二十一話 踏み出した一歩

二十一話 踏み出した一歩



「……は?」


 瞬間移動、ではない。アンジェさんならそれくらいのことやっけのけそうなものだが、今回は明確にそうではないのだ。


 僕の視界に映る師匠の姿は、二つ。さっきまで僕の前に立っていた人とは別の師匠が、同じ姿でもう一人現れた。


「ど、どういうことだ!? 魔女が……二人!?」


「ふむ。まあただの人間の拳にしては重いのだろうな、これは。だが、所詮その程度だ」


 驚愕の表情を向けるヴェルドと、その突き出された拳を素手で受けとめ、ポリポリと頭を掻く二人目のアンジェさん。何が何やら、僕にももう分からない。


「えっ、と。アンジェさん……でいいんですか?」


「なんだユウナ。お前は師匠の姿を見間違えるのか? よく見ろこの美貌を。この顔と同レベルがこの世にいると?」


 むふんっ、と何故か胸を張るその感じは、僕の憧れた師匠の一年半近くで見続けた表情そのものだった。


 分かっている。この人はアンジェさんだ。もう一人のアンジェさんさえいなければ、自信を持ってそう答えられたと言うのに。


「さて、そこら辺の話は後にしよう。まずはコイツを、きっちりと始末しておかないとな」


 パチンっ。その細い左手の先から、大きな指を鳴らす音が響く。


 その瞬間、右手の先から一瞬にして氷が広がり、腕を介してヴェルドの身体を襲う。


「゛お、おッッ!? これ……はッッ!?」


「知る必要などない。死にゆくものには、要らぬ知識だ」


 鍛え抜かれた肉体が。深い傷口が。血飛沫が。一瞬にして青へと染まり、やがて一人の男を大きな一つの水晶体へと変えてしまう。


 本当にその出来事は寸秒のことで。さっきまで縦横無尽に暴れ回っていた侵入者はその激しい顔つきをそのままに、誰にも危害を加えられない置物へ。


 氷慧魔術なのだろうが、格が違いすぎた。いや、もう魔術云々の話ではない。人間として、生物として。僕やヴェルドとは生きる次元がズレている。


「全く。苦戦をしたうえで勝てとは言ったがな。何ともまあ情けないものだ。最後の最後で油断するとは」


 苦戦をしたうえで勝てと言った? 発言の意味が分からず固まる僕の視界から、さっきまで僕の前で戦っていたアンジェさんが姿を消す。いや、″消された″。


「まあいい。それよりも、私の愛する弟子を傷つけようとしたこの男を消さなければな」


 ミシ、ミシッと。水晶体が小さく揺れている。


 ヴェルドは全身を氷漬けにされようとも、反撃を試みているのだ。まだ死んでいない。氷を全て突き破ってでも出てきそうな気迫と勢いが、この男にはある。


 だがそれを嘲笑うかのように、アンジェさんはそっと手のひらを広げて水晶体に触れた。


「私の、世界で最も大切な存在に手を掛けようとしたのだ。その罪は万死に値する。……終わりだ、弱者よ」


 水晶体が、一度。大きく揺れた。そして根本から亀裂が走り、ゆっくりと。そして確実に。それは中にいる男の身体をも同時に砕きながら、広がった。


 全体が何十個にも分裂し崩壊した時にはそれは無惨な姿でヴェルドの身体は壊れ、完全な肉塊へと果てる。正真正銘、息の根が止まった。


「勝っ……た?」


「ああ。私たちの勝利だ」


 勝利。その言葉を聞いた瞬間、全身の緊張の糸が解け、僕は膝から崩れ落ちた。


 力が抜けていく。もう、足腰が上がらない。


「魔素限界オーバーリミットだな。氷慧魔術における剣の生成、その太刀の増大。アドリブの効いた素晴らしい技だったが、今のユウナの魔素量では一撃が限界のようだ」


「み、みたいですね。……っ。あれ? なん、で……?」


 気づけば、涙がこぼれていた。ボロボロと大粒の涙が頰を濡らして、止まらない。


 よく考えれば、僕はさっきまで生死の境にいたのだ。攻撃を当てた時も、さっき道連れにされそうになった時も。僕は一度でも攻撃を喰らえば死ぬ環境に身を置いていた。その恐怖が、今になって形を現したようだ。


 それに、それだけじゃない。アンジェさんだって、僕から見れば本当にいつやられてもおかしくないように見えていた。そういった不安感も、原因なのだろう。


「ふふっ、お前は本当に初めて会った時から泣き虫だな」


「ひっ、ぅ……。だってそれは、アンジェさんが、ぁ……っ!」


「ああ、悪かったよ。でも、お前のトラウマはこの先何年私と過ごしても、消えるものではないという確信があった。だから……この戦いの中で克服させようと、無理をさせてしまった」


 その後、アンジェさんはこう説明した。


 まずこれまで戦っていたアンジェさんは、今いるアンジェさんが作り出した分体だったらしい。自我と自分より圧倒的に弱い戦闘力を設定して、苦戦を強いた。全ては自分のことよりも他人のために力を使える傾向にある僕へのことを思ってのことだった、と。


 要するに、完全に師匠に騙されていたのだ。苦戦を強いられ、負けそうになる演出をして僕の覚醒を誘い、トラウマを克服させるためにヴェルドを利用していた。最強な僕の師匠があの男に傷をつけられることなど、本来であればあり得ない話だったのだ。


「師匠は、酷い人です。僕はアンジェさんが死んでしまったらどうしようって、必死で。それ、なのに……っ」


「悪かった、悪かったよ。荒療治になってしまったことは認める。でもな……安心してくれ。私がお前より先に死ぬことなど、絶対に無い。なにせ、私は最強の魔女だからな」


「っ……! っ……っ!!」


「さあ、今日は宴だぞ! ユウナの初級魔術三つの習得祝いに加えて、トラウマ克服祝いだ!!」


 そうだ、この人はこういう人だった。


 誰よりも強くて、誰よりも僕のことを考えてくれていて。僕の覚醒を誘い本気で心配させたことには少しだけ腹が立ったけど……そんなものは安堵感と、頭を撫でられた時の暖かさでかき消されてしまった。


 そして、何よりも嬉しかったのは、僕より先に死なないと約束してくれたこと。大切なものを失くしてきた僕にとってはその一言が本当に、何よりも嬉しくて。溢れ続ける涙は引っ込む気配を見せてくれない。


「もう……絶対にこんな事しないでくださいよ。あと、ご飯はシチューがいいですッ!」


「任せろ! シチューだろうがハンバーグだろうが、ユウナの好きなものを何でも作ってやるからな!!」


 こうして、未知の来訪者との死闘は幕を閉じた。




────剣士として、人間として。新たな一歩を、踏み出す形で

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