4話 Tears in the sky ―クライ セカイ― 4

「いただきます」


 ミナトは、強引に押しつけられた完全食の封を切った。

 小さな白いプラスチック製の容器の中身は粘液ペースト状でどろりとしている。キャップを指ではじいて口の中へと流し込めば今日を生きる分の糧が効率的に経口接種できてしまう。

 なお味は非常に科学的ケミカルで舌がビリビリするくらい不味い。味わわずに胃の腑へ納めても香りをごまかすために入っているスパイスがいつまでたっても鼻の奥に残る。


「うえっ、まっず。あと、くっさ」


「文句を言うな。胃の機能が落ちるから乾パンも詰め込んでおけよ」


 水分もな。ディゲルは酸い顔をするミナトにぴしゃりと言い放つ。


「生乳とか動物性タンパク質とかもっと命の恵み的なサムシングはないのかー? こんな肥料みたいなものばっかり食べてたらそのうちプランターにでもなっちまうよ」


「うるせぇ文句を言うなっつってんだろ。プランターになれるもんならなってみろ世紀の大発明としてノーベル賞くれてやる」


 愚痴もなんのそのだ。ディゲルはすっかり仕事モードに移行していた。

 執務用の椅子に腰掛けながらなにもない中空で指を弾いたりスライドさせながらしきりに視線を巡らしている。

 そうやって一般的人体機能をもつミナトには見えないモニターを眺めながら資料を作成しているのだ。

 ミナトは、間抜けな動きをするディゲルを眺めながら、乾パンへ齧りつく。


「なー。そのエロコンピューターっていつになったらオレに投与してくれるんだ?」


 味については言及するまでもない。

 乾いているから口内の水分を根こそぎもっていくパン、以上。


「だからエロコンピューターって呼ぶんじゃねぇ、アレクだ。そもそも投与できたとしてオメェはなに目的で使う気でいやがんだよ」


 雑におねだりを試みるが、答えはいつも決まっているようなもの。

 現在ディゲルの使用しているモノは血液中に投与したナノマシンによる最先端の未来機器。その名も《ALECナノコンピューター》。

 機能は膨大でかつ最新鋭。この場にいない人間とのやりとりやら会話やらはもちろんのこと。視覚を瞬時にデータ化しクラウドで共有することまで可能なのだとか。


「視覚情報を保存してチャチャさんの恥ずかしがってる可愛い姿を全世界の人々に共有する」


「迷惑極まりねぇな。そんな迷惑極まりねぇヤツにナノマシンを与えるなんて迷惑極まりねぇ」


「目線つけてR指定の箇所には粗めのモザイクつけるからさぁ。そろそろオレにもアレク頂戴よぉ」


「……そういうこと言ってんじゃねぇんだよ」


 必死の説得も聞き流されてしまっては功を奏さない。

 ディゲルはすっかり本の虫。しかめっ面でモニターを熟読している、らしい。わがままは否応なしにシャットアウトされてしまう。

 その他にも《ALEC》には人体機能と癒着して様々なことが行える。

 健康分析機能やら個人信号の発信やら。聴覚に反応し録音もできれば視覚情報のみで地図を生成したりと、ほか多数エトセトラ。もたざる者には夢が膨らむような機能がいくらでも備わっている。


「なー未来的超便利技術は共有するべきだろー。若手に気遣いするのも上司の役目だー」


 ミナトは返事すらしなくなったディゲルにむくれた。

 いくらも噛んでいない乾パンをまとめて口に放り込んでから水で流し込む。

 久方ぶりに入ってきた栄養によって胃の腑が機能を思い出したらしい。内蔵の1つが活発化すれば逆流した酸素が「うっ、ぷ」と口からゲップになって喉を震わせた。


「3人で朝食なんてひさしぶりですねっ! なんだか賑やかだった昔を思い出しちゃいます!」


 不味い朝食だというのにチャチャは白い頬をとろかさんばかりにほころばせている。

 彼女の食べているのは乾パンとビーンズペースト、それとナッツが数個ほど。

 おもむろに立ち上がったチャチャが食料コンテナの置かれたキッチンへ白裾波立たせて向かうと、ほどなくしてコーヒーの香りが漂ってくる。


「ほらほらっ。ディゲルさんもちゃんとお手々を消毒しないとだめですからね」


 そう言いつけながらディゲルの空いたカップへ黒く香り高い液体を注ぎ入れた。

 

「ミナトさんもコーヒー飲みますか? 残念ながらお砂糖とミルクはないですけど」


「残念ながらお砂糖とミルクないならいいや。コーヒーって匂いは好きなんだけど酸味が苦手なんだよね」


「餓鬼舌に飲ますにはもったいねぇわな」


 完全食のプラ容器がディゲルに投げつけられる。

 しかし彼はモニターに向けているであろう目線を逸らすことなく、容易に容器をキャッチした。

 さらにはそちらを見ずにリサイクルボックスへと容器を放り込む。

 投げられた容器は箱の中へと吸い込まれた。ナイスキャッチからのダストシュート。

 やったのが一般人ならば拍手のひとつでも送ったかもしれない。しかし彼は特別だ。その程度は文字通り朝飯前というやつ。

 彼は特別だ。少なくとも選ばれていない人間よりは優秀だった。


――感応の力ねぇ。


 と、ミナトは椅子を揺りかごのように揺らしながら尋ねる。


「そういえばチャチャさんにもナノマシン入ってるの? 使ってるところ見たことないんだけど?」


「いちおう入ってますよ。なにせノアの船員なら全員にナノマシンを打たなければならないという決まりがありますから」


 チャチャは窓のない窓辺に飾られたドライフラワーの手入れを行っていた。

 濡れ絞った布巾で花弁や葉が千切れぬよう砂やほこりを丁寧に落としていく。あと、ついでのようにディゲルの鬼面顔もせっせと拭う。


「逆にナノマシンを打っていないミナトさんのような方のほうが珍しいかもしれません。上では通貨の管理や身分証明などなどと、なくてはならないマストアイテムです」


「ふぅん~だ……そうやってみんなオレを時代ののけ者にしていくわけか」


 ミナトが子供っぽく唇を尖らす。

 するとチャチャはふふ、と。控えめに肩をすくめた。


「きっと近いうちにディゲルさんが用意してくれますよ。では私は食料の在庫を数えてきます」


 それからよほど機嫌が良いのか、踊るような足どりで白い裾を引きながらキッチン側へと消えていってしまう。

 一つ屋根の下に住まうとはいえ暇ではない。なんだかんだとこうして一部屋に家族全員で集まるのは久しぶりだった。

 ミナトは頭の後ろで手を組みながら重ったるい胃の消化が終わるのを待つ。


「あーくそ。バリアカートリッジの在庫が足りねぇな。こりゃ次も食料分のポイントをそっちへ割り当てねぇと……」


 ディゲルはどうやらキャンプの管理にてんてこ舞いらしい。

 どこぞへ向けた目を細めながら舌を打つ。

 どうやら空へ送る要請や記録やらをせっせと作成していたようだ。

 芝の如き単発に鬼の眼光、そのくせ執務すらもこなす。いわゆるなんでもできる男というやつ。キャンプのリーダーとして申し分ない有力者だった。

 聞くところによればディゲルがキャンプのリーダーとなるまでこの大地は法を欠いた失楽園だったとか。

 そして家族のなかで最古参のチャチャが、ぱたぱた慌てた足どりでリビングへ返ってくる。


「濾過水の在庫がなくなっちゃいそうです。このままだとキャンプの人たち全員に配れなくなっちゃいますよう」


「じゃあ今日中に灰水の濾過やっておくからあるぶんの水は配っちまうとするか。うちで使う分は濾過が済むまで我慢で頼む」


「了解しましたっ。今日のお洗濯はお休みしますっ」


 びしっ、と。チャチャは背筋を伸ばし踵を揃えてディゲルに敬礼を送った。

 家事担当の彼女にとって水がなければ始まらない。というより彼女には家事しか出来ないのだ。

 チャチャは肉体労働するにはか弱く、そして極度の男性恐怖症を患っている。

 初対面の男性に対してはとくに顕著だった。触れられることはおろか見つめられるだけで震えが止まらなくなってしまう。相手が複数なら嘔吐あるいは卒倒まで。

 付き合いの長いミナトとディゲル――あともう1人――ならば問題はないらしく、家族ならば男性として見ずにすむのだとか。


「にしてもBキャンプの採掘がうまく回らないせいでポイントがどんどん下がっちまうな」


「この間も落盤があって大勢の怪我人がでてますからね。傷を癒やすための医療用品にもポイントをさいたから、じり貧ですよ」


「労働力の欠如が一番厄介だな。嗜好品がねぇからやる気も削がれる上に、食糧の枯渇ときたもんだ。どうにかして立て直さねぇと1ヶ月もたねぇぞこりゃあ」


 そうやって2人はミナトに見えぬモニターを眺めながらうんうん唸った。

 ナノマシンをもつ2人は元天上人――ノアの船員だった過去がある。

 なにがあってこの過酷な大地に落とされたのか、はたまた酔狂で自分からやってきたのか。

 現状、とにかくここで生きるためには宙間移民船ノアからへのお布施ポイント施しほきゅうがなくては成り立たぬ。

 その名の通り宙間移民船ノアは空の上にいる。そこから地上に住まう地上人たちへ指示を下しつつ鉱石や用途の多いセルロース等の回収を推し進めている。

 であるから地上の民はこうして日々労働と節制励むのだ。


「あんまり逼迫してるようならビーコンの数を増やしてくれても構わないぞ」


 ミナトが何気なく進言すると、ディゲルとチャチャは同時に顔を上げる。

 そのなかでももっともお布施が多い仕事が存在していた。それはキャンプを守るバリアから飛び出し惑星調査を進めるためのビーコン設置任務だった。

 そしてミナトだけが地上で唯一の熟達者ベテランだった。


「最高難度なだけあっての施しは破格。多重音響バリアからでてちょいと適した位置に設置すれば楽々大儲けだ。なんなら山のように詰んだ炭素よりもポイントは多くもらえるんじゃないのか?」


 生きる才能があった。あるいは死なぬための経験を積む機会に恵まれていた。

 いかなる状況でも冷静に対応し、いかなる犠牲を払っても生き残る。数多の死を前にしてもめげず挫けず。ゆえに才能なのだ。

 どちらにせよこの極上の任務をこなさなければキャンプを立て直すことは無理に近い。避けられない事態だった。

 ミナトは2人に歩み寄って、得意げに執務机に手を添える。


「施しが減ってるってことは遠回しにビーコン設置を優先しろっていうお達しだろ。オレならキャンプの全員を養えるだけの仕事をこなせる」


 それがなにに使用されるモノなのかすら知り得ない。

 だが、少し危険に身を投じれば人が死ぬことはなくなる。これ以上キャンプが飢えることも、家族が悲しむ理由も、なくなる。

 ディゲルはしばし沈黙をつづけてしっしと手を払った。


「オメェが気にすることじゃねぇ。余計なこと考えてねぇで自分のことを優先しやがれ」


 ただ一言のみ。拒否、拒絶。

 補足するようにチャチャがにこりと目を細める。

 

「ミナトさんは今のままでも十分過ぎるほどがんばってくれてます。それにこれ以上がんばられてしまうと私はミナトさんのお体を心配してしまいます」


 さいで。ミナトは、その優しさがいっぱいに込められた2人の気遣いを、軽くいなすのだった。

 もうビーコン設置任務の生き残りは1人しかしない。少し前までなら多人数で行っていたものだ。

 キャンプの方針としては地上人の生存が最優先事項となっている。どこぞの優秀な管理人が人道と道徳を重要視するため、そうなった。

 あーでもないこーでもない、なんて。ディゲルとチャチャが会議しているなか、ミナトはそろそろしびれを切らしかけている。

 2人が忙しそうにしているのだ。そんななか暇を弄ぶのは忍びないし、居心地も良くない。


「で、忙しいところ悪いけどさっき言ってた話ってなにさ? こっちは暇だからさっさと仕事に向かいたいんだけど?」


 ミナトは椅子から立ち上がりつつ踏んでいたスニーカーの踵を整えた。

 テーブルに置いていた流線型のワイヤー射出装置を左手首へと固定する。

 ああそれか。ここでようやくディゲルの視線がミナトのほうへと向けられた。


「なんてこたねぇんだけどな」


「なんてことのない要件でオレを呼び止めたのか」


「なんてことはないが、いちおうオメェにも関わる要件だから耳に入れさせようと思っただけだ。宙間移民船ノアから地上へ派遣部隊が送られてくるってだけの話さ」


 なんてことはない話、ではなく、真にろくでもない話だった。

 新世代ニュージェネレーションである天上人が、旧世代オールドジェネレーションの住まう場所へ降り立つ。それだけで嫌な予感しかしない。

 選ばれし者のみがノアへの乗船券を手にすることが許されている。――例外はあるが――旧世代たち選ばれぬ者はこうして地上を這いながら天上人へと奉公に身をやつす。


――想像以上にろくでもない話だな。いまさらになってのこのこ現れる新世代に規律を乱されたらたまらないぞ。


 ミナトはとりあえず、今はじめて聞いたとばかりに目を丸くしているチャチャを、からかうことにする。


「むくつけき男どもが列挙してやってくるかも! ディゲルみたいな躍動する胸板を剥き出しにしたマッスルたちによって筋肉オーケストラが奏でられるかもしれない!」


「ひぇっ! き、きんにくおーけすと、ら! そんなの悍ましすぎますっ!」


 すると、絹の如き白い肌からさぁ、と血の気が引いた。

 チャチャは、ミナトの心ない企てによって、益荒男の群雄割拠する筋肉カーニバルを想像してしまったようだ。

 寒風吹き荒れるようぷるぷる小刻みに震えだす。


「それはねーよ。あの女ったらし野郎が先導してるらしいからな」


 その例外が重苦しく口を開いた。

 ディゲルは合成皮革製の椅子に筋骨逞しい大柄をとっぷり預けて天を仰ぐ。

 その泳がせた視線は過去を見つめるみたいに細められた。


「そういやディゲルも船員の資格をもってたっけ? ってことは昔の同僚かなんかでもくるのかい?」


「腐れ縁ってやつがなかなかどうして断ち切れねぇってだけだがな。悪いやつじゃねぇがいかんせん手が早くて尻が軽い。あといい年こいて英雄願望をいつまでも手放そうとしやがらねぇのがネックだな」


 まるで子供のまま大人になったような感じか。

 ふむ、と。ミナトは変声期を終えたばかりの喉を低く唸らす。


「で、でもなぜいまさら? ノアからの部隊派遣は過去に失敗して以降音沙汰なかったはずですよ?」


「あの頃は能力開発も部隊化も半端だったからな。今回は次世代の精鋭を率いてくるとか言ってやがった。時代が進んだってこったな」


 ディゲルは鉄球のような肩を解しつつ椅子から立ち上がって、チャチャの小ぶりな頭をぽんと叩く。

 それから作業用ヘルメットを脇に抱え、工具の詰まった腰袋を巻き付ける。

 執務のあとは休む間もなく実務。そして実務が済めば執務をするのがキャンプリーダーとしての仕事をこなす。偉い人間は相応の苦労を買っているのだ。

 ミナトは、雄々しく広い背を眺めながら自分のやるべきことを思いだす。


「それじゃオレも楽しい楽しいビーコン設置に行ってくるよ」


 ひょい、と。食卓の端に用意しておいたワイヤー射出装置を拾い上げる。

 流線型のメタリックブルーな近未来的デザイン。それを革バンドでジャケットの上から手首に巻き付け固定した。


「おっぬんじゃねぇぞ。オメェを死なせたらノアに上がっていったアイツに申し訳が立たねぇからな」


「あ、いってらっしゃいませ! 必ず生きて帰ってきて下さいね! 必ずですからね!」


 背後からの贈りを耳に、ミナトは後ろ手を振りつつ石造りの外へと進んでいく。

 ジャケットのジッパーを限界まで上へと引き上げ口元を覆う。

 扉のない玄関からは朝の光が待ち伏せて、推定14ほどの少年の身体を日の中へと吸い込んでいく。


「……シン……イージス……」


 石造りの簡素な家屋から1歩ほど。

 外に踏み出した刹那の間に、少年の瞳から生命を司る光がすぅ、と消失した。

 機械的に心を殺す。ここからは喜怒哀楽という情とつく人間性は不必要となる。成すべきことを成すだけの木偶デク演じる。

 ここは人類の辿り着いた終の地。幾星霜を越えた夢の成れ果て――忘却の星アザー。

 方舟は、生命の根づかぬ呪われた大地を眼下に人類の時を止めた。

 時折降る死の灰といつしか晴れぬようになった空が星を白く染め上げる。

 白と黒のモノクロの世界に生ける入植者の数は今のところ200名ほどか。人類の総数はおよそ30万ほど――と言われていた。


「……オレだけは家族をこの星に置いていったりなんかしないさ」


 絶対にな。ミナトは、黄色い寒風が吹き荒れるなかで、霞に誓いをたてた。

 外にでれば他の入植者の眠る小汚いテントがバタバタと音を立てている。

 業務開始の時間までまだ猶予があるため寝静まった様相がつづいていた。彼らが本格的に動きだすのはもう少々日が昇ってからとなる。

 そんななか1人歩く足音を聞いたのか。隙間の中から畏怖と軽蔑の籠められたおびえた瞳が、ミナトのことを覗き見ていた。


「……この人食いの死神が……」


 小汚い男は唾を吐き捨てるように、そう口にした。

 唇の薄皮に歯を立てると、チクリという痛みの味がして、鉄の臭いがする。

 張り詰めて、張り詰めて、張り詰めつづける。積み上がった人の死体の上に生きていく。

 そうやって張り詰めすぎた精神はなんらかの拍子にぷつりと途絶えるのだろう。


「…………」


 2人の血の繋がらぬ家族だけが、少年にとっての世界であり、すべてだった。

 ジャケットのポケットに手を突っ込むと、ざらざらという砂の感触がした。



 ○ ○ ○ ○ ○

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