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 辰巳と別れた私は勢いあまって無心でギターを練習していた。

 とにかく、いろんな感情を爆発させたかった。二リットルあった麦茶は気づけばなくなって、日が沈んで空が赤くなっていた。

 そろそろ両親が仕事から帰ってくるだろう。

 軽トラのエンジン音がした。お祖父ちゃんと一影が帰ってきたみたいだ。ギターをそっと横に置いたとき、ドタドタドタと、あのマイペースな一影が、家の中を走っていた。音は私に近づいてくる。こりゃ練習を止めないとな。

「みっふぃー、大変だぁ」

「どうしたんよ、珍しい」

「さっき駅に通りかかったら、知らない男の人いた」

「へぇー誰かの親戚?」

「ちがうよー。東京から来たんだってー!」

 声が上ずっている。

 知らんがな。ここにいる人たち全員が都会のことを東京と呼んでいる。

「それでー。誰に用があるんですかーって聞いたの」

「誰だったの?」

「みっふぃー」

 い!? どう考えても学校関係の人じゃん。

 暑いからめっちゃラフな格好なんだけど。白シャツだし、短パンだし。ぎりぎりスポブラつけてたけど、汗だくだし。

「どんな人なの。もしかして前髪で片目隠してる?」

「そうそう」

「それを早くいえ!」

 まずい! もう一回シャワー浴びなきゃ!!

 こんな格好はまず過ぎる。可愛くもなきゃ色気もない! 幻滅される!!!

 私が腰を上げた矢先、

「練習中だったか?」

 ――立っていた。

 誰よりも一番会いたくて、いまこの瞬間だけ、一番会いたくない人が。

「ちょちょちょ!!!! か、帰って!! あーいや、帰らないで!! てかお願いだから少しだけ私を見ないで――ってかなんで我が家に来てんの!!!!!」

 もう頭の中がぐちゃぐちゃだ。

「月下の弟が勝手に入っていいって言ったから」

「そうだけど、そうじゃねーし!!!」

 思わず汗だくのシャツを腕でガードしながら、

「だだ、だって、昨日の電話で来なくていいって言って――」

「一応……。てか、月下、お前すごい汗臭いぞ。一回シャワー浴びろ」

「うっせーー!!!」

 最初からそのつもりだったわ!! 本当に最低なやつ!!



 そこからは嵐だった。

 畑仕事から帰ってきたお父さんは、辰巳ではない男友達に気が動転して、食事ができるより早く日本酒を飲み始め、お母さんは学校生活を根掘り葉掘り聞き始める(逆風くんは空気を読んで、当たり障りのないことを報告した)。お祖父ちゃんは猟銃を自慢して、お祖母ちゃんは粉からそばを打った。

 一影は、不思議と、いつもの三倍くらいぼーっと、私と逆風くんを見比べた。

 何も考えずに来た逆風くんは、必然的に私の家で泊まることになり、その夜は遅くまで練習した。

 日付が変わる頃、私と逆風くんは軒先に座って、練習の熱を冷ましていた。

 脇にはスイカと麦茶が置いていて、暗闇の奥から聴こえる蛙や鈴の音に浸りながら、真っ白に輝く月を見ていた。

「聞いていた以上に何もないところだな……」

「だから来なくていいっていったのに……」

「でも、自然が豊かで綺麗だ。いい場所だな……」

 右肩のすぐ横で逆風くんがいる。一〇センチも満たない距離、その狭い距離は空気を通じて彼の熱を感じる。少し指を伸せば、彼の指に触れられた。

 その気持ちをぐっと我慢して、前髪で隠れた瞳に向いた。

「ねぇ……なんで来たの? 明日の朝出発するのに、忙しかったんじゃない?」

「天才ランナー月下美尋のルーツを探ろうと……」

「取材なら帰ってください」

 冗談半分で笑うと、逆風くんもつられて笑った。そこから、今度は隠れていない右目を私に向ける。


「やっぱり、心配だった」胸がとくんと熱くなる。「俺が近くにいるときは、会えばどうにでもなると思ってる。でも、いないから」

「……なんでそんなこというかな」

 嬉しさを誤魔化すように唇をとがらす。

 ほんとはいますぐでも触れたかった。

 でも、私と逆風くんの距離は、見上げる白い月くらいに遠い気がした。

「月下は泣き虫だから」

 まっすぐ見つめられる。

 顔が熱くて、思わず目を背ける。

 もう直視できない。好きっていう自覚がある。優しくされたくなる。甘えたくなる。

 心臓が、バクバクいってる。

「大丈夫だから……。逆風くんいなくても……平気だから……」

 嘘だ。ほんとうはずっとそばにいてほしい。一緒にいるだけで幸福感に満ちる。

 ううん、これも嘘。一緒にいるだけじゃ足りない。もっと、ぬくもりが欲しい。

「本当か?」

 さっきからずっと見つめられてる。

 熱い。どうしよう。声に、出したくなる。おもむろに、ぬるくなった麦茶を飲んで空を見上げる。


「…………月が、綺麗だね」


 告げた途端、身体中が熱くなった。これが精一杯だった。

「ああ……」

 逆風くんは、私と同じように麦茶を飲んで同じように空を見上げた。

 勘のいい逆風くんは、私が誤魔化しているのを気づいているだろうか。怖い。やっぱり悟られたくない。もし恋をしているのがばれたら、私、もうそばにいられる自信ない。

「月下っていい名前だな」

「え? え?」

「こっちに来てよかった。バンド、頑張ろうな」

「うん!」

 わからないけど、嬉しそうにいう逆風くんに嬉しくなった。

 ――やっぱり、もっと触れたいなんて欲張りだ。

 私と逆風くんは音楽で繋がっていて、彼に打ち勝てなきゃ、受け入れてもらう資格はない。いま、恋っていう横道にそれたら、私自身が絶対納得しない。

 天才が孤独であるなら、いまは一時の幸福を捨てて貪欲に才能を磨くべきだ。

 私は、心の底から逆風くんに認めてもらいたい。

 対等に平等に互いに競い合うことで、ようやく認め合うことができる。

 今度は私が逆風くんを助ける。そのためにどんな努力も厭わない。

「みっふぃー。そろそろ寝るよー」

 居間の古い時計が一二時を鳴らす頃に、一影が来た。

客室は残っているのだが、一影はなぜか逆風くんを同じ部屋で寝させたいらしい。

 他人に無関心な一影が珍しいな。

「じゃあ、月下。また明日」

「うん。起きたら準備するね」

 片づけをして私は自室に戻ると、練習の疲れかすぐに寝た。


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