩道といった障害物が存在しないから、以前の世界と比較して、多少は移動に対するストレスが小さいかも知れない。


「素晴らしい判断です。我らが神も喜んでおられますよ」


「んじゃ、もう帰ってもいいんスよね?」


「いきなり後ろから襲ったりしないッスよね?」


「貴方たちが我らが神の敬虔なる信徒である限り、守ることこそあっても襲うことはありません。神の眼は常に貴方たちを見守っております。その信仰心を決して失うことなく、常に模範的な信徒であり続けて下さいね」


「ちゃんと拝みに来るから、そういうの止めてくれよ……」


「毎日家でも拝むからっ。約束するからっ」


 ギャアギャアと賑やかにも吠えながら、ミノタウロスたちは去っていった。もしも素直に頷いてもらえなかったら、尾行しようかとも考えていたのだけれど、どうやら納得してもらえたみたいだ。


 せっかく得た信徒第一号なのだから、絶対に逃してやらないのだぜ。

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