雫27号…出生④

化学の先生の死は、

突然ではなかったらしい。


担任に、


絵の題材を預かっていて、

家族に返したいので、住所を教えてくれる様、お願いしてみた。


また、

花か何か持って行った方が

良いのか、聞いてみた。


担任は、

一瞬迷ったみたいだったが

住所をメモ用紙に書いてくれ、

学生だから、

きちんと制服を着て行けば、

何も要らない。

気持ちだけで大丈夫だ、と

言ってくれた。


二駅先の住所だし

学校帰りに行ってみようと

思った。


担任も、もうお骨になって

ご家族の方も夕方には、

戻られているんじゃないかとは、

思うが少し時間を空けてから

の方がが良くないか?とは言われた…


いや、亡くなったからこそ

早く返したい

こんな高価なもの預かってられないよ。


でも、こんな時になんて

言えばいいのかな…


お忙しいところ…?

お取り込み中に…?

お悲しみのところ…?


あー

分かんねぇ

やっぱ、

違う日にすれば良かったかな



こじんまりとした庭に

ミニトマトと苦瓜が生っていたが、

見るからに収穫時期を過ぎていた。


玄関の扉には、

忌中の札が貼ってあった。


ここまで来たが、

別の日にするべきだったかな

と、また怖気付いていた。


ベルをならそうか

どうしようかと悩んでいた時

玄関が開いた。


タバコとライターを手にし

ドアを開けたその人は、

僕を一瞥して、時が止まった

お互いに、立ち尽くした

頭の中で、秒針が鳴り響いた。


同じ

まるで同じ顔をしていた。

似ているというレベルではなかった。


おでこの生え際も

両眉の幅が

左右対称じゃないところも

くっきり二重の

どんぐりの様な大きい目も

分厚い唇も…

まるで鏡の様だった。


ただ、刻まれた皺と

ちらほら覗く白髪を除けば。


二人とも声を失っていた

二人の耳の奥で、

規則正しく秒針が時を刻んでいた…。


その男性が

「えっと…」という言葉と

僕が

「あの…」っていう言葉が重なった


僕が生まれた日

世界に衝撃が走った

アメリカ同時多発テロ

2001年9月11日、

午前8:46(EDT)


前夜の、2001年9月10日

午後22:15に産声をあげた。

母は、妊娠中毒症が重症化し、

胎児発育不全の疑いが有り

急遽入院、35週での

帝王切開となった。


当然、未熟児で新生児集中治療室での

サポートとなった。

体重は2000gと小さく保育器に入って

いたらしい。


同じく、

大学病院で隣り合わせとなった女性も

妊娠中毒症で早期の帝王切開となっていた。


そのお母さんは、産後の肥立ちも

悪く、殆ど寝ている状態だった。


母は、血圧の方も安定しており

回復に向かっていた。


母が退院する時には、僕は保育器不要になっており、一緒に退院した、という事だった。

その隣りの女性の赤ちゃんは

発育不全が中々解消されず、

生後5日で亡くなったらしい。


母さんの話しでは…

親しくお話もしてたから

可哀想で見ていられなかった

…と。



事実は違っていた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る