三話 魔女との出会い

三話 魔女との出会い



 放課後。無人の図書室で、僕は一人で本を読んでいた。


 カトリーナ•アインシュバルという人が書いているシリーズ物のミステリー小説。これを僕に勧めてくれたのは、クレハさんだった。


 隣に位置するベルナード魔術学園と共通されている図書館の一番端の席で一人、全二十巻から成るそのシリーズの最後の一巻を、ちょうど今読み終えたところだ。


(これでもう、思い残すことはない……かな)


 部屋のテーブルの上に遺言は置いてきたし、気になっていた小説の最後は知れたし。この世への未練はもう、ない。


 小説を棚に戻し、静かな足取りで僕は最後の場所へと向かう。


 ウルヴォグ騎士学園、地下二階。多くの武具を奉納しているとされている、生徒は立ち入り禁止の場所だ。


「きっと、ここに……」


 それは、入学当初から座学において教えられてきた言い伝え。


 生徒立ち入り禁止のこの場所の中には、魔女が住み着いている。これまで面白半分や窃盗目的で侵入した者は誰一人として帰ってくることはなく、魔女に食い殺された、と。


 僕は今、そんな場所に入るための扉の前にいる。


 自殺する勇気すらない僕を────殺してもらうために。


「……よし」


 頑丈そうな鉄の扉。何故かそこには施錠の一つもされていなくて、簡単に開けることができた。

 そしてその先に続いていたのは、地下へと降りる階段。火で灯された灯りがポツポツと配置された薄暗い、それでいて気味の悪い空間が広がっている。面白半分で肝試し……なんてことも確かに起こりそうな雰囲気だ。


 コツ、コツ、と小さな足音を鳴らしながら、僕は階段を下へと降りていく。入ってきた扉は閉じたため、頼りになるのは配置された灯りだけ。足元をよく見ておかないと、滑らせてこけてしまいそうだ。


 そんな階段を、体感で数分ほど進む。もう段数にして有に数百以上は降りたはずなのだが、未だに階段以外のものが何も見えない。


 地下二階、となればすぐに辿り着きそうなものだが、それほどに地下一階が大きかったのか。いや、そもそも僕は″地下一階にすら″辿り着いてはいない。


「どうなってるんだろう。本当に、地下二階なんてあるのかな……」


 入る場所を間違えた、ということもないだろう。ウルヴォグ騎士学園で生徒立ち入り禁止の場所なんて、せいぜい職員室とここくらいだ。間違いなく、場所はここで合っているはず。


 だけどそうなれば、どうしていつまで経っても辿り着かないのか。明らかに、この距離はおかしい。


「え?」


 と、その時。永遠に続くかと思われた長い階段が、目の前で途絶えていた。


 階段の代わりにそこにあったのは、先程の扉とは違う……おびただしい何かを感じさせる、薄紫色の扉。


 何も装飾など無いその扉を前にした瞬間、全身に鳥肌が立った。


 まるでこの先に行くなと身体が警告しているかのような、そんな感覚。


 この先に行けば、間違いなく僕は……死ぬ。


「それでいいんだ。覚悟はもう、とっくに決まってる」


 覚悟。それは自死する覚悟ではない。殺してもらう覚悟だ。


 似てるようだけど、この二つは全くの別物だ。魔女という人が本当にいるのかは分からない。もしかしたらこの先にいるのは、あの時のような言葉も話さないただの化け物かもしれない。でも、それでもいい。重要なのは、あの時死に損なった僕がみんなと同じように″殺されて″あの世に行くことだ。


 第三者から見れば、ただの自殺もできない弱虫が殺してもらうことを正当化した、言い訳のように取られるかもしれないけれど……。そうやって自分を言い聞かせていると、少しだけ気が楽になった。


 ギィ。中央にある二つの取手を握り、ゆっくりと扉を開ける。


 薄い光が差し込んだ。細い階段だけの空間の終着点であるその扉の向こうに広がっていたのは……これまでの金属とレンガで構築された空間の先にある場所とは思えない、木製の部屋であった。


「なんだろう、ここ……」


 扉を開けるまでは殺意というか……呪いめいたようなオーラを感じていた。しかし一度開けて中に入ってみると、その気配は一瞬で消えて。呆然とそこに立ち尽くしながら、キョロキョロと周りを見渡すことしかできない。


 壁にはいくつもの鍵や杖、鈍く光を放っている謎の石や銅線のようなワイヤー。それぞれの使用用途がバラバラで、一体感がない。端的に言えば少し、散らかっている。


 と、玄関口とも取れるその場所でしばらくじっとしていると、やがて小さな足音が近づいてくる。恐らくは……僕を食い殺す魔女だ。やはり扉の前で感じた気配は、その魔女の殺気や憎悪だったということだろう。ここで僕の人生は、終わる。


「……あ?」


 部屋の奥へと続く、廊下の先。そこから一人の女性が、顔を出す。


「ちっ。扉に込めた魔術が見えなかったのか? 私の殺気を抽出して張り巡らせたはずなのだがな……」


 紫色の長い髪に、高い背丈。魔女、と言われれば僕は老婆を想像するのだが、そんな姿とはかけ離れた、恐らく二十代くらいのその人はぶつぶつと独り言を呟きながら、近づいてくる。本当にこの人が、噂の魔女なのだろうか。


「おい、お前。どうしてここに入ってきた。ウルヴォグ騎士学園の生徒ならば、私のことは知っているはずだろう」


「は、はい。勿論知っています……。あなたが、人を食い殺す魔女さんですか?」


 近くで見ると、改めて自分の言っていることに自分で懐疑的になった。


 どう見たって、人を食い殺すような化け物ではない。整った顔つき、大きな胸、長く艶やかな紫髪。普通の……人間だ。


「はぁ。質問に質問で返すな。どうしてここに入ってきたのか、と聞いてるんだ。ひ弱そうだし、大方肝試しってところか?」


「あ、すみません。えっと……僕は、あなたに″殺してもらいに″きました」


「…………は?」


 呆気に取られた、と言った感じだった。僕がここにきた理由を告げると、魔女(だと思う)さんは一瞬固まって、ぽりぽりと頭をかきながらため息をついた。


「強がっている……ってわけではないみたいだな。お前からは恐怖の感情が全く感じられない。自殺志願者……というわけか?」


「そう、なります」


 なるほど、と魔女さんは小さく反応し、自分の中で何かが解決したかのようにもう一度僕を見る。その瞳は、綺麗な青色をしていた。


「生憎だが私は忙しいんだ。私のことを忘れて、その扉から帰ってくれ」


「え……?」


 想定外の返しに、次は僕が呆気に取られた。扉に入った瞬間に殺される物だろうと思っていたのに、出てきた魔女さんは僕を見逃して帰らせようとしている。


 本当に肝試しなどで嫌々ここにきた人なら喜ぶべき状況だろうが……僕の場合は、違う。


「殺して、くれないのですか?」


 気づけば懇願するように、声が漏れていた。人生を終わらせるつもりで来たのだ。覚悟を、決めてきたのだ。それなのにこんなにあっさりと追い返されるなんて、嫌だ。


「……殺してやろうと思えば、すぐに殺せるが。そんなに死にたいのか?」


 人生最後になるであろう問いかけに、僕は無言で頷いた。


 このまま生き続けても、僕に未来は無い。仲間を失い、剣を失い、人から憎悪を向けられ続けるだけの日々。死にたい理由などあまりに多すぎて、僕は言葉で返すことはできなかった。


「分かった。そこまで確固たる決意があるというのなら、殺してやらんこともない。だが……その前に少し付き合え。私にとっては二百年ぶりの客人だ」



 靴を脱ぐように指示され、その場で脱いだ靴を整えて。これから死ぬと分かると不思議と軽くなった身体で、僕は魔女さんの背中に続いて部屋の奥へと進んだ。

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