第9話⑥

 飛ばされた先までズカズカ歩み寄って、二枚目のお札を振り上げる。日高は大きく刀を振った。すんでのところで、お札を真っ二つに斬り捨てる。すみやかに効力を失うお札。


 だが千景は冷静だった。背中に隠したもう一方の手が、すでに新たなお札を用意している。彼女はそれを、日高の眼前に突きつけた。呪力の渦が発現する。


 日高は、とっさに刃を立てて身構えた。刀で渦を受け止める。迫る勢いに後退していく。じりじりと放送室に近づいていく。彼は押されながらも、渦巻く方向とは逆に呪力を流し込んで、攻撃を相殺していった。やがて、跡形もなく消え失せる渦。


 信じたい人からの攻撃は、一切容赦がなかった。それが、日高を心身ともに苦しめる。


 彼の心には、本当は考えたくもなかった、千景を疑う気持ちが芽生えてはじめていた。むろんすぐ後には、疑いを否定し、一瞬でも千景を疑った自分を責める気持ちが、心を埋め尽くす。なのに、疑念はあとからあとから湧き出てきて、もはや消し去ることはできなくて――


 千景の攻撃から身を守るため、刀を構える日高。彼女に剣先を向け、用心深く動向を探る。それでも、彼は反撃だけは絶対しなかった。


「どうして反撃して来ないのよ! 私をなめてるわけ? それともまさか、まだ私を味方だとでも思ってるの?」


「そうだ」


 千景はわずかに息を呑んだ。そのまま黙り込む彼女。攻撃の手が止まり、唐突に辺り一帯が静まり返る。観客や軍隊もまた、少し離れたところで、二人の対話を固唾を呑んで見守っていた。


「……いやいや、いまだに私を信じてるとか、ありえないでしょ。自分をだまして理想を語るのも、大概にしてよね。さっさと私を敵と認めて、怒りも恨みも、全部みじめにさらけ出せばいいのに」


 日高に心底呆れ、大げさに肩をすくめる千景。その様子に、日高が困ったように苦笑する。


「さらけ出せ、なんて言われても、そんなことまったく思ってねぇからなぁ……俺が怒りや恨みに震えてるってのは、千景の勝手な想像だよ」


 そうつぶやいた時、日高は気付いた。


「でもそれって、裏を返せば、千景は、俺が恨みを抱えてると思ってるってことだよな? 千景には俺の恨みを買った自覚があるってことだよな? 俺に恨まれるような真似をした負い目があるってことだよな……?」


 はたと真剣な表情になって、思考にふける日高。彼は、千景が無意識にこぼした一言に、彼女の本心が隠されていると直感した。やはり千景は、良心を失ってはいなかったのだと、本当は悪者ではなかったのだと、そう思いはじめていた。


「違う!」

 千景の表情が、焦りに染まった。


「勝手に決めつけないでよね。私は、あんたたちを殺そうとしているんだから、恨まれるかもしれないって考えるのも当然でしょ。別にこれぐらいのこと私じゃなくたって――」


「だけど結局、千景には、恨みを買った自覚があるんだろ?」


 言葉を詰まらせる千景。そうして弱気になる姿は、日高がよく知っている千景に限りなく近かった。今みたいに悩むことがあっても、工夫し努力し、大志を叶えようとする少女――現実の千景にも、まだ昔のままの姿が残されていると思うと、少し自信が持てた。


 その自信を行動に変えて、日高がさらに千景に迫る。


「さっきから思うんだけどさ、恨みをさらけ出せ、なんて言い方されたら、まるで俺に怒りをぶつけてほしいみたいじゃん。やたら嘲笑って挑発してくるのもそうだ。お前が犯した罪に対して、罰を与えてくれるよう誘導してるみたいに聞こえるんだよ。ま、罪だと思ってるのは、お前一人だけなんだけどな」


 そんなところにも、千景の善の心が見え隠れする。日高の瞳には、彼女の姿がどんどん面影と重なっていくように見えた。それが幻覚でないことを切に願って、最後に問う。


「本当は、生徒会メンバーとして俺を攻撃したこと、後悔してるんじゃねぇの? ずっと俺たちの味方だったんじゃねぇの? なあどうなんだよ、千景……!」


 千景は黙り込んだ。目配せして、それとなく周囲の様子をうかがったあと、うつむく。日高にはその姿が、千景が本音を明かしてもよいか、生徒会メンバーや教師一派への裏切りを明かしてもよいか探っているようにも見えた。


 ほどなくして不意に、小さな拳を握る千景。口を固く結ぶ。顔を上げる。


「これで終わりよ」


 そう言って、血のように赤いお札を高く掲げた。それは、日高の予想とは真逆の行動。


 千景は、意表をついてとどめを刺す気だったのか。学院長への忠誠は、結局最後まで揺るがなかったわけだ。


 心に重い打撃を受けつつ、こんがらがる気持ちを押し隠す日高。とにかく今は、千景の攻撃を防ぎ、背後の放送室を死守しなくてはいけない。日高は、刀を構えて刃を立て、防御体勢を取った。が、なぜだか手元に刃がない。柄は確かに握っているのに、呪力から刃を生成できないのだ。


 その理由を、日高は直感した。もう、身体に力が入らない。常時身体をめぐっているエネルギーが、すっかり抜け落ちてしまった感覚にとらわれる。


 体内の呪力が、底をついた瞬間だった。


 日高はサッと青ざめた。身体から呪力がなくなれば、盾も刀も作り出せない。千景の攻撃を防げない。自分と迅の身を守れない。このままじゃ、二人とも――


 うろたえる日高の様子に気付き、しかし千景は、構わずお札をひるがえした。閃光が走る。炎が上がる。気付けば、日高の視界は灼熱の光で覆われていた。

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