愛の力がホニャララ

白里りこ

愛の力がホニャララ


 夫が入院着のまま、土産を持って帰ってきた。

 今日はちょうど息子の純太の五歳の誕生日で、その時私は純太のリクエストにこたえてカレーライスを作っていた。玉ねぎを切っていると、がちゃっと鍵が開く音がしたので、私は臨戦態勢に入り、包丁を持ったまま玄関に向かった。すると夫が「ただいま~」と呑気な声で上がって来たので私は腰を抜かしそうになった。

 夫は私の持つ包丁を見てアハハと笑った。

「何だそれ、物騒だな」

「だって急に鍵を開けるなんて強盗か何かかと思うじゃないの」

「それもそうか。パパ、帰るの久々だからな~」

 夫は土産の入っているらしい袋をテーブルに置くと、台所まで入って来て、カレールーのパックに目をとめた。

「おっ、カレーか」

「純太の誕生日だから」

「知ってる。だから帰って来たんだよ」

 じゃあ、あとはパパが作るから、ママはくつろいでいてくれ。夫はそう言って私から包丁を取り上げると、玉ねぎを切り始めた。

「純太~、起きなさい」

 私は息子に声を掛けた。

「パパが帰って来たよ」

 息子はむにゃむにゃと寝ぼけていたが、すぐに目を覚まして台所に飛んで行った。

「パパ! お帰り! 怪我は治ったの?」

「治ってないけど、今日だけ帰って来たんだよ」

「そう、それ」

 私はようやく言いたいことを口にした。

「あなた、事故に遭ってからずっと目が覚めないままで入院してたの、分かってる? どうしてぴんぴんしてうちに帰ってきているわけ」

「だって今日は純太の誕生日だからな」

「それはさっき聞いた。そういうことじゃなくて」

「まあまあ」

 夫は鍋に油をしいて具材をポイポイと放り込むと、テーブルの方までやってきた。

「純太にはプレゼントを買ってあるぞ」

「プレゼント?」

「開けてごらん」

 夫はテーブルから袋を取って息子に渡した。息子が慣れない手つきで袋に手を突っ込むと、中から小さな青いクマのぬいぐるみと、洋菓子店のお菓子の詰め合わせが出てきた。

 夫は鍋の様子を見に台所へ戻っていった。

 クマのぬいぐるみのお腹には、文字が刺繍してあった。

 June 27 Happy Birthday Junta!!

 まさか特注とは、恐れ入った。

 そしてお菓子の箱には、個包装の焼き菓子がたくさん入っていた。

「これなあに」

 純太が菓子を持ち上げる。

「フィナンシェだよ。パパの好きなお菓子だ」

 夫が台所から答えた。

「ケーキだと、ママとかぶると思ったからね」

 心遣い、痛み入る。たしかにショートケーキを二人分買ってあるのだ。

「ねえ、そろそろどういうことか説明してくれない」

 私はフィナンシェを入れる皿を持ち出しがてら、夫に聞いた。

「あなた何で帰ってきたの」

「だって、純太の誕生日だからね」

「……」

 私は夫に聞くのを諦めた。

 病院に電話して夫の容体を確認してもらう。すると、病室でかわらずこんこんと眠っているらしいという情報が返ってきた。ということは、今ここにいる夫は生き霊か何かか? 私はこのあたりで考えるのをやめた。愛の力がホニャララして夫は帰宅したのだ。そういうことにしておく。

 息子はクマのぬいぐるみをいたく気に入ったらしく、さっそくごっこ遊びをして楽しんでいる。

 やがてご飯が炊きあがり、カレーもいい具合に煮えた。三人でテーブルを囲むのは実に半年ぶりだった。

「いただきます」

 料理が決して上手とは言えない夫が作った甘口のカレーライスは、ちょっと焦げていたけれど、息子は大喜びでスプーンを動かしていた。おかわりもした。

 食後に夫は紅茶も淹れてくれた。落ち着いたところで、ケーキとフィナンシェを食べる。私と夫は一切れのケーキを二つに分け合って食べた。好きなものを最後に残しておくタイプの息子は、ケーキのスポンジ部分を食べ、イチゴ部分を食べ、最後にフィナンシェを食べた。

「美味しい」

「そうか。よかったな」

 夫は笑った。

 私たちがデザートを終えて紅茶も飲み終えると、夫はふいっと立ち上がった。そろそろか、と私は思った。

「じゃ、パパは病院に帰るよ」

 案の定、夫は言った。

 えーっと純太は不満そうに声を上げる。

「まだ一緒がいい」

「ごめんな」

 眉を下げて笑う夫の顔はどこまでも優しかった。

「すぐに目を覚ますから、それまでいい子で待っていてくれ」

 そしてスリッパを履いて家を出て行った。私と息子はその後ろ姿を見送った。よほど、ついていってやろうかと思ったが、夫に止められたので、何となく嫌な予感がしてやめておいた。

 夫は、てくてくと歩いてアパートを後にし、病院の方向に向かって行った。そして、角を曲がって見えなくなってしまった。

「……ってなことがあったんだけど、あなた、覚えてる?」

 翌日、夫が目を覚ましたという知らせを受けて、息子を抱えて病院まですっ飛んで行った私は、ベッドの隣の椅子に座ってこう尋ねた。

「覚えているよ」

 夫は微笑んだ。

「夢で見たからね」

「夢じゃないよ」

 息子はクマのぬいぐるみを差し出して言った。

「これ、ちゃんとあるもん」

「なるほど。じゃあ本当に、パパの魂が抜けだして、歩いていたのかな」

「そうかも」

 私たちは笑い合った。

 数日後、夫はめでたく退院した。



 おわり

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愛の力がホニャララ 白里りこ @Tomaten

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