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 私が長距離を辞めた、あの日の夕暮れ。

「競争相手がほしいんだな」

「俺が勝ったらバンドのボーカルやれ」

 頓珍漢なことを言い出した。

 心の底から、かなりおかしな人間だと悟った。

 それからマラソンの誘惑に勝てず、逆風くんと競い合った。

 初めての勝負は、逆風くんはのっけから全力疾走。でもすぐにぶっ倒れてた。なのに全然諦めていなくて……。次の日も、また次の日も、私たちは飽きもせず走って、そしてとうとう捕まった。

 音楽という引力に引っ張られた。

 ――私はステージに立つたびに、最初のレースを思い出すだろう。

 君が運命のイントロだった。


「逆風くん。私と初めて走った日のこと覚えてる?」

「あぁ。ぶっ倒れたあとゲロ吐いた」

 いらん情報は話さんでいい! 思い出が臭くなる!

 地団太を踏んで嫌な思い出かき消すと、ビシッと一指し指を向ける。

「きょうは、初めて逆風くんと音楽で勝負する日だから」

 逆風くんは片目でこちらを見るなりにやりと笑う。

「俺に勝てるとでも?」

「私の感情おもいが君を追い抜く」

 会話を聞いていた結晶くんと先生が無言で吹き出した。

 ちょ、そこで反応するのやめろぉ! 死ぬほど恥ずかしくなるじゃんか!

 何も知らない逆風くんとみちるちゃんは首を傾げる。

「まぁ、何かは知らないが、今度はこっちが全力で叩き潰す番だ。震えて眠れ」

 臨むところだ。

 意気揚々と笑みを浮かべる私――が、私たちの渾身の台詞に、結晶くんと先生がお腹を抱えている。

「もうやめろ……。震えるのはこっちの腹筋だ……。演奏に集中できなくなる……」

「先生! こっちはエモい状況なんだよ! 少しは空気を読んでよ!!」

「? ?? ???」

 困惑するみちるちゃんをよそに、先生は涙を指で拭いた。堪えきれず、また結晶くんが吹き出して、先生もそれにつられて声を殺して笑う。

「ほんっっと、二人とも……似合いすぎ……」

 せっかくのシリアスな場面が台無しじゃん!!


「間もなく、午後の部を開始します。軽音部の方は準備をお願いします」

 ステージ運営の生徒が顔を出して誘導する。

 逆風くんが呆れながらステージに向かおうとしたとき、

「――行く前に顧問から一つだけ」

 さっきまで腹を抱えていた先生が、息をぜぇぜぇ吐いて呼吸を戻した後、急に真顔になった。

 私たちは戸惑いながら視線を合わせて、無言でしっかりと頷く。

「君たちが今日まで必死に練習してきたことを、教師として――いや、一人の大人として心から敬意を払う。ここまできてくれてありがとう」

 一瞬、呼吸ができなくなった。

 みんな気持ちは同じだった。あの先生が認めてくれたことが嬉しくて暖かくて、胸が熱くなってすっと柔らかい気持ちになる。

「だが、この場所は集大成ではなくプロローグだ。もてる力を野に放て。加速しろ。これからお前たちは何千何万と群衆を相手に演奏し、熱狂させていくんだから」

「はい!」

 私の返事にみんなが続いた。

 先生は満足そうに微笑む。

「この学園で演奏することはもうないだろう。だから後悔がないように。以上だ」

 先生はそう締めくくると、逆風くんをステージに歩かせ、みちるちゃんが続いた。

 そばにいた結晶くんは何かを覚悟したように、真剣な瞳で二人を見送る。

 演奏することはないって、どういう意味だろう?

 来年には宇宙人が襲来して世界をめちゃくちゃにして、これまでの日常が崩壊して、学園祭どころではないんだろうか。先生は予言者なのか?

 結晶くんに尋ねたかったけど、そんな空気じゃなかった。

 意味深な先生は、階段に足をかけた途端いきなり吹き出して、ぐるりとこちらを振り向いた。


「私の想いが君を追い抜くから――」にやにや笑ってる。「先生も応援してるぞ」

「うるさい!早く行け!!」

 バンドスコアを投げつけると、先生は笑って壇上の奥へ消えた。

 やっぱり嫌な先生!

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