第3話

 週が明けて約束の日がやって来た。

 週末のレンタルビデオ屋の日中のシフトは、前の週末の返却が集中するため元の棚へ戻す業務に終日追われがちだ。

 片手に返却されてきたVHSやDVDを腰から肩程まで積み重ね、ひたすらにフロアを駆け回るという役目を買ってでながら、その時間を活かしてレジの方から呼ばれるまでは、どうやって過ごそうかと考えを巡らせていた。ある程度勤続期間を重ねていると、棚の位置やジャンルごとの作品の位置関係であったり、新作が入荷したことによる準新作、旧作へとスライドするパターンも把握出来るため、量をこなさなければならないが、割と考え事でもしたい日の格好の時間潰しでもあった。

 考え事とは言っても僕にとってのこの週末の思考を巡らせる対象は、週明けに控えた綾との約束以外には何もないのだが、半信半疑で誘った割には半日ほどその事ばかり考えていれば、何とか良い感じに過ごせるのでないかというくらいにはイメージが湧いて来た。このような予定が入っている時は如何にして有意義な時間を過ごすか、楽しみな事ばかりを考えながら過ごすに限る。普段は苦痛で間延びしがちな返却業務でさえも、この時間こそ非常に有意義な時間となった。


 待ち合わせの場所に指定されたのは連絡先を交換した後に綾が改札を抜けて行った駅前だった。

 駅のロータリーに差し掛かると入口の脇に携帯電話を片手に佇む綾の姿を直ぐに捉えることが出来た。本数の少ない田舎町のローカル線の電車の行き来する時間に合わせて、親に連れて来てもらうということであった。電車で出掛けることにして駅へ連れて行ってもらう方が、知り合ったばかりの男性と近場でドライブしてくるというよりも説明が簡単なのは明白だった。

 綾を助手席に迎えて駅のロータリーをぐるりと回り、来た道を戻るように車を出した。途中の大きな交差点を南側へ曲がり、20分程車を進めるとフェリーが行き来する港町を通過する。

 諸々考えを巡らせながらも、ここから更に海岸線沿いを走った先にあるカントリー調のログハウスの店で、無難にランチでも食べられればというざっくりとしたプランに落ち着いた。その後のことは会話の盛り上り具合いなどで決めれば良い。海沿いを走りながら気分転換しながら和めれば十分だという考えで、仮に途中で会話が弾まなくなったり気不味くなったりしても海沿いを走っていれば何となく間が持つのではないかと思った。

 2人の地元のエリアからは車でしか行けないに加え、特に用事でも無ければ海岸線沿いをここまで走ることもないであろうし、近場でも行ったことの無さそうなところは盲点ではないかと踏んだ。

 何処に行くのだと綾に問われながらも適当に返しながら車を進める。

 助手席と運転席とでの会話になると綾の表情さえ窺えないながらも、電車で声を掛けた時よりも幾分も親しみを持った口調で受け答えがされることに安堵した。

 会話が続かなければという懸念を抱いていながらも、次から次へとひたすら言葉が口を突いて出て来るので、僕自身も今日は調子が良いのだと思った。加えて揺れる海面が照り返す日差しが視界に眩しく天気も良い。


「寮生活で予備校って勉強しかしないの?」

「大体そうです。することないというか、そのために拠点を移しているので」

「凄いな。僕だったら出来るのかな…」

「目標あればとても集中出来る環境だったかなって思います(笑)」

「恋愛も禁止?」

「そこまでではないですけど、受験の妨げになるようなことは皆避けてたと思います」

「じゃぁその間フリー?」

「予備校で出会った彼がいました(笑)」

「良いな。過去形?そういうのが聞きたい!(笑)」

「進行中ですけど、彼は地元の大学決まっちゃったし、私は東京行っちゃうし、今後のことをちゃんと話合えていないんですよね…」

「遠距離するの?」

「彼はそのつもりのようですけど、続きますかね…(笑)」

「遠距離頑張るって感じでも無い訳ね」

「そうではないんですけど、微妙なタイミングで出会っちゃったなってのはあります。たまたま他所から集まった者同士でそこで出会って、でも地元も進路もバラバラだし発展させちゃって良いのかなってのはあります」

「確かに身を落ち着けたところで馴染まないとってのはあるかもな。遠距離しても心配も多そうだし。それはそれで良いって人もいるけど」

「だから私としては、進学のタイミングで一区切りしておいた方がお互いのために良いのかなってのもあって。だって生活一変しちゃうとそこで相手に良い人現れたりするかも知れないじゃないですか?変な負担与えたくないし、私も受験終わった反動もあるのか、これからは自分の思うようにしたいなって(笑)」


 真面目な話が出来る相手との会話は、例えその内容が取り止めのないものであったとしても、自分の意見を持っているからか張り合いがある。

 出身校のイメージだけではなく、綾は見た目からも頭の良さそうな印象はあったが、考え方もしっかりしているようだった。話が弾まないかも知れないという事前の懸念を余所に、相手にとっての現在進行形であるこの話題だけで何日も持つではないかと思った。

 話に夢中で時間の経過が気にならなかったが、調度昼前時に目当ての店に到着した。車を降りながら、電車で声を掛けた時とはまたテイストの違う、タイトなデニムと小ぶりなお尻、白地のシャツ越しの気持ちばかり膨らんだ胸元が視界に入る。胸元を斜めに遮るよう掛けられた細めのストラップが、余計に胸元の微かなボリュームを強調するようだ。首から腰の高さほどに下げられたヌメ革のレザーのポーチは年季が入っている。


 ログハウスの1階部分の店舗フロアからバルコニーに抜けるドアが開放され、外からも中の様子が窺える。人の入りまでは分からないものの、ランチ時に向けて営業を開始していることだけは見て取れた。

 建物の手前には犬小屋が備えられており、そこに繋がれながらもバルコニーの上で白大型犬が気持ち良さそうに日向ぼっこをしている。どうやらそこが定位置のようで、人が近付いても関心を寄せない様子から、吠えたり噛みついたりもしないのだろう。柴犬やチワワくらいしか区別がつかない僕には犬種が何なのかは分からない。


 店の中に足を踏み入れると先客が一組ほどテーブルについており、オーダーした料理を待っていた。正午を回る前で調度良い時間に入れたと思う。

 窓際のテーブルに通され、日向ぼっこ中の大きな犬の様子が見える位置に座り、綾とメニューに目を通した。

 何処のレストランでも出されているような代り映えのない洋食のメニューではあるが、ハンバーグで知られた店だということもあり、僕がハンバーグランチをデミグラスソースでパンを付けてオーダーすると、綾もライスをセレクトしてそれに倣うように続いた。


 料理が出されるまで間、バルコニーの上でピクリとも動かない犬を眺めながら、綾と車中での会話の続きをしていた。

 ことあるごとに「で、彼氏どうするの?」という具合いに問い掛けると、「えー、分かんないですよ。悩んでるんです(笑)」といった返しがあり、何の話題についてもそういった調子で会話は弾んだ。

 僕に取ってみれば、綾の彼氏をネタにして盛り上げているようなつもりは毛頭ないのだが、悩んで答えを出せずにいる(もっとも次の生活がスタートしなければ答えなど出しようもないのだと思うが)綾を弄って煽るような、そういった恰好となっていた。綾がどのような答えを出そうが、知り合ったばかりの僕に利害があるわけでもなく、答えを急かしてどうしたいというものがある訳でもない。

 料理が出されてからもそれを口に運びながら取り留めもなく会話を進ませ、やはり同世代の男女は気が合えば知らない者同士でも同じ時間を和んで過ごせるものだと思った。

 そうしながら印象的なのは、綾が会話をしながらも綺麗に食事をするその様子で、手元のナイフとフォークの使い方や細かい所作から、しっかりと躾けを受けているのだろうと、余計なお世話であろうがそう見て取れた。そういう印象を抱いてしまうと、そんな女性に対峙して食事をしている自分が急に恥ずかしくなる。


 食後のコーヒーを取りながら外に目をやると、それまでピクリとも動かなかったバルコニーの物体が姿を消していた。特殊な能力で何かを暗示掛けられているような不思議な感覚を覚えながら、場所を変えてまだ寝ているのだろうと会話を続けた。

 会計を済ませて店の外へ出ると、何のことはなく犬小屋の前でまた同じ体勢で日向ぼっこを続けている姿が在りほっとする。僕達とは一度も目を合わせてくれないことへは若干寂しくも感じるが、店を背に海側を見やると天気が良いせいか青々とした海面が目の前に広がる様子にやられ、直ぐにどうでも良くなった。

 この店の立地は海岸線沿いのえぐるようなカーブの調度中間部分となり、天候や陽の入り方によっては海の見え方も変わって来るだろう、間違いなく今日は当たり日だ。綾も近場にこんな場所があったのかと喜んでいたので、ここを選んで良かったと思った。

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