第2話

「おお! 今日は学校にきたの? 今日は修学旅行でどこにいくか決める日だから、ちゃんと最後までいなきゃだめだよ」


「もっちろんだよ結衣、そのために学校にきたし最後までいるつもり」


 修学旅行の計画を立てる授業がある時だけ私は学校に行く。学校に行くことで、隣の家の雄太とも顔を合わせる機会が増えた。隣の家なのに、顔を合わせる機会が増えたなんて変な言い方だと自分でも思うけれど、隣の家だからといって、毎日会えるわけではない。


「モモはさ、どこ行きたいの?」


 雄太にモモと呼ばれると心臓がとくんと動く。明るい不登校でも、恋はしていいのだ。


「アニメショップとか?」私がそう答えると、同じ転生系のアニメが好きな結衣もメガネを指で直しながら賛同してきた。


「いいね! 実は私たちも行きたいなって言ってたんだよね。やっぱりさ、田舎とは違うじゃん?」



――雄太と修学旅行で一緒に東京散策なんて、最高じゃん!


 私の心も修学旅行に向けてウキウキとピンク色に染まってゆく。それに、なんだか学年全体がピンク色の雰囲気に包まれているように思えた。三年生の教室があるフロアがなんだか淡いピンク色の世界に見える。まるで桜味のするゼリーの中に三年生のフロアがあるみたいに。


「修学旅行でさ、告るつもり」


「どこで?」


「スカイツリーに決まってるじゃん」


 学校にまともに行ってない私が言うのも変だけど、みんなみんな、男子も女子も今年は受験生だと言うことを一旦忘れて恋する気持ちに夢中になっているような会話があちらこちらで聞こえてくる。


――告るとか、ないなぁ。


 私はそんな会話を右から左に聞き流し、自分は告るだなんて無理だしなと思っていた。だってもしも隣の家の雄太に告白をして、ふられでもしたら隣の家に住みにくい。不登校の私が自分の家にまで居づらくなってしまったら、私はどこに居場所を求めればいいのだろうか。


――絶対告るとか、ないわ。


 そう思っていたけれど。修学旅行当日の新幹線の中で、私は大変なことを聞いてしまった。


「俺さ、告る予定なんだよね」


 新幹線の後ろの席の雄太が、そう安川に話をしているところを聞いてしまったのだ。


――嘘でしょ……? 誰に? 誰に告るつもりなの?


 私は耳をそば立てて、窓ガラスと座席の間に自分の耳をできる限りくっつけて、少しだけ眠っているフリをした。二人座れる座席には、窓際に私が座り、隣にはヒカルが座っている。ヒカルは私たちの前の座席の方に身を乗り出して結衣と話をしているみたいだから、私が眠ったフリをしていてもたいして気にならないだろうと思った。


 仲がいいと言っても、私は基本明るい不登校だから、毎日学校に行っているみんなとは会話が若干合わない時がある。そんなことはもう慣れているから気にしないようにしているけれど、後ろの席から聞こえてきたさっきの会話はいただけない。


――雄太の告白する相手って、誰?


 小学校一年生の時に隣の家になってからずっと雄太が好きだった。


 六軒並ぶ建売住宅の真ん中にある道路で一緒にキャッチボールをしたり、バトミントンをしたりして小さな頃から雄太とは遊んできた。いつの頃からそれが友達としての好きから恋愛の好きに変わったのか、自分でも気づかないほどに自然に雄太を異性として好きだと思っていた。


――雄太はずっと私の雄太だよ。誰に告白するつもりなんだよぉ。


 ガラス窓に私の体温が吸い込まれていく。頭の上から出てくる緩くて涼しい風が、そっと私の髪を揺らしていた。


「俺さ、決めてたんだよね。スカイツリーで告るって」


「まじで? ついに!」


「ついに」


「長かったじゃん。告るまで」


――長かったじゃん? それって、誰のことを言ってるの?


「だってもう告れる時ってあんまなくね? 別にいつでもいいと言えばそうだけど、呼び出して? とか。ちょっとさじゃん?」


「確かに。今時ってあれらしいよ。RINKのメッセージで好きって言われるよりも、直接言って欲しい女子が多いって、こないだ女子から聞いたけど」


「そうなの?! それじゃあやっぱりスカイツリーしかないな」


「スカイツリーで告る人めっちゃ多いんだって」


「知ってる。二人でいるところ見られたら絶対誤解される的な」


「そそ。気をつけないと、速攻学年中の噂になるって」


「でも、スカイツリーくらいしか学年みんなで集まる時なくね? 東京ドリームランドはあれだし。班行動が絶対じゃん」


 そこまで耳をそば立たせながら聞いていた私の中には、暗くて重い悲しみのような感情がドスンと音を立てて落ちてきていた。


――絶対、雄太が告白をする相手は私じゃない……。


 あんなにも仲が良かったのに。

 あんなにも一緒に遊んだのに。

 あんなにも一緒に学校へ行ったり帰ったりしてきたのに。


 隣の家だからっていつも一緒に遊んでいた雄太は、もう私の知っている雄太ではなくなっていた。私が不登校で家にこもって学校に行かない間に、雄太は雄太で学校の中で誰かに恋をしてた。


――私じゃない人に。


 絶望感が私の中を支配していった。もう今すぐにでも家に帰ってしまいたかった。でも、私たちを乗せている新幹線は新横浜に着くまで停車する予定はない。


――新横浜で降りたところで、一人で家になんて帰れないよ。


 眠ったフリをしながら、私は痛む気持ちを味わいたくもないのに味わい続けている。ずっと好きだったのに。一番近くにいたはずなのに、なんで雄太の好きな人は私じゃないんだろう。そんなことばかり考えていると、目を閉じているまぶたの裏側に雄太の笑顔ばかりが浮かんできた。


 モモはなんで学校に来ないの? と聞いてきた雄太。

 キャッチボールをして上手に取れたと私を褒めてくれる優しい雄太。

 二重跳びができるようになったと何回も何回も飛び続ける雄太。

 駐車場にプールを出して一緒に水遊びをした雄太。


 まぶたの裏側で雄太がどんどん出会った頃のように幼く変化していく。私と一緒にいつも遊んでいた雄太にどんどん戻ってゆく。タイムマシーンに乗って昔に戻っていくように、どんどんどんどん、雄太が幼く、私も幼く、そして手を繋いで公園に行くくらいの時期まで。


 じわり。


 涙がまぶたの裏側から溢れ出してきた。


――泣くな。


 じわり。


 まぶたの裏側に大きな水溜みずたまりでもできたみたいに溢れてくる。


――泣くとか、まじないから。


 じわり。


 まぶたの裏側の水溜りは、もはや湖くらいになってしまった。


――あぁ、だめだ。


 私は一瞬起き上がり、座席の前についているテーブルをカチッと音を立てて取り出した。そこにゆっくりと腕を乗せ、顔を埋める。どうせ学校に行っている時も授業中はこうして顔を腕の中に埋めているのだ。誰もおかしな風に思ったりしないはず。私は、眠りこけているフリをして、制服のポロシャツの袖に目がつくように不自然なまでに顔を埋めた。


――はやく修学旅行なんて終わればいいのに……。


 二泊三日の修学旅行。

 今すぐにでも家に帰りたい私は、東京駅に着いたら気分が悪くなったと言って自宅に帰ろうと考えた。


――気分が悪いって言えば、東京駅まで親が迎えにくるって言ってたし。


 隣の席のヒカルは私が顔を伏せていても特になんとも思わないのか、前の席の結衣や美幸と楽しそうに話をしている。


――仲がいいっていったって、私なんか、別にそこまで友達って思われてないんだよね。きっと。


 じわり。


 さっきとは別の涙も混じったような気がした。


――最悪だ。


 私はその後もずっと顔を伏せて東京駅まで向かうことにした。


――最悪だ。雄太、スカイツリーで告白って言ってたな。誰に告白するつもりなんだろう。


 そんなことばっかり一人で考えていたら、真っ暗闇だった私の脳裏にキラッと一瞬だけ光が見えた気がした。そう思ったら、別の考えも湧いてきた。


――スカイツリーって何日目だっけ。確か、二日目の夜じゃなかったっけ。


 雄太の告白をする相手を知りたい。そう思い始めたら、周りの楽しそうな声や新幹線の走る音も聞こえなくなってきた。


――スカイツリーで二人っきりにならないと告白できないよね? てことは、雄太が二人っきりになろうとしたその子が雄太の好きな人ってことじゃんね?


 一瞬キラッと光って見えたあの光はもしかして悪魔の放った光かもしれない。悪魔も時には輝くような光を発することができるのだ。


――スカイツリーで二人っきりになんて、絶対させない。だって、私はずっとずっと昔から雄太のことが好きなんだよ?


「邪魔してやる」


 真っ暗闇の世界で私はそう独り言を呟いて、決意を固めた。


「絶対その告白、邪魔してやるんだから」


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