2

 16時20分。

 吹奏楽部にわがままをいってもらって、5分だけ待ってもらう。

 黒板を背に、グランドピアノを開けて座しているのは結晶くん。

 その前方で、埃まみれの小さなアンプをつないで構えているのはみちるちゃん。対称に位置するのは、黄色のアコースティックギターをベルトで抑えている逆風くん。

 私はみんなの前で教壇の真ん中にいる。

 くるりと反転して教室を見渡す。スタンドマイクが目の前に一本。

 そして、椅子に座る顧問と、一部の吹奏楽部員。

 音量はチェック済み。メインは結晶くんのピアノで、アンプを繋いだみちるちゃんのベースの音は小さい。逆風くんはアンプを通さず強音でバランスをとるという。私もマイクはあるが、声量で補うよう注意された。


「じゃあ、先生とそのほかのみなさん。私たちのバンドOutside Judgmentの一節聴いてください。まだ未完成なのでイントロとサビと終わりだけ作りました。

 では始めます。『Outside run』」


 私がいうと、結晶くんのピアノから美しい旋律が流れた。

 透明な雫が段々と跳ねるような澄んだ音。

 私は結晶くんがピアノを弾くたびに、時を忘れてしまう。うっとりと艶めかしく、けれどどこまでも清浄な音色なんだ。

 さっきまで不満そうな顔の先生が、瞼を大きく開いた。後ろの生徒もはっとする。

 最後の一音が終わると同時に、逆風くんのギターが唸りを上げた。

 ピアノの美しさとは真逆の荒々しく激しい、けれども一音一音はっきりした演奏。

 その後ろで、ひっそりとみちるちゃんの音が聞こえる。気がする。

 いまはまだ、当人と同じく存在感をだせないのか、息を殺すようにこの舞台を壊さないように支えている。

 逆風くんの演奏に呼応するように、結晶くんのピアノがなだらかに奏でる。

 おそらく二人とも互いの顔を見ていないだろう。


 でも。

 聴いているだけで、わかる。

 二人は繋がってる。ともに競い合いながら、認め合いながら。そんな想いが折り重なる。

 ――そして、その想いが私に託される。


 お腹に力を入れて呼吸する。

 喉元から気道に空気が伝わる。走るときと同じ感覚――


『Outside run 君と再度だ!その鼓動が加速する』

 音楽室が一変して真っ白な空間になる。

 不思議な感覚だが、怖くなかった。

 本能のまま紡いだ歌詞が、私を別の世界に誘う。

 震える喉が、熱い息が、走っている自分とリンクした。

 フラッシュバックするかのように浮かぶ大自然の光景。


『時間空間瞬間一貫して貫いて 限界を打ち破れ』


 荒野を渓谷を雪山をジャングルを、うねうねと一本の道が進んでいる。メロディというライン(わだち)が私に行き先を教えてくれる。

 自由だ。ここにいるかぎり私は自由だ。

 どんな世界でも走っていける。


 もっと作りたい。もっと歌いたい。


『Outside run ずっと最高だ! 最果てが呼んでいる

誰にも止められないこのグルーヴ いつまでも奏でていて』


 たった数フレーズなのに身体が熱い。全身から汗が噴き出る。

 私はマイクを切ってみんなに託す。

 みちるちゃんはその音を大きく、結晶くんは、私の世界の残像を残すように色彩豊かな音色で、逆風くんはそれをぶち壊すかのように激しく弦をかき鳴らした。

 最後の一音が終わったとき、

 あたり一帯が、静寂に包まれた。


 最果先生がじっと私たちを見つめている。

 困った私が振り向くと、してやったりと逆風くんは笑い、みちるちゃんは悔しそうに顔を背ける。結晶くんはわからないけど、場面転換をしたいのか、チャンチャンと音でお茶を濁した。

 吹奏楽部がまた音出しを始める。

 最果先生は目を閉じて嘆息すると、立ち上がって近づいた。

「どうでしたか?」

 私は自信満々だが、実際どうだろう。他人がどう思ったかまるでわからなかった。

「最初はてきとうに合わせるつもりだったが、気が変わった」

 相変わらずぶっきらぼうな口調。てか、そこで閉口する。続きを聞かせて!

「君たちを在学中まで面倒みるよ」

「――卒業じゃないのか」

 訊いたのが逆風くんだった。

「突然、学校からいなくなるってこともある」

 そう答える先生は、緊張が解けたように柔らかな声がした。




 私たちがいそいそと楽器を片付ける中、最果先生は近くにいた吹奏楽部の部員を呼び出した。

 なんだろう。

 彼女たちは先生に何かを言われて、楽器室の奥から何かを出してきた。

 ドラムセットだった。

「君たちが実力を見せてくれたから、私もフェアでいこうか」

 最果先生は椅子に座り、ドラムのバランスを整える。

「代わりの人が来るまでらしいが、実力は大丈夫なのか?」

 逆風くんは挑発する。

 最果先生は答えない。ただ、スティックを軽やかに一回転させた――瞬間、足をおもいきり踏み鳴らしてリズムを作る。

 と思いきや、二つのスティックを軽やかに振るい、厚く重い連打(あとで聞いたけどストロークというらしい)を容易くこなす。

 シンバルの音が激しくなり、複数のダムが踊りだすようにリズムを奏でる。

 結晶くんと同じ――いや、リズム感とパワフルさなら越えている。


 胸が熱くなる。

 これが私たちの先生か!


 締めるようにかき鳴らした後、ダムを小さく鳴らして終える。

 またしても音楽室に静寂が流れた。

「満足かな?」

 優し気に聞く先生に、私は小さく頭を下げた。

「なんで教師をやってんだ」逆風くんの声が動揺しているのがわかる。「それだけの実力ならプロになれただろ」

「運がなかったんだ。アーティストにはそういう力も必要でね。君の家なら問題ないかもしれないが」

 バツが悪そうに逆風くんが下を向く。

 最果先生は立ち上がって座っている私たちに近づく。その不愛想な表情で、その高い身長で、私たちを見下ろした。

「顧問になった以上、全力をぶつけよう。はっきりいうが私はスパルタだ。君たちが本気で音楽を目指すなら妥協は一切許さない」

「それくらいじゃないと、俺たちのメンバーには釣り合わないな」

 いや、僕はそんなつもりないんだけど。結晶くんは困惑していた。

「あと、月下さん」

「なんでしょうか」

「君はセカンドギターの予定だろう? 演奏が上手くなるまで歌も曲作りも禁止だ」

 なんで!?

「だな。今回は特別だ」

 逆風くんもなぜか頷いている。

 ちょ、待ってよ! せっかく熱かったのに。やりたいこと見つかったのに!

「ど、どうしてですか!?」

「月下は底が浅すぎるんだ。もっと音楽の深みに入れ。いろんな曲を聴いて、一つでもいいから楽器を習熟しろ。歌はそれからだ」

 先生も同意するように、うんうんと首を縦に振っている。

 お、お前ら! さっきまでいがみ合ってたんじゃないのかよ!!!

 あーもう嫌い! 男子のこういうとこ大っ嫌い!!!

 地団太を踏む私。

「逆」

 横にいたみちるちゃんがいつもの三倍くらいの声量でいった。

「なんだ?」

「どうしたら。上手くなる?」

「随分やる気だな」

「私。月とやるから。譲らないから」

「死ぬ気で練習しろ」

「言われなくても」

 言葉は少ないけど、みちるちゃんに熱が入っているのがわかる。

 負けられない。私も初心者だから。

「ガリ勉、勉強はいいのか?」

「やるよ、休憩中に。べつに両立したっていいだろ」

 その反応に逆風くんは笑った。それが結晶くんの癇に触ったらしい。

「馬鹿にしてんの?」

「いや、べつに。だけど特別だと思わないか?」

 なんだろう。自分の才能? それとも先生?

 私の疑問はわからないまま、結晶くんは深いため息をついた。

「……正直、君を恨んでる。なんで巻き込んだ」

「お前、いい音するからな」

「答えになってない。一生恨むよ」

「馬鹿言うな。一生、感謝することになるぞ」

「……くそったれ」

 あーもうーまた男子同士でイチャイチャして!!!

 なんで私はこの間に入れないかな!!

「はいはい、雑談はそれくらいにしろ。片付けるから手伝え」

 最果先生はパンパンと手を打った。

 自分で使ったのに片付けないなんてちょっと納得いかない。



 吹奏楽部の邪魔にならないよう、こっそり片した私たちは、その後廊下に集められた。

「ところで、秋の学園祭に出る予定はあるか? 申請するなら夏休み前だが」

 全員と目が合った。

 まるで考えていなかった。

「君たちがそのつもりなら申請する。だが、夏休みは死ぬ気で練習してもらう。新学期に私の満足いくレベルでなかったら即辞退するから」

 面白いじゃん。

 私は笑った。

 みちるちゃんは深く頷き、結晶くんは額に手を置いて天を仰いだ。

「冗談もほどほどにしろ。人気投票1位で、後夜祭のトリを務めてやるよ」

 逆風くんの言葉に先生は嬉しそうに笑みを浮かべた。

「じゃあ君たち、最初に挫折を味わえ」

 一瞬、私の頭の中が真っ白になる。

 ドSだぞこの人!!!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る