第二話②

「俺がグレイン子爵領の人間であることは、もう話したな」

 指先についた肉汁をこっそりめていたところで、向かいに腰掛けていたアドラスさんに話しかけられた。彼はすでに皿を空にしていて、それどころか近くを通りかかった女将に追加のビールまで頼んでいる。

 慌てて口の端をぬぐいつつ、私はうなずいた。

「アドラスさんのお母様が、グレイン家のご令嬢だったんですよね」

「ああ。令嬢と言っても、一度は勘当同然の扱いを受けているのだが」

 貴族女性が勘当されるとは、不穏当な話である。アドラスさんは、自分のことを私生児だと言っていたけれど、それが勘当と関係があるのだろうか。

「母は十代の頃、行儀見習いとして王宮に仕えていたそうだ。だがある時、城下で旅商人と恋に落ち、俺をごもってしまったらしい。それでもしばらくは王宮勤めを続けていたが、とうとう妊娠を隠せなくなり、恋人──俺の父と、手に手を取って駆け落ちしたのだと聞いている。そのため一族の怒りを買い、縁を切られたわけだ」

「……なるほど」

「すまない。聖職者相手に語るには、少々不純な話だな」

「いえ、そんなことはありません」

 神殿が運営する施療院にも、未婚の妊婦が駆け込んでくることはたびたびあった。望まぬ婚姻から逃れるため、聖職を選んだ神官もいる。

 はんりよを持つことが許されない私には、恋愛というものがいまいち理解できないけれど。それでも、人の恋心や決断を〝不純〟と断じる気にはなれなかった。

「父と母は、俺を抱えて様々な土地を転々としていたらしい。だが、その途中で父が病で死んでどうしようもなくなり、駆け落ちから数年後、母は実の兄である伯父おじを頼ってグレイン領に戻ることにした。……伯父はやや癖があるが、人の良い御仁でな。家名に傷をつけた母を受け入れ、俺たちおやが不自由なく暮らせるだけの環境を用意してくれた。伯父がいなければ、今頃俺と母は野垂れ死にしていたことだろう」

 アドラスさんは一息つき、ビールを口に含んで遠い目をした。

「その母も、一ヶ月ほど前に突然亡くなった。母からは、『遺品は全て処分してほしい』と頼まれていたのだが……俺もそこまで深く母の言葉を考えていなくてな。蔵書だけは貴重なものだからと伯父に譲ったら、その中から母あての妙な手紙が見つかってしまったんだ」

「手紙? もしかして、それが懲罰房でおっしゃっていたものですか」

「そうだ」

 私の問いに、アドラスさんは大きく首肯する。

「手紙は母が王宮に勤めていた時代に仕えていた皇帝妃の一人、クレマ妃からのものだった。はっきりと明言はされていないが、中には俺が皇帝とクレマ妃の間に生まれた子であることを示唆するような記述が数カ所あった」

 なんと。簡単な概要を聞いていて、私はてっきり『アドラスさんのお母様が身籠っていたのは、実は皇帝の子供だったのでは』という話につながるのだと思っていたけれど。そうではなく、彼には正真正銘、やんごとなき身分の人間である可能性があるという。

「ということは、過去に姿を消した皇子がいるということですか。そんな事件が起きたら、大騒ぎになると思うのですけれど」

「そうだな。だがならなかった。その皇子──エミリオは二十年前、生後五日でこの世を去っているんだ。葬儀はしっかり執り行われて、墓も造られている」

「え……」

「ちなみに亡くなったのは、母が駆け落ちする一週間ほど前のことだったようだ」

 押し寄せる情報を、頭の中で整理する。アドラスさんのお母様は、仕える主人の息子が亡くなったあとに恋人と駆け落ちし、アドラスさんを出産したと思われていた。しかし実際には、駆け落ちの際、エミリオ皇子を城から連れ出していて、以降皇子を我が子アドラスとして育んできた、ということになるのだろうか。

「それだと、話の時系列がおかしくなりますよね」

「ああ。母が駆け落ちをした時点で、エミリオ皇子は既に死んでいたのだからな。だからクレマ妃の手紙をまるきり信じるならば、『エミリオ皇子は実は生きていたが、何者かの手によってその死を偽装された。また葬儀が行われたあと、駆け落ちを装って、母が本物のエミリオ皇子を連れ出した』ということになる」

「母親であるクレマ妃を差し置いて、行儀見習いが皇子の死を偽装するなんてできないでしょうし……。その話が本当なら、お母様とクレマ妃は結託してエミリオ皇子を城の外に連れ出した、ということになるのでしょうか」

「よく分からん。手紙には、その辺りの事情について詳しく触れられていなかった」

「そこまで話がはっきりしていないということは、クレマ妃はもう……?」

「ああ、十八年前に亡くなっている。送られてきた手紙は、クレマ妃が死の間際に書いたものだそうだ」

 なんて厄介な。つまり当事者たちは、すべてこの世にいないということではないか。

「手紙の筆跡は確認したのですか」

「一応、な。伯父が雇った鑑定人は『クレマ妃の書いた物で間違いない』と話していた。その結果が、どこまで信用できるものなのかは分からんが」

「領主様は周囲の人に唆されて、アドラス様を皇子にしようとしているんです」

 リコくんは付け合わせの豆をフォークで刺しながら、ぷうっと頰を膨らませた。

「グレイン領の人たちも、急にアドラス様のことを持ち上げるようになりました。これまで、アドラス様やマルディナ様……アドラス様のお母様のことを、陰で馬鹿にしてきたくせに」

 その言葉に、アドラスさんは小さく苦笑するのみだった。彼にも、遠慮する相手というものはいるらしい。

「でも、アドラスさんご自身はその話を全く信じていないのですよね?」

「当たり前だ。クレマ妃の肖像を見せられたが、俺とは似ても似つかぬ色白の美人だったぞ。それに、俺がエミリオなんて繊細な名前の人間に見えるか?」

 強引な主張を大真面目な顔で言って、アドラスさんは腕を組む。

「とにかく、俺は自分が皇子であるとは思っていないし、これを機に成り上がってやろうという野心もない。むしろ、こんな疑惑はさっさとふつしよくしたいと考えている。──そこで、ヴィーの出番だ。君なら、死者の姿と声をとらえることができるのだろう。ぜひその力で、母かクレマ妃から『アドラスは皇子ではない』という言葉を聞き出してほしい」

 なるほど。それでアドラスさんは、私を訪ねてはるばる神殿までやって来たということか。

 確かに、既に亡くなった当事者たちから直接話を聞き出すことができるなら、それが一番手っ取り早いし楽な方法でもあるだろう。しかし……

「その作戦には、いくつか問題がありまして」

「問題?」

「確かに私は、死者の姿を視ることができます。ですが、それはこの現世にとどまっている霊に限った話で、その場にいない霊については、姿を視ることも声を聞くこともできないのです。それに、なんの未練もなく命を落とした方の霊魂はこの世に残りにくい。ですから、お二方の霊ともお会いできるかどうか」

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