すいか

 松橋雅鷹まつはしまさたかは困惑していた。

 扇風機の風に波打つ大きなブルーシートの海のただなか、台座に乗せられた立派なすいかが鎮座している。今日は商店会の納涼夏祭り、通りの裏手の広場には夜の部に向けて櫓が組まれ、射的やスーパーボールすくいといった遊戯系の屋台が軒を連ねて見た目にも大変賑やかだ。しかし、人々はなぜかブルーシートのまわりだけは避けて通る。

 昼の部の目玉企画、すいか割りチャレンジ。当てたら豪華賞品目白押し、ただし衆人環視のおまけつき。やりたがるのは悪ガキばかりで、これは商店会の重鎮たちが追い返した。ほかに参加者が現れないのはこの重鎮たちの異様な圧によるものだと、周囲はとっくに感づいている。

 俺は生贄、もとい、いわゆるサクラである。

 手伝いに駆り出されている沢村をちょっとひやかして帰るだけのつもりだった。あとは涼しい部屋の中、ぶっ通しで海外ドラマを観ているはずだったのに。

(なぜこんなことに)

 問答無用で目隠しに巻かれた手ぬぐい、手にした棒は意外に重く、背中にはおっさんたちの視線の圧がかかる。

「せんぱーい、ファイト!」

 沢村の甲高い声援にカチンときて、俺の闘争心に火がついた。

 こうなったら。

「沢村、ナビ!」

「おっ、了解す!」

 意地でも割ってやる。棒の切っ先を持ち上げて、握り直しながら肩を揺すった。さっそく沢村の指示が飛ぶ。

「まず三時の方向!」

「よし」

 右足をまっすぐ横に出して向きを変える。

「そのまま大股で三歩、あ、ちょっと右に寄ってます。次もうちょい左」

 沢村のナビはわかりやすいしよく通った。俺は指示に従って迷いなく歩を進める。

「おい、なんか息ぴったりだぞ」

「一緒に住んでる人でしょ、ほら、よくカズが言ってる」

「ああ、『先輩』?」

 うしろがちょっとざわざわしている。ふふ、バカめ。その話し声も目印になるんだぞ。

 変なスイッチが入って、俺のキャラも若干変わっている。あまりにすたすた動くので、うっかり足をブルーシートの境目で引っかけて一度方向がリセットされてしまった。そうするうちにもだんだん声援の数が増えて、俺がちゃんとサクラとして機能していることがわかる。

 でも、おそらく沢村の指示が一番的確だ。

 扇風機の風がぶうんとTシャツを煽る。戦いはいよいよ佳境にさしかかった。

「そこで止まってください、いや、足いっこぶん下がって、そう!」

 高まるざわめきや拍手の音。見えないけれど大勢の視線を感じる。でもそれももう大して気にならなかった。

「よし、へそだけ十一時の方向。ちょっと棒振り上げてみてください。もうちょい左、よしよしよし」

 沢村ももはやボクシングのセコンドみたいになっている。

「おっけー行けます! ぶちかませ!」

「おーし!」

 後ろ足だけ少し引いて、ぐっと背を反らす。当てるだけじゃ気が済まない、もうどうしても割りたい。

 渾身の力を込めて振り下ろす。棒が唸りを上げ、風が鳴る。

 ばかっと音がしたのを聞いて、すぐさま目隠しを下げた。

 大きくへこんだすいかの緑からみずみずしく淡い赤がのぞく。なんと、棒はすいかと地面に負けて折れていた。

「いったー!」

「オイ、誰だよあの棒用意したの」

 顔を上げてまず目に入ったのは大喜びして飛び跳ねる沢村、それから思った以上に集まっていた子どもたちとその背後のおっさんたち。

「はーい、じゃあ次挑戦したい人!」

 商店会長はここぞとばかりに声を張り上げる。ちびっこたちの手が一斉に上がった。

「で、あの子たち一巡したらお兄さんもう一回やる?」

「なんでですか」

「いやー、いい客寄せになってくれたから」

「おれ見世物じゃないですけど!」

 アドレナリンが切れて、なんだかどっと疲れた。

 割ったすいかはみんなで分けるために運ばれていき、代わりに冷えたカットすいかを手渡される。労をねぎらってくれたのは馴染みの青果店のおばあちゃんだった。

「ほほほ、いいもん見してもらったわ」

「ありがとうございます」

 ところが真っ先に駆けてくると思った沢村の姿が見えない。もう手伝いに戻ったのだろうか。それならそれで、と思い、商店会オリジナル商品券の金一封だけもらって帰路についた。


 俺が帰宅してまもなく、なにやら大荷物をかかえて沢村も帰ってきた。

「どうしたのそれ」

「いやー、先輩のおかげで大もうけっす」

 食卓にどさっと積み上げたのは、焼きそばにお好み焼きにたこ焼き、屋台メシがぎっちり詰まったパック。明らかに正規の量ではなく、蓋を留める輪ゴムはきりきりと引き絞られている。

 あろうことか、沢村は俺が割るかどうかであちこちの屋台と賭け事をしていたという。あの気合の入った的確なナビはそういうことだったのだ。らしいというかなんというか。

「こんなに誰が食うんだよ……」

「たこ焼きとお好み焼きはたぶん冷凍もいけますよ」

「そういうことじゃねんだよな……」

 もういいや、と思って焼きそばのパックに手を伸ばすと、目玉焼きの黄色がこっちを向いた。これはちょっとうれしい。そもそも俺は〈ちょっとぬるくなってのびた屋台の焼きそば〉が大好物なのだ。

「ビール飲みます?」

「のむ」

 缶のまま乾杯して、夏祭りの夜の部がはじまる。

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