三十八話 一瞬の油断

三十八話 一瞬の油断



「っ────」


 一呼吸のうちに縮まる距離。ゼロ距離からの拳が、眼前に迫る。


 それをすんでのところで躱し反撃に出る僕の動きを読み、細かい三連打。加えて姿勢を極限まで比較してからの乱れ蹴り。


 彼女には、型が存在しない。レグルス同様自らの力で独自の戦闘スタイルを作り、予測を回避させている。それ故に自由な戦い方。十数連撃にもわたる繋ぎのうち一撃が僕の方を捉え、体勢が崩れる。


「ふんっ!」


「まだ、だ……ッッ!!」


 しかしそこに繰り出された飛び膝蹴りは、宙を切り僕の横を過ぎる。ギリギリのところで身を捻り、振った剣で深くその細身な身体を打った事により軌道が変わった。


「ちっ、やるね。懐に潜り込めばザルだろうと思ってたけど、簡単に見切ってくる。それが君の強みってわけか」


 拳に、空気の歪みが宿る。レグルスとの戦闘で見せていた″発撃″と呼んでいたものか。


 おそらくこの正体は衝撃魔術の応用。空気を圧縮、歪みを引き起こし、それを発散することで衝撃波を生み出すもの。それを拳の先に身につけて同時に放っていた。


(強い、けど。あれには明確に弱点がある)


 生み出される衝撃波。その威力は絶大だが、そこにはデメリットも存在している。


 それはただ打ち出すのみではなく、そこに押し込む力を必要とすること。衝撃を溜め、前に打ち出す。その際前が宙であれば衝撃は分散され、威力は格段に落ちてやがて空気へと帰る。


 つまり、打ち込む先の物質があることで初めて威力増大を図れるものだ。その拳を人に打つ場合当たれば衝撃が体内を巡るが、直撃させなければ普通の拳となんら変わりはない。どれだけ強い攻撃も、当たらなければ意味がないのだから。有効範囲の最も狭いこれは、そのことを顕著に表している。


「波帝拳────」


 刹那、僕はその拳が完成するまでのコンマ秒の間に足腰に力を込め、加速。右に集中する意識の外。即ち左脇腹から、一気に踏み込む。


(踏み込みは、常に一歩深く────)


 途端に反射で反応しこちらに意識を逸らすミリアさんだが、魔術発動直前の意識分散はタブー。魔素操作が乱れ、必殺の拳が崩壊する。


「こ、の……っ!」


「決める!!」


 振り払おうと伸ばされた左手を避け、瞬間的に進行方向を九十度変化。脅威では無くなった右側から、剣を深く振り下ろす。


「終わりだ!!!」


 勝利を確信した。彼女の一挙手一投足すべてに注意を払い繰り出した、最後の一撃。反撃の隙は与えない。このまま、押し切────


「やらせねぇよ。テメェ、だけにはなァァァ!!!」


「ぅぐッ!?」


 ミリアさんの最後から伸びてきた腕に剣を受け止められ大きく払われる。何が起きたのか分からず距離をとった僕の脳内には、知った者の声が反響していた。


「どういう、つもりだよ……レグルス!!」


 それは、想定していた最悪の状況。このミリアさんとの一対一の盤面を最も破壊させる要因。

 レグルスが、回復してしまった。


「言っただろうが。コイツは俺の獲物だ。さっきの借りを返さなきゃ気が済まねえんだよ!!」


 レグルスの拳がミリアさんを遥か後方へ飛ばす。怒りと殺意に満ち溢れた彼を抑えることなど、僕にはもう不可能だった。


「はは、モテモテだな私。狂犬君、私のこと好きすぎだよぉ」


「安心しろよ。可愛がってもらった分、たっぷりお返ししてやるからな」


 それから、と付け加えてレグルスは言う。


「雑魚、テメェは旗でも取りに行ってろ。ポイントが稼ぎてぇんだろ。これでさっきの分の借りは無しだ」


 自分勝手な奴だと思った。そもそもさっき邪魔をして来なければ、ミリアさんを倒せていたかもしれないのに。


 だけどいつまでも引きずっているわけにもいかない。まだ試験は続いている。


「ちょっとアンタ達いつまでチンタラやってんのよ!! ……面白くなりそうなら私も混ぜなさい!!」


「ちょ、アリシアちゃん!? 私達が前に出るのは危ないよ!!」


「うるっさいわね。あの魔闘士ならアソコでぶっ倒れて……って、あれ?」


 身体を倒したままのミリアさんの方を、僕とアリシアさんの瞳が見つめる。


 若干。ほんの少しの違和感。彼女の身体が微かに……歪んで


「アリシアさん! 出てきちゃ駄目だ!!」


「無駄。もう、遅い!!」


 刹那。僕の横を風が通り過ぎ、アリシアさんの目の前に振りかぶったミリアさんが姿を表す。


 幻影魔術と擬態魔術だ。あの人は今、一瞬にして幻影と入れ替わり、擬態魔術で周りと溶け込み一瞬本物の自分から目を逸らしたその隙に、一気に距離を詰めてきていた。


「一瞬の油断が命取り……ってね!」


「う゛……ぁ!?」




 その拳はアリシアさんの腹部に、深くめり込んで。長い赤髪を靡かせるその小さな身体を、吹き飛ばしていた。

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