没落王女、道に転がる

 防波堤に打ち寄せる波の音が響く、夕暮れの海岸。

 セフィールたち四人はとぼとぼと海岸沿いの舗道を歩いていた。


 観光地として世界的に有名な、サザンテラルのトルトラ海岸。

 舗道には海のように青いブロックが敷き詰められ、ヤシの街路樹がずっと続いている。

 波止場には、帆を畳んだ豪華な外洋航行帆船クルーザーが並び、デッキでは富裕層の人たちが酒を片手に談笑している。

 そんな横を夕陽に照らされ、みすぼらしい格好の女子二人と男二人が歩いていく。


 セフィールもルフィールも、波をかぶったよれよれの色あせたワンピースに、履物はくたびれたビーチサンダル。

 キースは上半身裸に擦り切れたジーンズ。

 ピートだけは暑苦しそうな牧師風コスチュームだが、これもかなり傷んでいる。


「磯臭い、クソ暑い、足痛い、カニ取り逃がしたし、街まで遠いし……」


 小魚の入ったビニール袋をぶらぶらと揺らしながら、セフィールがつぶやく。

 セフィールたちが目指すのは遥か先に小さく見える市街地だ。

 夕暮れとはいえ、南国の陽射しは強く、汗が次々と吹き出てくる。


「お姉様、暑苦しいから、ちょっと黙ってていただけません?」


 同じくビニール袋を揺らしながら、ルフィールがつぶやく。

 ふわっとした金髪にはまだ海藻が残っているが、疲れ果てて取る気も失せたのだろう。


「ちっ、今日の稼ぎは小魚少々かよ。あの高速艇が来なきゃ、もっとあったのにな」


 キースがビニール袋を持ち上げ、恨めしそうにそれを眺める。黒髪に精悍な顔つきであるが、垂れ気味の目はかなり疲れた様子だ。


「キースさん。今日も食べ物にありつけるだけありがたいじゃないですか。本日のかてに感謝しましょう」


 ピートはビニール袋を目の位置まで持ち上げ、片手を挙げ、黙祷もくとうした。


 そのあと、四人は会話もなく、のろのろと歩いていたが、セフィールが突然パタリと立ち止まった。その横には、真っ赤なボディに白い波模様の自動販売機オートセラー。最近になって、出回り始めた飲料水を売る販売機だ。


「おい、セフィール。早くしないとバイトに間に合わなくなるぞ」


 キースは彼女にそう言い、自販機の前を素通りした。

 他の二人も無言で、立ち止まらずに通り過ぎていく。


「これ飲みたいんだけど!」


 三人の背中にセフィールが言葉をぶつけた。

 だが、三人は足を止めない。


「これ飲みたい! 飲みたいっ!」


 声を荒げてみたが、三人は遠ざかるばかりだ。


「もう喉がカラッカラなの! 絶対に飲みたい、飲みたいっ!」


 セフィールはそう叫ぶと、自販機の前で大の字に寝転がってしまった。


「また、お姉様の駄々っ子が始まってしまいましたわ」


 ルフィールがうんざりした顔でつぶやく。


「双子で同じことやってるのに、どうしてお前とはこうも違うんだ?」


 キースがやれやれ顔で、ルフィールを見て、肩をすくめる。


「キース、彼女はまだ12歳ですし、大目に見てあげましょうよ」


 ピートは振り向いて、セフィールを心配そうに見やった。


「ピート! それを言うなら、私も同じ12歳ですわ。12歳のレディをあんなガキと一緒にしないで欲しいですわ」


「そうだよなあ。双子なのに、どうしてこうも違うんだろうなあ?」


 つい漏れ出てしまった言葉に、しまったとばかりにキースは天を仰いだ。彼には次のルフィールの言葉がわかっているのだ。


「キースが甘やかすから、こうなるのですわ」


 そうなのだ。セフィールの従者は昔からキースなのだ。


「……そんなに甘ちゃんだったかなあ、俺?」

「ええ、ベタベタの甘ちゃんですわ! もうどこぞの国の王女様ではないのだから、お姉様にもしっかりしていただかないと、私たちが迷惑します!」


 ルフィールはそう吐き捨てると、きびすを返し、セフィールに駆け寄り──、

 寝転がってジタバタしている彼女の顔の真横に、渾身の踵落としを一発。

 舗道のブロックが砕け割れ、セフィールの頬をかすめて飛んでいった。


「お姉様、お戯れが過ぎますわ!」


 セフィールは妹を見上げたが、驚きのあまり声も出ないようだ。


「あああ……、ルフィール様の癇癪かんしゃくが始まってしまった……」


 ピートは胸から十字型の聖印を取り出し、ただただおろおろするばかり。


「さあ、お姉様! 早く起きないと、ここに置いて行きますわよ!」


 ルフィールが二発目の踵落としをお見舞いせんと、足を上げる。

 と、セフィールは妹を睨みながら、すくりと無言で起き上がった。

 次の刹那──。


「うっ……、うっ、うわ──────────────────────ん!」


 もの凄い勢いで泣き始めた。大号泣である。

 行き交う通行人、車で通り過ぎる者まで、何があったのかと注目するほどだ。


「うっ……、うっ、王国にいれば……、王国にいれば、こんなはずじゃ、うわ──ん」


 ルフィールもこれには驚いたのか、その場に立ち尽くしている。


 いつの間にか、キースがセフィールの横に立っていた。セフィールの頭を撫で、やさしく語りかける。


「セフィール、それは言っても仕方ないじゃないか。もうお前の国はないんだし。喉が渇いたのはわかるが、バイトに行けばなにか飲めるさ」

「うっ……、うっ、わかってるけど、わかってるけど。ちょっと惨め過ぎるし……」

「よし、好きなだけ泣け。疲れたんだろ、おぶってやるから、ほら」


 キースがしゃがみ、背中で手を振ってセフィールを誘う。

 セフィールはバツが悪そうにしつつも、彼の背中に収まった。


「キース、あなた、なんだか生臭いよ……」

「セフィール、それはお前も同じだろ。ほら、俺の魚を持ってろ」

 

 セフィールを背負い、キースは歩き始める。


「キースは本当にクソがつくほど超弩級の甘ちゃんですわ」


 勢いを削がれてしまったルフィールは、そう捨て台詞を吐き、歩き始めた。

 ピートがそれに並び、声を掛ける。


「ルフィール様、私もおぶって差し上げましょうか?」


 ルフィールはぶんぶんと首を横に振った。


「私はお姉様みたいにお子様じゃありません。それに私のことは、ルフィール様ではなくて、ルフィールと呼びなさい、ピート。いいこと?」


 ピートは「はい、はい」と気のない返事で微笑む。


 舗道には街灯がポツポツと灯り始めた。

 彼女たち四人は、再び街に向かって進んで行った。

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