エピローグ

 十個目の扉の先での東狐とうこ氷雨ひさめの記憶の追体験を終えて幸福感に満ち溢れながら出てくると、アガサさんがニコニコと笑いながら迎えてくれた。


「おかえりなさいませ、前納ぜんのう様。これでとおもの記憶を追体験してきたわけですが、追体験を通して何か掴めた物はありましたか?」

「掴めた物……正直な事を言えば、まだ恋とか愛とかについてはまだわかりませんし、掴めた物があるわけじゃないです」

「そうですか……」

「でも、それで良いんだと思えた気がします」


 これまでの十個の記憶を思い返しながら言う。最初の葉梨はなしはじめからついさっきの東狐氷雨までの十組はそれぞれ違った形で相手を好きになっていた。

好きになるまでも色々あったが、なってからもお互いの関係性や自分が置かれている状況などに悩み、相手と愛を伝え合う事もままならない組だってあった。

お互いに幼馴染みだったり兄弟姉妹だったり、時には世間的に許されない関係や別種族間での恋愛、相手を自分に繋ぎ止めておきたくて相手に対して酷い事をする人だっていた。

だけど、そんな十人十色な恋愛を経験してきて、俺はそれもまたそれぞれにとっての正しい恋愛の形だったんだと思えている。異性間や同性間、異種間でもそこにはたしかな愛があったんだ。


「俺が紙に書いたのは、幼馴染みの“平良へら結乃ゆいの”で望んだのは“お互いを生涯大切に出来るような恋愛”でした。

ここまでの十組は、様々な想いを抱えながらもみんなが相手の事を想っていて、全員が輝いていたと言えます。性別とか血の繋がりとか種族とかそういった事も乗り越えて、しっかりと相手を愛していくと誓っていたあの姿はすごく尊敬しています」

「……どうやら、ここの存在は前納様にとってとても良い刺激になったようですね。そして、私も特には前納様にして差し上げられる事はないようですし、今の前納様に私がこの身を捧げる必要もなさそうです」

「あはは……アガサさんが魅力的な女性なのは間違いなくて、この事を男友達に話したらもったいない事をしたとか自分にその権利を譲れとか言われそうですけどね。

でも、俺はアガサさんとそういう事をしなくても良いんです。興味がないわけではないですけど、想い人がいるのに他の人とそういう事をするのは良くないですし、何よりそういう事を最初にするのは結乃が良いですから」

「……その想い、たしかなようですね。では、前納様のここでの記憶の追体験はここまでに致しましょうか。これ以上は必要がないようですから」

「そうですね。そういえば、アガサさんは何故エロース様からここの管理を任されているんですか? アガサさんも元々は普通の人間だったんですよね?」

「はい。私もここへ来る前は前納様と同じ人間で、エロース様に祈りを捧げる程にある人を愛していた一人の乙女でした。ですが、その愛は暴走し、私は誰にも盗られたくないという思いから相手を深く傷つけて、相手が私以外の異性と恋に落ちる事が出来ないようにするために相手の体の“ある部分”を切り取って、それを体内へと取り込みました」

「……アガサさん、その部分ってもしかして……」

「はい、ご想像の通りです。その後、私は愛に狂った女として刑罰を受けた後に命を落とし、愛で人を傷つけた分、今度は愛で誰かを助けるようにとエロース様からご指示を頂き、ずっとここで管理をしているのです。

因みに、私が異性に姿を変えられるのは生前のその行いが理由で、アガサ・ペイスという名前もここに来た際につけた名前でして、アガサは生前の名前ですが、ペイスは……まあ、これ以上は言わなくともわかりますよね?」


 アガサさんの穏やかな笑みに俺は苦笑いを浮かべながら頷いた後、この洋館の入り口に体を向けた。


「……それじゃあ、お世話になりました。因みに、ここにまた来る事って出来ますか?」

「はい、同じ方法を用いれば来る事は出来ます。ですが、前納様は恐らくもういらっしゃらないと思いますし、私個人としてはそれが望ましいですね」

「そうですね、俺もそうするつもりです。俺はもうこの想いに嘘をつきたくないですし、しっかりと自分の迷いを断ち切ったつもりですから」

「はい、それが良いと思います。このままこの入り口を抜ければ、前納様は夢から覚めて現実へ戻る事が出来ます。前納様、どうかお元気で」

「はい、アガサさんもお元気で」


 そう言って俺は歩き始め、入り口のドアに手を触れて、そのままゆっくりと押し開けた。その瞬間、目の前は白い光に包まれていったが、その後ろからアガサさんの声がうっすらと聞こえてきた。


「さようなら、前納様。貴方は決して愛に溺れないでください」


 その言葉に返事をしようとしたが、その前に俺の意識は薄れていき、完全に目の前が白い光に包まれた後、俺の意識は優しい光の中へと沈んでいった。





「……え……きて……」

「ん……」

「……ねえ、お……ってば……」

「ん、んむ……」

「……ねえ! 早く起きてってば!」

「うおっ!?」


 突然耳元で大きな声を上げられ、俺は驚きながら目を覚ます。目を開けてみると、そこは『恋憶の館ラバーズマンション』ではなく俺の部屋で、着ていたのも寝る前と同じ服装だった。


「……俺、戻ってきたのか……」

「はあ? もう、まことったら寝ぼけてるの?」

「……あれ、結乃? どうしてここにいるんだ?」

「どうしてって……そんなの休日なのにまだ寝てるようなねぼすけ幼馴染みを起こしにきてあげたからに決まってるでしょ? さっき、朝から出掛けないといけなくなったから、代わりに真を起こしてほしいっておばさん達に言われて、鍵を開けてここまで来たのよ」

「……そういえば、昨日の夜に何か言ってたような……?」

「何かって……まったく、真はいつも私がいないとダメダメで──」

「そっか。わざわざありがとな、結乃」


 思った事をそのまま口にしながら微笑むと、結乃は一瞬驚いた後に少し心配そうな顔をする。


「真、どうしたの……? そんなに素直にお礼を言うなんて……もしかして熱でもある?」

「ないよ。不思議な夢は見たけど、その夢のおかげですっかり元気だ」

「そ、そう……あれ? 枕の下、何か挟まってない?」

「え……?」


 まだ覚醒しきってない頭で枕に視線を向けた瞬間、それがなんなのか思い出し、それを結乃に見られるのは流石に恥ずかしいと考えてすぐにそれを抜き取って、後ろ手で隠した。


「な、何もないじゃないか……きっと気のせいだって……」

「……今、すぐに抜き取って隠したじゃん。なに、私に見られたらマズいものなの?」

「マズいというよりは、流石に恥ずかしいというか……」

「今さら恥ずかしい物なんてないでしょ。ほら、早く見せなさい」

「そ、それは流石に……」

「……良いから、見せなさいっての!」


 そう言ってベッドサイドにいた結乃がベッドに膝をつきながら俺の手の中の紙を取ろうとしたその時、結乃はバランスを崩し、そのまま俺の上に重なり合い、結乃の唇が俺の唇と重なった。


「ん……!?」

「んぅっ……!?」


 突然のキスと目の前の相手の顔に俺達は揃って驚きの声を上げる。向こうで何度もキスは経験していたけれど、俺自身として経験するキスはこれが初めてであり、その唇の柔らかさと結乃から漂う良い香りに俺は魅了され、もっと欲しいという欲求が俺を突き動かした。

しかし、重なった唇をこじ開けて結乃の口内に舌を入れようとしたその瞬間、帰る直前のアガサさんの言葉が頭をよぎり、舌を引っ込めてから俺は静かに結乃の体を押し上げて唇を離した。


「あ……」

「……結乃、怪我はしてないか?」

「う、うん……それは大丈夫……」

「そっか、それなら良かった。でも、ごめん。事故とはいえ、たぶんお前のファーストキスを奪っちゃったよな?」

「……うん、今のが初めてのキス。でも、謝る必要なんてないよ」

「え?」


 俺が疑問を感じていると、結乃は俺の背中に腕を回し、そのまま再び唇を重ねてきた。


「んっ……」

「んむ……」


 さっきのとは違う深く長いキス。向こうで何度もしてきた舌を絡めたり相手の口内を丹念にねぶるようなキスとは違うが、そうしている事で俺は安心感を覚えていて、結乃が唇を離した時、もう終わりかと少し残念に思っていた。


「結乃……」

「……だって“私としての”初めてのキスの相手は真が良いって思ってたんだもん。だから、謝る必要なんてないんだよ」

「結乃としての……?」

「うん……こんな事を言っても信じてもらえないと思うけど、私は少し前に夢の中で不思議な洋館に行ったの。そこで私は色々な人達の恋愛を追体験して、その時にその人達としてのキスはもうしてきてたんだ」

「……まさか、お前もあそこに行ってたなんてな」

「えっ……?」


 驚く結乃に対して俺は隠していた紙を見せる。


「こ、これって……」

「俺もさっきまでそこに行ってたんだ。そして、色々な人達の恋愛に触れて、好きな相手との恋愛にしっかりと決着をつけないとって思ったんだよ。結乃、お前との恋愛にな」

「真……」

「結乃、俺はお前が好きだ。幼稚園の頃からずっと一緒で、少し口うるさいと思うところがあっても、何かと世話を焼いてくれるお前の事が好きなんだ」

「…………」

「結乃、改めてお前の想いを聞かせてくれ」


 その言葉に結乃は頷くと、頬を軽く紅潮させ、目を潤ませながら静かに口を開いた。


「……私も真の事が好き。世話が焼けると思ってても色々な場面で私を助けてくれたり落ち込んでる時には慰めてくれたりする真の事が大好き……!」

「……良かった。はは、こうやって想いを伝えるだけだったのに、俺達はとんだ回り道をしてきたよな」

「……うん、そうだね。でも、もう迷う事はないよ。だって、両想いだってわかったんだもん」

「そうだな。結乃、恋人としてこれからもよろしくな」

「……うん、こちらこそ!」


 嬉しそうな結乃を見ながら微笑んでいると、結乃は突然恥ずかしそうにモジモジし始めた。


「ん、どうした?」

「あ、えっと……その、真ってそういうのを今からしたい感じ……かなと……」

「そういうの……」


 その言葉を聞いた瞬間、俺は言葉の意味を理解すると同時に自分の体の変調に気づいて苦笑いを浮かべた。正直な事を言うと、朝ではあるけど、そういう事をしたい欲求はあるし、結乃も反応から察するに言えば断らない気はする。

だけど、今からそれをしようとは思わない。だから、俺は微笑みながら首を横に振った後に結乃の体を優しく抱き締めた。


「あ……」

「今は良いよ。正直な事を言えば、そういうのをしたい気分ではあるし、結乃ともっと愛を深めたい。だけど、俺達にはまだまだ時間はあるんだ。だから、俺達は俺達のペースでゆっくり行こうぜ。それが俺達の恋愛の形だと思うからさ」

「……うん、そうだね。私も少し残念ではあるけど、すぐにどうこうするよりはもっと良い雰囲気の方が良いから」

「ははっ、そっか。よし……それじゃあまずは朝飯を食べて、その後は一緒に出掛けようぜ。恋人になって初の外出──デートをしてもっと結乃の事を知りたいからな」

「うん!」


 嬉しそうに結乃が答えた後、俺は結乃が退いてからベッドを出て、結乃と静かに手を繋いだ。思わぬ事から、俺達は想いを伝えあってこうして恋人同士になったけど、さっき俺が言ったように俺達にはまだまだ時間はある。

本当ならこれまで想いを秘めていた時間も愛を深めるために欲しいところだけど、そうも言ってられないし、この俺達に与えられた時間を一緒に使いながら愛を深めていく事に意味があるんだ。あの十組だって、出会えなかったり想いを伝え合えなかったりしていた自分達の時間を取り戻すため、そして残っている時間をちゃんと使って相手を愛そうとしていたのだから。

だから、俺達もそうしていこう。思いのすれ違いから喧嘩をする事もあるだろうし、もしかしたら別れたいくらい一時的に嫌いになる事もあるだろう。だけど、それもまた恋人だからこそある物だし、それを乗り越えた時にはもっと相手を愛そうと思える。そしてそれらは、俺らの想いの記憶、“恋憶”として永遠に思い出になっていくのだ。

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恋憶の館 九戸政景 @2012712

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