第3話

三.


 朝日が窓から差し込むと、黒斑はすぐに目を覚ましました。起きてすぐに分かったことは、寝ている間に変化が解けていたことです。片蔵さんと卯之助が起きる前にすぐさま人間の姿に変わりました。

「ふー。危にゃい危にゃい」

 片蔵さんが目を覚ましたと思えば、寝ぼけているのか、上裸のまま外のかわやへ向かいました。卯之助は何の夢を見ているかは分かりませんが、寝ている今も岩魚と口にしていました。

「卯之助、起きるのだ。もう朝だぞ! 起きろー!」

「うわあ!」

 卯之助は黒斑の大声にびっくりして飛び起きました。

「今日は長とやらの家に行くのだろ?」

「ふああ……それはそうだけど、そんな急いでもこの時間はまだ寝てると思うぞ。あの婆様ばさまは朝に弱いんだ」

「そうか。それは悪いことをしたな」

「別にいいけど。なんでそんな慌ててるんだ?」

 その時、片蔵さんが厠から戻ってきました。

「おうわらべども。もう起きたのか」

 上の服を着ながら二人の様子をうかがいます。

「おっちゃん、いつも婆様って起きるの遅いよな? 黒斑が早く行きたいらしいんだ」

「いや、今日は神社の掃除があるから、もう起きてるはずだぞ。あと、婆様って言い方は長の前では止めろよ?」

「わーってるわい!」

 それから片蔵さんは朝ご飯の用意を始めました。黒斑と卯之助も片蔵さんの手伝いをしようと、片蔵さんにたずねます。

「朝飯か? 何か手伝いたい!」

「おいらも!」

「じゃあ、蔵にある粟と木の実を食べる分だけ持ってきてくれ。俺は岩魚を捌いてっからよ」

 二人はさっそく蔵に足を運びました。蔵にはたくさんの壺があり、どれがどれだか分かりません。しかし黒斑はくんくんと匂いを嗅いで、木の実と粟が入った壺をすぐに見つけました。

「黒斑ってすげー鼻がいいんだな」

「猫又の耳と鼻は人間よりずーっと優れてるんだぞ」

 えっへん、とでも言うように黒斑は背中を反らせました。そばにあった深めの籠に粟と木の実をそれぞれ入れて、家に戻りました。手先が器用な片蔵さんは岩魚を三枚に下ろして、それを器に飾っていました。

 黒斑と卯之助が持ってきた粟は、まず洗い場で汚れを十分に落とし、鍋で蒸します。その間に木の実の固い皮を剥いて、熱湯を張った鍋に入れて柔らかくします。柔らかくなったら熱湯を捨てて、大きな器に入れて潰し、団子にします。

「できたぞー」

「うまそー! いただきまーす!」

「いただきまーす!」

 黒斑は卯之助の真似をして箸を使おうとしましたが、なかなか口に入らずぽろぽろと零してしまいます。ついには手で粟飯を口に掻き込みました。

「がはは! 朝っぱらから元気だなー!」

 片蔵さんは二人の腹を満たす様子に微笑んでいました。


 お腹がいっぱいになったところで、片蔵さんは二人を連れて神社に向かいました。道中は村の皆が外で汗水を流しながら田畑を耕したり川魚を釣ったりしていました。

「そういえば、長がこの間の祭りの後で『嫌な気配を感じる。物ノ怪が迷い込んだに違いない』って言ってたんだよなー」

 片蔵さんはつい三日前のことをふと思い出しました。村長むらおさの一族は降霊術師といって、今という時間とはかけ離れた境地に自分の精神を飛ばし、物ノ怪や死霊、神様と会話をする術を使える人たちです。だから普通の人には感じない得体の知れない存在を感じられます。

「物ノ怪?」

「よく分からん化けもんのことだ。長も歳だから、戯れ言だといいんだがな」

 初めて聞く言葉に卯之助は首を傾げました。それを片蔵さんが答えますが、何か思うところがあるのか、両手を頭の後ろで組んで空を仰ぎました。黒斑は自分の正体がばれてしまうのではないか、とびくびくしていました。

 神社の鳥居が見えると、その奥で腰の曲がった村長が竹箒たけほうきで境内を掃除していました。

「長殿。お話ししたいことがございます。少し時間を頂けませんでしょうか?」

「ほっほっほっ、待っておったぞ。ほれ、おらの家に来るとええ」

 村長は本殿を囲っている柵に竹箒を立てかけて、神社の西側にある家に向かいました。三人も長の背中をついて行きます。

 家にあがると、ちょうど四人分の円座がすでに用意されていました。

「して、話というのは何事かのう」

 開口一番は、黒斑のことについて片蔵さんが話し始めました。

「ここにいる黒斑という童女わらわめのことでございます。あの凸山でこやまで親とはぐれてしまい、戻ってくるまで村にいさせてほしい、とのことにございます」

「ほう。あの凸山を越えてやって来たとな。こりゃたまげたこともあるもんだ。ほっほっほっ。――よかろう。黒斑と申したな。そちと卯之助は今日からこの家で寝泊まりすればええじゃろう」

「長! いくらなんでも卯之助は自分の家がありますし……」

「黙れ阿呆!」

 村長はいきなり大声を上げました。自分でびっくりしてしまったのか、咳が止まりません。肺の辺りを小さな拳でとんとんと叩いて落ち着かせました。

「片蔵には分からんじゃろが、この村は一匹の悪い物ノ怪が彷徨うろついておる。して、それは卯之助を狙っているのじゃ。だからおらの家に寝かせるのじゃ」

「え? どういうこと?」

 卯之助は思わず聞きましたが、村長は「何が目的か分からん」と返すだけでした。

「む、村長が言うからには、卯之助は危険だということなのでしょう……」

 片蔵さんも訳は分かっていませんが、村長の言うことに従うしかありませんでした。

「片蔵、この事はここにいるおらたちだけの秘密じゃ。悪い物ノ怪が何を仕掛けてくるか分からんからのう」

「わ、分かりやした……」

 話が終わると、片蔵さんは自分の家に帰っていきました。片蔵さんの姿が見えなくなると、村長は黒斑をぎろりと睨みました。

「黒斑よ。お前は何が目的で人間の世界こちへ来たのじゃ?」

「な、なんのことだか、おいらにゃさっぱり……」

 黒斑は急に冷や汗を掻きました。村長は黒斑が答えるまで目を離しませんでした。

「わわ、分かった! 降参だにゃ!」

「黒斑!」

 思い切って宙返りをすると、黒斑は猫の姿に戻りました。村長は、やはり、と言ってもう一度黒斑を睨みます。

「おいらは悪い物ノ怪にゃんかじゃにゃい! ただ、儀式が嫌で逃げ出したのにゃ……」

「おらの家系は物ノ怪の世界あっこの奴と会話できるのじゃ。今ここで術を使い、おめえの父親を呼び出すことは容易たやすいぞ?」

「いい嫌だにゃ! 頼む! 次の祭りが終わる時にゃ帰るから、今はここにいさせてくれにゃ!」

 黒斑は村長に泣きつきました。どうしても帰りたくない理由が黒斑にはありました。儀式というのは、物ノ怪が人間に悪さをしないように、物ノ怪の世界に繋ぎ止めておくための儀式です。しかし黒斑は人間の世界でやり残したことがあるため、儀式の前に人間の世界に飛び込んできたのです。

「黒斑。――俺っちからもお願いだ。今は黒斑を残してやってくれ」

 卯之助も正座をして、額を床に擦りつけるように頭を下げました。

 村長は二人の強い気持ちに押し負けたのか、よかろう、と言いました。

「ただし、黒斑は卯之助を守り、悪い物ノ怪の謎を解くことが条件じゃ。卯之助は己が身は危険であることを自覚して行動せい。二人とも、ええな?」

「はい!」

「はいにゃ!」

 二人は元気良く返事をしました。

 こうして黒斑と卯之助は、しばらく村長の家で過ごすことになりました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る