没落王女、盗み食いする

 その日の夜。

 セフィールたち四人は酒場にいた。

 とはいえ、四人で仲よく夕食というわけではない。

 四人はバイトとして、この酒場で働いているのだ。


 テーブル席が二十ほどあり、天井の高いログハウス風の酒場は、夜も浅い時間にも関わらず大勢の客で賑わっていた。ジョッキを高々と掲げ、大声で歌う町人風情の者、手を叩いて騒ぐ肉体労働者、どのテーブルからも盛んに乾杯の声が上がる。

 セフィールとルフィールはみすぼらしい格好からメイド服に着替え、忙しそうにフロアを駆け回り、キースとピートは調理場で具材の準備をしている。


「もうっ、漁に出てヘトヘトなのに、何なの、今日のこの客の多さは!」


 大ジョッキを両手に持つセフィールは不機嫌きわまりない。


「お姉様は、ろくろく仕事もせずにゲロを吐いてただけですわ」

「あら、ルフィール、そうでしたかしらぁ? ぜーんぜん覚えてませんことよ。あなたの脳ミソが記憶障害を起こしてるんじゃありませんの?」

「あら、お姉様、お仕事はちっとも覚えませんのに、庶民のお下品な言葉遣いだけは、すっかり板についてますわね」

「お下品だなんて、とんでもありませんわ。ルフィールのほうこそ、お下劣きわまりない言葉がポンポンよくも出ますわね。あーん」


 ルフィールはしゃべりながらもテキパキと給仕をすませていくが、セフィールは店主の目を盗んでは客の料理を失敬している。


「それにしても……、お姉様、確かに今日の客の数はちょっと異常ですわ。貧乏暇なしとはこのことですわ」

「えっ! 貧乏金なしじゃなかったっけ?」

「そ、それじゃ、そのまんまですわ。おっとっと……」


 さすがのルフィールも疲れが溜まってきたのか、ミスが目立ち始めた。

 二人の様子を見て、赤いチョッキを着た小柄でちょびひげの店主がカウンター越しに顔を出した。


「すまんなあ、嬢ちゃんたち。今月は王女様の結婚式があるんで、街の衆がすっかり盛り上がっちゃってるんだ」と次の料理を差し出す。

「結婚式? そういえば漁師のおっちゃんも、そんなことを言ってたわね」

「そのお陰で私たちのような流れ者でも、仕事にありつけたということですよね?」

「本当にすまんなあ。人手が足りんもんで、嬢ちゃんたちみたいな子どもにまで仕事をさせちゃって」

「店主様、私はお子様じゃありませんから、どうぞご心配なく」


 ルフィールは、またつまみ食いしようとするセフィールから料理皿を奪い取り、客へと運んだ。


 ◇◆◇


 そのころ、調理場では──。


「おい、ピート。セフィールはちゃんと働いてるだろうか?」


 木樽に腰掛けたキースが、芋の皮を調理ナイフでちまちまと剥きながら心配顔で訊く。


「キースは本当に心配屋さんですねえ。大丈夫ですよ。仕事の前にちゃんとご飯も食べましたし。それにしても良い仕事場で助かりましたね」


 湯気の上がる大鍋をレードルで掻き混ぜながら、ピートが答えた。


「まったくだ。入国許可証も持ってない俺たちを雇ってくれるなんてな。店主様様だ」

「本当にありがたいことです。ここに来てやっと落ち着いた感じですよ」

「これまでが厳しい道中すぎたからな。少しはゆっくりさせてもらわないと、たまったもんじゃない、ははは」

「それにしても、すっかり二人は庶民の言葉に馴染んでますね」

「まったくだな。セフィールに至っては、王女だったとは思えないほどだぜ……」


 キースは皮を剥く手を止め、なにかを懐かしむように上を向いた。


「まあ、誰も王女だと気付かないのは都合がよいのですが……。このままで果たして良いのでしょうか?」

「そう思うけどさ、今さら……、なあ、お前、そんなこと言ってもさ……、仕方ねえよな。はははははは……」

「そうですね。今さらですよね……。はははははは……」


 キースとピートは二人、熱気の込もった調理場で汗を流しつつ、少し引きつった顔で笑いあった。


 ◇◆◇


 そんなころ、フロアでは──。

 食べるものも食べて、眠くなってきたセフィールがふらふらと歩いていたら、テーブルに思い切り腰をぶつけてしまい、その上のジョッキが倒れてしまった。


「ちょっと待て、君! 困るじゃないか!」


 客に呼び止められ、あくびをしながら振り返ると、テーブルの上に広げた紙がびしょ濡れになっていた。


「あっ、どうもすみません!」


 驚いて正気に戻ったセフィールは座席を見た。

 そこには気難しそうな中年男性と、見るからに怪しい女性が向かい合わせに座っていた。女性客はこの暑さだというのに、黒いコートを着て、口にはマスクまでしている。


「なんだ、この店は! 子どもに給仕をさせているのか! とにかく、何か拭くものを急いで持って来るんだ! これは大事な地図なんだ!」


 男性客の剣幕に、セフィールがおろおろしていたら、ルフィールが手助けに来た。


 ルフィールは濡れた紙を丁寧に拭きながら、それを見た。

 茶けたその紙は、どうやら古地図のようで、どこかの島なのだろう、それほど広い陸地に見えなかった。そして、その周囲には、彼女が見たこともない文字がいくつも記されていた。

 ひととおり拭き終わり、ルフィールは深々と一礼する。


「どうも申し訳ありませんでした。大事な地図でしたのね」

「ああ、そのとおりだ。まったく気を付けて欲しいものだな!」


 男性客は眉をつり上げ、語気を荒げた。

 女性客のほうはといえば、無言でじっと座っているだけだ。

 ルフィールは姉を伴い、その場を去ろうとした。

 しかし、セフィールが一歩も動かない。

 じっと地図を見つめている。

 それから、しばらくして、ポツリとつぶやいた。


「はじまりの島」


 その言葉に男性客が目を剥いた。


「き、君は、この島を知っているのか!」


 女性客も初めて表情を変え、声を出す。


「そうなのですか?」


 いきなり二人の視線を浴び、セフィールはうろたえながら答える。


「いや、地図の島は知らないけど、そこにそう書いてるから」


 セフィールが指さすのは、地図に書いている文字だった。

 男性客、女性客、そしてルフィールも、その文字に注目した。

 だが、ルフィールには奇妙奇天烈な形の文字にしか見えなかった。


「お姉様は、この文字が読めますの?」


 ルフィールの言葉に、二人の客は熱い視線をセフィールに送り始めた。


「うん、読めるよ。でも、どうしてかなあ? こんな字を見るのは初めてのはずなのに」


 セフィールは首を傾げて、苦笑いした。

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