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 16畳はあろう大広間に、テーブル二つ並べて夕飯をとる。

 大皿には夕方に収穫したナスとゴーヤの揚げ物。ボウルはトマトときゅうりのサラダ。鍋にはイノシシ肉のカレーがある。

 イノシシ肉は臭みが強いけど、玉ねぎとニンニクとハーブを多めにして半日煮込んだ、癖はあるが奥ゆきのある味だ。この味は猟師を生業にしていた我が家特融の味で、寮生活のときはどこか恋しかった。

「はー、美尋が収穫を手伝ってくれるなんて感慨深いなぁ~」

 中肉中背の丸眼鏡をつけたお父さんがしんみりしながらいう。

「いつも以上に野菜がおいしく感じられるよ」

「気のせいでしょ」

「そんなことない。野菜は人の愛情がわかるものだよ」

 ――今年に入って家を出て行った私に、野菜は恩を感じるのか。目も耳もない植物だ。きっと誰が手をかけても同じだろう。


 進学してわかったけど、月下家はちょっとおかしい。

 お祖父ちゃんは猟師、お父さんが農夫になったこともあって、生命いのちに対する尊厳をつねにもっている。いま食べている夕食も明日か明後日には必ずなくなるし、食前食後の挨拶もかかさない。小さい頃、食べ物を残したときは次の日に三食食べさせてもらえなかったのを記憶している。それくらい我が家は食に関して厳しい。

 そもそも、月下家は猟師一家だったのだ。

 シカやイノシシの解体は月下家の人間が大人になるための儀式だった。うちのお父さんは小さいときに見せられてゲロを吐き、肉を食べるのに一週間かかった。そのトラウマで農家になった経緯がある。もちろん私もゲロを吐いた。

 けど、一影は違った。こいつはサイコパスだろう。六歳のとき祖父ちゃんがシカを捌いたとき、グロぅ、キメぇとかいいながら目をきらきらさせていた。お祖父ちゃんは後継ぎができたって大変喜んだみたいだけど。

 ときどき祖父ちゃんが狩った動物を捌いている場面を見せられるけど、そのたびに生命っていうのを肌で感じ取る。

 骨が体を支え、肉という鎧をまとい、そこに血が通ってポンプとなって動作する。

 心臓がなくなれば死ぬ。呼吸が止まれば死ぬ。

 瞳孔の止まったシカを見ると、こいつはどこにいったんだろうと想像する。

 天国? ――あるかなぁ。

 わからないけど、シカの頭を見るたび、いま生きている世界を精一杯生きたいと願う。それが、肉を食している私たちの使命じゃないか。

 私が延々と走ってるのは、毎日食べている野菜や動物の肉や穀物のおかげなのだと、ぶっ倒れるたびに思うのだ。


「大盛にしなくて大丈夫なの」

 お母さんがゆっくり食べる私を心配した。以前腹が減りすぎていくらでも食べていた気がする。

「昔みたいに死ぬほど走ってるわけじゃないし、太っちゃうよ」

「そうねぇ……昔はガリガリだったのに」

 うわーやっぱわかったか。

 長距離辞めてから食事には気を遣ってるけどなぁ。

 減量するか? あーでも痩せ過ぎは好きじゃないって、あいつ言ってたなぁ。

 ――ほえ?

 何を思い出してるんだ、私は。そんなに引っ張られているのかな。


 夕飯を食べ終わったら逆風くんから借りたアコースティックギターを取り出す。

 瓢箪の形をした焦げ茶色のシンプルなやつ。

 軒先に座り、太ももの上に丸く凹んだ個所をのせる。最初はおぼつかなかったけど、少しは様になったかな。

 チューナーの電源をつけて、機械の音を一つずつ確認する。

 それからは1弦目を弾く。チューナーの目盛りが真ん中を目指して通り過ぎ、また戻って真ん中手前で止まる。ねじ(っていうと怒られるんだ。たしかペグだっけ)を巻いて、またやり直す。

 外では深い闇が広がっていて、蛙や鈴虫が鳴いている。

 ときおり風が吹いて木々が話し出す。

 夏は夜でもぬくい空気が身体を包む。風が吹く分、都会よりも涼しいけど、暑いものは暑い。虫よけスプレーをやったけど、一か所くらいはたぶん蚊に吸われる。エアコンの効いた部屋でガンガン弾きたいけど、狭いライブハウスだと暑くなるから、いまのうちに慣れろというのが最果先生の命令だ。

 短パンにTシャツ一枚でボンボン弾きまくる。

 冷えたスイカを水分代わりに、汗をかきながらギターを弾く。騒音にならないし、誰も私を見る人なんていないから練習にはもってこい。環境はいいが、技術はまだまだ。

 いまは逆風くんアルバムの曲からコード進行表をもらってストローク弾き。とあるバンド曲のリフなどを練習中。最果先生が来てからひたすら練習したせいか、指先の皮は厚くて弦を抑えても痛みを感じない。

 可愛くない手だけどね。

 曲作りはやらせてくれない――でも、頭の奥では、最果先生の前で歌ったOutside runがずっと残っていて、その曲が「早く完成させてくれ」って騒いでいる。

 自分の作ったものが自分を掻き立てるのが不思議だった。そいつは、私じゃなくて、でも、私が作り出したもので――他人でも自分でもなかった。ただ、私しか作り出せないものだっていう確信があった。

 いまの私は、それを最高のモノにするのに実力がなさすぎた。だから死ぬほど練習しなきゃいけないし、狂うほど音楽の知識をいれなきゃいけない。いや――知識というより感性なのかも。

 なのに作曲への意欲はうずきっぱなしだ。その意欲を鎮めるために、この休みの間に、別の曲を作るかもしれない。そんな野望を密かに抱いている。


 今頃みんな何をしているだろうか。

 みちるちゃんは悔しがっているから、きっと私以上に練習しているだろう。あの子は絶対に伸びる。熱量もそうだが感性が凄い。一学期だけでみるみる伸びた。

 結晶くんは器用に勉強と練習を両立するだろう。なんでそんなことができるんだろう。私はバカだから一つしかできない。ほかのことが手につかなくなるほどバカなのだ。だから弟にも変態って馬鹿にされるんだろう。

 最果先生は、仕事かな。顧問になってから散々ギターのことで叱られ、詰められ、何度殺意が湧いたかわからないけど、指摘を直すたびによくなっている。

 悔しいけど恩師。悔しいけど。

 ――逆風くんは。

 ふとスマホを目にする。

『何かあったらいつでも電話しろ。練習の相談でも体調不良でもいい』

 帰省前に言われたことを思い出した。

 学校に行っていたときは、いつでも会えていたから何とも思わなかったのに。

 こうして離れると……無意識に考える。

 いま何してるのかな。

 不意に電話したかったけど、用事もないのに連絡したら怠けてると怒られる。期待に応えたい気持ちと、話したい気持ちが混濁する。適当に理由をこじつけてスマホをとろうか、なんて邪な気持ちも浮かぶ。

 会いたいとか、話したいとかって……やっぱ好きなのかな。

 この田舎暮らしは、女子も男子も関係なくてみんな友達だった。

 少女漫画や恋愛映画みたいな恋なんて生まれなかった。

 それは私がマラソンが大好きだったからだし、そんな私を理解できない人もいたから。

 ――あぁ……逆風くんはわかるんだ。

 だから、こんなにも、切ないのか。

 これまでの私は独りで。初めて独りじゃなくなって。帰省して、また独りになったから。

 胸の奥がキュンとつぶれる。

 指先で弦をなぞる。

 逆風くんが貸してくれたギターには、中心に丸い魂(たま)があって、それが私と彼を繋いでいるように思えた。――あ、現実的なことをいえば、ギターの中は空洞なんだけどさ。


「会いたいなぁ」

 項垂れるように練習をやめてギターを抱きしめた。

 こんな姿、絶対みんなに見せられないよ……。

「みっふぃー!」

 背後でどかどかと激しい足音がする。私はびっくとしてギターを構え直す。

 脅かすな、一影。

 一影は私の横に正座でスライディングすると、くるくるした瞳を向けた。

辰巳たつみが来てるよー」

「あ……」

 もう二日たったっけ。

 私はギターを置いて立ち上がった。

「一影、絶対にそのままにしてね」

「えーあー」

「ギター壊したら、【滅茶苦茶】にするから」

 一影はひゅいっと背筋を立てて、無言でコクコク頷いた。

 【滅茶苦茶】は一影のトラウマだ。私がマラソンに目覚めたとき、ちょうどその時期に一影が私を怒らせたせいで、あいつの部屋を死ぬほど荒らしまくった。窓やテレビを割るなんて当たり前。教科書ノートを粉々にして、エアガン分解しまくって外に投げ捨てた。そりゃもう長距離を本気でやっていたときと状態で、三日間、食事をとらせてもらえなかったけど、ケロッとしていた。

 以来、一影は私の【滅茶苦茶】をかなりビビる。

 滅多なことでは使わないんだけどね。

「わかったからー、早く行ってー」

 一影はそわそわしながら急き立てる。

 いなくなった後、ギターに触るかもしれない。まぁ、壊さなきゃいいや。

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